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Project: Aigis  作者: 遅めの果物
『AETHER Nexus Open』編
5/20

第5話:共鳴の兆し

2035年、10月27日。

 放課後の教室には、西日が長く、オレンジ色の影を落としていた。

 黒川祐介は、机に突っ伏したまま、自分のしゃがれた声を思い出していた。一週間に及ぶ「強制言語化」の訓練。独り言を叫び続けながら、見えない敵と戦い続ける地獄。

 喉の奥には、いつも熱い痛みがこびりついている。


(……やめときゃよかったな)


 何度目かの溜息が漏れる。

 昨日、Leonから届いたメッセージは、さらに祐介を憂鬱にさせた。


『明日のスクリム、1試合だけShoと交代して出場してもらう。本来のメンバーの中で、君がどこまで情報を落とせるか、そして、その情報がどう機能するかを確かめる』


 自分はまだ練習生だ。正式なメンバーであるShoを差し置いて試合に出る。

 それに対するShoの視線や、他のメンバーの困惑を想像するだけで、祐介のドライな精神は「面倒くさい」という拒否反応で塗り潰された。

 だが、放課後の校門を抜ける足取りは、不思議と軽かった。

 自分の不甲斐なさに打ちのめされながらも、心臓の奥の方で、あの「組織の暴力」に一矢報いたいという、正体不明の渇きが燻っていることを、彼はまだ自覚していなかった。


          *


 21時。

 『Aether Link』のサーバー。

 祐介が接続すると、既にメンバーが揃っていた。Leon、Kai、Rin、そしてエースのRiku。

 チャンネル内には、針を落としたような静寂と、微かな緊張が漂っている。


「――Kurosukeが入ったな。では、今日のスクリムの予定を確認する」


 Leonのディレクターらしい、落ち着いた声が響く。


「相手は『Vortex Esports』。プロ2部、V2の下位に位置するチームだ。実力的には、今のBlue Cometの本メンバーなら接戦、あるいは勝ち越せる相手だろう」


 Leonの視線――正確には、ボイスチャットのアイコンの点滅――が祐介に向く。


「Kurosuke。君に課すルールは変わらない。とにかく喋れ。間違ってもいい、声が裏返ってもいい。君が見ている戦場を、言葉にして味方の脳へ流し込め。君個人のスコアなど、今日はどうでもいい」

「……了解」


 短く答える。

 「どうでもいい」と言われたスコアだが、祐介にとっては死活問題だった。

 喋ることに脳を使えば、エイムは鈍る。状況判断は遅れる。

 何より、エースであるRikuの隣で、無様なプレイを見せることへの、言いようのない屈辱感が彼の喉を締め付けていた。


「Kurosukeさん」


 鈴を転がすような、しかし氷のように冷ややかな声が聞こえた。Rikuだ。


「本日はよろしくお願いいたします。Shoさんの代わりということですが……あまり、僕の邪魔はしないでくださいね。丁寧なコール、期待しておりますよ」


 言葉遣いは極めて礼儀正しい。

 しかし、その背後には「期待などしていない」という、明確な選民意識が透けて見えた。

 祐介は小さく鼻を鳴らした。


「ああ。善処するよ、お坊ちゃん」

「……お坊ちゃん、ですか。面白い呼び方ですね」


 Rikuは小さく笑った。そこには、反論する価値すらない相手に向けられた、残酷なまでの余裕があった。


          *


 マップは、再び『Caelum』。

 試合開始のブザーが鳴った瞬間、祐介の頭の中に、無理やり言葉を押し込む作業が始まった。


「……ミッド。ドローン、来ない。モク、一つ。A側の入り口……。自分は、左の壁、張り付き……」


 たどたどしい。あまりに、たどたどしい。

 本来なら一瞬の判断で行う動きを、言語というフィルターを通すたびに、祐介のキャラクターは「ぎこちない人形」のように固まる。


 敵のストライカーが顔を出した。

 いつもの祐介なら、反射的にヘッドショットを叩き込んでいる場面。

 だが、今は「右、敵視認……!」という言葉が先に脳を占拠し、クリックがコンマ2秒遅れた。


 乾いた射撃音。

 崩れ落ちたのは、祐介のエージェントだった。


「……っ」

「Kurosuke、声が止まっている。死んだ理由も、味方が拾える情報だ。早くしろ」


 Leonの冷徹な督促。


「……すいません。相手、Aメインに、たぶん三人。自分を殺した奴は、今の撃ち合いで、少し、右に逃げた……」


 ボイスチャットは、祐介の未熟な情報と、Leonの完璧な調整、そしてRikuの圧倒的なキルログで埋め尽くされていく。

 前半戦。スコアは3対9。

 V2の下位チームであるはずのVortexに対し、Blue Cometは苦戦を強いられていた。

 理由は明白だ。ストライカーの一角である祐介が、完全に「穴」になっていたからだ。


 キルスコア、2キル11デス。

 目を覆いたくなるような数字が、Aether Linkのリザルト画面に並ぶ。

 味方のKaiやRinの雰囲気も、目に見えて悪化していた。当然だ。勝ちに来ているスクリムで、練習生の発声練習に付き合わされているのだから。


「……Kurosukeさん。少し、お静かにしていただけますか?」


 Rikuの、丁寧だが刃のような言葉が飛ぶ。


「あなたの情報は、ノイズが多すぎます。その未完成な言葉を聴くたびに、僕の思考のテンポが狂う。Leonさんの指示だけがあれば、僕は勝てますから」


 祐介は、マウスを握る手を血が滲むほど強く締め直した。

 言い返せない。

 自分のせいで試合が壊れている。それは、事実だった。

 情報の言語化という、プロとしての入り口。そのあまりの険しさに、祐介のドライな心は、ボロボロに擦り切れていた。


(……やめだ。こんなの、向いてねえ)


 そう投げ出しそうになった、第15ラウンド。攻守交代から2ラウンド経過した、攻撃側。

 祐介は、Leonのセットアップに従い、Aサイトへの突入準備をしていた。


 その時だ。

 ヘッドセット越しに聴こえる、敵のガーディアンが設置したアビリティの「設置音の微かな余韻」。そして、先ほどから繰り返されている、敵のヴァンガードの「索敵のタイミング」。


 それらが、祐介の脳内で、一つの「線」として繋がった。

 論理ではない。

 戦場に漂う、微かな「淀み」を、彼の野生が嗅ぎ取った。


「……Leonさん」


 祐介の口から、無意識に言葉が漏れた。


「何だ」

「Aメイン。敵のヴァンガード……さっきから、同じ角を、怖がってる。二回連続で、Kaiさんのフラッシュを食らってから……たぶん次、強気に出たら、あいつ、チェックせずに左へ逃げる」


 ボイスチャットが、一瞬だけ止まった。

 Leonが何かを言おうとしたその時、祐介はさらに言葉を重ねた。


「Riku。あいつ……モクの端から左に抜ける癖、ある。今の配置なら、たぶん、そこ。絶対に、撃ち合わない。逃げるから。……そこを、狙え」


 それは、これまでの「情報の羅列」とは違った。

 敵の心理の癖を読み切り、未来の空白を指し示す、残酷なまでの「予言」。


「……いいでしょう」


 Rikuは、吐き捨てるように言った。


「そのデタラメ、信じて差し上げます」


 試合再開。

 LeonのDirectorによるスモークが、Aサイトの視界を遮断する。

 Kaiのヴァンガードが索敵ドローンを流す。


 通常なら、Rikuはドローンの情報を待ってから、確実に敵を排除しに行くはずだ。

 しかし、この時。

 Rikuは、ドローンを追い越して加速した。


 スモークの端。

 祐介が言った通り、敵のヴァンガードは強気な前押しを恐れ、角のチェックを怠り、背中を向けて左へ逃げようとしていた。

 完璧な「心理の隙」。


 Rikuのマウスが閃く。

 一撃。

 さらに、逃げ道に先回りしていたようなRikuの射撃が、カバーに来た敵のDirectorをも貫いた。


「――二人、ダウン。Aサイト、クリーン」


 Rikuの声は、震えていなかった。

 しかし、その後の彼のプレイには、明らかな「迷い」が生じていた。


 なぜ。

 なぜ、この練習生は、自分の論理でも、Leonの指示でも拾いきれなかった「敵の呼吸」を、あんなに的確に言い当てたのか。


 ラウンドは、Blue Cometが圧倒的な速度で制した。

 Wipe Outとはいかなかったが、Rikuの予測を超えた連キルが、試合の流れを強引に引き戻した瞬間だった。


「……Nice」


 Leonの、短く、しかし含みのある言葉。


 その後のラウンドでも、祐介のスコアは依然として低かった。

 喋ることに苦しみ、凡ミスを繰り返し、最下位のまま試合は終わった。

 スコアは8対13。Blue Cometの敗北。


 スクリムが終了し、Aether Linkのリザルト画面が表示される。

 沈黙。

 いつもなら反省会が始まるところだが、今日は誰も口を開かなかった。

 祐介の酷いスコアを責める気にもなれず、かと言って、あの第15ラウンドの「異質な一撃」を、どう評価すべきか分からなかったからだ。


「……Kurosukeさん」


 不意に、Rikuが口を開いた。

 いつもの丁寧な、取り繕ったような声ではない。

 どこか、苛立ちと疑問が入り混じった、素の少年の声。


「第15ラウンド。なぜ、あのヴァンガードが左に逃げると分かったのですか。僕の計算では、あそこは右に引いてカバーを待つのが、最も生存率が高い動きだったはずです」


 祐介は、ヘッドセットを外し、痛む喉をさすった。


「……分かんねえよ。ただ、あいつの視線が、ずっと怯えてるように見えただけだ。理屈じゃねえよ」

「理屈ではない、ですか……」


 Rikuは、それ以上何も言わなかった。

 「不本意だ」とでも言いたげな沈黙。だが、彼は確かに考え込んでいた。

 自分が信じてきた「論理」という壁の外側に、もっと別の、ドロドロとした「人間の癖」という戦場があるのではないか。そして、目の前の出来損ないの練習生は、そこを土足で歩いているのではないか。


「今日はここまでだ」


 Leonが、重い口調で締めくくった。


「Kurosuke。スコアはゴミだ。喋りも聞き苦しい。だが……君が今日落としたあの情報のいくつかは、確かにチームの刃になった。明日からも、その泥を啜り続けろ」

「……へいへい」


 祐介は投げやりに答え、サーバーを退出した。


 ディスプレイを消すと、部屋に静寂が戻る。

 全身の倦怠感。喉の痛み。

 そして、自分の不甲斐なさへの、吐き気がするような自己嫌悪。


 「ただの遊び」のはずだった。

 要領よく勝って、気持ちよくなって終わるはずのゲームだった。

 なのに、今の自分は、負けて、貶されて、ボロボロになって、それでもなお、あの第15ラウンドの「一瞬のシンクロ」を思い出して、心臓が波打っている。


「……あー、疲れた。マジで、やってらんねえ」


 祐介はそのままベッドに倒れ込み、自分に言い訳をするように毛布を被った。

 疲れたから、寝る。

 明日は学校だ。

 進路のことも、将来のことも、全部どうでもいい。


 ……そう思いながら、彼の指先は、暗闇の中で無意識に空をなぞっていた。

 Aメイン、敵、左。

 逃げる癖。

 そこを、撃つ。


 彼の脳は、持ち主の意志に反して、既に「勝負」の熱に侵されていた。


 2035年。

 情報の洪水の中で、一筋の「共鳴」を見出した天才は。

 まだ自分が、プロという名の怪物に呑み込まれつつあることに、気づいていない。

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