第14話:双璧の覚醒
2035年、11月7日。正午。
『AETHER Nexus Open』オンライン予選、Day3。
本選スタジアムへの最後の一枠を懸けた第9試合、BO5の幕が上がった時、プラットフォーム上の同時接続者数はアマチュア予選としては空前絶後の50万人を突破していた。
ネットワークの向こう側で、数えきれないほどの視線が熱を帯びている。その視線は、昨日『Vortex Esports』を壊滅させた謎の練習生「Kurosuke」の再来を待ち望んでいた。しかし、サーバーに表示されたBlue Cometのスターティングラインナップに、その名はなかった。
画面に並ぶのは、Sho、Riku、Kai、Rin、そしてLeon。
Blue Cometが積み上げてきた、本来の、そして最高の五人。
配信者ジンのチャンネルでは、チャット欄が困惑と期待で二分されていた。
「――おっと、Leonは『正攻法』を選んだか! Kurosukeは温存か、それとも昨日のが本当にただの一発屋だったのか。だが、見てくれよ。今のBlue Comet、顔つきが違う。昨日までの悲壮感が消えて、一つの生命体みたいにまとまってる。アマチュアがプロに挑む時、最も必要なのは『自分たちの形』を信じることだ。彼らはそれを選んだ。……だが、相手が悪すぎるな」
ジンの指摘通り、各々の自宅から接続しているメンバーたちの間には、かつてない濃密な団結力が漂っていた。特にShoは、昨夜、祐介から受け取った「意地」を糧に、迷いを完全に振り切っていた。
だが、そのBlue Cometの前に立ちはだかる『Ignis Esports』は、あまりにも巨大な、そして無機質な「壁」だった。
*
第1マップ、『Solstice』。
中央に聳え立つ巨大なタワーを巡る高低差の激しいこの戦場で、試合開始直後から火花が散った。
Shoの動きは、間違いなく今日までの全試合の中で最高だった。5,000時間の経験が、迷いを捨てたことで研ぎ澄まされ、タワーの上下から降り注ぐ敵の射線を紙一重でかわしながら、敵のわずかな甘えを逃さずキルに繋げていく。Leonの指示を待つまでもなく、KaiとRinとの連携でサイトの裏を突き、防衛ラインを強引に押し上げていく。
アマチュアの域を完全に超えた、完璧に近い立ち回り。
それでも、Ignisは崩れなかった。
「……なんだよ、こいつら。一歩も引かねえ」
Shoが、マウスを握り込みながら呻いた。
Blue Cometが最高の一撃を叩き込めば、Ignisはそれを「必要経費」として平然と受け流し、次の一秒には組織的な反撃で盤面を塗り替えてくる。彼らはVortexのように感情で動かない。一人が落とされれば、即座に残りの四人がその穴を埋めるための「最適解」を共有し、誤差のない射撃でBlue Cometの面々を削り取っていく。
接戦。一進一退の攻防。
だが、常に「あと一歩」が及ばない。
論理を突き詰めた先にある、プロという名の絶対的な安定感。
第1マップの終盤、スコア11対12。Blue Cometがマッチポイントを握られた絶対絶命の局面。
その沈滞した空気を切り裂いたのは、静かなる怪物、Rikuだった。
「――Leonさん。僕が、全員殺します。道を作ってください」
Rikuの氷のような声が響いた。
Leonは、迷わず全リソースをRikuに注ぎ込んだ。視界を遮るスモーク、敵の感覚を麻痺させるフラッシュ、退路を断つ衝撃波。その喧騒の中心を、Rikuのエージェントが「完成された暴力」として駆け抜ける。
一撃。敵の先鋒の眉間を撃ち抜く。
二撃。カバーに来た二人を、振り向きざまの掃射で同時に葬る。
三、四。まるで未来を予見しているかのように、スモークの向こう側から顔を出そうとした敵を、着地と同時に仕留める。
そして最後の一人。焦ってアビリティを構えた敵のリーダーを、冷徹な一撃で黙らせた。
「――Wipe Out」
ジンの叫びがヘッドセットを突き抜けて聞こえてくるようだった。
チャット欄は熱狂の渦に包まれる。アマチュアのストライカーが、プロの組織を単身で粉砕した。それは、歴史に残るようなスーパープレイだった。
だが、祐介は自室のベッドでタブレットを握りしめながら、奥歯を噛み締めていた。
(……ダメだ。これじゃ、足りない)
祐介の懸念は的中した。
Ignisは、今の驚異的なWipe Outを食らってもなお、ボイスチャットに動揺の欠片も見せていなかった。
「Rikuのフィジカル値、想定の1.2倍。第2マップ以降、彼に対するリソース割当を20%増加させる。……問題ない。次は獲るぞ」
Ignisのリーダーの冷徹な声が、戦場のログから透けて見えるようだった。
第1マップをオーバータイムの末に14対16で落としたBlue Comet。その疲労が色濃く残る中で、第2マップ『Canal』の戦いが幕を開けた。
この細長く入り組んだ水路のマップは、Ignisの「組織的な修正能力」が最も冷酷に発揮される場所だった。
水路を挟んだ狭い通路。そこは、一度エリアを掌握されれば逃げ場を失う死の回廊となる。
「……っ、エリアを広げられない! 全部焼かれてる!」
Shoの声に悲鳴が混じる。Ignisのセットプレイは、まさに芸術的なまでの「拒絶」だった。Shoがどれほど鋭いエントリーを見せようとしても、彼の行く先には必ず、一分の狂いもないタイミングでモロトフの火が放たれ、視界を焼くフラッシュが炸裂する。
Ignisの放つアビリティは、単なる妨害ではなかった。それはBlue Cometの五人を、Ignisが用意した「キルゾーン」へと丁寧に追い込んでいくための誘導だった。
狭い水路の曲がり角。Rinが防衛のアビリティを置こうとした瞬間、壁一枚を隔てた向こう側から、完璧なタイミングで衝撃波が届く。まるでこちらのデバイス操作を予見しているかのような、徹底したアンチメタ。
「Leonさん、Bサイトが耐えられません! 射線が、三方向から……!」
Kaiの報告が届く。Leonは必死にスモークを焚き、敵の視線を遮断しようとする。だが、Ignisはその煙すら利用した。煙の中に飛び込むのではなく、煙の向こう側にある「音が鳴る場所」を、全員で、一斉に、寸分違わず撃ち抜いてくるのだ。
Rikuは、その後も頭一つ抜けた戦績を出し続けた。彼の放つ弾丸は、Ignisの組織的なカバーさえも力尽くでこじ開けようとしていた。しかし、Ignisは第1マップでのデータを即座に反映していた。Rikuが顔を出す瞬間、そこには必ず「二人同時」の射線が待ち受けている。一人を倒しても、二人目が確実にRikuを仕留める。
それは、個の輝きを組織の物量で圧殺する、プロの合理性そのものだった。
第2マップ、8対13。
Shoの奮闘も、Rikuの超人的なキルも、Ignisという巨大な機構に飲み込まれて消えた。
じわじわと、真綿で首を絞められるような敗北。
Blue Cometは、追い詰められた。
BO5、2マップ先取された絶体絶命の0対2。
次に負ければ、彼らの夢は、オフラインスタジアムの土を踏むことなくここで潰える。
*
15分間のインターミッション。
Blue Cometのプライベートチャンネル。
「……ごめん。俺じゃ、こじ開けられなかった。あいつら、俺が次に何をしたいのか、全部知ってるみたいだ」
Shoが、荒い息を吐きながら言った。彼の手は極度の疲労と緊張で震えていた。本来の実力は出した。全力を尽くした。それでも届かないのが、プロ2部中堅という名の厚い壁だった。
画面越しのShoのバイタルデータは、完全に「消耗」を示していた。
「Sho、気にするな。お前の戦いは、あいつらの論理を十分に削った。……お前の意地は、確かにIgnisを焦らせたさ」
Leonの、だがどこか確信に満ちた声。
「……約束の、第3マップだ。Kurosuke、入れ」
自室の椅子に深く腰掛けていた祐介は、静かにヘッドセットを装着した。
「……待たせすぎですよ、Leonさん。喉、乾いちゃいました」
サーバー上のメンバーリストが更新される。
Shoの名前が消え、そこに『Kurosuke』の文字が刻まれた。
その瞬間、配信サイトのジンは椅子を蹴り飛ばして絶叫した。
「――来たあああああ!! ジョーカー降臨! だがBlue Comet、もう後がないぞ! 0-2からの逆転、いわゆる『リバーススウィープ』なんて、あのIgnis相手に可能なのか!? しかもマップはCaelum! Kurosukeの庭だ! ここで奇跡が起きなければ、BCの物語は今日で完結だ!」
*
第3マップ、『Caelum』。
サーバーが接続され、キャラクターを選択する画面。
祐介は、隣のアイコンに並ぶRikuの気配を感じた。
これまでの二試合で、文字通りチームを背負い続け、肩で息をしている怪物。だが、その気配からは折れない芯の強さが伝わってくる。
「Riku。……疲れましたか。お坊ちゃんは体力がなくて困りますね」
「……冗談を言わないでください。あなたの尻拭いをするリソースくらい、まだ残っていますよ。……それとも、昨日のVortex戦がまぐれだったと言い訳する準備でもしているのですか?」
Rikuの声は冷たかったが、そこには以前のような拒絶はなかった。
「お前の論理は、さっきの二試合でIgnisにバレた。あいつら、次はお前を徹底的にメタってくる。……お前が論理を貫こうとすればするほど、あいつらの餌食になる」
祐介は、マウスを軽く振って感触を確かめた。
「だから、俺が壊します。あいつらの正解、全部ゴミ箱に捨てさせてやりますよ」
「……ふん。相変わらず野蛮ですね。ですが、期待していますよ。私の相棒にふさわしい活躍を」
相棒。
その言葉が、祐介の胸の奥にある火を爆発させた。
試合開始のブザーが鳴る。
第3マップ。Blue Cometの攻撃。
Ignisのリーダー、Voltaは、自室のモニター越しに冷徹な視線を走らせていた。
「Kurosuke。Vortexを破壊したイレギュラーか。だが、データは揃っている。彼が好むのは、定石を外した心理的な奇襲だ。……我々は一切の隙を見せず、重層的な射線で彼を封じ込める。野生の牙など、鋼の檻の前では無力だということを教えてやれ」
だが、Ignisはまだ気づいていなかった。
今、戦場に並び立った二人の「怪物」が、どれほど異質な化学反応を起こそうとしているのかを。
論理を極め、一撃の美学を追求し続けた孤高の天才、Riku。
野生を研ぎ澄ませ、論理の裏側にある「澱み」を嗅ぎ分ける異端の才、Kurosuke。
これまでは、それぞれが個別に、あるいは不完全なシンクロで戦ってきた。
だが、今。
0対2という地獄の縁で、二人の少年は、互いの背中を預けるという行為に、何の躊躇も抱いていなかった。
「――Leonさん、俺はAに行きます。……でも、普通の守り方に見えるようしてください」
祐介のコールが飛ぶ。
「Ignisは、僕の『野生の突撃』を待ってる。……だから、あえて完璧な『定石』で入り口を叩くフリをします。……Riku、カバーは任せる」
「ええ。ゴミは、僕がすべて片付けます。あなたは、敵を驚かせることだけに集中してください」
二人のキャラクターが、並んで走り出す。
2035年、11月7日。
オンライン予選、最終決着戦。
スタジアムへの最後の一枠を懸けた、最後の戦いが始まった。
目の前に広がるのは、プロという名の強固な檻。
だが、そこに挑むのは、もはやただの練習生でも、ただの傲慢なエースでもなかった。
論理の盾。野生の剣。
二つの頂が交差した時、日本のeスポーツの歴史は、初めて「真の暴力」を目撃することになる。
「――行くぞ。……Ignis。あんたたちの完璧な正解、俺たちが引きちぎってやる」
祐介の瞳が、青白く燃え上がる。
決着の時は、すぐそこまで迫っていた。




