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Project: Aigis  作者: 遅めの果物
『AETHER Nexus Open』編
13/20

第13話:深淵を覗く者

 2035年、11月6日。深夜。

 『AETHER Nexus Open』オンライン予選Day2が幕を閉じ、日本のeスポーツ界隈は、ある一つの「異変」に揺れていた。


 深夜のSNS、プロプレイヤーやコアなファンだけが集まるクローズドなコミュニティでは、Blue CometがVortex Esportsを破ったという事実よりも、突如として現れたリザーブ、**『Kurosuke』**という存在についての議論が白熱していた。


『@pro_watcher: 今日のBC vs Vortex見たか? あのKurosukeって何者だよ。Vortexのセットを完璧に読み切って、一番あり得ない場所から顔を出して壊してた。あんなの、プロの定石の真逆だろ』


『@rank_check_bot: Kurosuke……名前には見覚えがある。ランクマッチのトップ100にたまに顔を出す変な動きをする野良がいたけど、あいつか? 連携度外視の野生児だと思ってたが、まさかBlue Cometにいたとは』


『@ex_coach_A: あれは「初見殺し」の極致だ。Vortexは完璧な論理を組んでいたからこそ、あのイレギュラーに反応できなかった。だが、データが取られた以上、明日のIgnis戦で同じことは通用しない。ジョーカーの寿命は、たったの一試合だ』


 そんな喧騒を、黒川祐介は冷めた目で眺めていた。

 自分が「Kurosuke」であることは、学校の同級生も、実家の父親も知らない。世間一般にとって、自分はまだ「ゲームが得意なだけの高校2年生」であり、この騒ぎは画面の中の、遠い世界の出来事に過ぎなかった。

 だが、その「画面の中」こそが、今の祐介にとって最もリアルな戦場だった。


          *


 配信者ジンのチャンネルでは、同接者数が昨夜の倍以上に跳ね上がっていた。


「――さあ、今夜も語っていきましょう。世紀の大番狂わせ、Blue Comet。そして謎の怪物Kurosuke! チャット欄もそれ一色だね。でも、僕はあえて冷水をぶっかけるよ」


 ジンはモニターに映し出されたVortex戦のVODを指差した。


「Kurosukeがやったのは、いわば『論理のハッキング』だ。Vortexという完璧なプログラムの、一瞬のバグを突いただけ。でも、明日の相手はあの**『Ignis Esports』**だ。予選での彼らのスタッツを見てくれよ。平均ラウンド取得率78%、ミスによる失点はほぼゼロ。彼らはVortexのように『一つの正解』に固執しない。相手に合わせて自分たちの形を変えてくる、プロ2部でも屈指の『柔軟な組織』だ。ハッキングが通じない相手に、この野生の少年がどう立ち向かうのか。注目度はMaxだけど、僕の予想は、残念ながらIgnisの3-0だね」


 ジンの鋭い分析に、視聴者たちも冷静さを取り戻していく。

 一時の熱狂は、明日という「現実」を前に、少しずつ静かな期待へと変わっていった。


          *


 その頃、祐介は自室で、Ignis Esportsの予選全試合のログを解体していた。

 Vortex戦と同じように、隙を探す。

 だが、調べれば調べるほど、喉の奥がヒリつくような感覚に襲われた。


(……隙がないわけじゃない。でも、こいつら、隙を『埋める』のが異常に早い)


 Ignisのプレイには、Binary Starsのような硬直した論理も、Vortexのようなプライドゆえの盲点もなかった。誰かがアビリティを構える間、必ず別の誰かがその背中をカバーしている。一人が落とされても、一秒以内に二人目がカバーキルを取る。

 かつてスクリムで叩き潰された時、祐介が感じた「プロの修正能力」。それが、この予選を通じてさらに洗練されているのが分かった。


「0.5秒の隙……。こいつらには、それがない」


 祐介は呟き、マウスを握る手を強く締め直した。

 Vortex戦で見せた「野生」は、もう手の内を晒している。Ignisのコーチ陣なら、当然あのショートへの突撃も、フラッシュの中へのダイブも、対策を練ってくるはずだ。

 二度は、通用しない。


          *


 24時を回った頃、Blue Cometのプライベートチャンネルに、一人の男が入室してきた。

 Shoだ。

 昨日、精神的に崩壊し、スタメンを外れたはずの彼だったが、その声には以前のような淀みはなかった。


「……Kurosuke、起きてるか」

「Shoさん。……寝なくていいんですか。明日はDay3、BO5ですよ」

「ああ。……お前のプレイ、何度も見返したよ。……正直、悔しかった。俺があんなに苦しんでたVortexを、お前はあんなに簡単に壊しちまうんだからな」


 Shoは、少しだけ自嘲気味に笑った。


「でも、お前を見て気づいたんだ。俺は『スタメンだから』って、守りに入りすぎてた。負けないように、Leonさんの指示をなぞるだけ。……でも、お前は違った。お前は『勝つために』リスクを取って、自分だけの牙を剥いた」

「……」

「自信を取り戻した、なんて言うとかっこいいけどな。正確には、お前に良いところを全部持っていかれるのが我慢できなくなっただけだ。……Leonさん、俺、明日は出ます。第9試合、最後まで戦わせてください」


 チャンネルの奥で、Leonが静かに答えた。


「……いいだろう。お前のその『意地』が、Ignisの組織力を揺さぶるための楔になる。……だが、第3マップは決まっている」

「ええ、分かってます」


 Shoが、祐介に向かって言った。


「Caelumは、お前に任せた。……あそこはお前の庭だ。俺が出るより、お前が出るほうが勝率は高い。……いいかKurosuke、俺が繋ぐ。お前は、最後においしいところを持っていく準備だけしてろ」

「……へいへい。了解ですよ」


 祐介は、ぶっきらぼうに答えた。

 だが、その胸の奥には、確かな熱が灯っていた。

 リザーブという孤独な席から、初めて「チームの一部」として、その役割を託された瞬間だった。


          *


 夜明け前。

 祐介は一度だけ、板場に降りた。

 父・良一が、明日出す弁当の仕込みのために、既に火を扱っていた。


「……祐介。まだ起きてたのか」

「少し、勉強してただけ。……父さん。それ、明日も同じ味にするの?」


 良一は、出汁を味見しながら、静かに答えた。


「同じにするための努力を、毎日変えているんだ。季節が変われば水が変わる。魚の状態が変われば塩梅を変える。……同じ結果を出すために、いつも違うことをしなきゃならんのが、職人の仕事だ」

「……いつも、違うことを」

「そうだ。一度成功したやり方にしがみつく奴から、腕は落ちていく。……お前が何を勉強しているのかは知らんが、一度の成功なんて、ただの運だと思え」


 良一はそれだけ言うと、再び鍋に向き合った。

 祐介は、父の背中を見つめながら、自分の浅はかさを恥じた。


 Vortex戦の成功。

 それは、父の言う「ただの運」だったのかもしれない。

 明日のIgnis。彼らは、昨日と同じやり方で来るはずがない。

 ならば、自分も変えなければならない。

 野生の嗅覚を、ただの直感ではなく、相手の「修正」の先を読むための、論理的な牙へと。


          *


 2035年、11月7日。

 オンライン予選、Day3。

 本選スタジアムへの最後の一枠を懸けた、第9試合。


 日本中の若者たちが、デバイスの前に集結していた。

 配信サイトの総同時接続数は、大会予選としては異例の50万人に迫ろうとしていた。

 画面には、圧倒的な安定感を誇る『Ignis Esports』の選手たちのスタッツが並び、その隣に、知る人ぞ知るアマチュアの彗星『Blue Comet』のロゴが輝いている。


 Kurosukeという少年が何者なのか。

 彼が再び、プロという巨大な壁を解体するのか。

 それとも、プロの冷徹な組織力の前に、そのジョーカーは砕け散るのか。


 黒川祐介は、AETHER製のマウスに手を置き、最後の深呼吸をした。

 自室の空気は、これまでになく張り詰めている。

 彼はまだ知らない。

 今日この日から、自分の日常が、そして日本のeスポーツの歴史が、二度と元には戻らなくなることを。


「――Leonさん。始めましょう。……Ignisの奴ら、きっと俺を殺すためのプランを用意してきてますよ。……楽しみだ」


 野生の咆哮が、静寂を切り裂く。

 少年は、深淵を覗き、そこから新たな牙を研ぎ澄ませていた。

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