第12話:ジョーカーの凱旋
2035年、11月6日。オンライン予選Day2、最終局面。
運命の第3マップ『Caelum』のロード画面が、数十万人の観客が凝視するモニターに映し出された。
配信者ジンのスタジオでは、ネオン管の光が派手に明滅し、彼自身の興奮を代弁するようにカメラが激しく切り替わっていた。ジンの背後にある大型モニターには、Blue Cometの選手一覧が表示されている。そこには先ほどまでいなかった、一人の「異物」の名前が刻まれていた。
「――おいおいおい、正気かよBlue Comet! ここで練習生のKurosukeを投入だって!? チャット欄を見てくれよ、阿鼻叫喚だ。BCのファンも、アンチも、みんな『Leonは狂った』って言ってる。相手はあのVortexだぞ? プロの鉄壁の論理を前に、実戦経験ゼロのガキを出して何ができるっていうんだ。僕の予想? ああ、もう決まったよ。これは敗戦処理だ。LeonはSho選手を守るために、このガキを身代わりに差し出したんだ。残酷な世界だよ、本当に……」
ジンの冷笑的な声に同調するように、チャット欄は否定的なコメントで埋め尽くされていた。
《練習生に何ができるw》
《Leon諦めるの早すぎだろ》
《VortexのDataにボコられて終わりだな》
《お疲れ様BC、夢は見せてもらったよ》
しかし、その喧騒から遠く離れた静寂の自室で、黒川祐介はただ、自分の呼吸の音だけを聞いていた。
マウスを握る右手の指先。キーボードに置かれた左手。
神経がAETHER製のデバイスを通じて、デジタルな戦場へと溶け込んでいく。
彼には、ジンの嘲笑も、観衆の不安も、もはや聞こえていなかった。
彼の脳裏にあるのは、昨夜数時間かけて解体した、Vortexという組織の「呼吸の癖」だけだった。
「――Kurosuke、準備はいいか」
LeonのDirectorらしい、静かな声。
「いつでも」
短く答える。その声に震えはない。
隣のチャンネルからは、Rikuの冷徹な、だがどこか期待を含んだ気配が伝わってきた。
「Kurosukeさん。あなたの『毒』、期待していますよ。僕の論理が、あなたの野蛮さを芸術に変えてあげますから」
試合開始のブザーが鳴り響いた。
*
第1ラウンド。ピストルラウンド。
Vortexのリーダー、Dataは、定石に則り、最も勝率の高い「Aサイト・ラッシュ」を選択した。彼らのセットプレイは完璧だった。味方の足音を消すためのスモーク、敵の射線を限定するフラッシュ。彼らにとって、この『Caelum』は何度も何度も、それこそ何万回とシミュレーションを繰り返した「庭」だった。
「――A、来ます。……でも、メインじゃありません。ショートから一人、ロングから二人。残りの二人は、ミッドで待機。……プロなら、『これが最も効率的な包囲網だ』って信じて疑ってない」
祐介の声が、Leonの耳に届く。
通常、防衛側はサイトの奥に陣取り、敵の入りを待つ。それが「正解」だからだ。
だが、祐介のキャラクターは、誰もが予想しない動きを見せた。
彼はサイトを捨て、自ら敵が最も「安全」だと信じて疑わない、ショートの狭い通路へと一人で突き進んだのだ。
「え、ちょっと待て!? Kurosuke、何してんだ!? サイトを空にしてどこに行くんだよ!」
配信のジンが絶叫する。
だが、その瞬間だった。
Vortexの先頭を走っていたストライカーが、ショートの角を曲がろうとした。彼は銃を構えてすらいなかった。そこは自分たちが焚いたスモークとフラッシュの「影響下」であり、敵がいるはずのない、完璧にクリーンな場所だと確信していたからだ。
――バキュン。
祐介のピストルが、一瞬で敵の頭を撃ち抜いた。
崩れ落ちるプロのストライカー。
Dataのボイスチャットに激震が走る。「どこからだ!? ショートに誰か居るのか!?」
「――次はロング。あいつら、焦ってフラッシュを投げます。……そこを、Riku」
「了解」
祐介のコールに合わせ、Rikuが吸い込まれるようなタイミングで飛び出した。
Vortexの選手がフラッシュを構えた、まさにその「0.5秒の隙」。
銃声が重なり、キルログが瞬く間にBlue Cometの青色で埋まっていく。
第1ラウンド、完勝。
Vortexを相手に、一人の脱落者も出すことなく全滅させた。
ジンの配信スタジオに、異様な静寂が訪れた。
「……は? 今、何が起きたんだ? Vortex、一発も撃てずに死んだのか? ……おいおい、チャット欄、今の見たか? Kurosukeがいた場所、あそこは本来、プロなら絶対に警戒しない『安全地帯』だったはずだぞ……?」
*
試合はそこから、Vortexにとっての「悪夢」へと変わった。
彼らがどれほど完璧なセットを組もうと、どれほどプロとしての「正解」を選択しようと、Kurosukeという異物は、その正解の裏側にある「隙」を執拗に突いてきた。
第5ラウンド。
Vortexはミッドからの挟撃を仕掛ける。彼らは最高効率のタイミングで、各サイトへのフェイクを織り交ぜた。
だが、祐介は動かなかった。
「――Leonさん、動かなくていいです。こいつら、自分たちの論理に酔ってる。……Bに流れるフリをして、結局またAに来ますよ。……ほら、来た」
祐介の言葉通り、Vortexの五人が再びAサイトへ現れた。
彼らは自分たちのフェイクが完璧に決まったと信じ、無防備に設置を開始しようとする。
その瞬間、祐介の「野生」が爆発した。
スモークの隙間から、まるで重力を無視したかのような勢いで飛び出す。
一発、二発、三発。
祐介の弾丸が、プロとしてのプライドで塗り固められたVortexの背中を、次々と撃ち抜いていく。
「なんだ、この動きは……!」
Dataの声が震えていた。
彼らが見ているのは、自分たちがこれまで積み上げてきた「FPSの常識」が通用しない化け物だった。
祐介は、彼らが「ここは見なくていい」「ここは味方がカバーしているはずだ」と信じ込んでいる、その一瞬の心理的な空白に、針を通すような精度で介入してくる。
配信サイトのジンは、もはや椅子から立ち上がっていた。
「信じられない! Kurosuke! またやった! またVortexが最も安全だと思っていたポジションで、キルを量産した! 今、僕の予想を全部撤回するよ! これは敗戦処理なんかじゃない……この少年は、プロの論理を、野生の直感で『解体』しているんだ!」
チャット欄は、もはや手のひらを返すどころの騒ぎではなかった。
《Kurosuke、何者だよ!》
《野生の王かよww》
《Vortexが子供扱いされてる……》
《これが見たかったんだ! BCいけえええ!!》
*
試合は13対4。
第1マップ、第2マップでのあの接戦と蹂躙が嘘のように、第3マップはBlue Cometの、いや、黒川祐介の独壇場となった。
Vortexのリーダー、Dataは、最後にリザルト画面が表示された瞬間、マウスを握る力を失った。
プロとして生きてきた。毎日十数時間を、論理と練習に捧げてきた。
なのに、たった一人の17歳の、練習生という名の「野生」に、自分たちのすべてを否定された。
「……化け物か、お前は」
その呟きは、誰に届くこともなく、デジタルな宇宙へと消えていった。
*
試合終了のブザー。
Blue Cometのプライベートチャンネル。
「……勝った、のか?」
Shoの、震えるような、だが心の底から安堵した声。
「ああ。Day2突破だ。……よくやったな、Kurosuke」
Leonの、いつもより少しだけ熱を帯びた声。
祐介は、デバイスを握っていた手をゆっくりと離した。
指先が熱い。心臓の鼓動が、ヘッドセットを突き抜けて聞こえてくる。
自分の予測が、自分の引き金が、あの「プロ」という名の巨大な壁を粉砕した。
これまでにない高揚感が、全身の血管を駆け巡る。
だが、それと同時に。
祐介は、自分が立っている場所の「重み」を、改めて実感していた。
自分がこの試合で証明したのは、自分の「野生」が世界に通用するということ。
そして、明日。
さらに過酷なDay3、第9試合。
そこを勝ち抜いた者だけが、あの数千万人が見つめる、オフラインスタジアムの本選へと辿り着ける。
「――お疲れ様。だが、余韻に浸る暇はないぞ」
Leonの声が、一気に現実へと引き戻した。
モニターのブラケットが更新され、明日の対戦相手が表示される。
Blue Cometのメンバー全員が、息を呑んだ。
そこには、かつて祐介が初めてスクリムで戦い、組織的な修正能力の前に叩き潰された、あのチームの名前があった。
『Ignis Esports』
V2リーグの中堅でありながら、最も「プロとしての冷徹さ」を体現するチーム。
そして、祐介に「プロの絶望」を初めて教えた相手。
「……因縁ですね、Kurosukeさん」
Rikuが、不敵に笑う。
「あなたの毒が、あのIgnisの完璧な組織にどこまで通用するか。……明日が、本当の選別になる」
「……へいへい。分かってますよ」
祐介はそう答え、ディスプレイを消した。
暗転した画面に映る自分の顔。
そこには、要領よく生きてきたあの頃の、薄っぺらな笑みはもうなかった。
鋭く、深く。
何かを喰らい尽くそうとする、飢えた獣の瞳がそこにあった。
2035年、11月6日。
明日はオンライン予選Day3。
本選への一枠を懸けた、命を削る第9試合。
黒川祐介、そしてBlue Cometの物語は、ここから真の「地獄」へと加速していく。




