第11話:プロの矜持、野生の証明
2035年、11月6日。オンライン予選の熱気は、ネットワークを伝って物理的な温度さえ上げているかのように錯覚させた。
AETHER社の特設プラットフォーム上では、数千の試合が同時並行で進行し、その膨大な操作ログが「Aether Link」を通じて世界中のファンへと供給されている。
その巨大な波の中で、一つの対戦カードが密かに注目を集め始めていた。
『Blue Comet』対『Vortex Esports』。
片や、圧倒的なエイムと論理で勝ち上がってきた、知る人ぞ知るアマチュアの最右翼。片や、プロ2部(V2)に身を置き、本選進出という最低限のノルマを果たすべく牙を研いできたプロ。
若者向けの配信サイトでは、登録者数100万人を超える有名ストライカー・アナリスト、ジンが、自身のチャンネルでこのカードをピックアップしていた。
「――おっと、ここは注目ですよ。みんな大好き『Blue Comet』。アマチュアの星だなんて言われてるけど、相手はあのVortexだ。プロの洗礼、いわゆる『門番』ってやつですね。チャット欄はBC(Blue Comet)のジャイアントキリングを期待してるみたいだけど、僕の予想は2-0でVortex。プロの試合っていうのは、スクリムとはまるで別物だってことを、彼らはこれから知ることになる」
ジンの予想に呼応するように、画面上のチャット欄が激しく流れる。
《BC勝ったら熱い!》
《Vortexは公式戦だとマジでエグいからな》
《アマチュアがプロに勝てるほど今のメタは甘くない》
そんな喧騒をよそに、日本の頂点に君臨する『Fenrir』は、エースTakeruを失った穴など微塵も感じさせない圧倒的な力で、Day2のトーナメントを文字通り「掃除」していた。
「Fenrirはもう、別次元だな」
Leonは、別モニターに映るFenrirのキルログを眺めながら小さく呟いた。Takeruという個の暴力を失ってもなお、彼らの組織的な美しさは微塵も揺らいでいない。国内王者としての実力は衰えるどころか、むしろ「Takeruという圧倒的な個」に頼らない完璧なシステムの完成へと向かっている。
だが、今のLeonにとって、Fenrirはまだ遠い星だ。目の前の崖、Vortex Esportsを越えなければ、Day3(第9試合)へ、そしてその先のオフライン本選へと続く道は、ここで断絶する。
*
第1マップ、『Triad』。
試合開始のブザーが鳴った瞬間、Shoはマウスを握る右手の感覚が、先ほどまでとは異質であることを悟った。
Vortexの動きに、一切の「迷い」がない。スクリムの時に見せていた、試行錯誤の結果生じるわずかな隙間。それが、プロの徹底した「規律」によって完全に埋められている。彼らは、敵がどこに隠れ、どこを狙っているかを確率論で弾き出し、最も安全で、最も残酷なルートを選んで突入してくる。
「……ミッド、取られた。早い、あいつら……!」
Shoの報告が、焦りに塗り潰される。
Vortexのストライカーたちは、こちらが瞬きをした一瞬の隙を逃さず、獲物を屠る執念で詰め寄ってくる。一人が顔を出せば、必ず別の角度から二つ目の射線が通る。一発外せば、そこは既に彼らの制圧下だ。
前半戦は絶望的なワンサイドゲーム。3対9という屈辱的なスコア。
誰もがBlue Cometの敗北を確信した第13ラウンド。
それは、あまりにも理不尽な「幸運」という形で訪れた。
「クソ……見えない、何も……っ!」
Shoは、Aサイト内に焚かれた厚いスモークに向かって、半分ヤケクソでトリガーを引き続けた。自分でもどこを狙っているか分からない。ただ、この静寂が怖くて、弾丸を吐き出し続けた。
ドッ、ドッ、ドッ。
ヘッドセットに響く、心地よいはずの「キル通知音」が三回重なった。
Shoのスプレー射撃が、スモークの向こう側で完璧なセットを遂行しようとしていたVortexの主力三人を、全員ヘッドショットで抜き去ったのだ。
「……え?」
あまりにも理不尽な幸運。Dataの緻密な計算も、プロの練り上げられたセットも、一発の「偶然」の前に崩壊した。
この奇跡のようなラウンドをきっかけに、流れは強引にBlue Cometへと傾いた。動揺したVortexの背中を、Rikuが冷徹に撃ち抜き、第1マップは13対11というスコアでBlue Cometが掠め取った。
配信画面のジンが、呆れたように笑う。
「いやー、今のは宝くじですよ。Sho選手、持ってますね。でも、これはVortexにとっては『あってはならない事故』だ。次のマップ、Vortexの顔色が変わりますよ。プロはこういう理不尽に対して、最も激しく、最も冷徹に応戦してくる生き物だから」
ジンの言葉通り、リザルト画面を見つめるBlue Cometのメンバーに、笑顔はなかった。
「……今の、勝ったって言っていいのかよ」
Shoが、震える手でマウスを置き直す。
論理で勝ったのではない。運命の気まぐれに拾われただけの勝利。それは、プロの底知れぬ実力を目の当たりにした彼らにとって、勝利の喜びよりも「次への恐怖」を植え付ける劇薬となった。
*
第2マップ、『Canal』。
水路によってサイト間が細長く分断された、直線的なマップ。逃げ道が少なく、特定のエリアを維持するための「スキルの定石」の精度が勝敗を分ける。
そこは、Vortexというプロチームが最も得意とする、磨き上げられた「型」の戦場だった。
「――教育してやる。アマチュア」
Vortexのリーダーの声が、回線を超えて響いてくるような錯覚。
試合開始直後から、Blue Cometは文字通りの「地獄」を見た。
Canalの狭い通路に、寸分の狂いもないタイミングでフラッシュが、スモークが、そして爆弾が降り注ぐ。Shoが勇気を出して前に出ようとした瞬間、その視界は真っ白に焼かれ、気づいた時には床に伏していた。
隙がない。
こちらがミスをするのを待つのではない。Vortexは、Blue Cometに「ミスを強制させて」いた。
Shoの心拍数は150を超え、Aether Linkのモニターには赤い警告灯が点滅し始める。
一度狂った歯車。それをVortexの「正しい暴力」が徹底的に砕き、粉々にする。
「Sho、動きが硬いぞ! 意識を外せ! 自分のエイムを信じろ!」
Leonが叫ぶが、その声はShoの耳には届かない。
一発外せば死ぬ。少しでも顔を出せば死ぬ。その強迫観念が、Shoの5,000時間の経験を「単なる重荷」に変えていた。
13対2。
アマチュアがプロから「まぐれ」で1マップ奪った報復として、これ以上ないほど残酷な結果が突きつけられた。
配信サイトのジンが、静かになったチャット欄を見ながら呟く。
「これが、プロ。隙を見せた瞬間に喉元を食い破る執念。Blue CometのSho選手、心が折れましたね。今の彼には、Vortexというチームが巨大な壁……いや、意思を持った災害のように見えているはずだ。さあ、運命の第3マップ、どうするBC」
*
インターミッション。
Blue Cometのプライベートチャンネルには、死のような静寂が横たわっていた。
「……Leonさん」
Shoが、枯れた声で呟いた。
「俺……あいつらの『正解』が、もう分かんねえよ。何をしても、先回りされてる。……次も、同じように殺されるイメージしか湧かないんだ」
Leonは何も答えず、手元の行動ログとバイタルデータを凝視していた。
Shoのパフォーマンスは、第2マップの後半で既に「萎縮」の領域に達している。このまま最終マップ『Caelum』へ向かえば、結果は見えている。Vortexは、自分たちのプライドを懸けて、Shoという「弱点」を徹底的に叩き潰しに来るだろう。
Leonは、目を閉じた。
脳内で、昨夜Kurosukeが見せた「0.5秒の隙」の解析映像が再生される。
そして、今のVortex。
彼らは完璧だ。完璧すぎて、全ての行動が「正しい論理」に縛られている。
ならば、その論理の外側にいる「何か」をぶつけなければ、この絶壁は越えられない。
「……Kurosuke」
Leonが、チャンネルを切り替えて呼びかけた。
自室でモニターを眺めていた祐介は、椅子から背筋を伸ばした。
「はい」
「第3マップ、出る準備はできているか」
チャンネル内に、電流のような緊張が走る。
スタメンを外す。それは、ここまでのチームの積み上げを一度捨て、不確定要素に全てを懸けるという、Leonらしからぬ、だが、これ以上なく「勝利に飢えた」決断だった。
「Leon、本気か?」
Rinが不安げに問う。だが、Leonの意志は固かった。
「今のVortexを崩すには、あいつらの計算式にない『変数』が必要だ。……Kurosuke、お前はジョーカーとしてこの戦場に入る。戦術も、規律も、今のあいつらの前では無意味だ。……お前の嗅覚で、あのプロ共の喉元を食い破れ」
「了解」
祐介は、短く答えた。
喉の奥が、熱い。
悔しくて、羨ましくて、吐き気がするほど憧れた「あの場所」へ。
Shoから手渡されたバトンは、汗と、屈辱と、そして一縷の希望で重く湿っていた。
*
その頃、配信者のジンは驚愕の声を上げていた。
「え!? ちょっと待て! Blue Comet、ここで選手交代!? 練習生のKurosuke!? この土壇場で、スタメンのShoを下げるのか……!? これはLeon、大博打に出たな!」
チャット欄は一気に爆発した。
《Kurosukeきたあああ!!》
《Kurosukeって誰!?》
《いや、プロ相手に練習生は無謀だろw》
《Leon、壊れたか?》
運命の第3マップ、『Caelum』。
サーバーが更新され、プレイヤー名に『Kurosuke』が並んだ瞬間、Vortexのリーダー、Dataの動きが止まった。
「……ここで、あのガキを出すのか」
論理を重んじる彼らにとって、それは理解不能な愚策に見えた。
「焦りか。あるいは、悪足掻きか。……構うな。誰が来ようと、我々の『正解』は変わらない。ここで勝って、明日、Day3の決勝(第9試合)へ行くぞ」
だが、Dataは知らなかった。
今、戦場に足を踏み入れた17歳の少年が、昨夜の数時間だけで、Vortexという組織の「呼吸の癖」を、病的なまでの執念で解体し終えていたことを。
試合開始のブザーが鳴る。
祐介は、AETHER製のマウスの感触を確かめ、深く、深く息を吐いた。
隣には、自分を認め、そして自分に牙を求めたRikuがいる。
背後には、全てを託したLeonがいる。
「Kurosuke。コールは、お前に任せる。自由に吠えてこい」
「……へいへい」
祐介の瞳が、青く冷たく輝いた。
要領だけで生きてきた少年は、もういない。
今ここにいるのは、プロの矜持を、野生の証明で粉砕するために現れた、最凶のジョーカーだ。
「――Leonさん。あいつら、次、Bに来ません。……Aの、あの角。あそこに、三人隠れてます。プロなら『そこが正解だ』って信じて疑ってない」
論理を置き去りにした、野生の予言。
2035年、11月6日。
オンライン予選、Day2、運命の決着。
黒川祐介、初めての公式戦。
その第一撃が、今、放たれようとしていた。




