満月の夜に幼馴染は泣いていた
幼馴染の女の子は、満月の夜に泣いていた。
理由を聞いても、本人にも分からないらしい。
ただ、月を見ると涙が出る。
僕はずっとそばにいた。
何も言わないまま。
【七歳 四月】
彼女は、満月の夜に泣く。
理由は分からない。本人にも分からないらしい。
ただ、月を見ると涙が出る。
それだけのことだった。
【七歳 四月十二日】
かぐやと出会ったのは、小学一年生の春だった。
僕の家の裏には竹林があって、その奥に古い平屋がある。
ずっと空き家だったその家に、老夫婦と女の子が引っ越してきた。
「こんにちは」
虫取り網を持った僕に、彼女は小さく手を振った。
白いワンピース。長い黒髪。
縁側に座って、空を見上げていた。
「なに見てるの?」
「お月さま」
昼間だった。
空には何も見えないはずだった。
でも、僕には見えた。
うっすらと白い影。
細い、細い月。
「見えるの?」
彼女が驚いた顔をした。
「うん。薄いけど」
「すごい。見える人、初めて」
彼女は嬉しそうに笑った。
「私、月だけはよく見えるの」
「僕も」
【七歳 四月十三日】
彼女の名前は、月宮かぐや。
「おじいちゃんが付けてくれたの」
「ご両親は?」
「いないよ。私、捨て子だから」
あっさりと言った。
悲しそうでも、寂しそうでもなかった。
「おじいちゃんが竹林で見つけてくれたんだって。赤ちゃんの時」
「竹林で?」
「うん。変だよね」
かぐやは笑った。
【十七歳】
小学校、中学校、高校。
僕たちはずっと一緒だった。
家が隣だから、自然とそうなった。
一緒に登下校して、一緒に帰って、たまに一緒に宿題をした。
かぐやは不思議な子だった。
当たり前のことを、当たり前じゃないみたいに見つめる。
自動販売機のボタンを、何度も押してみる。
信号機の色が変わるたびに、小さく息を呑む。
電車に乗ると、窓の外をずっと眺めている。
「かぐや、電車好きなの?」
「ううん。ただ、不思議だなって」
「何が?」
「こんな大きなものが動くこと。みんな当たり前みたいに乗ってること」
【十七歳 四月】
かぐやは綺麗だった。
小学生の頃から目立っていたけれど、中学に上がると、それが決定的になった。
男子が話しかける。
女子が仲良くなろうとする。
先輩が声をかける。
先生までもが、やたらと気にかける。
高校に入ると、さらにエスカレートした。
告白される回数が、異常だった。
毎週のように、誰かが呼び出していた。
かぐやは全員を断った。
丁寧に、でもはっきりと。
「ごめんなさい。私、誰とも付き合う気がないの」
それだけで終わり。
理由を聞かれても、答えなかった。
【十七歳 五月一日】
状況が変わった。
一人の男子が、諦めなかったのだ。
石田という名前の、サッカー部のエース。
顔も良くて、成績も良くて、運動神経も抜群。
絵に描いたような人気者だった。
「月宮さん、俺と付き合ってくれ」
何度断られても、また告白しに来る。
一ヶ月も続いた。
「しつこいな」
僕は言った。
かぐやは困った顔で笑った。
「悪い人じゃないんだけどね」
「でも迷惑だろ」
「うん。でも、どうしたらいいか分からない」
かぐやは少し考えて、言った。
「じゃあ、条件を出してみようかな」
「条件?」
「うん。無理な条件。そしたら諦めてくれるかも」
【十七歳 五月二日】
石田がまた告白しに来た。
かぐやは静かに言った。
「じゃあ、一つお願いがあるの」
「何でも言ってくれ」
「次の大会で、ハットトリックして優勝して」
石田の目が輝いた。
「……やってやる」
自信に満ちた声だった。
【十七歳 五月二十三日】
県大会まで、三週間。
石田は練習に打ち込んだ。
誰よりも早くグラウンドに来て、誰よりも遅く帰った。
——県大会。
一回戦、石田は1ゴールを決めた。
二回戦、また1ゴール。
準々決勝、1ゴール。
快進撃だった。
しかし、ハットトリックは1試合で3得点しなければならない。
石田はまだ、どの試合でも1点ずつしか取れていなかった。
準決勝。
相手は優勝候補の強豪校だった。
石田は気合を入れ直した。
この試合で、3点取る。
前半、石田のシュートがゴールネットを揺らした。
1点。
後半開始直後、石田がドリブルで持ち込み、シュート。
2点目。
——あと1点。
しかし、相手チームは石田を徹底マークしてきた。
二人、三人に囲まれ、ボールに触ることすら難しい。
焦りが出た。
パスを出すべき場面で、強引に突破しようとした。
ボールを奪われた。カウンター。失点。
2-1。
さらに終了間際、コーナーキックからヘディングを決められた。
2-2。
延長戦でも決着がつかず、PK戦へ。
石田は五人目のキッカーだった。
四人ずつが蹴り終わって、3-3。
石田が決めれば、まだ望みがつながる。
石田がボールをセットした。
スタンドが静まり返った。
助走。
——足が震えた。
蹴った瞬間、分かった。
ボールは、ゴールポストの右を抜けていった。
外した。
相手チームの五人目が、きっちり決めた。
試合終了。
準決勝敗退。
石田はこの試合で2得点。
ハットトリックには、1点足りなかった。
優勝には、1勝足りなかった。
そしてPKを、自分で外した。
石田はピッチに膝をついた。
——これは、まだ先の話。
石田はその後もサッカーを続けた。
PKを外した夜を、何度も思い出した。
あの震えを、二度と味わいたくなかった。
大学でも、プロになっても、練習を怠らなかった。
数年後。
石田は日本代表のユニフォームを着ていた。
【十七歳 六月三日】
石田の話が広まり、「条件をクリアすれば付き合える」という噂が立った。
次々と挑戦者が現れた。
二人目は、車持という名前の、学校一の金持ちの息子。
父親は投資会社の社長。将来は跡を継ぐことが決まっている。
「月宮さん、俺と付き合ってくれ」
「じゃあ、株で資本金100万円を1億円にして。期限は3ヶ月」
車持は笑った。
「簡単だ」
【十七歳 九月三日】
親のコネで証券会社の人間にアドバイスをもらい、有望株に投資した。
最初は順調だった。
100万が200万になり、500万になった。
欲が出た。
レバレッジをかけた。
損切りは設定しなかった。
——暴落は、突然やってきた。
期限の日。
口座の残高は、28万円だった。
車持は何も言わずに去っていった。
——これは、まだ先の話。
車持は、28万円を見つめていた。
悔しかった。
でも、もっと悔しかったのは、何も分かっていなかった自分だった。
そこから車持は、本気で株を学び始めた。
親のコネではなく、自分の頭で。
数年後。
車持はカリスマ投資アドバイザーと呼ばれていた。
【十七歳 九月十日】
三人目は、阿部という生徒会長。
人当たりが良くて、誰にでも笑顔で接する。
父親は市議会議員。将来は政治家を目指しているらしい。
「月宮さん、俺と付き合ってくれ」
「じゃあ、本当の友達を100人作って」
阿部は笑った。
「簡単だよ」
【十七歳 九月十一日】
阿部は100人のリストを持ってきた。
クラスメイト、生徒会のメンバー、部活の後輩。
全員が「阿部とは友達だ」と証言してくれた。
「はい、100人」
かぐやはリストを見つめた。
そして、静かに言った。
「この中で、阿部くんの誕生日を知ってる人は何人いる?」
阿部は固まった。
「阿部くんが好きな食べ物は? 嫌いなことは? 悩んでることは?」
答えられなかった。
「100人が『友達だ』と言ってくれた。でも、阿部くんは何人の誕生日を知ってる?」
阿部は黙った。
一人も、知らなかった。
「それは友達じゃないよ。知り合いだよ」
阿部は無言で立ち去った。
——これは、まだ先の話。
阿部は、かぐやの言葉が頭から離れなかった。
「それは友達じゃないよ。知り合いだよ」
100人の名前は覚えていた。
でも、誰一人の誕生日も知らなかった。
阿部は変わった。
数より深さを選んだ。
本気で向き合える友人を、一人ずつ作っていった。
数年後。
阿部はベンチャー企業の社長になっていた。
彼を支えたのは、本物の人脈だった。
【十七歳 九月二十日】
四人目は、大伴というラグビー部のキャプテン。
体力と根性なら誰にも負けない、と自負していた。
「月宮さん、俺と付き合ってくれ」
「じゃあ、富士山の山頂から駿河湾まで走って、日の出と同時にゴールして」
大伴の目が燃えた。
「やってやる」
【十七歳 十月五日】
大伴は準備を始めた。
ルートを調べ、距離を計算し、タイムを測った。
富士山頂から駿河湾まで、約50キロ。
標高差は3,700メートル以上。
挑戦日の日の出は、午前5時30分。
大伴の走力なら、5時間半から6時間で走破できる計算だ。
日の出と「同時」にゴールするには、早すぎても遅すぎてもいけない。
逆算すると、深夜0時前には山頂を出発しなければならない。
何度もシミュレーションした。
トレーニングを重ね、体を絞った。
【十七歳 十月十二日】
午後11時30分。
大伴は富士山頂に立っていた。
星空の下、走り始めた。
下り坂は順調だった。
予定通りのペース。
五合目を過ぎた頃、時計を確認した。
午前2時15分。予定通りだ。
——このまま行ける。
しかし、麓の道路に出たところで、大伴は足を止めた。
車が一台、ガードレールに突っ込んでいた。
事故だ。
運転席で男性がぐったりしている。
助手席では女性が頭を押さえていた。
後部座席から、制服姿の女の子が降りてきた。
高校生だ。怪我はないようだが、顔が真っ青だった。
大伴は走り寄った。
「大丈夫ですか!」
男性は意識がない。
女性は頭から血を流している。
「お父さんが……お母さんが……」
女の子は震えていた。
「救急車、呼びますから」
大伴はスマホを取り出した。
救急車が来るまで、30分かかると言われた。
女の子が、大伴の腕を掴んだ。
「行かないで。お願い、一人にしないで」
大伴は、その場に残った。
女の子の手を握り、「大丈夫だ」と何度も言った。
救急車が到着し、両親が運ばれていくのを見届けた。
女の子も一緒に乗り込む直前、振り返った。
「ありがとう。……名前、教えて」
「大伴」
「私、美月」
救急車が走り去った。
【十七歳 十月十三日】
時計を見た。
午前4時20分。
日の出まで、あと1時間10分。
残りの距離は、まだ20キロ以上ある。
——間に合わない。
大伴は走り出した。
全力で。
間に合わないと分かっていても、走った。
駿河湾の砂浜に辿り着いた時、太陽はとっくに昇っていた。
午前8時3分。
2時間半以上、遅かった。
大伴は砂浜に倒れ込んだ。
でも、後悔はなかった。
——これは、まだ先の話。
数日後、病院から連絡があった。
両親とも無事だという。
お礼を言いたいから会いに来てほしい、と。
大伴は病院を訪ねた。
美月が、病室の前で待っていた。
「大伴くん」
「……よかった。みんな無事で」
「あなたのおかげ」
美月は泣きそうな顔で笑った。
「あの時、一人だったら、私どうなってたか分からない」
半年後。
大伴と美月は、付き合い始めた。
【十七歳 十一月一日】
五人目は、石上という文学部の部長。
小説を書くことに情熱を注いでいた。
文芸コンクールで何度も入賞している、学校一の才能。
「月宮さん、俺と付き合ってくれ」
「じゃあ、私を泣かせる物語を書いて」
石上は頷いた。
「必ず、泣かせてみせる」
【十七歳 十一月五日】
石上は書き始めた。
三日三晩、寝ずに書き続けた。
恋と別れの物語。
家族の絆の物語。
命と死の物語。
文学部の仲間に読んでもらうと、全員が泣いた。
「これは傑作だ」
石上は確信を持って、かぐやに原稿を渡した。
かぐやは静かに読んだ。
最後のページを閉じると、顔を上げた。
「すごくいい話だね」
微笑んでいた。
でも——
涙は、一滴も流れていなかった。
【十七歳 十二月二十日】
石上は別の物語を書いた。
また泣かなかった。
五作、六作、七作——
どれだけ書いても、かぐやは泣かなかった。
ついに、石上は諦めた。
「……俺の負けだ」
石上は静かに去っていった。
——これは、まだ先の話。
石上は、かぐやのために書いた小説をネットに投稿した。
反響は、想像を超えていた。
一週間で閲覧数が100万を突破。
コメント欄は「泣いた」「感動した」「人生で一番の物語」という言葉で埋め尽くされた。
出版社から連絡が来た。
書籍化のオファーだった。
石上の小説は本になり、ベストセラーになった。
日本中が泣いた。
かぐやだけが、泣かなかった。
僕は不思議に思った。
かぐやは、満月の夜には必ず泣くのに。
どんなに素晴らしい物語を読んでも、涙一つ流さない。
なぜだろう。
【十八歳 四月】
五人全員が失敗した。
もう誰も告白しに来なくなった。
「よかったね、かぐや」
「うん。でも、ちょっと悪いことしたかな」
「仕方ないよ。あんなにしつこかったんだから」
かぐやは空を見上げた。
夕暮れの空に、細い月が浮かんでいた。
「ねえ、悠真」
「なに?」
「悠真は私に言わないの?」
「何を?」
「みんなが言うこと」
僕は黙った。
本当は、伝えたいことがある。
ずっと、伝えたいと思っていた。
でも、怖かった。
言ったら、何かが変わってしまう気がした。
今のこの関係が、壊れてしまう気がした。
「……言わない」
「そう」
かぐやは少しだけ寂しそうに笑った。
「悠真だけだね。何も言わないの」
【十八歳 七月】
かぐやが変わり始めた。
笑顔が減った。
空を見上げる時間が増えた。
満月の夜に、必ず泣くようになった。
「かぐや、大丈夫?」
僕は聞いた。
「大丈夫。ただ、涙が出るだけ」
「なんで?」
「分からない。月を見ると、悲しくなるの。懐かしいような、切ないような」
かぐやは涙を拭いた。
「帰りたいって思う。どこに帰りたいのか分からないのに」
【十八歳 九月八日】
かぐやが学校を休んだ。
放課後に家を訪ねた。
おばあさんが、玄関先で泣いていた。
僕は家に上がり込んだ。
かぐやは布団の中で、ぐったりしていた。
顔が青白い。
息が浅い。
「かぐや」
僕は声をかけた。
かぐやがゆっくりと目を開けた。
「悠真……」
「どうした」
「分からない。体が軽くなっていくの。ふわふわして」
【十八歳 九月十三日】
十五夜が近づいていた。
かぐやは毎日、月を見つめていた。
そして、毎日泣いていた。
「帰りたい」
ある夜、かぐやが呟いた。
「どこに?」
「分からない。でも、帰りたい」
【十八歳 九月十五日】
僕は竹林にいた。
かぐやの家の前。
月が昇った。
満月。
空全体が、青白く光っていた。
かぐやの家から、光が漏れていた。
僕は走った。
かぐやが——光っていた。
おじいさんとおばあさんが、泣きながら見つめていた。
「悠真……」
かぐやが僕を見た。
笑っていた。
でも、涙を流していた。
「私、もう行かなきゃ」
かぐやの体が、光を増した。
透けていく。
「悠真」
かぐやは泣いていた。
「私ね、悠真のことが好きだった」
「……知ってる」
「なんで何も言ってくれなかったの?」
僕はかぐやに近づいた。
耳元で、ずっと言えなかったことをささやいた。
かぐやが目を見開いた。
でも、それ以上時間はなかった。
光が強くなった。
かぐやの姿が、光に溶けていった。
【十八歳 九月十五日 深夜】
おじいさんとおばあさんが泣いている。
僕は月を見上げた。
ふと、自分の手を見た。
透け始めている。
まあ、そうだよな。
見届けたし、僕も帰るか。
また向こうで会えるし。
僕は光に溶けた。
【完】
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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