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エンディングの向こう側で  作者: 宮野夏樹
case2.攻略対象、レオンハルト・グレイシア
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06.置いてけぼりな心


 王都に流れる祝祭の空気は、北方育ちの私にはどこか薄っぺらに映った。


 人々は口を揃えて「新たな王太子妃を讃えよ」と声を上げる。広場では花びらが舞い、噴水の周りでは子供たちが無邪気に踊っている。その中心にいるのは、エリス・ローレンス。かつて私が心を寄せ、けれど手を伸ばすことのできなかった令嬢だった。


 彼女が王太子に選ばれることは、誰にとっても自然な結末だったのだろう。彼女は光そのものだった。眩しく、温かく、そして誰もが惹かれる。私もまた、その光に導かれた一人に過ぎなかった。


 だが、王都の民衆が歓喜するその光景を、私は一歩引いた場所から静かに見つめていた。そして、胸の奥で静かに自覚する。──自分は“彼女が迎える幸せなエンディング”からあぶれたのだ、と。


 エリスは王太子妃として戴冠し、立派に務めを果たしている。彼女が幸せそうに笑う姿を、幾度か社交の場で目にした。その隣には、必ずアルベルト殿下がいる。二人の距離は、私がどれほど願っても埋められなかった距離だった。


 人は「未練を断ち切れ」と簡単に言うが、それが容易でないことは誰よりも私が知っている。王太子に敗れたという現実よりも、自分が彼女の隣に立てる存在ではなかったという事実が、胸を締め付けた。


 北方の領地に戻れば、政務も軍務も山積みだ。それらをこなすことで、この胸の痛みは一時的にでも紛らわすことができるだろう。けれど、王都に滞在している限り、彼女の影を否応なく追ってしまう。──愚かだな。自嘲が唇に浮かぶ。


 私はレオンハルト・グレイシア。グレイシア公爵家の当主であり、一領地を背負う者だ。未練に縋る暇などあるはずもない。そう言い聞かせながらも、視線はどうしても、彼女のいる方角へと引き寄せられてしまうのだ。そんな折、私は彼女以外の誰かの名を、初めて意識することになる。




 その日、王太子妃誕生の祝宴は最高潮に達していた。貴族も騎士も、誰もが華やかな衣装を身につけ、音楽と舞踏に酔いしれている。私は群衆の喧騒から少し離れ、静かな廊下を歩いていた。群れの中にいても、余計に孤独を感じるだけだ。そう考えていた矢先だった。


 角を曲がった先、細身の令嬢が一人、壁際に佇んでいた。鮮やかな緋色のドレスが、周りの華やかさとは対照的に、彼女の孤独を際立たせている。彼女自身は、まるでこの場に溶け込むことを拒否するように、どこか居心地悪そうにしている。私は足を止めた。その顔を、社交の場で見かけたことがある。


 王太子の元婚約者──ローザリン・ヴェルディ侯爵令嬢。彼女の存在は、私にとってはただの噂に過ぎなかった。「悪役令嬢」──社交界ではそう囁かれていた。ヒロインを妬み、陥れようとする存在。物語の進行に必要な“役”を背負わされた人間。


 だが、実際に彼女を目にした瞬間、私は小さな違和感を覚えた。噂に聞くような傲慢さも冷酷さも、そこにはなかった。むしろ、群衆の視線を避けるように縮こまった彼女の姿は、孤独に震える少女にしか見えなかった。気づけば、私は声をかけていた。


「……君は、ローザリン・ヴェルディ侯爵令嬢だな」


 彼女が驚いたように顔を上げる。大きな瞳が、まっすぐ私を見つめ返した。


「え、ええ……そうですが」


 か細い声。その響きに、私は奇妙な感情を覚えた。 


「そうか。……彼女は、幸せそうだな」


 口から零れたのは、抑え込んできた想いだった。“彼女”──もちろん、エリスのことだ。今さら取り繕う必要もない。私は、エリスが王太子妃として微笑む姿を思い浮かべながら、言葉を吐いたのだ。


 だが、ローザリンはその一言で全てを理解したようだった。彼女の表情に、ほんの一瞬だけ翳りが走る。それは私自身の影を映し出す鏡のようで、胸を突かれた。──この人も、物語の中心から外された者なのだ。


 気づいた時には、私は彼女に対して妙な親近感を覚えていた。互いに選ばれなかった者同士。光に背を向けざるを得なかった者同士。それは決して誇れるものではないが、だからこそ理解できる痛みがある。彼女はすぐに会釈し、その場を去ろうとした。だがその横顔に、私は目を奪われた。


 噂とは違う。彼女は“悪役”ではなく、ただ物語の外に押しやられた令嬢にすぎない。孤独を隠そうとしながらも、凛と背筋を伸ばして歩く姿は、どこか痛々しいほどだった。


 胸の奥がざわついた。


 それが憐憫なのか、共感なのか、あるいは別の感情なのか──その時の私はまだ理解していなかった。ただ一つだけ分かっていたのは、「また彼女に会いたい」そう思ってしまった自分がいる、ということだった。


 祝宴の喧騒に戻りながらも、私の意識はずっと彼女に向けられていた。エリスの笑顔を遠くから見ても、胸を締め付けられることはなかった。代わりに、緋色のドレスを纏った孤独な侯爵令嬢の姿ばかりが脳裏に焼き付いて離れない。私は思う。


 ──彼女となら、あぶれた者同士として、同じ歩幅で歩けるのかもしれない。それはまだ、淡い予感にすぎなかった。けれどその夜を境に、私の視線はもうエリスではなく、ローザリンへと向かっていった。


 この置いてけぼりな心は、エリスを追うことをやめ、新しい道を探し始めていたのだ。

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