表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンディングの向こう側で  作者: 宮野夏樹
case3.攻略対象、エルンスト・シュヴァルツァー
13/13

13.すれ違う想い


 クラリッサが私を訪ねてきてから、数日が経った。王都の喧騒に、多忙な騎士団長の職務。それらは、心を麻痺させるには十分なものだった。しかし、あのときの彼女の表情が、どうにも脳裏から離れない。


(……何を言おうとしていたのだ?)


「私――」と、今にも心の奥底をさらけ出そうとして、言葉を呑み込んだ彼女。そして、それを私は、無意識に、あまりにも無意識に遮ってしまった。彼女が発しようとした言葉の断片は、私の心に、まるで取り除けない棘のように刺さったままだった。


 幼馴染みとしての、ただの心配だとばかり思っていた。彼女が私のことを気にかけてくれるのは、これまでの長い付き合いの中で当たり前のことだったからだ。だが……果たして、本当にそうだったのだろうか。あの瞳に宿っていた、ほんの一瞬の、痛みを伴う光。それは、心配だけではない、もっと深い何かを物語っていたように思えた。


 忙しさにかまけ、それ以上深く考えないように、私は自らの心を固く閉ざした。しかし、別の出来事が、その閉ざした心の扉を揺さぶり、ざわめきを呼び起こす。それは、騎士団の詰所でのことだった。


「――リーデル伯爵令嬢に、求婚者が現れたらしい」


 同僚の騎士の一人が、何気ない口調で言った。


「ああ、あのクラリッサ嬢か?  噂は聞いた。なんでも、若い侯爵家の三男が、舞踏会で熱心に口説いていたそうだ」

「リーデル家も、そろそろ良縁を探していた時期だろう。噂では、近いうちに正式な婚約の話が進むとか……」


 その言葉が、耳に入った瞬間、私の胸は、不意に重く、そして冷たい石を落とされたかのように感じた。


(クラリッサに……求婚者?)


 当然のことだ。彼女ほどの家柄と美貌、そして聡明さを兼ね備えた令嬢なら、縁談の一つや二つ、あって然るべき。むしろこれまで、大きな話が決まらなかったことの方が不思議なくらいだ。私という不器用な存在に縛られることなく、彼女が幸せになるのならば、喜ばしいことではないか。そう、頭では理解している。だが――なぜか、安堵どころか、苛立ちに似た、わけのわからない感情が込み上げてくる。


「……話が済んだのなら、持ち場に戻れ」


 私は、自分でも驚くほど、不機嫌で、冷たい声で同僚を追い払った。




 その夜。執務を終え、書類の山から解放されても、心は一向に落ち着かなかった。私は、何かから逃れるように、ふらりと庭園へと足を運んでいた。騎士団の詰所から少し離れた、人影もまばらな場所。


 そこに、月光を浴びて佇むクラリッサの姿があった。彼女の金の髪は、月明かりを反射して銀色に輝き、白いドレスは夜の闇に溶け込みそうだった。まるで、精霊か、月の女神のようだ。彼女は、まるで私が来ることを知っていたかのように、静かに私を待っていた。


「……エルンスト」


 彼女の声が、夜の静けさに優しく響く。


「夜風に当たりに来たのか?」


 私は、自分の心の動揺を隠すように、努めて平静を装った。彼女はゆっくりと振り返り、柔らかく微笑んだ。その笑みは、幼い頃から見てきたどの笑顔よりも、どこか大人びて、そして諦めのような影を帯びていた。


「そう。舞踏会で、少し疲れてしまって」

「……舞踏会」


 無意識に、声が低くなる。彼女はそれに気づいたのだろうか、小さく笑って肩を竦めた。


「噂になっているのね。ええ、確かに誘われたわ。でも……」


 彼女はそこで言葉を切り、じっと私を見上げてきた。その瞳は、まるで、何かを問いかけているようだった。


(……どうして?  なぜ、あなたは何も言わないの?)


 そんな言葉を、その瞳は雄弁に語っているように見えた。けれど、私は、その意味を正しく掴むことができなかった。


「……そうか。良縁ならば、喜ばしいことだ」


 自分でも驚くほど、冷たい、他人事のような声が出た。クラリッサの表情が、ほんの一瞬だけ、陰る。


「……ええ、そうね。喜ばしいこと」


 彼女は微笑んだ。その笑みは、どこか遠く、私には決して届かぬもののように見えた。私は、胸のざわめきを持て余しながら、ただ彼女の隣に立つことしかできなかった。月明かりの下、二人の間に、重苦しい沈黙が落ちる。夜風が、私の頬を冷たく撫でた。


 ――なぜこんなにも落ち着かないのだろう。彼女に求婚者が現れるのは当然。それが良縁ならば、祝福すべきことだ。それなのに、彼女が他の誰かの隣に立つことを想像しただけで、胸の奥がひどく締めつけられる。エリスへの想いとは違う。これは、もっと身近で、もっと鋭い痛みだ。


(私は、クラリッサを……どう思っている?)


 問いかけても、答えはすぐには見つからなかった。ただ一つ、はっきりと胸の中に残ったのは――彼女が、私の手の届かない場所へ行ってしまうと思っただけで、こんなにも胸が痛むということだった。それは、私にとっての、新たな「唯一」が、静かに、しかし確実に、私の心の奥底で芽生え始めている証拠だったのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ