【実話】お守り拾ったら国語で無双を始めた─菅原道真公のご利益がガチすぎて、私は小説を書くようになった【備忘録】
【はじめに】
タイトルにもある通り、私が小説を書くようになったベースに、菅原道真公のご利益が関係している……という話。
※この記事は作者の身に起こった出来事を綴っただけであり、宗教勧誘やスピリチュアル啓蒙みたいなものではありません。
※あくまで一個人の体験談として、ゆるく楽しんでいただけたら嬉しいです。
※検索で「菅原道真公 ご利益 本当にあった」で辿り着いた方にも読んでもらいたくて書きました(そんなワードで検索する人、私くらいかもしれませんが)
正直、私は神って存在は半信半疑です。
いる気もするし、いないような気もする。
しかも信心深くなくて、初詣とかも人混みが嫌で「じゃ、いいです〜」ってタイプ。
寺社仏閣巡りとか御朱印帳とかもやってない。
ただ、菅原道真公に関してだけはガチだと思ってる。
というか冷静に考えても、菅原道真公って実在した人物ですよ?
ってことは、ちゃんと『いた』わけだし、『いてもおかしくない』からな???って主張したい(強火のオタク感)
「え、なんでそんな信じちゃってんの? やっぱスピってんじゃん、怖〜……」
って感じだと思うので、順を追って説明させてください。
【菅原道真公との出会い】
菅原道真公との出会いは私が小学4年生のときまで遡ります。
学校の裏門の近くの道端に薄ピンク色のお守りが落ちていて、それが『北野天満宮』の『学業守』だった。
明らかにみんなに見える場所に落ちているのに、誰一人見向きもせず素通りしていく。
車に轢かれたり、人に踏まれた形跡+もしかしたら雨にも晒されたのかなって思うほど薄汚れて色あせていた。
お守りなのに、大切にされてないなんて。
こんなにボロボロになるまで放置されてかわいそう……
って思って拾ったことを昨日のことのように覚えています。
最初はクラスの落とし物箱に入れたのですが「裏門に落ちてたものをクラスのとこに入れてもしょうがないし、このまま処分されちゃうのもかわいそう……」と思って、自分が引き取った(当時は無知でした。申し訳ないです)
で、何気なくランドセルに入れて大切にしていたんですが、ここからがすごかった。
【当時のヤバ過ぎた私のスペック】
と、私の身に起きたすごい出来事を書く前に、ビフォー・アフターを証明するため、当時(小4)の私のあまりにもあんまりな激ヤバスペックエピソードを2つほど。
①漢字テストは40点とかがザラ
え、小テストなら10問中4問しか合ってないってこと……!?(はい、そうです)
めちゃくちゃ漢字が苦手で、それはもう酷い点数を取っていた。
追試、追々試、追々々試……追試ですら点数取れない壊滅ぶり。
②ロンドンの首都はパリ
はい。あらすじにも書いたやつ。
世界地図が頭に入ってないどころか、有名どころの国名と首都名すら一致しないという世間の狭さ。
たぶんアメリカと中国くらいしか知らなかった。
という、菅原道真公も顔面真っ青で頭抱えるレベルのスカスカスポンジぶり。
なんという地頭の悪さ……嘆かわしい。
拾われたお守りも、あまりの酷さにさぞショックを受けたことだろう。
もしかしたら、あまりにも酷すぎて手を差し伸べてくれたのかもしれない。
【私の身に起きたこと】
ここからすごいのが、この拾った学業守がめちゃくちゃ効力を発揮したという話です。
①漢字テストは毎回ほぼ満点に!
なんということでしょう……毎度追試してたのが嘘のようではありませんか……!
なぜかビックリするほどスラスラ漢字が頭に入るようになったのです!
問題見たらスルリと頭に浮かんで書ける。当然点数も取れる。
特にめちゃくちゃ勉強したわけでもなく、漢字50問テストとかでも、いきなり満点を軽々と取り始める。
難易度『ベリーハード』が、突如『ボーナスステージ』に変わった瞬間である。
②面倒臭くて雑に書いた読書感想文が小4と小6で入選。急に文章力を評価されるように。
当時は文章を書くのも本を読むのも好きではなく、面倒オブ面倒全開で書いたのに入選し、マジで意味がわからなかった。
※字数稼ぎに『、』めちゃくちゃ入れて、「」を使って改行して原稿埋める小賢しいテクニックオススメ(勧めるな)
もらった図書カードはすぐに漫画雑誌になった。
③合唱コンクール、学年代表に選ばれる
オーディションみたいなことやってるうちに、あれよあれよと学年代表に選ばれた。元々特別歌は上手くなかったが、微うまくらいになってた。
④何かわからんけど、いろんなこと考え始めるようになった
お守り拾ってからちょっとずつ性格変わっていった気がする。
拾う前は本能に生きてるって感じで、人見知りもしない。
なーんにも考えてないみたいなお花畑(まぁ、今もその片鱗はあるけど)
拾ったあとは先回りでいろいろ考えられるようになった。
ただ、思春期と重なった関係で考えすぎるようになって陰キャ寄りに…
ということが、お守りを拾ってから怒濤の勢いで始まった。
目立った変化はこんな感じで収束したけど、すごいのは……これだけに留まらない。
【このご利益、一過性ではない……!?】
上に書いた効果なんですが、なんと、その一瞬の奇跡ではなく、ずーっと私の能力のベースとして残ることに。
①漢字は得意なまま
中学生になっても高校生になっても変わらず、漢字は読み書き共に得意になりました。
国語のテストでは点数を安定して稼ぐポイントだった。大変お世話になった。
②文章力、言語能力を評価される機会が異様に多い
・朗読大会に出るために、一から自前で用意した原稿を、プロがお手本披露で読む原稿に採用。
同行していた先生に「すごいこと」「内容も確かに良かった」「気に入ってもらえたんじゃない?」「読んでもらえて良かったね」と言われる(朗読じゃなくて原稿評価されてどうする……)
ちなみに朗読の方も、一応ギリ入賞して表彰された。
・大学でのレポートの評価が軒並み高い。着眼点、内容を評価されるコメントがつく。
授業中に内容が紹介されることもあって(名前は伏せられてる)ボケーっとしてたのに「何か知ってる内容ダナー……これ私のやつか!」と、ハッとしてビビリ散らかすという経験が何度もある。
・社員研修での報告書を、提出された中で一番内容が良かったとお偉いさんに評価される。
・議事録のまとめ方、内容、見やすさを評価される。
印象に残っているものはこんな感じ。細々としたものはもっとある。
あと地味ではあるのですが、レポートや感想を書けと言われたときに内容に悩んだ経験があまりない。
ざっくりとメインに書きたいこと+導入から結びまでの全体の骨格がパッと頭に浮かんで、そこに肉付けするように思いついたまま書くだけ……それがなぜか評価されるという感覚。
③微うまレベルの歌唱力の維持
カラオケの点数だと85点〜92点くらいでうろうろ。
めっちゃ上手いわけではないけど、普通よりはちょっと上手いかな?くらいになった。
ただ……ビブラートが全くできず、このラインから伸びない。
ここからはボイトレしなさいという思し召しである。
といった感じで、現在まで変わらず伸びた力が残ってる。
これの何がすごいって、最初から私は何も努力をしていないこと。
一切何も。
本当にただお守り拾っただけ。
持ち主が受け取るはずの恩恵私が受けちゃって、ちょっと申し訳ないな〜とは思ってます。
ごめんなさい!
【菅原道真公のご利益の内容】
一番有名なのは学業。他にも『芸能』や農耕など多種多様。
ご本人は元々『文芸』に秀でていて、武芸に政にとハイスペックなお方だったそうで……(すまない、私は日本史じゃなくて世界史派だからよく知らんのだ……)
って……え、待って。『文芸』と『芸能』?
じゃあ漢字と文章力と歌唱力伸びたのって、つまりそういうこと!?
何か妙に説得力あるし、だから数学の成績は死んだままなんだね?(全く関係ない)
【私、小説書き始めます!】
小説自体を書き始めたのはわりと最近で、6年ほど前から。
元は絵描きで、マンガとか趣味で描きたかったけど画力が足りず。
友人の勧めで小説を書き始めてみた。
これがすごく楽しかった!
マンガと違って(私に画力がないから)、自分の思い描いた通りに文字に起こしていける、展開していける気持ちよさ。
何より心理描写をこれでもかと満足いくまで書き込めることに魅力を感じて小説を書くことにハマっていきました。
けど、そもそも小説として形にできるのは、ご利益パワーで得た文章力のおかげなんだよなぁというところに帰結する。
現在投稿している作品が、私が人生で初めて書いた小説です(元々オフラインで書いていたもので、1年半ほどで完結しました)
言うほど文章力高くないな……って思う方もいらっしゃるかもですが、 まず そもそもの地頭の悪さを思い出していただきたい。
そして実感してほしい。
ロンドンのパリから格段にまともな人間になっていることを……!
【圧倒的感謝……】
小4のときに拾ったお守りの力が、時を経て再び私に人生を楽しく過ごす力(趣味)をくれたこと、本当に感謝してもしきれないなと。
単に能力を高めてくれただけでなく、私に生きる力そのものをくれた菅原道真公は、もう一生の恩人だなと感じてます。
目の前で奇跡を起こす力──まさにモーゼの如く(※比喩です。開かれたのは私の頭です)
【お守りの行方】
お守りは大学生のときに返納しました。
──地元のお寺に。
いや、せめて神社にしろよ!って感じなんですけど、当時は寺社仏閣の知識がそれはそれは浅くて……
そこのお寺も“〜寺”って名前ではなく、お寺だと気づいたのはだいぶ後でした。
そのお寺では、毎年節分の日に豚汁と甘酒が無料で振る舞われていて、節分が母の誕生日だったこともあって毎年母と一緒に行っていたんです。
催しの豚汁と甘酒に釣られてウッキウキで馳せ参じ、ついでに返納という愚行。
本当にただの浮かれポンチでした。すみません。
でもお守りはちゃんと丁重に半紙に包んで……今まで本当にありがとう、お疲れ様でした……って。
あとは、うん。お寺に。
ちなみに、北野天満宮にはちゃんとお礼参りに行きました。
太宰府天満宮にもお礼参りに行きたいけど、さすがに福岡遠すぎるな……一生に一度行けるかどうか……ってレベル。
【菅原道真公について、ネットで知識を得る】
めちゃくちゃハイスペックだったけど、冤罪ふっかけられて左遷されて、非業の死を遂げた歴史上の人物。
死後の災いラッシュから怨霊として恐れられ、北野天満宮が建立。
その後、学業の神として祀られるように。
本人の人柄は誠実。
ふむ……
正直者は馬鹿を見る、みたいな世知辛さで寂しいな……しゅん……となる。
しかも自分を左遷した天皇を恨んでなかったみたいな記事も見た。
そんなふうに人に裏切られた人が、今は神になって誰かを助けてるのかって思うと、やっぱ神になる人って精神構造も次元が違うなと思わされる。
──推せる(不敬)
【菅原道真公、ご利益、本当にあった】
……思ったより出てこないな?
なぜ?
同じような経験した人、一人くらいはいるって信じてたのに。
こんなに菅原道真公パワーはガチなのに……ぬー……悔じい〜……!
じゃあ私がこのネットの海に、菅原道真公のご利益を刻みつけてやる〜見てろよ〜?という気持ちで書きました。
【私は、菅原道真公一筋】
誰がなんと言おうと、私の感謝は揺らがない。
いや〜、こんなに劇的に人生好転させられちゃったらもう、ね。
一生信仰するしかないやろ……(強火)
私は、私の信じたいものを信じる。
そして、君も君の心に響くものを、大切にしてほしい。
【最後に】
菅原道真公も北野天満宮も知らなかった私。
そんな凡人界の最下層にいるちっぽけな人間に、手を差し伸べてくれた菅原道真公に改めて感謝を。
ここまで緩い文体で語ってはきましたが、心から尊敬しています。
ベースがベースなので相変わらず賢いわけではないのですが、それでも間違いなく私の人生の色は変わった。
そんなこと本当にあるの?って話だったと思いますが、全て私の身に起きた本当の話です。
でも、信じてもらえなくても構いません。
ただ私が、感謝と共に文にして残しておきたかっただけなんです。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
こちら現在投稿中の小説です。
もしよろしければ、のぞいてみてください。
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