わたしの大事なお人形
最近、このあたりで子供の誘拐が多発している。狙いは女の子。私は物心がついたときからスイミングスクールに通っていたけど、財政的に貧弱なスクールなので送迎バスが無く、心配性なパパにより事件が落ち着くまでプールはお休みすることになってしまった。
パパは心配性のわりに私がスイミングスクールに通えず習っている途中だった背泳ぎが出来ないせいで溺れることに不安を抱かないし、学校から家に帰る間ひとりぼっちなことには何も言わない。
同じじゃんって言っても屁理屈言わないのって怒られる。理不尽だ。
でもパパは、スイミングスクールに行っちゃダメって言って勝手にお休みの連絡を入れるわりに、いつも通り夜ごはんのお金をテーブルに置いて仕事に行く。学校の帰りにコンビニかスーパーに寄って買って食べなさいってことだけど、その間に私が誘拐されちゃうかもしれない、なんて思わないんだ。
今日の授業参観だってそう。教室の後ろはみんなのママで賑わっていて、中にはちらほら誰かのパパが混ざっていたけど、私のパパは来なかった。
私は前から言ってた。ちゃんと他の人のパパも来るって。でも「ゆかちゃんのパパも来るって」「別にパパだけじゃないから目立たないよ」と言っても、「男なんて来ないだろ」「母親ばっかで浮くよ」「お前がからかわれたり冷やかされたりするぞ」ばっかり。
──じゃあママは。
ギリギリのところで言うのはやめた。だってママはいないから。授業参観に来るなんて絶対ないから。
だから何か良いことないかな……なんて思って歩いていると、ゴミ捨て場のゴミ入れの隙間から足が見えた。一瞬ドキリとしたけど、普通に人形か何かの足だ。こういうの、怖い話で知ってる。ゴミ捨て場で拾った人形が捨てても捨てても戻ってくる奴。
パパに嫌がらせしてやろ。
私は人形の足を引っこ抜いた。パパは帰ってくるの遅いから、玄関に置いておこう。そのつもりで引っこ抜いた人形は、髪の毛が無かった。ツルツル頭に、黒い目、服はロリータ系で、大きさは40センチくらいだと思う。30センチ定規よりちょっと大きいくらいだから。
パパ、玄関でこの人形に驚いた後、そのままゴミ袋に捨ててしまいそうだ。
うちの子にしようかな。
拾った以上捨てて怖いこと起きたら嫌だし。そのまま連れて行こうとすると人形の顔がめちゃくちゃ険しくなって、ガタガタ左右に顔が揺れた。
「えっ」
私は思わず人形を地面に落としてしまった。人形の顔は引っこ抜いたときと同じ無表情に戻っている。
連れて行っちゃ駄目ってこと……?
というか顔の変わる人形って、完全に呪いの人形では……?
でも呪いの人形なら一旦持ち帰って、捨てられたことに恨んで怒りだすものでは?
なんで連れて行こうとしたら怒るの?
とりあえず怒らせるのは怖いので、私は人形をゴミ捨て場に戻し、家に帰ることにした。
◇◇◇
「はーあ」
翌朝のこと、私はリビングのテーブルを見てため息を吐く。今日も今日とてパパはお仕事だ。パックご飯と納豆だけボンと置かれた朝ごはんと、夜ごはん代の千円。用意してもらってるだけありがたいと思ったほうがいいんだけど、昨日、私がテーブルの上に置いてあった『他の子のパパ五人くらいいた‼』というメモは回収されつつ返事がない。
私とパパは普通にスマホのトークアプリでも繋がってるけど、パパは返事しない。「パパそういうの苦手で」というけど、パパは普通に仕事で使ってるし、なんならリモート会議もする。
嫌な気持ちになりつつ、私はポストに向かった。パパは「うちはお金ないから」「将来のためにパパは仕事してるんだよ」とか言う割に、もう読まなくなった新聞を止めない。読みもしない。ただガラスとかが割れたときにしか使わない新聞を回収しようとすると、ゴミ捨て場で見た人形が、ポストのそばに鎮座していた。
なんなのこの子。
怖いよりも先にイラっとした。パパについてのむしゃくしゃもあるけど、拾おうとして変な顔してきて、拾わなかったら拾わなかったでついてくるってなんなの。
「わがまま‼」
怒ると人形は何にも響いていないような顔でじっと私を見ている。来るんだったら険しい顔なんてする必要なかったじゃん。
なんなんだろうと思っていると、ヘッヘッへッと声が近づいてきた。近所のお爺さんが飼ってるミニチュアダックスフンドの声だ。ややあってからやっぱり元気に散歩する犬と引きずられるようにリードを引く──というより犬に引きずられてるお爺さんが現れた。
「おはよう……ってあれ、お人形さん飾ってるの? カラスよけならもう少し高いところじゃないと駄目だけど……セールスよけ?」
お爺さんは人形を見て首をかしげる。セールスどころかこんなの飾ってたら近所の人によけられてしまう。でも、ゴミ捨て場で拾おうとしたらキレられて置いてきたらついてきた、なんて言っても分かってもらえない。
「おはようございます。これは……」
「ブゥウ」
説明に迷っていると犬が人形の足をかじった。「こらこら」とおじいさんが犬を叱るけど、犬はおじいさんを舐め腐っているのでやめない。人形は無表情だ。私に連れていかれることは嫌なのに噛まれるのはアリってどういうことだ。腹が立つけど、足を噛みちぎられそうになっているので、仕方なく助けてあげた。
「やめて。この子いたいいたいしちゃう」
私はお爺さんの犬を撫でて人形から離す。お爺さんの犬はお爺さんだけを舐めているというか、お爺さんを自分のペットだと思っているので、他の人の言うことはすんなり聞く。
「ごめんね、おうち守るお人形さん怪我させちゃって……」
おじいさんが申し訳なさそうな顔をするけど──。
「……」
人形はとんでもない形相をしてガタガタ頭を揺らしていた。せっかく助けたのに私を拒絶するように眉間にシワを寄せている。助けなきゃ良かった。
「お人形さんもこんな震えて悲しそうにしてるじゃないか。ほら、いなりあげ、謝りなさい」
お爺さんが自分の犬を叱る。人形は悲しそうな顔どころか私が睨まれてるし、お爺さんの犬こといなりあげじゃなくてこの人形に謝ってもらいたい。
というかお爺さんはこの人形が、紐とかで引っ張るとブルブル震えるタイプの人形だと思ってるらしい。自発的に震える呪いの人形なんだけどな。
「ブゥ」
そして犬は謝らない。もう飽きたと言わんばかりにぐいぐい紐を引っ張って、お爺さんを連れていく。
「お人形さんごめんなあ。あと、誘拐事件、気を付けるんだぞ。変な人に連れていかれないようにな。どんなに優しそうでしっかりしてそうでも関係ないからな。声かけられてもついてくんじゃないぞ」
「ありがとうございます。お気をつけて」
主に、犬に引きずられて側溝とか落とされないように。
心の中で補足して、私は人形に向きなおる。人形は私に対して険しい顔をしている。助けてあげたのになんだこの顔。ゴミ捨て場から引っこ抜いたときも変な顔してきたし。普通逆じゃん。
そう思って、ハッとした。
この人形、感情表現が、逆では???
「……拾ってもらって嬉しかったってこと?」
私が問いかけると、人形はとんでもない形相をしたままブルブル震えた。嬉ション犬仕草ってこと?
私は人形の意思を判断するため、人形を連れ家に入り、スマートフォン手にした。
ひとまず、人形が燃やされる画像を人形に向けてみる。人形の表情は変わらない。どこからどう見ても普通の西洋人形だ。無表情のまま。こんなの絶対嫌なはずなのに。
次に私は、この人形が着ているようなデザインに似ているアパレルブランドのサイトにアクセスし、スマホの画面を人形に向ける。するとやはりとんでもない形相で震え出した。
この人形、不愉快なことは無視するタイプ……?
そして嬉しくなって顔が緩むのを抑えるためにめちゃくちゃ厳しい顔をするタイプ……?
図書館にあるラノベの溺愛すれ違いもので無限に見たタイプだ。拗らせすれ違い愛情表現がホラー怪異で応用できることなんてあるんだ。
とんでもない形相をして家の前に鎮座されたときは「絶対呪い殺されるじゃん」「理不尽すぎ」と思っていたけど、入れてほしいとか見守りとかそういうタイプだったなら納得できる。
「え、ごめん。顔と感情逆のタイプだった?」
天邪鬼にもほどがあるけど、ゴミ捨て場で放置と犬にかじられたり燃やされるのが好きな人形なんていないだろうし、感情が逆とすれば家についてきてるのも納得がいく。
じゃあ置いておくかこの子。というかついてきちゃってる以上、捨てたら呪われそうだし。
「でもずっと外にあったやつだし犬とか猫の……汚い……感じがあるから……自我あろうがなかろうがお風呂には入ってもらうからね」
そう言うと人形はとんでもない形相になり震え出した。心なしか白目まで向いている。綺麗好きらしい。もしくは犬猫に色々されててさっさと身体洗いたいのか、どっちかだろう。絶対汚いもんね。床にあった人形なんて。おねしょシートと変わらない仕上がりだし。
一応私は「犬とか猫好き?」と聞いた。人形から表情が消えた。絶対やられてるじゃんこれ。っていうか、おじいさんの犬、呪い殺されない?
「おじいさんの犬殺しちゃだめだよ。犬に引きずられてるけど、犬死んだらぼけちゃうよおじいさん。犬の名前、いなりあげって言ってたでしょ。ずいぶん前に死んじゃったおばあさんが好きだったのがいなりあげだったんだよ。お婆さんが死んだあと、お爺さんの家にはぐれてきたの。だからお爺さんにとっては大事なんだよ。そんな犬呪っていいと思う? 駄目でしょ?」
私は一応説得してから、人形を連れ洗面所に向かう。
「エタノールで殺菌したいけど……無理? エタノール知ってる? 酒、除霊とかになる? っていうか呪い系のなにかなの? 付喪神系? 全然そういうの分かんないんだけど、そういうのってばい菌大丈夫なのかな……」
質問に対して人形はとんでもない形相を維持している。エタノールいけるらしい。エタノールがいけるなら食器洗剤もいけるだろうし、ノロウイルス殺すような洗浄剤でもどうにかなるはずだ。元はゴミ捨て場にいたし犬に対して猛烈に嫌悪示してるんだからすごい汚いだろうし、洗剤はコップを洗う以外に使わないわりにネット定期便に入ってるからいっぱいあるし、正直2~3本使い切ったところでパパは気付かない。私は徹底的に人形を綺麗にすることにした。
〇〇〇
徹底的に人形を洗ったけど、新品のように綺麗になることはなかった。ただずっと続けてても学校に遅刻してしまうので、外に干して日光で何とかしてもらうことにする。朝ごはんを食べてパパからの夜ごはん代をランドセルにしまって学校に行くと、クラスの人気者──みみちゃんがみんなにスマホの写真を見せていた。
「みみちゃんのお姉ちゃんモデルやってるんでしょ、すごーい」
「今度きお恋出るんでしょ?」
きお恋というのは『記憶に残る恋がしたい』という配信動画だ。配信者とかモデルの男女が集まって、一週間おきに仮のカップルを作って過ごして、記憶に残る恋が生まれるか? と実験するもので、クラスで見てない子はほとんどいないんじゃないかと思う。みみちゃんはアイドルみたいな子で、男子にすごく人気だ。足の速い男の子はみんなみみちゃんが好きなんじゃないかと思う。
私はみみちゃんと保育園、幼稚園と一緒だったけど、小学校に入ってから一緒にいることがなくなった。みみちゃんは明るくて、ドッジボールとかダンスが得意な子たちと話すのが好きだけど、私は違うから。
保育園と幼稚園にいた頃に仲良くしてたのは、みみちゃん含めみんながドッジボールとかダンスに興味がなくて、『これが好き‼』があんまりなかったからだと思う
だから、別にいじめられてるわけじゃないし、みみちゃんがみみちゃんの好きな子と一緒にいるようになっただけだけど、なんとなく気まずい。トイレで一緒になったりすると私はなるべく空気でいるようにしている。でもたまにみみちゃんと一緒にいる子がじっと私を見ている気がして、とても苦しい。そしてパパは、そういうこっちの気まずさを一切知らないので、「ちゃんとみみちゃんと一緒に帰るんだぞ」と何気なく言ってくるし、クラス替えの時期は必ず「みみちゃんと一緒だといいな」と言ってくる。
もうみみちゃんとまともに話すなんて、三年くらいしてないし、席替えのたび隣になったらどうしようって、こっちはお腹を痛くしてるのに。そしてみみちゃんもみみちゃんで、みみちゃんママに何を話しているんだろうと思う。みみちゃんママは親切で、よくお話してくれたし、顔を合わせると今だに「いつでも遊びに来てね」と声をかけてくれるから。
〇〇〇
放課後、私は近所のお弁当屋さんでお弁当を買って家に帰った。二人分だけど、両方私のぶんだ。
前にパパの分もと買ってきたことがあったけど、「パパはお仕事で食べてくるからわざわざ買わなくていいよ」とメモ書きがあったので、そこからなにもしてない。勝手に買ったのは私だったけど、なんかすごくモヤモヤしたから。その後、お弁当屋さんのおばさんたちに「パパ喜んでた?」と嬉しそうに聞かれて、「うん‼」って嘘ついたのもチクチクした。全然喜んでくれなかったって、言いたかった。おばさんたちがニコニコしてたから。
だからたまに、二人分買って、一人分のお弁当を冷凍庫にいれて、次の日の夜ごはんにしてる。お弁当屋さんで買わなくなるとおばさんたちに心配されるし、定期的に「パパの分は?」って言われるから。
だから今日はお弁当を二人分買って、おばさんたちに「誘拐気をつけなよ」と心配してもらって、家に帰ってきた。
お弁当を机に置いて、私は人形を干していた庭に向かう。人形はとんでもない形相で日に当たっていた。触ったら乾いている感じだったので、最後のダメ押しとしてエタノールスプレーを満遍なく吹きかけて、宿題をしてからまた人形の回収に向かった。
「一緒に食べる? お弁当」
私は人形に話しかける。人形はとんでもない形相を継続しているので肯定と受け取った。私はリビングでお弁当を広げ、人形を机に置く。抱えながら食べてもいいけど、せっかく洗ったのに頭の上に食べ物をボロボロこぼしたくない。
「こうやって家で誰かと食べるの久しぶりだな」
呟くととんでもない形相をしていた人形から表情が消えた。
「パパは日付が変わる頃に帰ってくるし、その後私が起きる前に家を出るんだよ。だから、私が誘拐されても気付かないかも。っていうか、学校がいないよって言わないかぎり無理そう」
人形は無表情のままだ。
「パパ忙しいんだって。本当かどうかわかんないけど。本当は家に帰ってくるの嫌なだけだったりして」
人形は無表情のままだ。
「呪われてても一緒にいてくれるなら嬉しいかも」
呟くと人形はとんでもない形相に変わってぶるぶる震え出した。前に怖い映画で見た、悪魔に取りつかれた女の子の動きみたいだ。私はおかしくなって笑い、テレビをつけた。ニュースでは誘拐について流れている。犯人が全く分からないらしい。
「これ犯人あなた?」
問いかけると人形から表情が消えた。
〇〇〇
翌日、運が悪いことにトイレに行くと、みみちゃんがいた。みみちゃんは扉越しに中に入ってる友達に話しかけているらしく、元々トイレの個室の中にいた私は出られなくなった。
「ゆかまだー? いつまで入ってんの? 早くしてよ」
ガンガンガンガンッと、みみちゃんは扉を叩いている。扉の向こうの子は「まだー」と強い口調で返した。怖いな、と思うけどこれが二人……というかみみちゃんたちのノリだ。
「ってかさ、みみのパパ超かっこよくない? お姉ちゃんきお恋で一番可愛しパパ顔強いしみみもうちの学年で一番じゃん。お母さんもヤバいの?」
「うちのお母さんは……まぁ、お姉ちゃんに似てるなとは思うよ」
「どんなお母さん?」
「キツい。ってかうるさい。お姉ちゃんはモデルとかしてて家に帰ってこないし、パパは外のカフェで仕事してるから、家帰るとママと私なんだけど、めちゃめちゃ面倒くさいんだよね。こういうカッコしてると私のみみちゃん返してとかマジで言うし。あの人マジで私のこと気に入らないから。そんな気に入らないなら作り直せばいいのに」
「私はそのままのみみが好きだよ」
「ありがと」
待っていれば扉の開く音がした。その後、手洗い場で手を洗っているらしく、水の音が聞こえてくる。
「ってかさ、名前なんだっけ、みみと保育園、幼稚園、一緒にいた子。あの子の親マジでいつもいなくない? この間の授業参観もいなかったし、運動会も一人で食べてなかった? 触れちゃダメ系の家なの?」
壁の向こうの声にドキッとした。
「なに触れちゃダメ系って」
「捨てられましたみたいな、漫画でよくあるじゃん。虐げみたいな」
「いや、違うよ」
みみちゃんは面倒くさそうに否定した。私はついホッとする。
「あの子の母親、ホストにめっちゃ貢いで、めっちゃ借金して、逃げたんだよね。で、今、父親しかいないんだよ」
「えっぐ? まじ?」
「うん。ママが言ってたから」
「じゃあ今何してんの? 捕まった」
「めちゃめちゃお金持ちのおじさん? と暮らしてるらしいよ」
「運やっば。めっちゃもってるじゃん。すげー」
「そのおじさんと動画配信してるらしい。美容ルーティーンみたいな。よしきよチャンネルって」
「よしきよって?」
「よしひこ☆きよみのカップルチャンネル。これ」
「え、登録者20万やば。ごめん絶対3人くらいだろって馬鹿にしてたわ」
「結構すごいよね」
「うん。でも私そんなんだったら自殺するわ」
「なー」
みみちゃんは半笑いで話す。お腹がギュッとして、みみちゃんと友達が出て行った後も私はその場から動けなかった。
だって全部、本当のことだから。
〇〇〇
トイレのあとは体育の授業だったから、私は誰もいない教室でこっそり自分のランドセルを回収すると、勝手に家に帰った。トイレから出られた後は、目がすごく腫れてたし、家には凍らせたお弁当があるから。
自分の部屋のすみにランドセルを放り投げ、私はベッドにうずくまる。全部嫌だった。今の自分も自分の状況もなにもかも。
ママは元々仕事ばっかりの人で、家にいなかった。パパもだ。
ママはみんなには綺麗で一生懸命働いててすごいって言われてたけど、全然家に帰ってこないし、幼稚園で持ってかなきゃいけない巾着とか鞄について話すと「なんで手作りじゃなきゃいけないわけ?」と、怒るところとか、私が悪いとため息を吐くところとか、お洋服を買いに行って「好きなの選んでいいよ」って言うけど、ママの好みのものじゃないと「センスない」「なんでそんなブスが着るようなの選ぶの?」「みっともない」と怒られる。だから慎重に選ぶけど、遅いと「ぐずぐずしてないで」「さっさと決めなさいよ」と機嫌が悪くなるので、どうにもならない。
そんな矢先、家にいるときのママがスマホにべったりになって、私がなにかを選んでも「ああいいんじゃない」「それでいいよ」「わかった」と怒らなくなったと思ったら、ママとパパの喧嘩が増え、ママがいなくなった。
お弁当屋さんのおばさんや、犬を散歩してるおじいさんは「大丈夫だよ」と励ましてくれた。パパが私に一切教えてない真実を沿えて。
それが、みみちゃんがみみちゃんのお友達にバラしたことだ。おばさんやお爺さんは、私が知ってる前提で励ましてくれたけど、パパは何にも言ってくれなかった。
パパは私がママについて知っていることを知らない。
そして私はパパの気持ちが分からない。だから、お弁当でいらないって言われたの、お弁当なのか私のことなのか、分かんない。スイミングスクールに行っちゃダメって言うから、心配してくれてるのかもしれないけど、「ダメだよ」は言っても、「大事だよ」とか「誘拐されたらヤダよ」は、言ってくれないから。
「今日、やなことあった」
私はお人形に話しかける。お人形は無表情だ。なんの感情もないのに、心配してくれてるのかもしれない希望がわいて、私はお人形をぎゅっと抱きしめる。とんでもない形相をされた。
「私のことすき?」
人形はとんでもない形相をする。
「私のこと大事?」
人形はとんでもない形相をする。
「ずっと一緒にいてくれる?」
人形はとんでもない形相をする。
「私のことどっか連れて行っちゃっていいよ。私のこと大事なの、あなたしかいないから」
人形から表情が消える。
〇〇〇
幼稚園の頃、クラスメイトがぬいぐるみを持ってきてひやかされていたけど、最近はアイドルのぬいぐるみを鞄につけて持ってくる子もいて、私は無理くり人形をランドセルにくくりつけ、登校することにした。ランドセルの横だと落としたとき気付きづらいので、腕をひっかけるところにたすき掛けするみたいにしているんだ。
先生に「大きくない?」と注意されたけど、「パパに言われたから分かんないんですけど防犯ブザーと位置情報のやつが入ってるんです」でごり押し出来た。
だからもう大丈夫、と思っていたけど、人形は呪いの人形で元々ゴミ捨て場出身でとんでもない形相をする、という事前情報がなければ、いい意味で人目を惹くらしい。
「私も人形よく集めてて、みみちゃんのお人形、可愛いと思ってたの。見てもいい?」
「え」
授業が終わって本を読んでいると、同じクラスの子から話しかけられた。
「うちの子たちはこれ」
その子はスマホを見せてくる。写真にはその子のコレクションしているらしいお人形が並んでいた。日本人形が三十体ほど並んでいる。
「うち神社でさ、よそから髪の伸びる人形とかいっぱい預かるから、お父さんに綺麗にしてもらって、お友達にしてるの」
めっちゃ怖いな。綺麗にしてるって除霊のことなのか、他人から貰った人形べろべろ舐められてたら嫌だから殺菌してるのか分からないしどのみち怖いことに変わりないんだよな。私の人形も呪われてるというか普通に家についてくるタイプなものの、私は西洋風だからギリギリ趣味感があるけど、日本人形は呪い要素が強い気がする。
「でもうちの子とタイプ違うからさ、この子近くで見てみたくて、かわいー。頭ツルツル」
彼女は私の人形を見て顔をほころばせる。人形は無表情だった。これでとんでもない形相をしたら困るし、ちょっとムっとするから、良かった。良くないけど。
「ね、たしか同じ方向だよね? 今日一緒に帰らない? 誘拐とかあって危ないし‼」
「え、いいの……?」
「うん、良ければどう?」
私は彼女の誘いに頷く。もしかしてこの呪いの人形は、動きさえおかしなだけで、結構ご利益があるのかもしれない……と、ちょっと思った。
〇〇〇
家に帰ると、パパがいた。パパは私を見るなり「なんだその怖い人形」と怪訝な顔をする。私は人形の足をぎゅっと掴みつつ、「お仕事は」と聞いた。
「いや、最近、上司が変わったっていうか……色々あって、これからお葬式に行かなきゃいけないから、戸締り気をつけろよ」
そう言ってパパはバタバタと部屋の中のタンスを開いてはひっくり返している。
「何探してるの」
「数珠と香典入れがないんだよ」
「誰か死んじゃったなら私も行かなきゃダメなんじゃないの?」
「死んだの俺の上司だからお前は家にいなさい」
パパは早口で答える。
「え……ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていい。酷い人っっていうか、暴力も納期もめちゃくちゃだったし……あ」
パパのスマホがブーブーと振動を始める。パパは「はい、お疲れ様ですー」とすぐに電話に出た。
「はい。今出るところです。すみません。すぐに行きます……あ、ありがとうございます」
優しい声だ。私にかける声と全然違う。私に対してはすごくそっけない。
「まさかですよね……駐車場の柱に突っ込むなんて。俺も気をつけないと、と思いました。まぁ、お互いあの人にしごかれて、ねえ、恨んでたとはいえ、ああいう死に方してほしいとまでは思ってなかったんで、ね、喜び辛いって言うか……でも新しく配属される人はなんか調子いいんで、なんか、いいんだかわるいんだかって言う……罰当たりそうですけど」
パパは電話で話をしながら、目当てのものを見つけたらしく、鍵だけ気をつけろのジェスチャーをして家から出て行った。
「怖いね。車突っ込んじゃったんだって」
私は人形に話しかける。人形はとんでもない形相をしている。
「パパは車持ってないから、突っ込むことないけど、突っ込まれたら嫌だな」
人形はとんでもない形相をしている。
「っていうか子供の交通事故多いらしいから轢かれるなら私か」
人形から表情が消える。
〇〇〇
人形に着せ替えしてる人をドーラーとかオーナーと言うらしい。推し活とかいうわりに私のこの呪いの人形の服はガチなので、最近はそっち方面を調べている。すると、この間話しかけてきてくれた日本人形コレクターの子が、趣味でお洋服を縫って安く売っているお店を紹介してくれることとなり、一緒に行くことになった。
「和服じゃなくてワンピースとかもあったんだね」
てっきり着物とか浴衣がいっぱいだったと思ったけど、紹介してくれたお店は和風も洋風も揃えてあるお店で、人形の表情が険しくなるものを選び、いくつか買った。
「うん。人形専門の靴屋さんもあるから、今度紹介するね」
「ありがとう‼」
「あ、そういえばこのアカウント知ってる? みみちゃんのお母さんがやってるみたいなんだけど」
そう言って、ふいに出てきた名前にズキッと胸が痛んだ。「みみちゃんとも仲良しだったけ?」と聞けば「全く?」と彼女は首を横に振る。
「みみちゃんにママについて聞いたら、ブスは話しかけてこないでって言われちゃった。誰の事? ってきいたらお前だよ、あんたなんか絶対誘拐なんてされないよブスって突き飛ばされたから、関わらないようにしてるんだ。暴力嫌いだし」
「そっか……怖い思いしたね」
「うん。怖かった……でも、こうして友達にお話したから、怖いのとれたよ」
彼女は微笑む。友達。嬉しかったけど、はしゃぎすぎないように、「ありがと」と頷いた。人形も、こういう気持ちなのかもしれない。すごい険しい表情するの。
「あ、それでみみちゃんのママのはなしなんだけど、みみちゃんのママは今っぽい服作ってるんだよ。ほら」
彼女がスマホをスクロールさせると、みみちゃんが着てそうな服を小さくしたような人形用の服がいっぱい並んでいた。クオリティが高くて、『販売はないんですか?』というコメントに『ありがとうございます‼ でも習作なのでごめんなさい』と返事があった。
「この習うに作るってなに」
「練習ってことだよ」
「へー、これが練習……練習に見えない」
「だよね、本物みたいだし」
うちの人形もこういうのに興味あるのだろうか。私はおもむろに人形に見えるように動かすと、人形から表情が消えた。
多分だけど、みみちゃんママが作った服は現代的でアイドルっぽいものだから、気に入らないのだろう。この呪いの人形のほうは「ビスクドール」「ゴシックアンティーク」みたいなジャンルにいるから、多分ヴィジュアル系バンドかそのファンが着てる服じゃないと満足できないのだろう。
〇〇〇
友達と別れ、お弁当屋さんに寄ろうとすると、丁度みみちゃんのお姉さんがいた。幼稚園の頃まではみみちゃんと遊んでいるとみみちゃんのお姉さんがみみちゃんを迎えに来て、一緒に話をした。でももう疎遠になっているし、気まずい……と陰に隠れていれば、「ねえ」と別の方向から怒鳴り声が響いた。
「あなたこんなところで何してるの‼」
みみちゃんのママだ。
「何って、普通にお弁当買うだけだけど」
「こんな身体に悪いもの食べて‼ もうすぐテレビにだって出られるかもしれないのに‼ 自分で努力水の泡にするつもり?」
「だからそういうのうざいんだって。私は別にアイドルになりたくないしモデルも興味ないしママのお人形じゃないの。ママモデルにもアイドルにも女優にもなれなかったんでしょ? パパから聞いたよ。なれなかった自分の夢、私にリベンジさせようとすんのやめてよ。迷惑だよ。ってかママもなれないんだからママの血引いてる私なんかなれるわけなくない? 普通に考えてさ、遺伝的に無理でしょうち。ってかママが言ったんじゃん。みみには才能ないって。みみはママにそっくりなんだから。なんで才能ない人間が他人の人生使って成功できる思ってんの? 身の程知りなよ」
みみちゃんのお姉ちゃんが言い返した瞬間、みみちゃんのママはみみちゃんのお姉ちゃんを平手打ちした。お弁当屋さんのおばさんたちが「ちょっと」「ぶつのはだめだろ‼」と怒って割って入ろうとする。
「あんたなんて生まなきゃよかった‼ あなたもみみも失敗作‼ どうして私の夢の邪魔をするの? どうして私を幸せにしてくれないの? 私はこんなに頑張ってるのに‼」
みみちゃんのママが叫ぶ。そしてお弁当屋さんのおばあさんの静止を振り切り走り去っていく。しかし、こっちに向かってきた。みみちゃんのママとハッキリ目が合い、私は思わず後ずさる。みみちゃんのママは私を食い入るように見つめた後、後ろから「ちょっとあんた‼」と追いかけてくるおばさんたちの声に驚き、そのまま走り去っていった。
〇〇〇
お弁当も買えず私は家に帰ってきた。仕方がないので朝用のご飯パックにお醤油をかけて食べる。一応冷蔵庫には納豆が2パックあるけど、明日の分がなくなってしまう。全然家に帰ってこないし、パパの分も食べちゃっていい気もするけど可哀そうだからやめた。
「うちのママはいなくなっちゃったけどさ、いたらいたで、生まなきゃよかったとか失敗作とか言われてたのかな」
私は人形の頭を撫でる。人形は無表情だった。
「パパはどう思ってんだろ。ママが私のこと置いて出て行ったっぽいからさ、捨てるにすてられなくなっちゃったのかな。そういう法律あるんだって。親は子供育てなきゃいけない法律。保護責任なんとかなんとかだっけ、殺しちゃいけないんだよ」
人形は険しい顔をする。捨てるに捨てられないを肯定しているのか、殺しちゃいけない、を肯定しているのかよく分からない。
「最近ママから連絡来るの。会いたいって。パパが無理して私のこと育ててるならさ、パパ優しいし、私から逃がしてあげなきゃって思うんだ」
そう言うと人形から表情が消えた。
「でもママのとこも嫌だな」
人形は険しい顔をしている。
「一緒にどっか行っちゃおうか」
人形は険しい顔のままだ。ぎゅっと抱きしめるとピンポン、とチャイムが鳴った。パパかもしれない。慌ててインターホンを確認すればみみちゃんママだった。私はすぐに玄関に向かって扉を開く。
「みみちゃんママこんばんは」
「こんばんは、今一人?」
「あ、パパはまだ仕事で……」
早速一人か聞かれた。こういう時きつい。一人なの? って聞かれると、自分が独りぼっちなのを思い出して苦しい。思い出すも何も私はずっと一人だから。
「そう、丁度良かった。ゆっくりお話ししたかったのよ。最近みみと遊ばないでしょ? 前はおうちに遊びに来てくれたのに。みみ、最近変な子とばっかり遊んでるから……」
「変な子?」
「そう。将来付き合う必要もないような、話す意味もない子。ダンスなんかしてたところでアイドルにもなれなそうな可愛くない子たち。芸能界と関係あるような子とか、もっと華やかな子だったらまだしも、本当にがさつでうちを汚すような、煩い目立ちたがり屋ばっかりうちに来るから、すっごく嫌だったの」
「……」
みみちゃんママは切羽詰まった様子だ。私の家の中を探ろうとするみたいに視線をぎょろぎょろ動かしている。
「ねえ、ひとりだったら夕飯一緒に食べない? みみもいるし、お父さんいないなら丁度いいわよね?」
「いや……大丈夫です。一人じゃないです。ご飯もうあるので」
パパはいないけど、人形はいる。私は一人じゃない。しかしみみちゃんママはぶんぶん首を横に振った。
「嘘、嘘よ、あなたは一人のはず‼ だって知ってるもの‼ お父さんお仕事で帰ってこないって‼ お父さんちゃんと用意してくれてないんでしょう? お弁当やさんのおばさんに聞いたわよ? あなたいつもあそこのお店でお弁当買ってるんでしょう? 身体に悪いわよ。買ったお弁当なんて。ちゃんと手作りで愛情のこもったご飯じゃないと可愛く育たないわよ。うちのご飯ならとっても美味しいし手作りだからすっごく体にいいの。いい子になれるわ。お父さんは料理作ってもくれないんでしょう? 普段から悪い食べ物を食べていると体に悪いわよ。せっかく可愛く生まれたんだから素材を生かさなきゃ。ねえ。お父さんあなたのことひとりりぼっちにしてるんだから、寂しいわよね、一人は辛いでしょう? 寂しいでしょう? 普段からずっと寂しい思いをしてると体に悪いわよ。せっかく生まれてきたんだから」
──うちの子になって?
じっと鼻先ギリギリまで近づかれて、私は思わず後ろに後ずさりしようとした。するとすぐ腕を掴まれぐいぐい引きずられる。
「やだ‼ やだ‼ 助けて‼ 助けて‼ 助けて‼」
叫ぶけれどみみちゃんママはものすごい勢いで引っ張ってくる。そのまま玄関から外に引きずり出された。家の前には車が止まっている。
「やだ‼ やだ‼ 助けて‼ 助けてっ……いやっ助けて‼」
「みみも駄目だしもう本当に全部どうにもならないの。でも今日あなたを見て今度こそ上手くいくかもしれないって思ったのよ。あなたはお母さんに捨てられてるから、他の子みたいに家に帰りたいって言わないだろうし、お父さんも、ホストと蒸発した母親の子供なんて、育てるのも嫌だろうし、それなら私が育てなおしてあげればいいって思ったの‼ ふふ‼」
みみちゃんママが笑いながら私の腕を引っ張って引きずってくる。そうして車に引きずり込まれそうになった瞬間──、
「ワンワンッワンワンワンッグゥゥッ」
犬が横から飛び出してきて、みみちゃんママの腕に嚙みついた。「あんた何やってんだ‼」とおじいさんがすごい剣幕で駆けてきて、私の腕をみみちゃんママから引きはがす。
「何するの‼ やめてよ‼ 痛い、痛い」
「グゥウウウウウッ」
犬はみみちゃんママの腕を噛み千切りそうな勢いで噛みつき続け、おじいさんは騒ぎを聞きつけ集まってきた人に「警察呼べ‼ 誰か」と怒鳴りつけたあと、私を背に庇い、「大丈夫だぞ、大丈夫だからな、もう大丈夫だぞ」と背中をとんとん叩く。みみちゃんママは犬に噛まれ、周りの人に抑えられながらも必死にこっちに手を伸ばした。
「うちの子になって、うちの子‼ うちの子になって‼ うちの子になって‼ うちの子になれ‼ なれ‼ なれ‼ なれないなら死ね‼ 死ね‼ うちの子にならないなら生まれてくるな‼ 死ね‼ 死ね‼ 死ね‼」
みみちゃんママは叫ぶ。その絶叫は、通報により到着した警察官の手でみみちゃんママがパトカーに乗せられ扉が閉まるまでの間、止むことが無かった。
〇〇〇
あれから、私はお爺さんに付き添ってもらい、警察の人と少しお話をした。ただ、パパがいないとあんまり詳しい話が聞けないとかで、今度またゆっくりお話ししなきゃいけないらしい。警察の人がいなくなった後は、お爺さんが「お父さんが帰るまでは心細いだろうから」と言って、一緒に玄関の段差のところに座って話をしながら一緒にパパを待ってくれることになった。
「でも早起きはしてみるもんだな」
お爺さんが、ほっと息を吐きながら頭をかく。
そういえばお爺さんの散歩は朝だけだ。本当は朝と夜に散歩するのが犬的にはいいらしいけど、疲れるからしないと前に言っていた気がする。
「まぁ、昼寝してたら、婆さんがたたき起こされたんだが。はは」
「え……」
お婆さんはずいぶん前に病気で死んでしまったはずだ。不思議に思っているとお爺さんは「夢に出てきたんだよ」と付け足す。
「迎えに来てくれたと思ったら、なにしてんだって怒られてな。最近婆さんに備えてる大福をおやつに食って寝るのを繰り返してたから、それかと思ったら散歩しろって言いだして、で、起きたらこいつの尻が目の前にあって今にも引っかけられそうだったから慌てて出てきたんだ」
「そうだったんですね……」
「婆さんか、いなりあげの虫の知らせか、どっちかだな。どっちもお前さんのこと好きだし、特に婆さんは子供が好きだし、お前を気にかけてたから。それに、お前さんのお父さんからも、娘をよろしくって頼まれてたから、本当に今日は間に合ってよかった」
「パパが……?」
「ああ。会うたびに言ってたぞ。丁度お前さんのお父さんが駅に着くくらいと、俺がこいつと散歩する時とかち合うんだ。お前の話嬉しそうにしてたぞ」
「嘘……」
「嘘なわけあるか。一年くらい前に弁当買ってやったんだろ? あの話いまだにするぞ。弁当屋にも言ってるみたいでな」
お爺さんは笑みを浮かべた。じゃあお弁当屋さんがたびたびお父さんの分について聞いてくるのって、普通に聞いてるんじゃなくてお父さんがしゃべってるから……?
「でもそんなこと、一言も言ってくれない……」
「そっか……お前さんの前ではかっこつけてるんだなぁ」
お爺さんはしみじみ話す。
「かっこつけてる?」
「ああ。強がってるんだよ。婆さんもそうだった。自分の気持ちを伝えることが、どうしても出来ない人間がいるんだよ。俺なんかはもう、あれ、それ、とかで単語にならないが、上手く話をしようとしたり、嫌われたくないとかってな。だからなんとか行動で示そうとするんだが、そういう奴らは大抵、不言実行もへたくそだから、まぁ大変だな。相手するほうも。ああ、不言実行って学校で習ったか? 意味わかるか?」
「うん」
「まぁ、うちの婆さんの場合は……言い辛かったのもあるだろうがな……子供が好きなのに、俺のせいで、母親にしてやれなかった。その権利を、一生奪った。だから、あいつは心の底から幸せじゃなかっ──」
「グウウウウウウウウウウウガアアアアアアアッ」
突然いなりあげが唸りだし、お爺さんの足に噛みついた。お爺さんは慌てて立ち上がる。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼ なんだお前は突然‼ 腹減ったのか‼」
「グウウウウガアアアッ」
「なんだなんだなんだもう‼ ……あ、お前さんの父さんやっと来たな……」
お爺さんは曲がり角に視線を向けている。確かに、走っているお父さんの姿が見えた。
「じゃあ俺は帰るから、二人でちゃんと話しろよ、痛いッ おい、いなりあげ」
「ウウウガアアアアアアアッ」
お爺さんは去っていくけどいなりあげはほぼお爺さんの太ももに噛みつきしがみつくようにしている。私は「ありがとうございました! いなりあげもありがとう!」とお礼を言うけど、両方たぶん聞こえてない。
ややあって、お父さんがこちらに向かって駆けてきた。
いつもの顔と違う、泣きそうな、どうしていいか分からない迷子になった子が、お母さんを見つけたみたいな目をしてる。心配してくれてたんだな、私のこと大切だったんだなと、はっきりわかった。
「パパ……」
私はパパに声をかける。パパは私をそのままぎゅっと抱きしめた。
〇〇〇
私がみみちゃんママに車に乗せられそうになった事件は、すごく大事になってしまった。
というのも、みみちゃんママというか──みみちゃんのおうちから、最近起きてた誘拐事件の子供たちがいっぱい見つかったからだ。ニュースによるとみみちゃんママは理想の子供が欲しくて、いっぱい誘拐して育てようとしたらしい。傍から見れば普通にお母さんぽいので、特に怪しまれずに子供を連れ去ることが出来てしまっていたと、テレビの人が言っていた。ネットでは『子ガチャじゃん』と書かれていて、同じクラスの男子がその意味を先生に質問して、「そんな言葉自体存在してはならない」「そんな言葉を使う人間は許されない」と先生は怒っていた。
そしてみみちゃんは転校した。ただ、噂によるとみみちゃんママは『刑務所に入る前に入るところ』に行く途中の車で事故に遭い、腕がつぶれて死んじゃったらしい。みみちゃんママ以外に車に乗っていた人は無傷だったけど、峠を走っていたとこに木が倒れてきて、みみちゃんママだけ押しつぶされてしまったそうだ。
「おーい、準備できたかー‼」
「今行くー‼」
休日朝、玄関でパパが私を呼んでいる。
今日はパパと人形と三人で遊園地に行く予定だ。最近パパの上司が変わったとかで休みが増えたらしい。前は過労死するところだったと言っていた。怖い。
「はぐれないでね」
私は人形の頭を撫でる。相変わらずツルツルだ。カツラでも買おうかなと思うけどこれだけツルツルだと滑っちゃうし、髪はチクチクしてかぶれそうだし、カツラをいるか聞いたら表情が消えていたので多分この子も望んでないだろう。相変わらず、歓迎とか嬉しいは険しい顔をして主張してくるから。
私は人形の頭だけをショルダー鞄に入れつつ、パパのもとへ向かっていく。
みみちゃんママのニュースが流れていた時、私は人形を抱えていた。
人形は、無表情じゃなかった。
険しい顔をしていた。
一瞬、この人形が悪さしたんじゃないか疑うけど、もしこの人形が呪いの人形だったら、それをエタノールに浸したりノロウイルス殺すやつに漬け置きしたり、乾かすのが怠いという理由でドラム式洗濯機で乾燥三回重ねがけしてる私なんか、原型なく殺されているだろう。人形がいくら綺麗好きとはいえ、乾燥三回重ねがけはキツいだろうから。
私は気のせいかと、人形の頭を撫でる。相変わらず人形はとんでもない顔をしていた。
〇〇〇
『次のニュースです。昨日未明、都内●●区、陽刑台9丁目の路上にて動画配信クリエイター、よしひこ☆きよみのカップルチャンネルを運営していた吉川仁彦さん61歳、その内縁の妻、肥田きよみさん32歳が、近くにあった建設現場の崩落事故に巻き込まれ、二人とも意識不明の状態で市内の病院に搬送され、死亡が確認されました』
『すごい音がしたと思ったら、地響きみたいな揺れがあって、最初地震だと思ってすぐに玄関開けたんですよ。うち、築年数やばいんで。絶対出られなくなるんで。そうしたら、向こうの道路、めちゃくちゃになってて。遠くから見ても分かるっていうか、鉄骨が完全に首に刺さってて……あんなん子供見せらんないなっていう……』
『事故起きてるよって言われて、みんなで助けなきゃって思って行ったら、その……身体はゴミ箱に突っ込むみたいになってて、首が、完全に切れていて……』