第十回 梧空 覇王に本当の虞美人を殺させ、心猿は項羽を憂虞させる
初めまして!原 海象と申します。
今回は『西遊記』の外伝(SS小説?)である神魔小説『西遊補』を編訳したものを投稿致しました。
なお、原作のくどい話やあまり馴染がない用語や表現はカットしております。
原作は千六百年頃の明の時代に書かれたとされております。原作者は董若雨です。
本書は削除版ですので、原書が読みたい方は東洋文庫(鏡の国の孫悟空「西遊補」)をお読みください。多分絶版になっているので図書館で検索すればあるかもしれません。
<西 遊 補>
第十回 梧空 覇王に本当の虞美人を殺させ、心猿は項羽を憂虞させる
ふと見れば色の黒い男が一人、高殿にすわっております。梧空は笑って
「古人世界にも賊がいるわい。顔中真っ暗に塗って、ここでさらしものになっている」
何歩か進んでから「賊じゃない。実はなんと張飛の廟だった」
また、考えてみます。
「張飛の廟たる以上、頭巾をか被っているはず、たとえ今風にしても、代わりには将軍帽でなくちゃ。皇帝風の冠なんて、むやみに被るものじゃない。これは皇帝の冠をかぶり。おまけに黒い面だ。となるとこの宝像はきっと大禹玄帝だ。
さっそくお目通りして妖怪退散の秘訣の数々を尋ねよう。もう秦の始皇帝を探す必要はないぞ」ほどなく宝像前まで行きますと、楼台の下に石の旗竿が一本、それに飛白の書体で紫色の四字で書かれた旗が挿され
「先漢名士項羽」
梧空はこれを見て、しきりにお笑いして言います。
「全く『事の未だ来たらざる時をすすんで思うのを休めよ、想い来たるも到底心に如かず』だ。俺様は散々疑問に思って、いや大禹玄帝かと思い、いや張飛かと思い、いや逆賊強盗かと思ったが、意外にもどれも違い緑珠の楼上の俺、すなわち虞美人から離れて行った夫だったとは」
ただちにまた別の考えが浮かび
「はて、俺様はただ秦の始皇帝を探し、やつに「駆山鐸」を奪うために、古人世界へもぐりこんだ。楚の覇王は始皇帝のやつよりあとに出てくる。そして項羽には今もう会えた。始皇帝のやつは何故会えない?
おれに1つ方法がある。階下へ踏みこんで行って項羽に会い、始皇帝の消息を尋ねる」
梧空はすぐに飛び上がってよく見ますと、高殿のそば、朱塗りの欄干に緑の草、花咲き乱れ鳥が騒ぐ場所がり、美人が一人座っており、『虞美人、虞美人』と呼ぶ声が聞こえます。
梧空は笑って「緑珠姫さまの楼上の俺様が今ここにいるわい。あちらの美人さんの生き死になんぞ知ったことじゃない」
梧空はただちに体をひとゆすり、虞美人のかっこうに変わり、平気で高殿に上ります。袖から一尺の白い絹を取り出し,涙をずっと押さえっ放し、ただ顔半分をのぞかせ項羽の方を見、恨んでいるようまた怒っているよう。
項羽はあわててひざまずくと、梧空はくるり後ろ向き、項羽はまた梧空の前へと飛んで廻ってひざまずき
「虞美人、そなたと枕をかわす相手を憐れんで、少しは笑い顔をお見せ」
梧空は声も出しません。項羽はどうにもならず、お相伴して号泣するばかり、梧空はそこで初めて花の顔を紅潮させ、
項羽を指し「ろくでなし、おまえさんは天下の大将のくせ、女ひとりかばえず、どの面さげてこの御殿に坐っているの
?」
項羽はひたすら泣くばかり、まともに返事もできません。梧空はいささか見かねたのかといったところで、手をさしのべ助け起こして言います。
「ことわざに『男児の両膝には黄金有り』と言うわ。あなたは以後むやみにひざまづいちゃダメです」
「虞美人、なんてことを言ってくれる。余はお前が眉をちょいとひそめるのを見ると心臓も肺も粉々だ!この七尺の体なんか気にかけてどうなる。おまえが余に言いたいのは、一体どうゆうことだ?」
「覇王さま、やはりあなたの目をごまかしはできないわ。あたし具合が悪くて、籐の寝椅子で半刻ばかり眠りました。そのとき、窓際の玉欄の木からサルの精が一匹飛び出してきて、五百年前に大いに天宮を騒がせた斉天大聖菩薩孫悟空と名乗ったの」
項羽は聞いてたちまち飛び上がり大声をたて、わめきちらします。
「余の宝石をちりばめた刀を持ってこい!刀が見つからないなら、虎頭戟だ」
項羽は頭を掻きむしり、足を踏み鳴らし、大声で一声「いまどこにおる!」
梧空は小腰をかがめ、さらに言います。
「覇王さま、そう気にしないで。腹を立てすぎるとご自分のお体にさわります。その猿ときたら実際憎らしいったらありゃしない。寝椅子のそばまで来て、あたしをおもちゃにするの。
そのときすぐに大声で侍女を呼んだわ。しかし、侍女一人だって来ないで、何か怪しいと思って、あわてて団扇を放り出してきちんと身づくろいしたの。
そしたら、あのサルは恐ろしい目つきで睨みつけ、あたしをつまみあげると花雨楼の中にほっぽり出し振り向きざま飛んで行ってしまったの。
あたしは花雨楼の中をあたふたしながら奴がどこへ行くかちらっと見たけど、奴は花かげの籐の寝椅子の上へ行って坐り、あたしのかっこうに変化し、下僕や下女を呼んで一休み。そしてまた覇王さまを惑わそうとしているの。
あたしの体はどうなってもいい。ただ覇王さまが一時真偽の区別をつかないで、奴の毒牙にかかるだけが心配。あたしの大泣きはほんと覇王さまのため」
項羽は聞き終わると左手に刀、右手に戟をとり、大声で一声、「奴を殺せ!」
項羽は高殿から飛び降り、まっすぐに花かけの寝椅子へと走り寄り、虞美人の首を斬り、血如がだらだら滴るのを蓮池の中へ放り込み、侍女たち大勢に言い渡します。
「泣いたりわめいたりしてはならん!こいつは余に正体を現せた偽の虞美人だ。本当の虞美人は高殿の上だ」侍女たちは涙をためつつ、大急ぎで項羽について高殿に上り、梧空を見て、一同めいめい悲しみが喜びに変り、
「やっぱり本当の虞美人はここです。すんでのことで驚き死ぬところでございました」
項羽はそのとき上機嫌で高殿の侍女に命じました。
「急いで花雨楼を掃き清め、酒宴の支度を手落ちなく。一つには虞美人に気を鎮めていただき、もう一つは余が妖怪を切って退治した祝いのためじゃ」
下の方から一斉に「よろしゅうございます」と声が上がります。
高殿の上の侍女たちが大勢、みなみな参上して梧空の為に背中をさすったりし、
「虞美人さま、びっくりして心の臓がちちみませんか」という問いもあり
梧空は「ちょっとは、しかし息が苦しくてしょうがない」と言うと
項羽「息が苦しいのは大丈夫だ。気を落ち着けて、じっとしておればすぐ直る」
侍女二人が現れて、前にひざまずき「覇王さま、虞美人さま準備が整いましたのでお席にお付き下さい」と申します・
梧空は胸の中ひそかに『何でもかんでも、そっちの言うとおりせずともよかろう』
たちまち気が狂った真似をしまして、両目をカッと見開き、項羽に向かって言います。
「あたしの頭をかえせ!」項羽はびっくり、「虞美人、虞美人」と連呼しますが、梧空はとずっと白目をむいたきり
「言うに及ばず。これは孫悟空の幽魂が消散せず。またまた虞美人の体に憑いたのだ。早く黄衣の道士を呼んで来て、妖気を退散させれば虞美人はおのずと回復する」
ただちに侍女二人が黄衣の道士をつれ、高殿の上にまいりました。その道士は手に鈴をとり、口から法水を拭きつつ、真言を唱えます。
「三皇のとき、軒轅黄帝、大舜神君あり。大舜は名を虞氏と為し、軒轅(黄帝)は姓を公孫と。孫と虞、虞と孫、もとは婚姻したり。今朝はうらみ結ばるるも、いかんぞ、清明を得ん。
伏して願わくば孫先生大聖老爺・悟空の威霊、早く天界に飛び、再び天宮を騒がし虞美人を放ちおわり。三蔵を尋ねんことを。急急如令にし、道士功無くして、又は和尚の来臨を求む省得かれんことを」
梧空はそこで言います、「道士、お前は俺が何者かわかっておるか」
道士はひざまづいて「虞美人さま、ご機嫌うるわしゅう」
梧空はわめきちらし
「道士、お前は俺を退散させたってだめだ!俺は斉天大聖だ。恨みを晴らそうと、この身にとりつき、祟りをなすのだ。今日は大安吉日であるからして、必ず虞美人と縁組するぞ。お前は間に入って仲人になれ、仲人の謝金を手に入れるのもいいだろう」
と言い終わると、また訳の分からんことをぬかすばかりわめきます。
道士は四肢が膠着状態ですが、やむなく、また桃剣を取り進み出て、こわごわ一振り、少量の法水を口に軽く噴き出し、低く一声「太上老君急急如令」
しかし、一向に効きめがありません。
梧空はその道士が気の毒になり、また両目をパッと開き「覇王さま貴方はどこなの」と一声
項羽は大喜びですぐに黄衣道士に小粒の白金千百両を与え、道観に送り帰らせて、急いで梧空を助け起こし「虞美人、そちは何故こんなに人騒がせをするんだ」
「あたし自分では分かりません。ただ寝椅子の傍にサルがまたやって来たと思うと、すぐ目の前が真っ暗になって、道士の法水をひと口かけられると、あいつの足元も定まらずに、西南の方へ行っちゃうのが見えたわ。今じゃああたしとても気分爽快しているのでお酒を飲みに行きますわ」
項羽はそこで梧空の手を取り、高殿を下り花雨楼まで行って席につきます。
見れば風灯ひかりをはらい、多くの侍女たちが列を作って立っております。
杯が何度か廻ったころで、梧空は突然立ち上がり
項羽に向かって「覇王さま、あたし寝ます」
項羽はあわてて侍女に命じあかりをつけさせ、両人はまた手を取り合って、閨へとはいり、お茶を一杯飲み寝椅子に肩を並べて坐ります。
梧空はそのときひそかに思います、
『もしもすぐに逃げちまうと、秦の始皇帝の消息を聴かずじまいになる。もし奴と一緒にとばりの中へ入って、手出しでもされたら、そのときは奴の好きなようにさせるもよし、させぬもよし、まあそのときはとんずらをするのがよかろう」
そこで項羽に向かって、
「覇王さま、あたしはずっとあなたに言いたいことがありましたけど、何かと他のことばかりにまきこまれて、あなたの顔を見て忘れてしまったの。このあたしは覇王さまのそばに来てから、男の子や女の子を生んで、後顧の憂いが永久にないようにしたいと望んでいたの。
ところが幾年か全く気配もないし、覇王さまはまたこのあたしにご執着、広く側室を求めようとされません。今や覇王さまの髭には白いものが一面、えらくヨボヨボされて、あたしはふつつか者だけど、覇王さまは生きては孤独の人になり、死ねば跡継ぎなしの亡者になるのが気がかりです。
例えばそこの侍女は、水も滴るいい姿、人にまとわりつくような霞のまなざしで、何度か言葉をかけて試してみたけど、なかなか面白いところがあるわ。今晩覇王さまのそばに侍られましょう」
項羽は顔色を変え
「虞美人、どうやら昼間にびっくりしたんで心の臓がでんぐり返ったな。
何故、人にはとても嫉妬しながらとても寛大なことを言い出すんだ」
梧空は愛想笑いして、
「覇王さま。あたしが普段厳しいのは、あなた自身の為ですわ。
今日は優しいのは、貴方の子孫の為ですわ。あたしの心の臓はでんぐり返ってないの。
覇王さまがこれから先、心の臓がでんぐり返りさえせねば」
項羽曰く「お前がたとえ一万遍言ったとて、余は決して他の侍女等は欲しくない。
まさか五年前正月十五日灯篭見物の夜の、同生同死の誓いを忘れ去り、余をからかうつもりじゃあるまい」
梧空は形勢よからずと見て、また愛想笑い
「覇王さま、覇王さまがあたしを捨てられることが心配なのに、まさか、あたしが覇王さまを捨てようするはずがありますか?ただここでまたお願いしたいことが一つあるの」




