ざまぁ 〜嫌い、小説書きはそれで良いのか〜
オラ、アミーゴ!
ひひんで始まりひひんで終わる約四千字のエッセイを書いたら、一部読者に刺さり、けれどやはり長過ぎた……と反省しきりの三屋城です☆ひひん!
多方面から考察してしまった。
タイトルが紐づけられていなかった。
この辺りも、反省点。
けれどその反省、何のため?
勿論、読者層を広げるため。
たださて一体、なろう読者ってどういった方達なのでしょうか?
皆さんは知っていますか?
私は全くもって知りません!
そして多分皆さんも、隣近所で登録してるよって公言している人以外、どういった人なのか知らないのではないでしょうか。
さて、このエッセイでは主に小説の質について、私見を述べる場にしたいと思っています。
ざまぁで盛り上がっている今のエッセイランキング、読んでいる中で私が気になったのが「小説の質」という単語。
どの読者層への「質」なのだろう?
私、そこが気になりました。
想像でしかありませんが、このディストピアであり桃源郷でもある小説家になろうのアカウント取得者、老若男女、年代も趣味嗜好も実にバラバラな人が寄り集まって形成されているのでは、と私は考えていて。
年齢などでも、質は左右されると思ってます。
だから違和感。
書き手だって、作家(所謂プロ)、作家志望の作者や趣味で書いてる作者、趣味だけど人生記念として死ぬまでに棚ぼた書籍化をゆる〜く狙ってる私みたいなのもいて。
どこを目指しているかっていうのにも、質は左右されると思ってます。
なのでちょっと違和感。
後、ざまぁは、タグです。
キーワード、です。
これをお話の何に該当するだろう? と考えた時、私は「ギミック」という言葉が一番しっくりきました。
要はお話を構成する一要素、ということです。
そこが基本。
けれどもなんだか特別な「ざまぁ」があるようで。
わかるんです。
気持ちはわかるのですよ。
つまりはぶっちゃけで言っちゃうと「未熟な技術で書かれた復讐や自滅」が、なろうに投稿されている。
それがどうにも大人気である。
大人気の壁がそれだと、技術ある人の作品が人気になれない。
だから仕分けをして欲しい。
気持ちは、とてもわかる。
けれど書き手として、本当にそれで良いのでしょうか?
それを言い出せば、追放だの、ハーレムだの、無双だの、悪役令嬢だの、溺愛だの、どんどん細分化していきませんか?
小説って、「何」でしょうか?
小説である以上は、そこに流麗な物語が欲しいのは理解します。
しかし読者その個々によって、物語へと求めるものは変わる、私はそう考えます。
文章にどれだけ慣れ親しんでいるか、によっても変わるとも考えています。
読者にしろ作者にしろ誰にだって初心者の時期が、あるのです。
美しい文章や内容にも触れて欲しい。
その気持ちは、わかります。
私もある一定の文章の「質」でないと、今そこにある物語が読めない層では、あるからです。
だからと言って、ただジャンルを分ければ終わりでしょうか?
「質」の危惧はずっとついて回るのでは無いでしょうか。
さて、私は機械や戦術などの技術力描写が多めのSF小説が読めません。
かの有名な銀河英雄伝説は、人物描写だけ抜き出して読み、読了しています。
けれどその戦艦や戦闘の描写を眺め、これを理解できればもっと楽しいのだろうな、と思いを馳せました。
未熟だ、理解が出来ない、と思うものの中にも、何某か魅力があるから誰かにとっての人気作になる。
小説は娯楽であり時に芸術でもありますが、私個人としては、ここには趣味として楽しみに来ている人が多いと感じています。
質は最重要ではない、と。
それでも質、というならば私としては、書き手として是非とも技術を駆使しつつ人気要素を取り入れながら、読者を逆輸入できる作品を生み出して欲しいと思ってたり。
何故なら、それが「質」を念頭に置く小説を書く人なのではないのかと、私は考えるからです。
どのような読者に向けて、どういったテーマを、何の要素を使って描き切るか。
「質」に言及するなら我こそはという書き手としての矜持でいてほしい、個人的なただの希望です。
極論、小説の「質」を言うならばメジャーな小説家の「ざまぁ」物とか、「異世界転移」物とか、「俺TUEEE」物とか、エッセイとしておススメ紹介しちゃえば良いと思います!
編集さんと、校正さん、合計二人分客観性が入っているので一番安定していると思うの。
そうして読者を育てれば小説家になろうの中でも自然目が肥えた人によって、私のような書き手が淘汰されていくのです、……アッ!!
私もこんなこと書いてますが、前年9月に爆誕した新参者の超初心者☆だったりします。
こんな変わり種もいるなろうの海、広大だわ…………