量子力学を応用した生体コンピューターの素材
外科医として五條県立大学医学部付属病院に務めている私だけど、勤務時間の全てを外科手術に費やしている訳では無いんだ。
時にはこうして、過去に執刀した患者の経過観察に立ち会う事もある。
「脳腫瘍の再発はありませんね。容態は良好ですよ。」
「やはり貴女に執刀をお願いして正解でしたよ、芹目アリサ先生。御陰様で、もう教壇に復帰出来るようになりました。」
笑みを浮かべる老学者の温顔は、至って健康そうだった。
少し前まで私の担当患者だった畿内大学の梅尾博士は、量子力学コンピューターの優れた研究者でもある。
技術立国日本の未来を担う優秀な研究者の命を助けられたのは、私としても喜ばしい限りだった。
「芹目アリサ先生、ところで例の物は…」
「御心配なく、梅尾博士。全ては御約束通り…」
私は執刀医となる際、彼とある約束を交わしている。
博士が回復した今、それを果たす時が来たのだ。
研究室を訪れた私の手土産に、博士は目を輝かせていた。
「おお…これが私の脳腫瘍ですか!しかも生体活動を続けている!」
健康体の梅尾博士と、摘出されて培養ケースに収まっている脳腫瘍。
それは正しく、同一人物同士の意外な形の再会だった。
「摘出した腫瘍を研究用に保存する事は日常茶飯事ですからね。脳腫瘍の培養も何度か経験があるのですよ。」
こうして博士に笑いかけたものの、脳腫瘍の引き渡しは惜しかった。
彼の脳腫瘍は、私の研究にも活かせそうだったから…
「貴女には御話してもよろしいでしょう。こうした御話には御興味がお有りでしょうし、職業柄もあって口は固そうですから…」
梅尾博士が研究を続けている、量子力学を応用したコンピューター。
それは演算素子として人間の脳細胞を用いた、一種のバイオコンピューターだった。
「とはいえ、生きた脳細胞の合法的な採取方法は限られていましてね。」
「そこで御自身の脳腫瘍をサンプルに選ばれた…確かに人間の脳は、優秀な生体コンピューターとも言えますからね。」
彼の研究目的は、外科医の私としても有益な物だった。
こうして梅尾博士と親交を得られたのは、大きな収穫だった。
博士が研究しているバイオコンピューターは、人間の脳細胞を部品に用いている。
これを私の研究している人造人間の頭脳に組み込めば、優れた叡智を備える事だろう。
患者から摘出した癌細胞を継ぎ合わせた肉体に、脳腫瘍を素材にしたバイオコンピューターの頭脳。
それはきっと、素晴らしい物になるはずだ…