オールド・ラジオ
「なぁ、お前等も、あの噂聞いたことあるだろ?」
夏休みが始まる数日前、給食の時間。
いつものように班ごとに机をくっつけ、班の皆とお喋りとしながら食事をしていた時、その話題となる。
「えー、五山君、あの噂を何か知ってるの?」
同じ班の阿波ちゃんが食いつく。
阿波ちゃんも五山と同じくらい活発な女の子で、噂話には目がない。
僕としてはあまり興味の無い話題だったけれど、こう言うときに変に否定すると“弱虫”扱いされて、すぐに噂が広まってしまう。
それを避けるために、極力何も反応しないようにしながら食事を続けるしかなかった。
「うん!
兄貴の中学校でも噂になっててさ!
昨日教えて貰ったんだ!」
今日の給食は、滅多に出て来ない袋入りのうどんで、結構人気が高い。
何人か風邪で休みのクラスメイトがいたから、お替わりが狙える。
早く食べ終えて、お替わりをもらいに行きたかったが、五山は絶好調だった。
噂というのは、よくありがちな怪談話。
この学校の裏手に高い山があるのだが、その中腹に古めかしい洋館がある。
そして深夜にそこに行くと幽霊がお喋りをしている、と言う話だ。
ただ、山への入り方や時間によって、洋館が見つけられないこともあるらしい。
五山が兄から聞いたというのは、その見つけるためのルートの事だ。
「えー、でもぉ、今どき幽霊とかって無くない?
高山さんもそう思うわよねぇ?」
「え?えぇ、そうじゃないかしら……。」
高山さんは本当は教室の隅で本を読んでいるのが好きな女の子だけど、阿波ちゃんに引っ張られていつもどこかに連れ回されている。
今回も、いつものように控えめに、阿波ちゃんの意見に同調している。
「何だよ、信じてないの?
じゃあ、もうじき夏休みだし、皆で探険にでも行ってみない?」
うわ、と思った。
五山はいつもこう言う感じで、すぐに暴走する。
「でも、あそこは危ないから夏休みの間も行っちゃ駄目って、先生もさっき言ってたじゃんか。」
流石に今回は危ないだろうなと思った僕は、お替わりを諦めて反論する。
「何だよお前、怖いのかよ?」
案の定、弱虫判定だ。
五山とは幼稚園からずっと一緒で、いつも一緒に遊んでいるけど、こう言うところは相変わらず好きになれない。
僕はムスリとしながら、牛乳パックに残った中身を飲み干す。
こう言うとき下手に反論すると、からかわれるだけだ。
「で、でも、先生も“最近裏山で不審者がいるから、注意するように”って言っていたし……。」
高山さんがか細い声で僕の援護をしてくれたが、それはもはや“時既に遅し”と言う奴だ。
五山と阿波ちゃんは、向かう日程等の予定を立て始めている。
結局のところ、僕と高山さんは、ただそれを聞いて黙って食事を続けるだけしか出来なかった。
「ようし、皆揃ったな!」
夏休みに入った初日。
太陽がゆっくりと地平に沈み、その光を弱めて空が真っ赤に染まり出す頃。
裏山へ入るための入り口に集まった僕等を見て、五山が皆を見回す。
「懐中電灯にカメラ、それと虫除けスプレーを持ってきたの……。」
高山さんは準備がいい。
僕は懐中電灯しか持ってきていなかった事を恥ずかしく思いながらも、虫除けスプレーを使わせてもらう。
僕もそうだが、皆“友達のウチに泊まって、夏休みの宿題を皆でやるんだ”と言って、五山の家に泊まりに行く事を親には伝えていた。
この探険の後でちゃんと勉強会をやる予定なので、嘘はついていない。
五山は夏休みに入る前にちゃんと調べたのか、洋館までの道筋を書いた手描きの地図を持っていた。
そうして五山に案内されて、早速裏山を登り出す。
入り口と言っても、地面は土が露出しており、何人もの人達が通ったのか踏み固められているだけの、まるで獣道のような雰囲気だ。
ただ、割としっかりと踏み固められており、飛び出た木の根等に足を取られることは無い。
途中、幾つか分岐があったが、五山が地図を片手に次々とその分岐を越えていく。
「何か、凄く暗いね。」
阿波ちゃんがボソリと呟く。
裏山を登りだしてすぐ、同じ事を感じていた。
木々が鬱蒼と茂り、すぐに懐中電灯を使わなければならないほど道は暗かった。
「その方が、ふ、雰囲気あるじゃん。」
五山が格好付けて阿波ちゃんに答えるが、その言葉は震えている。
「……もう帰った方が良いんじゃないかな?」
高山さんが周囲の音に怯えながら、阿波ちゃんにしがみ付きながらそう提案するも、阿波ちゃんの“大丈夫でしょ”という軽い言葉で一蹴されている。
僕も正直帰りたかったが、このまま帰ろうと言い出しても、高山さんのように一蹴されるか、また弱虫認定されるのがオチだろう。
せめて噂の洋館なり、その跡地なりを見ないことには、引き返しづらい。
段々皆も暗がりや森の音に慣れてきたようで、口数も少なくなりただ黙々と道沿いに登る。
「何だよ、全然何にも無いじゃんか。
もう疲れてきたなぁ~。」
30分も歩いただろうか。
案の定、飽きっぽい五山が音を上げ始める。
「まぁ、アレだよね、登った分だけ下りないと行けないんだから、ヘトヘトになる前に帰りたいな。」
ここだと思い、僕は然り気無く“帰りの大変さ”を伝える。
ただ帰ろうと言えばきっとムキになるだろうが、こう言えば皆も“帰り道”という考えが頭をチラつくはずだ。
「そうねぇ、迷子になっても面倒だし、これだけ歩いて見つからないなら……。」
「おい!あれ!?」
阿波ちゃんが引き返す気になってくれたその時、前を歩いていた五山が何かを見つける。
それに釣られて駆け出した僕等は、五山に近付いて彼が指差す方向を凝視する。
日も落ちて月明かりが周囲が照らす中、それはあった。
「あそこが……。」
言いかけて、僕は生唾を飲む。
月明かりの下、青白く照らされた二階建ての洋館。
年代物の筈で、もっとアチコチのガラスが割れていたり建物も崩れかかっていたりと、荒れ果てているのかと思っていた。
でも、遠目から見るその館はまるで誰かが住んでいて、今日はたまたま住人が留守だっただけのような、しっかりとした佇まいだった。
「よし、入ってみようぜ。」
「え、え、本当に入っちゃうの……?」
五山の言葉に、高山さんが狼狽える。
僕としても想像以上にしっかりした外観に、何となく“済んでいる人が居たら迷惑なんじゃ”と言うことを感じていた。
「ここまで来て、中見ないで帰ってどうするんだよ?」
「駄目だよ!」
五山が余裕の表情で中を見ようと提案すると、高山さんは彼女にしては珍しく強い口調で、拒絶の意思を示した。
初めて見せる彼女のそんな様子に、僕はおろか阿波ちゃんも焦っている。
「あー、じゃあいいよ、俺達だけで見てくるから、お前ビビってるならここで俺達を待ってろよ。」
五山が面倒くさそうにそう高山さんに言い放つが、高山さんはそれで良いと受け入れてしまった。
僕と阿波ちゃんはどうしようかと慌てていただけだが、“お前は行くよな”と言ってこっちを見た五山の気迫に押されて、五山の後を追う。
阿波ちゃんも興味が勝ってしまったのか、僕達に着いてくるようだ。
振り返ったときに、僕等を見送る高山さんの真剣な表情を見て、僕は何となく“あれなら大丈夫かな”と感じていた。
洋館に入る前に、小さな庭を通り抜ける。
庭の木や芝生は荒れ果てていて、よく解らない板切れなども転がっている。
改めてここが無人の館だと感じる事が出来た。
「オイ、この扉開いてるぞ。」
先を行く五山が正面の扉が開いていることを確認し、さっさと中に入る。
「あ、待ってよ!」
その後を阿波ちゃんが入り、僕も扉に手をかける。
「あ、そうだ、ええと、お邪魔します。」
何となく、両手を合わせてお辞儀をする。
自分でも変な理屈だと思ったが、幽霊さんがまだ住んでるのだとしたら、お家にお邪魔するのだから挨拶しておかないと、と、思ったのだ。
扉を開けて中に入る。
外から見たほどちゃんとした建物ではなかったようです、玄関にも建物の隙間からなのか、月明かりが微かに差し込んでいる。
右手には靴入れのような物があったのだろうが、それも崩れていて唯の板切れと残骸になっている。
左手には上に上がる階段がある。
正面の廊下もそうだが、どれも床や階段は砂と埃まみれで、先に行った2人の物と思われる足跡が点々と続いている。
「何だよ、何にも無いじゃんか。」
奥の扉から物音が聞こえる。
覗き込んでみると、そこはダイニング?と言うのだろうか、洋風の台所だった。
五山はアチコチを引っ掻き回し、何か無いかと探したようだが、どうやら徒労で終わったようだ。
阿波ちゃんが咳き込んでいる。
「ちょっと、あんまり埃を立てないでよ!」
[……で、……。]
「ん?ちょっと2人とも静かに。」
阿波ちゃんが五山を怒っているときに、何か声が聞こえた気がした。
2人とも僕がそう言うと、静かになり辺りを見回す。
3人で物音を立てないように静かにしながら辺りを見回しているとき微かに、また何か声らしき物が聞こえた。
「……上、じゃねぇかな?」
天井を見上げながら五山が呟く。
僕も同じ感想を持っていた。
何か声というか、機械的な音らしき物が天井側から聞こえる。
外から見たときに、確かこの建物は二階建てだった。
じゃあ、上の階が噂の幽霊達が居るという場所なのだろうか。
「上に行ってみるか。」
五山の提案に僕等は頷く。
ただ、阿波ちゃんがその後に言った“そうっと行って、不良や変質者がいたらそっと逃げる”と言う案にも、皆で同意した。
静かに玄関まで戻り、階段に向かう。
ギシギシと軋む階段の音が、僕等の緊迫感を高める。
ふと思う。
入り口から見たとき、砂や埃がかなり積もっていた。
僕も、二人分の足跡を辿って、台所に向かえたのだ。
今、階段についている足跡は先を行く五山と阿波ちゃんの物だけだ。
じゃあ、上の階にいる話し声の主は、どうやって移動しているんだ?
冷や汗が頬を伝う。
「何だよ、ビビらせやがって。」
二階に上がり、先ほどの台所の上に当たる部屋、そこを薄く開けた五山が中を覗き込み、そして呆れたように声を上げる。
その声に、“気付かれる”と焦ったが、手招きをする五山の後ろから部屋の中を覗き込み、理由を理解する。
[……までの、天気予報をお伝え致しました。では、続きまして〇〇地方の天気を……。]
ボロボロになった家具、剥がれかけた壁紙、床一面に散らばる木片や洋服の中に埋もれるように、古めかしいラジオが置いてあり、そこから音声が流れていたのだ。
電池も切れかけているのか、音も飛び飛びで、何を言っているのか部分的にしか解らない。
「なぁーんだ、幽霊のお喋りって、結局壊れたラジオがあるだけじゃん。」
阿波ちゃんも緊張が解けたのか、ため息と共に呆れた声で他に何か面白そうな物は無いかと室内の瓦礫や 重ねられた本などを手に取り、ひっくり返している。
その行為が周囲に埃を撒き散らしているのだが、自分がやると気にならないらしい。
「誰かが入り込んで、使えるかと思って電池でも入れ替えたんだろ。
あーあ、何だよ、期待して損したぜ。」
五山はサッカーボールを蹴るように、ラジオを蹴り飛ばす。
宙を舞うラジオを目で追いながら、違和感を感じる。
ここに来るまで足跡は無かった。
それどころか、一階も僕等の足跡しか無かった。
背筋を冷たい物が走る。
蹴り上げられたラジオは宙を舞い、壁紙の剥がれかかった壁にぶつかり、幾つかの破片と共に埃やゴミまみれの床に落ちた。
僕は見てしまった。
ラジオの裏側を。
そこにあるはずの電池が無かった。
破片として散らばっているわけでも、蹴ったときに吹き飛ばされているわけでもない。
そのラジオには、はじめから電池が入ってなかったのだ。
転がっているラジオは、太陽光で発電するようなタイプでもない。
その意味が脳に到達するまで、僕の中で数瞬かかった。
「こ、ここから出よう!すぐに!」
大声で2人に向けて叫ぶ。
僕の大声にビクリとした2人はこちらを向き、そして呆れ顔を作る。
「ちょっと、大きな声で驚かすとか酷いんじゃ無い?」
「そうだぜ、お前そんなにビビりだっ……。」
五山は最後まで言うことが出来なかった。
突然、ラジオが大音量でノイズが鳴り響き、意味不明な音を吐き出す。
[……ところにより天気は晴れ、一時的に首の骨が折れるでしょう。
次に、本日は午後から中心気圧が925ミリバールの議会で紛糾し、交通事故に遭遇致します。
誠に残念ですがご愁傷、ご愁、ご愁、ごごごご……。]
僕も含めた3人は、絶叫しながら部屋を飛び出る。
途中、僕を押しのけて五山が前を走るが、階段を降りきったところ、玄関の前で転んでしまう。
阿波ちゃんはそんな五山を飛び退いて避けると、玄関の扉に体当たりするようにして開けて、外へと飛び出す。
「た、助けて。」
僕は倒れた五山の腕を掴み、引き起こしながら2人で外に出る。
五山の腕を掴んだときに、僕は振り返ってしまっていた。
階段の上、二階部分に、髪を前に垂らし、顔が全く見えない女性が立っていた。
一瞬しか見てないはずなのに、何故かハッキリと見えた。
白いワンピースを着ていたが、胸元には茶色い乾いた染みがスカート部分まで広がっていた。
手すりを掴む手は黒ずんでいて、白い何かが見え隠れしていた。
今にして思えば、あれは骨だったんじゃ無いかと思う。
そして、首が、常人ではあり得ないくらい長かった。
その後はあまり覚えていない。
無我夢中で五山を引っ張り、先に外に出ていた阿波ちゃんと待っていた高山さんと4人で、裏山を駆け下りた。
「なん……で……?」
裏山の、僕達が登っていった入り口まで戻ってきたとき、その異様さに気付く。
夕日が今まさに沈み終わり、薄紫の空、まさに今から夜になろうとしていた空だった。
裏山を登って、あのお屋敷を探索して、先ほどの恐ろしい体験をして下りてきたのだ。
体感でも、もう深夜になっていてもおかしくない。
実際、あの館に入ったときは月明かりが照らしていたのだ。
「わ、悪ぃ、変なところ見せちまったな。
もう大丈夫だから。」
夕暮れの中で元気を取り戻したのか、五山がいつもの調子を取り戻し格好付けて立ち上がる。
「何か、凄ぇ体験したけど、結局大したことなかったな!」
強がりを言う五山だったが、皆の顔は暗い。
そのまま言葉も少なくなり、皆無言で五山のウチに向かう。
ただ、あんな事を体験した後で皆でお泊まりして勉強をする気にもなれず、結局そのまま解散となった。
僕も親には“五山が都合悪くなった”と言って、早々に部屋に入るとそのまま眠ってしまった。
それから数日は怯えながら過ごしていたが、“来年は会えないかも知れないから”という理由で、急遽夏休みの間お爺ちゃんの家で過ごすことになり、お爺ちゃんの家で夏を満喫しているうちに忘れてしまっていた。
夏休みが明け、憂鬱な気持ちと共に学校に到着する。
「おはよ~……?」
クラスに入ったとき、何となくクラスの空気が重い。
何かあったのかな?と考えながら席につこうとしたとき、五山の席がない事に気付いた。
「アレ?五山の席は?」
周りにいた奴に聞いても、知らないと答える奴と、微妙な顔をして答えない奴とで分かれる。
同じ班の阿波ちゃんと高山さんは、微妙な顔をしていた方だ。
不思議な顔をしていると、担任の先生が来たので、席につく。
「えー、新学期になったので、登校日にいなかった人もいるから改めて伝えますが、この夏休み中に五山君が交通事故にあい、ご家庭の都合でそのまま転校することになりました。
皆も車には注意して……。」
先生の言葉は、最後まで入ってこなかった。
幼稚園から一緒だった五山がいなくなったこと。
交通事故という言葉。
あの日の出来事。
その日の学校は午前中だけだったので、午後には帰れる。
帰り際、ランドセルに色々と詰め込んでいると、高山さんがそっと話しかけてきた。
「あのね、五山君ね、あれから少し変になっちゃってね、ずっと、“ラジオが聞こえる”って言ってたらしいの。
それで、ある時“ラジオがうるさい”って言って家を飛び出して、車にひかれちゃったんだって。」
それを聞いて、頭が真っ白になる。
僕にとっては夏休みの怖い体験程度の話だった。
もう既に終わった話だと思っていた。
「それとさ、怖くてあの時言えなくて、阿波ちゃんに話そうとしたら“その話は止めて”って言われたから、君に聞きたいんだけどさ。」
高山さんは怯えた表情で僕を見る。
僕は続きを促す。
「あの時、あの館から皆が出て来てからずっと、私達の後ろにいた白いワンピースの女の人、あの人は誰だったの?
五山君のお家に一緒に入ってきたから、五山君のお姉さんかと思ったんだけど……。」
僕はその言葉を聞いて、背中に氷を流し込まれた様な気分になる。
五山にはお兄さんが一人いたが、お姉さんはいない。
小さい頃から一緒に遊んでいたのだ。
アイツの家族はよく知っている。
僕等が体験したあの夕暮れは、どうやらまだ終わっていなかった。