ワイ、おっさん、綺麗な虹を見て咽び泣く
「隣の国が攻めてくる」
昔はそれなりだったおっさん。昔、事故を起こして悪役を被り、免許剥奪されて止む無く離職。
その時に拾った竜の子供と辺境でのんびりスローライフな日常をと決め込むが、そんな噂に踊らされ、慌てて本国へ向けて出発します。
やっと出発できましたが、雷雲に追いかけられて命からがら逃げ出す羽目になり、雨後の虹を見て年甲斐もなく泣き出すという、何とも情けないざまぁな展開です
あの父子を呑み込んだ雲は、急激に雷雲へと姿を変えた。
どす黒い。頭上の黒雲から、時折、閃光が輝く。ゴロゴロと雷鳴も轟く。
恐い。全身の鱗が逆立つ。頭上から、ビンビンと怒気と殺気が伝わってくる。
天地の怒りを買ってしまった。少なくとも今、上にある雲は怒っている。迷信だと嗤うなら嗤え。
「なんでだよ! おっさんだったら! おっさんだったら! 助けられるだろ!」
赤い子はまだ喚く。上の子や下の子もポカポカとおっさんを叩いて抗議する。
「…隊長勧告! 飛行妨害!」
上の子と下の子は即口を閉じた。身体を丸め、ピッタリとおっさんに密着する。
耳と頭と心に蓋をした。それよりも今は他の竜の子達だ。
おっさんは、昇ってきた竜の子達に下から近付く。落下傘を外すと次々と竜の子達を左右の翼先に連結していく。それなりに曲芸飛行だ。連結が全て終わる頃には、赤い子は黙っていた。目を廻しているらしい。
そこに仮免君と係官が近寄ってきた。
「どうします? 緊急着陸しますか?」係官が聞いてきた。
「…否認する! 滑空して早急に退避する!」断言する。
着陸してしまえば、今日はもう飛べまい。時間は貴重だ。渡航路が閉鎖されるまで72時間を切った。係官の誘導で北方面に翼を向ける。本国へと向かう航路だ。
「…現在の高度は?」おっさんは聞く。首を下げれば、隊形が崩れてしまう。
「え、えっと……その……」仮免君は慌てる。
「…地面の白い『ポッチ』の数は、何個見える? 大体で構わない!」おっさんは問い直す。
「誘導塔は、前方で18個、左翼側で5個、右翼側で7個が視認できます! やや西側に外れていると思われます!」係官が答える。
報告から高度を推計する。誘導塔は渡航路に沿う形で、幅72km、6km間隔で設置されている。
前方で18個視認できる。つまり見通し距離は100km超。高くても1000mか。
「…少し上を飛んで、隊形を見てくれないか?」おっさんは係官に頼んだ。
「標準隊形です!」係官は即答する。
所謂、逆V字型だ。このままでは飛んでも、渡航距離は100kmにも届かない。
「…隊長! 今日は、どちらまで飛びますか?」おっさんは仮免君に尋ねた。あくまで軽く。
「え、えっと……」仮免君は、次々と、寄港地の候補を並べる。
並んた地名は全て数百km先だ。あと数回は、旋回上昇と滑空を繰り返す必要がある。
普段はそれでいい。だが雷雲から逃げるという事は、この先の旋回上昇は見込めない。
そして相手は、竜の子達。離陸にも色々手間取った。
他にもツッコミ処は山ほどある。一方、ここで議論を始めれば、子供達が不安がる。
「…副隊長! 色々、提案がありましたが、どうしましょうか?」おっさんは係官に軽く聞いた。
「貴方でしたら、どちらまで?」軽く返された。即答だ。懸念が分かったらしい。
おっさんは、風に抗い、V字型に翼を拡げ、更に首を上に伸ばす。
風当りが激しくなる。鉛の中を飛ぶ感覚に変わる。無理な力が翼にかかる。鼻面に激痛が走る。唇がめくれ上がり、牙が丸出しになった。ここは根性だ。
やがて風は認めてくれた。腹を支えてくる。痛みが和らぐ。鼻先は痺れたままだ。
前を向いたまま、涙と鼻汁と涎を飛ばしながら再度聞く。
「…これで、隊形はどんな風に変わったかな?」何とか声になっている。
「大体一直線の隊形に変わりました!」気を遣ってくれている。
降下速度が、僅かだが穏やかになった気がする。せめて300kmは超えたい。
旅程は約2500km。本国は遥か彼方だ。
「…この隊形で、飛べる所まで飛んでみましょうか?」
「了解しました! 順次、最寄港を通過する計画でよろしいでしょうか?」
暗に不時着陸計画でいいかと確認された。緊急事態は宣言済みだ。誰も聞いてなくとも、問題は無い。
「…ええ。それがいいですね!」隊長の仮免君に決を採らせる。「…隊長! よろしいですか?」
「わ、わかりました! その計画で飛びましょう!」肚は決まった。
雷雲の陰が伸びる。遥か上空からおっさん達を覆い隠す。どんどん昏くなる。日暮れ後の様だ。
一際強い閃光が輝く。一瞬、真昼の様に辺りが照らされる。雷音も轟く。ほぼ同時だ。
「ひぃぃぃっ!」誰かが悲鳴をあげた。
湿った熱風が、後方下から吹き上がってきた。羽虫や土埃も混じる。青臭い。
一斉に昇降笛が鳴り出す。昇音だ。隊列が崩れる。一気に数百m高度が上がる。
眼下の地表を霧雲が覆っていく。あっと云う間だ。おっさんの眼下を超えた先で勢いを失う。
そして、めくれ上がり、舞い上がる。どんどん高くなり、雲の壁ができあがった。眼前は勿論、周囲を囲まれる。
背後の本体程ではないが、それでも、思わず見上げる程、高く、大きい。
灰色の雲塊が迫る。熱い追い風を受け、避けるに避けられない。昇降笛が五月蠅い。後1、2分程で突入だ。
思わず叫ぶ。「…総員! 安全姿勢をとれ!」前を向いたままだ。
「ねぇ! おっさん!」赤い子が聞いてきた。「あんぜんしせーって何!?」
唖然とした。そんなまさか。左右を振り見て確認する。
「なーに?」
「なにそれ?」
竜の子達は皆、無邪気だ。そして仮免君と係官の自信が無さげな顔が続く。
一方、上の子と下の子は、得意気だ。
「知ってるよ!」
「いまやってるー!」
縮こまり、おっさんにしっかり掴まっている。
これはダメかも知れない。遭難という言葉が脳裏をよぎる。
「…あー。皆さん! 翼の力を抜いて、楽な体勢をとって下さい! 絶対に風に逆らわない様に……!」
言い終わらない内に雲塊に突入した。安全姿勢をとる間もない。視界が奪われる。灰色の世界だ。
ごう。と風が舞い上がり、もみくちゃにされる。失速警笛も不規則に鳴り出す。
途端、一瞬視界が晴れる。昏い。雲の谷間だ。目の前に、更に大きな雲の壁が迫る。
そこに強烈な風が、昏い地表から突き上げて来た。
暴風だ。凍える程に冷たい。昇降笛が、一際大きい昇音で鳴くと、安全弁がポンと開いた。その後もボウボウと唸る。か細く、悲しげだ。
翼が限界まで膨らむ。畳むに畳めない。眼を開けてられない。瞬膜が閉じる。視界が濁る。強引に上に持っていかれる。
急に視界が開ける。背面から西日がかった日が射してくる。眩しい。
すると後ろから、どん。と何かに前に押し出される。雲を越えた。また空気が変わる。暖かく、穏やかだ。
あれほど五月蠅かった警笛達も鳴き止んでいる。
首元と頭上から、子供達の早鐘を打つ鼓動が伝わってくる。
上の子と下の子の頭に手を伸ばして、ポンポンと頭をゆっくり、優しく叩く。
「…もう大丈夫。もう大丈夫」繰り返し呟く。おっさん自身も息を整える。
恐々、辺りを確認する。散り散りになってはいるが、誰も脱落してしない模様だ。
皆、びしょ濡れだ。雫を飛ばしながら、お互いの酷い恰好を笑い合う。しりとりをする形で、点呼を取る。
気付けば、雲の壁を越えてしまっていた。九死一生だ。いや九死一笑か。
眼下には、淡い緑色の大地が広がり、真下には太い幅広の帯が見える。
濃緑の帯は、西北西へと真っすぐ伸びていき、白く霞む地平に消えている。
大河の様に見えるが、実は河川敷だ。その幅は大体18km。
大河はというと、緑の河川敷の中央で子供の悪戯書きの様にのたくっている。黒く細く煌めく。
白い綿雲が、その上を這うように、幾つも浮かんでいる。手の平に収まる程、小さい。
その中で、点の様に白く煌めく道標を探す。地平が白く眩く霞む。よく見えない。眼を凝らす。
少なくとも30塔は視認できる。見通しは180km超。高度は3000mを超えている。
いつもは見上げる綿雲を、今は見下ろしている。遥か下だ。
本当に高い。本当に久しぶりだ。
おっさんは、次々と竜の子達を回収する。隊列を組み直すと、仮免君と係官に近付いた。
「…隊長! 今日は、どちらまで飛びますか?」改めて聞く。
おっさんは、先程、仮免君が並べた地名と、その先の隣国の寄港地を並べた。
仮免君が並べた寄港地は、霞む地平の中に大体見える。圏内だ。
「そ、そこまで飛べるんですか?!」
「先程は無理だと言ってましたよね?」
これから日が暮れるまで、お支え風が吹く。何とかなる。
地平線のその先の向こう側まで、三角州の手前の第1調整湖まで飛びたい。距離は大体400km。
そこまで飛べば、空は東天気には変わるまい。
後ろから遠く、名残の雷鳴が轟いてきた。思わず鼓動がひとつ飛ぶ。皆の悲鳴と共に、組み直した隊形が崩れた。
振り返れば、あの恐ろしい雷雲も、あの雲の壁も、雨となり、風に流され、消えかかっている。遥か遠くだ。
そこに、左から日光が射してきた。暖かい。炎色がかり北西に傾きつつある。
「…みんな! 虹が見えるぞ!」
おっさんが、雲の壁だった雲塊の下を指す。子供達は目を見開いて歓声を上げた。
想像していたのよりも、ずっと遠く、ずっと大きく、ずっと綺麗だ。
子供達が本物の虹を見て歓声を上げる中、仮免君は、虹を探してあちこちキョロキョロ首を巡らす。気付かない。
「あれだよ! あれ!」
「そうだよ! おにーさん、きづかないの?!」
上の子、下の子が、虹の方角を教える。仮免君は云われた方角を見てもまだ分からない。
「あの丸いヤツだよ!」竜の子の誰かが言った。
「え、ええっ?! あの大きな輪っかの事?! っていうか虹って真ん丸なの?!」ようやく気付く。
皆が大笑いしている中、赤い子は独り身震いしていた。
手元には血濡れたおっさんの大きな鋭い爪がある。自分の両手を合わせてもまだ余る大きさだ。
血は既に乾き、どす黒く黄変し、それでも独特の光沢を放っている。これが先程までおっさんの指に付いていたのだ。
おっさんは、自分の荷物から絆創膏を出して爪の応急手当をしながら、色々指示出しをして、平然と飛んでいる。
おっさんの云われた通りにして、アイツ等は墜落した。
おっさんの云われた通りにして、自分は助かった。
そして、おっさんの云われた通りにしなかったばかりに、あの子は虹になってしまった。
このおっさんは只者ではない。地味に凄い。本当に凄い!
赤い子は、じっと大きな丸い虹を睨みつけた。
「…綺麗だろう? だから、もう泣くな」
おっさんに云われて、赤い子は泣いている事に気が付いた。
「…あの子は綺麗な虹になったんだ」おっさんは奥歯を噛み締め微笑んだ。
今まで一体どれだけ殺してきたことか。
装備品の点検不良や使用誤りに始まって、雲の選定誤り、風の読み違い。
天気図の妄信に、先輩、副官、同僚の助言の絶対視、誤伝達に早とちり。
地上では嗤い話で終わる些細な事も、空の上では即命取りになって振りかかってくる。
誰が悪いか、何が原因だったのか。そんな事で揉める暇はない。
全て引っ括めて自分の責任だ。
「…だから泣くな。誰のせいでもない。あの子は虹になって、幸せになったんだ」
赤い子は、泣きながら、感動と、悔しさ、悲しさ、怒りが入り混じった顔で、まだ睨んでいる。
おっさんも泣きたくなった。
…お待たせしました。
まだまだ不慣れですので再投稿が多々あるかもしれませんが、ご容赦を。
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