ワイ、おっさん、遭難回数を自慢する羽目になり咽び泣く
「隣の国が攻めてくる」
昔はそれなりだったおっさん。昔、事故を起こして悪役を被り、免許剥奪されて止む無く離職追放。
その時に拾った竜の子供と辺境でのんびりスローライフな日常をと決め込むが、そんな噂に踊らされ、慌てて本国に帰国しようとします。何とか出発できましたが、早々に救難信号を目撃してしまいます。渋々救援に向かいますが、それは竜の子達を率いた仮免君でした。仮免君が、なかなか緊急事態を宣言しないので、おっさんは仕方なく遭難回数を自慢する羽目になり、色々ざまぁな展開で泣きたくなります。
おっさんが己に負けて、仮免隊長を助けに向かおうと高度を下げ始めた頃、あの家族の一行が、やっと昇り風を掴み、旋回上昇を始めていた。
何周か巡り、ようやく港の建物の高さを超えてきた。高度は約240m。
それでも眼下には、白い石灰岩で覆われた港の建物しか目に入らない。
その中心にある煙突口からは、昇り風を導く白煙が絶え間なく噴き出ている。まるで世界樹の様に太く高い。
離陸時では、下からは、か細く見えていた白煙だが、こうやって近付いて見ると巨大だ。むんとした熱気が伝わってくる。吸い上げる力も強い。
その白煙の柱を巡るように更に高度を上げていく。
そんな中、妹の子が母親の背でポツリと言った。
「……やっぱり、おとうさんがいい……」
兄の子は、ドキリとして父親の背から首を出す。
「いいんだ! お前は首から離れなくていい!」
「いいよ。ぼく、とべる!」
兄の子は父親の首から離れ、独力で飛び始めた。
白煙の柱に巻き込まれると危険だ。
火傷は勿論、乱気流で、もみくちゃにされた挙句、何処でもない空へ吹き飛ばされてしまう。
「ほら見なさい! ちゃんと飛んでるじゃない!」母親は得意げだ。
「なんだと?! 離陸時に子供を平気で空に放り出す親が、どこにいるんだ!!」
強い吹上げが、突風の様に吹いた。
兄の子はその場でぼろ雑巾の様に、一回転した。羽ばたいて体勢を整える。
「あ、危ないっ!」すぐに父親が翼を広げて真下に回り込んだ。「ほら、お父さんの首に捕まりなさい!」
それでも羽ばたくのを止めようとしない。
「いいよ、いいよ! おとうさん。いもうとをおぶってやって! ぼく、とぶ!」
途端、妹は顔をピタっと伏せて、母親の背の上で寝ているフリをした。
「ほら、無理は止めなさい! ほらほら、お父さんの首だよー!」
「そうやって、あんたが、お兄ちゃんばかり可愛がるから!」母親は憎らしげに吐き捨てる。
「この子が本当に可哀想!」
兄の子は、恐る恐る母親の所へ飛んでいった。
「いいから、あっちに行きなさい! あんたなんか要らない! お父さんに、可愛がってもらいなさい!」
と払い除ける。
「なんだ! そういうお前は、妹ばかり可愛がるんじゃないか!」
「そうです! この子が可哀想じゃないの! あんたの所に行こうとすると、お兄ちゃんが先に行くのよ! だから私は……!」
やっぱり。だめだ……。ぼくってやっぱりいらない子なんだ。
ぼくがいるばっかりに、おとうさんも、おかあさんも、けんかばっかりしている……!
おとうさん。ごめんね。おとうさん。
さようなら。やっぱりぼく。よその隊にいく。
両親共に喧嘩に夢中で、兄の子が静かな決心をしている事に気付かなかった。
「ばいばい」兄は妹に別れの挨拶をした。
「ばいばい」妹は笑って答えた。
兄の子は、まっすぐ降下を始めた。
その頃、竜の子達を引き連れた、仮免君と係官が堂々巡りの議論を繰り返していた。
「で、でも……離陸直後に緊急事態宣言なんて!」
「貴方! 無事に引率できるんですか?! これ幸いです! 宣言しましょう!」
「で、でも……なんて理由を付けたらいいか分からない!」
「何だっていいじゃないですか! 悠長な事を言っている場合じゃないでしょう?!」
そんな中、上から甲高い不協和音が徐々に近づいてきた。昇降笛と失速警笛だ。
「わーい!」
「きもちいい!」
「一体、何するのよ! 墜ちる! 墜ちる!」
子供の嬌声と、女の叫び声も同時に聞こえてくる。
仮免君と係官はギョっとして見上げた。大きな陰が迫ってくる。
大きな翼を広げ、お腹に別の誰かを張り付けた男が降りてくる。おっさんだ。
おっさんは、接触するかしないかというギリギリの場所で急制動し、並走飛行の体勢に移った。
同時に強い抑え風が巻き起こる。仮免君と係官はバランスを崩した。危うく地面に叩きつけられそうになる。
おっさんの腹から「ぐぇ」と蛙の声の様な呻き声がした。
「…失礼!」おっさんは話しかけた。「どうしたんですか?」その声は場違いに朗らかだ。
「おっさん、助けてくれよ」仮免君は、地声ではなく、近くにしか届かない本声で言った。
「…救難要請ですね? 緊急事態は宣言されたんですか?」おっさんは微笑んだ。
「いいえ」係官が冷たい目で仮免君を睨む。
「…誤報ですね? 失礼しました。よくある事です」おっさんは爽やかに笑った。
そして、その場を離れて、旋回上昇を始めようとする。
「お、俺達を見捨てるのかよ……!」
仮免君は慌てて引き留めようとした。
…なかなか見どころはある
彼は「俺」ではなく「俺達」と云った。一応、隊長としての自覚はある。
「…そうでしたら、宣言しないといけませんね?」おっさんは笑顔をしかめて言う。
「せ、宣言って……何だよ……」まだまだ煮え切らない。
「緊急事態宣言です!」係官が仮免君を睨んだ。
「…まずは、宣言する! 後の説明は、ぐちゃぐちゃでいいんだ!」
本物は、教科書みたいに格好良くなんかない。
内容なんて全然まとまってない。取っ散らかっていて、みっともなくて、慌てていて、恰好悪い。
おっさんは、何度も間近で聞いてきた。虚空に消えていく絶叫も。
「き、緊急事態を宣言します……おっさん、助けて下さい……」ポツリポツリだ。
「…気持ちは分かるが、救難要請は地声でやる!」おっさんはつれない。
仮免君の表情が目まぐるしく変わった。
今回の渡航の評価・査定、今後の昇格・昇進。そして何より怖い、案外狭いこの業界での評判。
冷静になって考えれば、命や安全より大事なモノはない。評価にしても、小鬼の件で十分に傷ついている筈なのに、この期に及んでも気にしてしまう。
おっさんにも丸分かりだ。身に覚えがあるだけに、見るに堪えない。若い頃はそれは一大事だった。それが今では全て黒歴史だ。
宣言には、まだまだ時間がかかりそうだった。
その上空で、あの親子達の父母が兄の子がいなくなった事に気付いたのは、更に2周程廻った後だった。
「おい?! お兄ちゃん?! 何処行った?!」
「ひ、避難地点じゃないかしら?」
「知っているのか?!」
「え?! あ、あんた、教えていたんじゃなかったの?!」
「教えてないよ!」
「嘘です! 私、見てたもの! いつだって、お兄ちゃんだけ! 可哀想じゃないの!」
「何だっていうんだ! お前が面倒を見ないから!」
「ちゃんと面倒を見てます!」
「嘘付け! 俺が代わりにお兄ちゃんを見てるんだよ!」
「いいわよ、私はこの子の面倒を見る! あんただけ、あの子を探してくればいい!」
「それでも、実の母親か?! 冷めたい母親だな! 血の通ってないっていうか、何ていうか……!」
母親は煽る。
「はやく、行きなさいよ! そうでないとあの子、本当に死んでしまう!」
「この! 行ってくるからな!」
母親は更に煽る。
「ああ、いってらっしゃい! もう、二度と戻って来なくていいです!」
父親は母親の誘惑に負けてしまった。
「この尼!」
上空から母親の頭に何度も襲いかかり、爪で引っ掻く。
「……痛い! 痛い! あはっ! あははっ! こうしてる間にも、あの子、死んでしまう!」
「畜生っ!! 覚えてやがれ! 俺だけで探してくる!」
母親は娘をおぶって、しばらく黙ってその場を旋回していた。
「ああ、痛かった。でもお母さん、何ともないからねー!」
と引っ掻き傷だらけの顔で言った。全く無表情だった。笑顔はなかった。
母も娘も泣いてはいなかった。泣きたくても、泣きたくはなかった。
重苦しい空気。
「……おかあさん……」
返事はない。
何とか雰囲気を変えようと、母親を慰めようと、妹の子は一生懸命の言葉を探した。
「おかあさん。おにいちゃん、いなくなってよかったね!」
「何て事言うの?!」
無表情だった母親の顔がどんどん蒼白になっていく。
「え? どうして? だっておかあさん。おにいちゃんのこと、いっつも『いらない子』だっていってたじゃない!」
妹の子はどうしてなのか全く分からなかった。
「い。いらない子じゃなくって、お兄ちゃんがいなくなるの。見てたの?!」
「うん。ずっとみてた。ばいばいって」
「いつ?!」
「けんかをはじめ……」
「あれは喧嘩なんかじゃないの! いい? あれは何でもないことなの! で! どこに行ったの?!」
「した」
「下?」
「うん。つばさをたたんで、おちてった」
必死でニッコリと笑った。
「あのね、おにいちゃん。いらない子なのに、ないてたよ」
妹の子は母親を励ます言葉を一生懸命探した。
「でもね、わたしね、かわいそうなのに、わらったの! えらいでしょう!」
妹の子の顔は逆光でよく見えない。
黒い頭に口だけが大きく開閉し、中から赤い舌と白い小さな牙が並んで見える。
まるで砂漠に住む大ミミズが、口を大きく開いて獲物を喰らう時の様な表情だった。
一方、仮免君は、まだ宣言をしていなかった。
おっさんは口出しをしない。そのまま一緒に平行飛行して周回する。
管制はダンマリだ。本来なら誘導係が駆け付けるのだが。
周回している間に、係官と一緒に、竜の子達の様子を確認する。
高度は約70m。眼下には、白い石の斜面が拡がっている。照り返しが酷い。眩しくて誰が飛んでいるのかよく分からない。
黒、青、黄、茶、緑、白、紫。どの子も、かなり疲れが溜っている。白い斜面は手を伸ばせば届きそうだが、やってはいけない。頭から突っ込んで堕ちてしまう。死ねるには十分な高さだ。誘惑に負けないか、とても心配だ。
一通り確認を終えて、係官と今後の方針について、一旦、避難地点に降ろすか、それともこのまま上空へと誘導するか、色々話し合っていると、下の子が、おっさんの頭上から声をかけてきた。
「たいちょー あのこが、いないよ?」
「…あの子って?」
「レンズ玉を壊した、あいつだよ」むっとしながら上の子がおっさんの首元から答えた。
「本当かい?!」係官は動揺した。あちこちをきょろきょろして確認しだす。
…赤い子の事か
あの子は飛ぶのが巧そうだ。もっと上を飛んでいるのかも知れない。それとも、もう堕ちてしまったのか。
おっさんも一緒に、あちこち首を向けていると、仮免君が話しかけて来た。不安気だ。
「お、俺、これから、どうなるのかな?」
おっさんは一度口を閉じた。言いたい事は山ほどある。全部呑み込んで、微笑みかけた。
「…翼に余計な力が入ってますよ? まず力を抜きましょう!」
「ず、随分余裕なんだな?」
「…ええ、経験豊富ですから」
「さ、流石だな。凄いや」
「…ああ、凄いだろう?」おっさんはニヤリとした。「…唯一の自慢さ! 遭難回数なら誰にも負けない!」
子供達が無邪気に声を上げる。
「たいちょー! すごーい!」
「そうさ! そーなん かいすーが すごいんだから!」
子供達はよく分かっていない。折角決めたおっさんのしたり顔が崩れた。
仮免君は大声で笑い出した。やっと吹っ切れたらしい。
-き、緊急事態を宣言します!……き、救助を要請します!
もうどうにでもなれ。ようやく震える地声で宣言した。
…よく言えた! 君、最高に格好いいよ!
おっさんは泣きたくなった。
まだまだ不慣れですので再投稿が多々あるかもしれませんが、ご容赦を。
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m(_ _)m
さて、次のお話は…
「ワイ、おっさん、一度に二兎を追おうとして咽び泣く」
…です。