徳について押し付けがましく奉り候
徳ってご存じですか?
いいことをすると、たまっていくって言われてるやつです。
徳を積みなさいとかよく言うでしょう、あれあれ。
徳って目には見えないでしょう?
だからね、皆さん勘違いしやすいみたいで。
ああ、自己紹介が遅れました、私、人のふりをしているものです。
人は現実の世界で人生を歩んでいらっしゃるので、徳というものにお目にかかることは、通常ございませんね。しかし、狭間に在する私には、よく見えるのですよ。
人はいろんな生き方をしますね。
自由に生きていますね。
やりたいことができない人生を嘆くという、自由な人生を歩んでいますね。
難しい事、私言っていますかね?
人は自由に、思うままに生きているのです。
その結果として、何かを積み重ねているのですけれども。
良いことをしたらよいものが積み重なりますね。
悪いことをしたら悪いことが積み重なりますね。
そういうもんなんですよ。
けれどね、どうしたことでしょうか、このところ意味不明な事態がボチボチあるんですよね。
いい人のふりをしている人。
悪い人のふりをしている人。
人は増えすぎてしまったのでしょうかね。
素直でない人がたくさんいるのでしょうね。
自己満足に自分の好意を押し付けて、悪いものが積み重なったり。
悪いやつのふりをして誰かの人生を輝かせたら、いいものが積み重なっていたり。
何をしても、やった結果はすべて人に積み重なっていくのであります。
人のふりをしておりますと、積み重ねられたものが、はっきりと見えてしまいましてね。
悪いことをする人はおりますね。
良いことをする人はおりますね。
いわゆる徳は、積み重なってはいるのですが、形が不安定といいますか。
形は人それぞれでございます。
お金のような、宝石のような、そういうものに形を変えて、譲渡が可能なんですね。
普段は人に積み重なっておりますが、渡す場面で、渡す形になるのですよ。
徳は人の体が朽ちても消えぬもの。
魂の持ち物といってもよろしいですね。
この世で積んだものは、魂になったところで消えるようなものではございません。
そんな徳ではございますが、使いどころがいろいろとございましてね。
有名なのは、三途の川の渡し賃でしょうか。
六文銭?ああ、それは徳がお金の形になったんでしょうね。
もってないと、成仏できないとかなんとか。
私は成仏を目指したことがないので、それが本当なのか確かめることはできませんけど。
あとは狭間の住人との交渉に使えたり?
迷い込んだ時に渡せば、助けてくれるかも?
使いどころが非常に難しいですが、運を呼ぶことも、できるようですよ。
徳を貯めることができたのであれば、運は呼べますけれどもね。
徳を貯めようとして、悪いものを積み重ねている人が、余りにも多かったりする現状ですね。
運を呼べずに、魔を呼んでしまうことが、非常に多かったりするわけなんですけれどもね。
また恐ろしいことに、徳ってのは非常に繊細だったりしてね。
ちょっとしたことで、ふわりと昇華してしまうんですよ。
徳は大変に束縛を嫌うのですね。
徳を積もう積もうと執着すると、ふわりと昇華してしまったり。
徳を使わなければいけない場面で手放さないと、ふわりと昇華してしまったり。
徳もまた、自由気ままなのですね。
消えてしまうくらいならば誰かに渡した方が、違う徳となって帰ってくるのに、もったいない話だと思いますよ。
おや、夕方の、長い影が伸びる時間となりました。
この長さならば、私の影が少々いびつであることを隠せますのでね。
人の中に、紛れてこようと思います。
私はね、徳にはあまり興味がないんですよね。
だからあんまり、徳については詳しくないんですけどね。
ちょっとだけ、知ったかぶり?
いやいや、押しつけがましいことをしてみたんですよ。
…ほら、悪いものが、少しだけ湧いて出た。
ぱくり。
私ね、魔、悪、そういうものが、大好物なんですよ。
最近は徳のフリした偽物が大変多く見受けられましてね。
私、食らい過ぎて、ほら、見てください、このおなか。
たまに悪いモノだけ食べたつもりで、魂までかじっちゃったりしてね。
いわゆる偉い人から怒られちゃったりしてるんですけどね。
ごめんなさいって素直に謝ったら、案外許してくれるもんなんですよ。
謝る事ができる事すら忘れてしまった人には、難しい話かもしれませんけどね。
じゃあ私は。
謝る事前提で、腹いっぱい、食べてこようかな。
おや。
あなた。
あなたの積んでいるものは…。