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第09話 投資家

 空売りを半分返済してからしばらく経つと、徐々に逆日歩が減り始めてきた。


 恐らく空売りをしてきた他の投資家も徐々に撤退を始めたのだろう。なんとかマシな数字になってくれたおかげで、残りのポジションを手放さずにすんだ。もし、逆日歩が更に増えていたら俺も完全に撤退していただろう。


 あの時手放さければという考えは頭をよぎるが、今更言ったところでどうしようもない。少なくともここから再度空売りを増やすことに踏み切れない以上、もう後は見ているだけだ。


 そして、毛矢ホールディングスが中国事業の縮小を伝えるプレスリリースを発表した。事業縮小とあるが、実際にはほぼ撤退である。営業活動も休止、既に受注している案件の処理と、債権の回収をするためだけの部署が残ることになる。


 これで毛矢ホールディングスの中国事業は完全に終わった。あれだけ成長事業と持て囃されていたのに、最後にはこのような結末になると思っていた人はどれだけ居たのだろうか。もっと早くから中国事業が怪しいことに気がついていた人はいただろう。しかし、そこで空売りしても株価は上がり続けており、損失を出して終わっていたはずだ。


 俺ももっと早くから空売りを始めていたら、恐らく株価の上昇と逆日歩で耐えられなかった可能性が高い。また空売りの返済期限が来て、強制的に終わらされていたかもしれない。儲かったかどうかの違いはタイミングの差でしかなく、いつかはバレるがそのいつかを当てるのが難しいという平井さんの言葉が思い浮かぶ。


 



 数週間後、毛矢ホールディングスは正式に民事再生法適用のプレスリリースを公開した。また、合わせて上場廃止についても明記され、これで全てが終わった。後は上場廃止になるのを待つだけである。


 そこから毛矢ホールディングスの株価は連日のストップ安。結局寄り付いた時の株価は50円付近と、俺が空売りを始めた時の株価1500円からすれば1/30という水準になった。


 その後、毛矢ホールディングスの株はマネーゲームが始まり、上場廃止の日まで上下を繰り返すことになる。俺は寄り付いてから早々に撤退し利益を確定した。最後の最後まで引っ張るという選択肢はあったが、逆日歩等を考えれば最早これ以上続けたところで得られるものもなかった。


 結局、毛矢ホールディングスの最後の株価は17円。時価総額にして僅か2億円程度と一時の勢いが嘘のような最後だった。


 救いと言えば、国内事業の子会社の引き取り手がいたことだろう。スポンサーとして事業再生に協力してくれるところがいたため、それらの従業員は引き続き働けることとなった。どちらかと言えばお荷物扱いだった国内事業が評価されたことは皮肉といっていいだろう。



「こんな感じでさ、いやーようやく終わったわ」


 いつかと同じくカフェで司とコーヒーを飲みながら、半年以上に渡る戦いの経緯を話していた。大まかなところを掻い摘んで話したが、改めて振り返ってみるとなかなか酷い話だった。


「凄い話だな」

「自分でもそう思うよ。ところで、なんで急に今日は呼び出したんだ?」

「LINEとかでやり取りはしてたけど、時間を追うごとにお前の様子がヤバくなってたからだよ」

「......そんなに?」

「そんなに。追い詰められてる感じが凄かった」

「......」

「まあ、でも片付いたなら一安心だな」


 思わず自分の顔に手をあて、何か変わってないかあちこちを触ってしまう。痩せたのは事実だが、目の隈等とセットで見れば確かに酷い有様かもしれない。


「ご飯はちゃんと食べてるのか?」

「最近は食べられるようになった」

「危なっかしいなぁ......」

「まあ、しばらくはゆっくりするわ。株もあんまり見ないようにして、自堕落な生活を送る」

「そうしておけ。休みも取り放題だろうし、温泉に1週間くらい浸かって来たらいいんじゃないか」

「それもいいな」


 俺はコーヒーとモンブランのセットを頼んでいたが、しばらく前まではこんなものを食べようものなら吐いていただろう。それからすると体はかなり回復してきている。


「隆史はさ、このままずっと投資で食っていくのか?」

「なんだよ急に。就職先なんてないし、そのつもりだけど」

「いや、そうでもないぞ」

「というと?」

「お前企業調査とかやってるだろ? あの知識と経験ってかなり貴重なんだよ。お前の場合は上場企業の知識もあるしな」

「そうなのか? 大手企業とかなら結構いるんじゃないの?」

「そうでもない。大体皆自分のやってる狭い範囲しか知識がなかったりするし。俯瞰的にものを見れる人間や、競合他社の分析ができる人間は思っている以上に少ない」

「なるほど」

「だから、お前みたいな知識・能力のある人間は必要とされてるし、その気だったら普通に就職できるぞ」



 思いがけない方向から非常に魅力的な提案が飛び出してきた。正直、今回の件で体と精神はボロボロになったし、この先何回もこれを味わうというのは恐怖でしかない。それに今回は勝てたが、もしかしたら次で負ける可能性だってある。ただそうだとしても。


「......ありがたい話だけど、止めておくわ」

「どうしてだ?」

「もう投資から離れられないから」

「......」

「株ってさ、真面目にやろうとすれば1日中チャート見てたりすることになるし、株価が上下すると嫌でも感情が揺さぶられるわけ。だからしんどいのは事実なんだよね」

「それなら」

「でも、もう止めるって選択肢はない。最初はお金目的だったんだけど、もうそれだけじゃない。今は投資を通じて、自分の正しさを証明したいって気持ちの方が強いんだよ」

「働きながら投資をやるって選択肢もあるぞ」

「そうなんだけど、お前ならともかく俺はそんなに器用じゃないからさ」


 これだけボロボロになっても、もう投資からは離れられない。最初の切っ掛けはただお金が欲しいからだった。そこから就職に失敗して、専業投資家になったのは他に選択肢がなかったから。


 でも今は違う。毛矢ホールディングスの件ではっきりした。自分は投資を通じて、自分の考えの正しさを証明することの楽しさにハマったのだ。


 散らばるピースを繋ぎ合わせ、出てきた結論に資金を投じる。途中酷い目にあったりもするが、最後に勝利を得た時のあの感覚を味わうためならなんだってする。こんな俺が普通に会社で働きながら投資をするとか、そんなことができるとは思わなかった。



 そのまま司とダラダラ喋り続け、適当なところで切り上げて解散する。


「隆史、今日は俺のおごりだから」

「何で? 宝くじにでもあたった?」

「いや、お前のおかげで懐が温かいからさ」

「何かした覚えはないけど」

「以前、ここのカフェで投資の話してくれただろ? あれが切っ掛けで俺も株を初めてみたんだよ」

「まじかよ! 何で言ってくれないんだよ!」

「こうやって驚かせるためだよ。株って面白いな。企業の調査していると普段の仕事にも役立つし一石二鳥だったぜ」


 司がニヤニヤ笑いながら伝票を取り上げる。色々話を聞いてきてたのはそういうことだったのか。クッソ、俺が苦しんでいる間にこいつは株で儲けながら仕事に活かしてるとか、これだから有能な奴は困る。


「お前に株や企業調査のことを教えて貰って稼いだわけだからな、これくらいは安いものだよ。それにお前も言ってただろ、投資とリターンだよ。これからも頼むぜ」


 そういって司は席を立ち、レジに向かっていった。





 司と別れ電車に乗る。とりあえずしばらく株はやらない見ないと決めたが、かといってどうするかアイデアは思い浮かばなかった。旅館に行って温泉に浸かりながら、積んでいるマンガやゲームを消化したりする自堕落な生活を送るのは魅力的だが、さてはてどこに行こうか。


 そんなことを考えながら暇つぶしにTwitterを眺めていたところ、決算発表に対するツイートがやたらと目にとまる。


「そういえばそろそろ決算シーズンか」


 そのままTDnetを開き、一番上にあった企業の決算短信を開く。そして気がつく。


「ついさっきまで株は見ないって言ってたのに......」


 思わず崩れ落ちそうになる体を必死に支える。あれだけ言っておきながらこの体たらく。恥ずかしくなるどころか、ここまで来たら呆れるしかない。


 ため息をつきながら、司に言ったことを反芻する。もう以前の自分にはもう戻れないということを痛感してしまった。


 膨大な資料をかき集めて精査し、様々な情報を繋ぎ合わせる。夜中までチャートを眺め、海外指数の上下気になり寝るのも遅くなる。いざ株を買ったら今度は含み益や含み損で一喜一憂。儲かるならともかく、損で終わることだって珍しくもない。


 傍から見れば頭がおかしいと言われても仕方がない。


「それでも投資が好きなんだよなぁ......」


 流れていく風景を眺めながら、あの大きなビルを作ったのはどこの会社だろう、建設費用はいくらくらいだろうと考え出す。自分のどうしようも無さを受け入れるしかなかった。





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