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第08話 債務超過

 その日、毛矢ホールディングスは中国事業の調査結果を報告した。


 内容は、中国子会社は架空取引そのものは行っていなかったが、不適切な与信管理が横行していたため、今回その体制を修正する必要があるという記載だった。


 成長事業として扱われていた毛矢ホールディングスの中国子会社は、実質取引というものを行っておらず、単に取引先間の金策支援を行っていただけだったことが判明。指定された取引先から物品を仕入れ、それをそのまま顧客に提供するだけ。実際に物流に関与することはほとんどなく、出荷や入荷にも立ち会うことはなかったという。


 毛矢ホールディングスの取引先からすれば、中国子会社を利用することで資金繰りを上手く回せるようにしたり、それこそ架空取引を作り出すことができる。中国子会社はそれに利用されたというのが実態だったというわけだ。そして積み重なった売掛金はいつまで経っても支払われない。


 また、中国子会社トップが親族の会社を利用して循環取引もどきを行っていた。親族が経営しているA社から商品を仕入れ、それを同じく親族が経営しているB社に販売する。しかし、B社はその後A社に商品を戻す取引を行っており、A社と中国子会社で売掛金の残高の認識が大きく異なっていたということである。



 せめて与信管理だけでもまともにやっていれば話は違ったのだろうが、売掛金の限度額を大きく超過しているにも関わらず取引が止められず、あまつさえ支払い期限の延長も誰が決済したのかすら不明という有様だった。


 直近の与信管理に関する会議でも全く触れられていないという不自然さで、売掛金が積み上がっていくのを誰も止めなかったらしい。また、担保の取り扱いもおかしく、取引保険もまともに機能していなかったという、商事と名乗るには恥ずかしいレベルの事業体制が露呈した。


 総括すれば、会社としてやるべきことをろくに行っておらず、成長事業と言われたものはただのハリボテ。かろうじて物品が動いていたので架空取引ではないが、このような不適切な取引が生じやすい環境を放置し続けたのは怠慢以外の何物でもない。積み重なった売掛金もどこまで回収できるかという内容だった。


 以前毛矢ホールディングスがプレスリリースで発表していた、懸念されていた重大な事実はなかったというのは、この意図的な架空取引を行っている証拠がなかったという話だったようだ。架空取引を行っていたかどうかで責任の大きさが変わるため、そこだけは何としても逃げ切ったという話だろう。


「どう考えても会社として粉飾に手を染めてたと思うけど、このしらの切り方は凄いな」



 しかしながらこの報告書に合わせて、毛矢ホールディングスは460億円近い貸倒引当金を計上し、過去の決算短信を修正。これだけの大規模な特別損失に耐えられるわけもなく、結局230億円近い債務超過に転落し、そして継続企業の前提に注記事項がつくことになった。


 継続企業の前提というのは、その企業が将来にわたって存続し続ける前提のことで、要はいきなり倒産する可能性はないという暗黙の了解のようなものである。そして今回、その暗黙の了解が崩れそうになっていることが明記された。


 毛矢ホールディングスは債務超過に陥ったため、このままでは倒産することになる。少なくともどこかから融資を受けるなりしないと助かることはない。しかし、これまで借入を増やし続けており、その上売掛金の回収が危ぶまれているような企業に融資をする金融機関はそうはいない。


 つまり、何もできなければ倒産などで上場廃止になるということだ。





 翌日から毛矢ホールディングスの株価はストップ安を続ける。圧倒的な売りが出たことで、売買が成立しないまま何日も経過していく。


 結局、取引が成立した時の株価は400円。プレスリリースの発表前の株価が1500円だったことを考えると、ほぼ1/4に暴落したという計算になる。


 それは、ようやく俺の空売りの報われる日が来たということだ。


「逆日歩を入れても2000万円を超える含み益。......長かった、本当に長かった」


 会計処理の見直しで大幅な減損に加え、まず助からないであろう額の債務超過。会社が主導した粉飾ではないという点は予想外だったが、逆日歩を計算しても大幅な含み益。ほぼ完全な勝利と言っていいだろう。


 しかし、今手にしているのは勝利感ではなく、どうしようもないくらいの疲労感だった。半年近くに渡る空売りや株価の上下、逆日々の支払いにより精神・肉体両面でボロボロになっていた。


「ここまで来たら後は上場廃止になるのを待つだけなんだけど......」


 普通ならこのまま空売りを保持し続けて上場廃止になるのを待ち、株価が10円レベルまで落ちるのを待ってから利益を確定するところだ。しかしながら、そう簡単に株価が落ちきらないケースはこれまで散々見てきた。


 上場廃止が決まった株ですら取引が成立し、上場廃止になる直前まで株価が大きく上下する光景はありふれたものだ。結局の所、株価は株を買おうとする誰かがいる限り上がるのが株式市場である。マネーゲームと呼ばれるのも致し方なく、上場廃止が決まった企業の株価が底値から5倍になったりするのは悪い冗談のようである。


 また、空売りを続ける上で大きな問題が存在した。それは遂に逆日歩が10円近くにまで到達したことである。現在俺は毛矢ホールディングスの株を4万株空売りしている。そこで逆日歩が10円ということは、毎日40万円の損失が発生するということである。

 もちろん逆日歩は毎日変動するため、常に40万円を支払うわけではないが、それでも精神的なプレッシャーとしてはかなりきついものがある。


「毎日40万円も損し続けるって嘘だろ......」


 今回の下落に伴い毛矢ホールディングスの空売りはかつてない規模に拡大。その結果、逆日歩も見たことがない数字にまで増えてしまった。このまま株価が動かないようであればこの損失が発生することになり、もし逆日歩が更に増えるようであれば今の含み益が消し飛ぶ可能性すらある。


 そして状況は更に混乱していく。






 数日後、毛矢ホールディングスのメインバンクである福井商業銀行が救済に乗り出すというニュースが流れる。ただ、これはあくまでも正式な発表ではなく、新聞が流した観測報道だ。当日中に福井商業銀行と毛矢ホールディングスの両社から、内容を否定するプレスリリースが発表される。よくある飛ばし記事と言ってもいいだろう。


 しかし、株式市場の反応は違った。毛矢ホールディングスの株価は大きく上昇。結局数日後には600円近辺で推移することになる。



 含み益が減り、逆日歩の支払いは厳しくなる一方。ここからもし本当に救済が行われるようであれば、株価は更に上昇するだろう。とはいえ、普通に考えればそのようなことはありえない。

 そもそも福井商業銀行は毛矢ホールディングスへの融資トップである。これ以上融資できるような余力があるとは思えない。しかし、その万が一が頭をちらついて離れない。


「ぐぐぐ、空売りを減らすか、持ち続けるかどっちだ......」


 最早物にあたるような気力すらない。提示された選択肢の前に立ちすくみ、もしかしてという可能性が頭を回り続ける。


「この状況で株価が元に戻ったら大損失。そうでなくとも空売りを持ち続けるだけでも損は増えていく。でも、ここで空売りを手放したらもう入り直す勇気なんてない」


 空売りの返済注文を入力しては......実行できずに取り消す。何度も同じことを繰り返すが踏み切れない。もう何が正しいのか分からなくなっているのだ。


「全てのポジションを処分したくない。なら、3万株だけ処分? もしくは1万株だけにして、また明日様子を見るとか......。いやいや、それで明日株価が上がったら死ぬぞ」


 迷い続け、注文を削除し続け、時間だけが過ぎていく。そして、いつの間にか午後2時50分とそろそろ場が引ける時間となっていた。


「ここで決めないと、下手したら明日株価が上がるかもしれない。でも、チャート的には横ばいでもう上る感じはしない。逆日歩は減らないけど、こっちも頭打ちになってるから流石にそろそろ。かといって流石に無視するには額が大きすぎる」


 株価を入力したが、発注する株数を決めきれず増やしたり減らしたりを繰り返す。4万株全てか。1万株か。それとも毎日5000株減らすことにするか。最後の発注ボタンが押せない。




 14時59分。その時間が目に入った瞬間、頭が真っ白になって思わず注文ボタンを押していた。自分でも何をやったのか最初分からず、約定した通知が表示された瞬間に叫んでしまう。


 結局その日、俺は遂に2万株の空売りを返済した。これは一番最初に空売りを始めた時のポジションだった。


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