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第07話 老舗

 毛矢ホールディングスが調査の経過報告してから2週間後。俺は毛矢ホールディングスの本社がある福井県にいた。

 

 何か目的が合ったわけではない。単純に現状に耐えきれなくなり、現実逃避をしようにもここくらいしか行くところが思い浮かばなかっただけだ。


 あれから毛矢ホールディングスの株価は1500円まで上昇。逆日歩も4円程度まで上昇し、含み損は遂に1600万円程度まで拡大していた。


 決算短信や有価証券報告書を何十回と確認し、各種指標を何百回も確認してきた。何度もみても自分の考えに間違いはないという結論になるが、それでも株価は下がらず損失は拡大していく一方だ。


 夜も眠れず、気がつくと決算資料を眺めてしまう。Twitterなどでもとにかく毛矢ホールディングスについて検索し、何か見落としがないかを探そうとしてしまう。まともに取引できるような状況でないため他の株を触るわけにもいかず、ただ時間が過ぎるのを待つだけの日々。


 こういった日々に耐えきれなくなり、とにかくどこでもいいから別の場所に行きたいと考え、思いついたのが唯一ここだった。



「そういえば、俺は毛矢ホールディングスの本社の場所もろくに知らなかったんだな......」


 今回の旅行で初めて毛矢ホールディングスがどこにあるのかを調べた。福井県にある老舗というレベルの知識しかなく、具体的にどのあたりにあるのかをようやく知った。

 



 荷物をホテルに預け、市内電車に乗って毛矢ホールディングスの本社ビルに向かう。ありがたいことに本社ビルの目の前に駅があるようで、ボロボロの体を引きずって歩かなくても済むのは助かる。


 そして目的の駅に到着する。道路の中に停留所があり、電車を降りた目の前には毛矢ホールディングスの本社ビルが広がっていた。


「ここが......」


 13時頃ということもあり、毛矢ホールディングスの社員と思われる人々が慌ただしくビルを出入りしている。もし自分も投資家ではなく普通に就職する道を選んでいたら、彼らと同じように働いている未来があったのだろうか。


 周囲に住宅が多いこともあり、周りに比べると一際大きな本社ビルは目立っていた。


「なんだよ、立派なビル持ってるじゃないか。老舗って言われるだけはあるな」


 疲労が限界に達したので停留所の椅子に座る。そこから眺める光景は、自分が選べなかった普通の社会人生活が広がっていた。


 停留所の椅子に座って毛矢ホールディングスのビルと社員を眺めていると、電車を待っていたお婆さんから声をかけられる。


「ねえ、あなた辛そうだけど大丈夫?」

「......大丈夫です。ちょっと疲れて一休みしてるだけですから、あまり気になさらないで下さい」

「本当に辛いなら救急車でも呼ぶわよ?」

「ありがとうございます。10分くらい休んだら元気になりますよ」

「そう、あんまり無理はしないようが良いわよ」


 ふと気になったことをお婆さんに聞いてみる。


「すいません、毛矢ホールディングスってご存知ですか?」

「何言ってるの、あそこにある会社のことじゃない。このあたりでは有名だし皆知ってるわよ。この県では大企業扱いよ」

「そうですよね」

「私の親戚もあそこで働いてるし、昔からある会社なだけあって周囲には取引のある会社もあるわ」

「......そうですよね。老舗ですからね」

「そうよ。今色々と騒がしくなっているみたいだけど、ここに何かあったら困る人が沢山いるわよ」


 お婆さんとの会話はしばらく続いたが、待っていた電車が来たことで会話を切り上げて乗っていった。別れ際に、辛くなったら救急車を呼ぶのよと言って去っていった。


 お婆さんに言われた話が頭に残り、疲労と寝不足で回らなくなっていた頭が回転を始めた。会社には取引先や関係者がおり、会社が倒産したらそういった相手がどうなるか、初めて実感を持った気がした。






 ホテルに戻り、自室のベッドに腰掛ける。


「そうだよな、会社が潰れたら困る人がいるのは当たり前だよな。でも、俺はそんな当たり前のことをちゃんと認識してなかったんだな.....」


 毛矢ホールディングスに潰れて欲しいと何回叫んだか分からない。粉飾しているような企業が潰れるのは当然だと言い、それが正義だと思い込んでいた。


 しかし、本当に会社が倒産したらどれだけの人が困るのだろうか。少なくとも社員の生活には大きな問題が出るだろう。リストラでクビになる人も出るだろう。取引が縮小するなら切られる取引先も出てくる。


「会社が潰れるって大変なことなんだな」


 それどころか、今度は毛矢ホールディングスと取引していたところが債務に苦しむことになる。売掛金が回収できない会社は間違いなく出てくる。ドミノ倒しのように倒産が続くかもしれない。それに一番苦しむのは多額の融資を実施してきた金融機関だろう。この低金利の時代に毛矢ホールディングスの融資分の穴を埋めることは大変だろうし、融資の責任者や審査担当者はクビになってもおかしくない。


 会社が倒産するということはそういうことなのだ。




「......でも」


 だからと言って、粉飾をしていいという話にはならないし、粉飾がなかったことにもならない。責任を取ることを含めてこそ企業なのだから。


「でも」


 だからと言って、自分が空売りしたことが悪いとは思わない。怪しい決算を発表しているのに株価が上がり続けているのだから、投資家としてチャンスを活かそうとするのは当然のことだ。


 声を絞り出しながら叫ぶ。


「頼む、潰れてくれ......」


 毛矢ホールディングスが倒産すれば困る人は沢山いる。社員、取引先、金融機関。生活が立ち行かなくなる人も出るだろう。これを切っ掛けに人生が狂う人も出てくるかもしれない。毛矢ホールディングスは地元では大企業扱いされている。そんな会社が倒産すればどこまで影響が波及するか検討もつかない。


 しかし、それでも自分の考えの正しさを信じているし、自分の正しさに従って空売りすることをやめるわけにはいかなかった。そんなことをしてしまえば、投資家としての自分は終わりだろう。


 自分が終わるか相手が終わるか。選べる道は一つしかなかった。




 突如スマホから音楽が鳴り響く。画面を見ると平井さんからの着信だった。


「仁井田です、どうしました平井さん」

「......凄く疲れた声をしてるけど大丈夫?」

「ええ、疲れてるのは間違いないです。今日はもう寝ちゃおうかなと思ってました。それより何かありました?」

「その様子だとTDnetはまだ見てないみたいだね。」

「はい、今日はちょっと歩き回ってて、それで見るような元気はちょっとなくて」


 何か発表されたのかと思い、持ってきたノートPCを立ち上げる。ただ、画面が開く前に平井さんが話し始める。


「毛矢ホールディングスが粉飾決算を認めて、特別損失を計上して一気に債務超過に転落した。倒産まで秒読みの段階に入ったよ。」





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