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第06話 転落

 毛矢ホールディングスの第2四半期決算発表から3ヶ月が経とうとしていた。予定では今日毛矢ホールディングスの第3四半期決算が発表されるはずである。


 結局、中国子会社の責任者異動から空売りを持ち続けて今に至る。その間、逆日歩を支払い続けたことで、なんと逆日歩の支払いだけで200万円近くもの損失に至っている。しかも下落していた株価は元に戻り、結局空売りを始めた1500円付近を推移している。


 つまり、下方修正を当てたにも関わらず、俺の空売りポジションは-200万円もの含み損で終わっているということだ。


 

 下がらない株価。払い続ける逆日歩。増え続ける含み損。


 自分は正しいことをやっているという自信はあるが、一方で目の前に広がるのは損失だけ。しかも株価が動かないだけにポジションを手仕舞うわけにもいかず、ひたすら真綿で首を絞めつけられるような日々を過ごしてきた。


 前の決算発表から3ヶ月程が過ぎようとしており、精神的にもかなり追い詰められつつある。今日の決算発表を頼みに粘ってきたが、もしここで勝負を決めるような展開にならなかったら、正直心が折れて損で終わってもいいからポジションを手仕舞ってしまいそうだ。


 決算の発表は通常15時から17時の間に行われる。今は15時15分。まだ毛矢ホールディングスの決算短信は開示されていない。


「決算まだかよ......」


 TDnetの更新ボタンを連打しながら毛矢ホールディングスの決算を待つ。しかし、16時を過ぎても未だ開示されない。

 もしかしたら今日が決算発表日ではなかったのかと思い、念の為平井さんにも確認を取ってみる。


「すいません平井さん。毛矢の決算って今日でしたよね?」


 恐らく同じようにTDnetに張り付いていたであろう平井さんから、直ぐに返信が返ってくる。


「今日で合ってるよ。でも確かに遅いね」

「いつもだと15時に開示してましたよね」

「そうだね。......これは何かあったのかな」

「何かですか?」

「そう、あるとしたら......」


 平井さんの返信を読んでいる最中、TDnetに毛矢ホールディングスの名前が表示される。待ち望んだ決算かと思ったが、よくみると文章が決算発表のものではない。


「第3四半期決算発表延期のお知らせ? それに、貸倒引当金繰入額の計上の見込みに関するお知らせ!?」


 そして途中まで読んでいた平井さんの返信が目に留まる。


「あるとしたら、本当に不味いものが見つかったんじゃないかな」





 冷静になって毛矢ホールディングスのプレスリリースを確認する。発表は2つ。


 1つは貸倒引当金の積み増し。これは書いてある通りの内容で、売掛金の回収が難しくなったため貸倒引当金を増やすという内容だった。強いて言うなら、今までは売掛金に保険をかけていたから貸倒引当金を手当しなかったが、それが保険契約上の義務違反で適用外になったというのが気になるところか。


 2つ目は決算発表の延期。普通、上場企業の決算発表が遅れることは珍しく、ましてや定められた期間内に四半期報告書を提出できないのは異例のことだ。そのため、提出が間に合わない場合はこういったプレスリリースを出す必要がある。


 そして、提出が間に合わなかった理由が問題だ。


「中国連結子会社における売掛金の回収可能性に疑義が生じており精査に時間がかかるためって、今まで一体何を見てたんだよ。現金が全く入って来ないまま事業を続けてきたのに、今更になって取引先の財政状況を確認するとかどんな経営してるんだ」


 中国経済の急激な減速によるものとなっているが、中国に子会社を持っている企業は山程あり、そういった会社からは同じような理由での下方修正は出ていない。つまり、毛矢ホールディングスだけが中国経済の失速に直面しているとしか言えないような内容である。


「監査法人も今回の貸倒引当金の監査については、通常の手続きに加えて追加の監査が必要と言い出したみたいだし、ようやくまともに仕事し始めたのか。これまで放置してきた監査法人にも問題があるんだし、頼むから今回ばかりは真面目に仕事してくれよ」



 一通りプレスリリースの内容を確認した後、平井さんに念の為再確認しておく。


「平井さん、これで毛矢ホールディングスは終わったと思うんですけど、他に見落としてるようなところってありますか?」

「いや、流石にないんじゃないかな。これだけ怪しまれてきた中国事業に監査が入るなら、流石に隠しきれないでしょ」

「そうですよね、あとは追加の貸倒引当金の積み増しが発表されて終わりですかね」

「内容的に1ヶ月くらいで決算発表するだろうし、そこで決着かな」

「はー、ようやく片付きましたよ......」

「結構長い間空売りしてたよね。お疲れ様」

「ありがとうございます。これで肩の荷が降りましたし、久々にぐっすり眠れそうです」


 最近はベッドに入っても眠れず、完全に不眠症になっていた。食欲もなく、ゼリー系の食事ばかりだったせいで体重も落ち、司からはゾンビみたいだと言われる始末だ。


 しかし、これで毛矢ホールディングスの空売りも一段落するなら、ようやくまともな生活に戻れそうな気がしてきた。


 痛む目頭を抑えつつベッドに倒れ込んだところ、そのまま気を失うように眠りについた。






 翌日、毛矢ホールディングスの株価はストップ安。一度の約定もなく株価の下限に到達し、そのまま寄る気配がないまま場が引けた。売りの量が買いの20倍ほどあるため、運が良ければ明日寄るかもしれないといったところだろう。

 これまで抱えてきた空売りのポジションもこれで一気に息を吹き返し、この調子なら間違いなく含み益に転じるだろう。


 しかし、これで毛矢ホールディングスを許すわけもなく、寄りつくのであれば追加で空売りをするつもりだ。毛矢ホールディングスは完全に分水嶺を超えたと見ており、あとは壊滅的な展開を待つばかりな以上、更に利益を狙うことは当然の行動だ。



 そう考えていたところ、毛矢ホールディングスがまたプレスリリースを発表した。


「取締役の辞任? 一身上の都合ってなってるけど、この人はCFOだよな?」


 取締役の辞任自体は珍しいことではない。ただし今回は時期が問題である。決算発表が遅延している会社なのに、その総責任者であるCFOが辞任。責任を取って辞任したのではという人もいるだろうが、このタイミングで総責任者がいなくなったのにどうやって決算を取りまとめるつもりなのだろうか。


 特に、今の毛矢ホールディングスは中国事業での取引先の精査に時間を取られており、CFOの業務を引き継ぐような暇は無いはずだ。そんな中で辞任したということは、どう考えても逃げたとしか思えない。


「沈む船からは鼠が逃げ出すってやつか......」


 自分が期待していた展開ではあるものの、何とも言えない気分になってくる。ただ、これで空売りを追加しない理由はなくなった。




 更に翌日、また毛矢ホールディングスがプレスリリースを発表。内容は中国子会社における追加調査を実施するとあった。


「売掛金の保険かけていた先が実質破綻していたと。しかも、保険会社がその顧客に関して、違法な取引の疑いがあるという情報を持っており、他の顧客や担当役員に不適切な行為がなかったか調査することを決定しました。」


 頭が痛くなってくるような内容である。


「えーとつまり、重要な取引先が胡散臭い会社だっていう情報があったのに何もしておらず、ようやく不適切な行為がなかったかを調査しますと言ってるわけか」


 そこらにある中小企業ではない。上場企業の話である。しかも老舗と言われ、地元では名の知られた企業である。


「......日本の上場企業は本当にまともなのかな。粉飾を指摘してきた俺が言うのもあれだけど、こんな適当な経営やってて許されるものなのか? 融資元の銀行とか何見てきたんだ?」





 決算発表から3日目。毛矢ホールディングスの株は遂に寄り付き、結局決算前の株価1500から大きく下落した1000付近で引けている。空売りが溜まっていたこともあり、ここからはしばらく上下するだろうが、更に大きく下落するとしたら中国の調査が終わった後だろう。


 そして、予定通り俺は追加の空売りを行った。更に2万株を空売りし、空売りポジションの総額は5000万円になった。株価が大きく下落したことで、含み損だった評価損益は遂に含み益に転じていた。


 約750万円の利益。今日寄り付いたところで空売りを処分すればそれだけ儲かっていたが、もっと大きな利益が狙える以上撤退する理由はない。

 

 ただ、懸念なのがやはり逆日歩だ。貸倒引当金の大幅な増額が発表され、恐らく空売りを始める投資家も増えているだろう。ここから更に逆日歩が増額されるなら、1日あたりの損失が膨らむスピードも早くなる。

 

 調査結果が発表されるまで1ヶ月とすると、逆日歩だけで500万円を超える支払いになるかもしれない。この500万円は株価に関係なく支払うため、それだけ最終的な利益が削られてしますのはかなり痛い。


「それでも後には引けないんだよ......」



 




 毛矢ホールディングスの決算延期から1ヶ月程が経った。その間、追加調査に関する報告がいくつかあったものの、今のところ決定的な発表には至っていない。


 一方で、逆日歩はかなり不味い状況になってきた。案の定、空売りは大幅増加し、逆日歩も平均して2円程度を推移している。


 逆日歩が2円。つまり4万株を空売りしている俺は、毎日8万円の損を生み出し続けているということだ。毛矢ホールディングスの株価は1000円程度で横ばいとなっており動きがない。逆日歩の損失は遂に400万円近くまで到達しており、開放されたという気持ちも数日しか持たなかった。


 流石にきつくなってきたため、空売りの量を減らすかどうか考えていたところ、昼休みの時間に毛矢ホールディングスのプレスリリースが放り込まれる。しかも内容は、現時点では懸念していた重大な事実は検出されておりませんというものだった。つまり、まだ調査は途中ではあるものの、違法な取引などを行っていたという証拠は見つかっていないということだ。


 それを見た瞬間マウスを壁に叩きつけていた。



「ふざけんな! あれだけ怪しいところを調べておいて何もないわけがないだろ!」


. この発表を受けて株価はストップ高気配。空売りをしている投資家が多いことを考えると、恐らく今日は寄り付かないだろう。それどころか明日も寄り付くかどうか怪しいレベルだ。


「クソっ、本当に真面目に調べたのかよ!」


 怒りに任せて机を殴りつける。骨折したのではと思うくらいの痛みを感じるが、圧倒的な怒りの前ではブレーキにもならない。

 そのまま再度机を殴り、ディスプレイを殴り、床に転がっていたダンボール箱を蹴る。こんなことをしても目の前の株価はどうにもならないが、それでもこの怒りをどこかにぶつけないと頭がおかしくなりそうだった。




 東証が引け落ち着いて来ると、今度は損失が頭をよぎり始める


「逆日歩だけで400万円の損失。空売りを積み増した分があるから、もし株価が1000円から1500円くらいまで戻ったらそれだけで1400万円位の含み損になる......」


 目の前が暗くなっていくのを感じる。正しいことをやってきたと思っていた。実際に想定していた通りの展開になった。そのはずなのに、目の前に広がっているのは大きな損失という未来。

 せめて逆日歩だけでもなければまだマシだった。初めて毛矢ホールディングスを空売りした日、あの時にTwitterで広めたりしなければという後悔が今更になって強まってくる。しかし、今になって後悔したところでどうにもならない。


 問題なのは逆日歩だけではなく、それだけの空売りが溜まっているということでもあった。今回のストップ高を見た他の投資家は、慌てて空売りを買い戻すだろう。つまり、この溜まった空売りに見合うだけの買いが湧いてくることになる。

 

 そうなれば、株価がどこまでいくのかわからなくなる。もし、1500円どころか2000、2500円まで上昇したら?

 資産の半分である3000万円を超える含み損を前に、果たして自分は正気で居られるのだろうか。




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