表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

第05話 決算発表

 Twitterでの争いがあってから3週間ほどたった後、早速余計なことをしてしまったと後悔する目にあっている。


 毛矢ホールディングスに注目が集まったことで、毛矢ホールディングス関係の様々な情報が発掘され、今まで知られていなかったような情報が出回り始めた。

 具体的には、Fealty Investment Groupというアメリカの有名投資会社が毛矢ホールディングスを大量に保有しているという情報が出回り、結果としてあのFealty社が買っているなら優良企業ではないかという話になったせいか株価が15%も上がってしまったのだ。


 自分は初めて知ったが、どうもFealty社は日本でも投信を販売しており、その投信の中の一つが毛矢ホールディングスを大量に保有していたらしい。慌てて自分も見に行ったが、最新の月次レポートでも毛矢ホールディングスの名前がしっかりと載っており、あまつさえ保有トップという有様だった。


 こういった投資会社はいわゆる機関投資家と呼ばれる存在で、ニュースなどでヘッジファンドと呼ばれたりする存在もこのカテゴリーに含まれるらしい。一部の資産家だけを対象としたヘッジファンドや、一般的な大衆層を対象に投信を販売するところなど、色々と種類もあればやっていることも違うらしいが、とにかく運用界隈におけるプロフェッショナルと呼ばれる存在が彼らである。



 そして、そんなプロフェッショナルの中でも著名な会社の一つが、よりにもよって毛矢ホールディングスの株を大量に買っている。


「いやいや、何でそんな立派な会社が粉飾してそうな企業の株を買ってるんだよ......」



 一応アメリカ本社と日本支社では別会社という扱いのようで、運用しているのも日本人となっているが、それにしても他に買う株はなかったのだろうか。保有銘柄を見てみるとバイオ株等も持っており、リスキーなところに投資するスタイルなのかもしれないが、運用者のコメントを見る限り毛矢ホールディングスにかなりの自信を持っているようだ。

 「私達は毛矢ホールディングス社長とのミーティングを過去何回も実施し、その上で本企業の中国市場における成長に自信を持ちました」といった文章も添えられており、そう簡単には引き下がらない様相を見せている。


 もう一つ問題がある。それは空売りを始めた投資家が増えすぎたせいで、逆日歩が発生し始めているということだ。


 逆日歩を簡単に説明すると、空売りするために必要な株を調達するための費用である。そもそも企業の株式総数というものは既に決まっており、どこかの誰かが保有している株を合計すると常に同じ数になる。従って空売り、つまり持っていない株を売るという行為には、誰かから株を借りてくるというステップが必要になる。


 機関投資家といった大口の株保有者は、一定量の保有する株を第三者に貸し出すことで貸出料を得ている。投資家が株を空売りする際には、こういった株を証券会社等から借りることで保有していない株を売ることを実現する。そして、空売りする投資家が少なければこの既に調達している範囲内で済むが、あまりにも多くなってくると新しい機関投資家等から株を借りてくる必要が出てくる。

 そうした新規調達の場合、多少手数料を積まないと借りられないことがあり、それが逆日歩として空売りしている投資家にのしかかってくることになる。逆日歩は1株あたりいくらという計算で、空売りしている株数が多いほど多くの費用がかかる。そして、この状況が解消されるまで逆日歩は毎日発生し続ける上、調達状況が悪化すれば逆日歩は増え続けていく。


「逆日歩が今0.1円で、空売りしてる株数が10000株だから、毎日1000円ずつ損が増えていく......」


 今空売りしているポジション自体は総額1500万程度なので、率で見ればそこまで大きな影響はない。ただ、これが毎日かかり続けるということが問題だ。また、今はまだ1000円だが、逆日歩の額が増えていけばそれこそ目も当てられない。


「でも今空売りを返済するわけには.....。少なくとも月末の決算までは粘らないと」


 毛矢ホールディングスの決算は来週を予定している。当初の予定ではここで勝負となるが、下方修正もあり得ると踏んでいる以上、今空売りしているポジションを手放すわけはいかない。

 

 そうやって悩んでいたところ、平井さんから連絡が届く。


「毛矢ホールディングスが下方修正出したよ」

「えっ、本当ですか!? 今すぐ見ます!」

「遂に貸し倒れ引当金積み始めた」

「売上債権の回収に疑義が生じたって言い出しましたね!」

「これは限界が来たのかな」

「これを待ってたんですよ!!!」


 急いで下方修正のプレスリリースを確認すると、そこには「中国子会社の得意先の資金繰り悪化により、売上債権の回収に疑義が生じたため」という今まで散々指摘されてきたであろう内容に加え、これまで全く増やさなかった貸倒引当金を9億円ほど積むと記載されている。

 貸倒引当金は既に販売した商品等の代金が回収できない可能性に備えるためのもので、これを増やし始めたということは、遂に監査会社も積み上がった売掛金を見過ごせなくなったのだろう。しかも中国子会社の今後の販売計画見直しの影響として、営業利益が30億円ほど減っている。


 毛矢ホールディングスは今期の想定として売上260億円、営業利益70億円程度としていたが、その営業利益の半分近くが消えた計算となる。この時点で高成長企業という看板が剥がれたことになるが、何よりも重要なのは粉飾の自転車操業が止まることである。


 この状況では銀行が毛矢ホールディングスに融資を増やすとは思えず、そうなれば借入金で賄って来た経営にもブレーキがかかる。現金の保有額は十分とは言えず、しかし売掛金を現金化して回収しようにも、その売掛金が存在しないのであれば回収することもできない。


 つまり、粉飾が露呈するチャンスが遂に来たということである。


「勝った!」


 声高らかに勝利宣言をし拳を突き上げる。著名な個人投資家に苛つかされ、投資会社に含み損を抱えさせられ、逆日歩に苦しめられと酷い目にあってきたがようやくそれも終わるのだから、テンションが高くなるのも仕方ないだろう。

 とりあえずビールで祝杯を上げ、この先株価がどこまで下がるのか皮算用を始める。50%も株価が下がれば800万円程度の利益になるが、更に空売り量を増やせばもっと儲けることができるだろう。他の投資家も同じような考えを持って逆日歩が増えるかもしれないが、逆日歩の額よりも株価の下落の方が大きければ良い訳で、ここは勝負するところだろう。


「株価が暴落したらTwitterで勝利宣言してやろう」


 そして、翌週の毛矢ホールディングスの決算で信じられないものを見ることになる。






「えっ、借入金が増えてる?」


 翌週発表された決算短信を確認したところ、信じられないことに借入金が増えていたのである。しかも、その額120億円。

 元々予定していたのかもしれないが、3ヶ月前の決算から借入金が120億増えており、底が見えると考えていた現金も増加している。追加融資がなければ半年持たないと見ていたが、これでは1年は耐えられる計算となる。


「このタイミングで融資する銀行があるのか......」


 完全に想定外の展開で思考が止まる。歴史のある会社で信頼があるのかもしれないが、この資産状況を見て融資する銀行があるとは信じられなかった。銀行といえば、日頃担保ばかりを要求する非常に保守的な存在だという印象を持っていただけに、これだけ分かりやすい粉飾事例を見過ごすとは思えない。


「銀行には審査部ってあるんだよな? この企業への融資を止めない審査部って、何を審査してるんだよ」




 下方修正の発表後、株価は下がっていたがFealty社の話が出て上がった分が戻っただけで留まっており、結局自分が空売りを始めた1500円程度で上下していた。決算発表を受けて翌朝株価は-10%程度の下落したが、その後2週間は横ばいで推移と、期待していた程の下落ではなくそのまま下がり続ける程の勢いも無い。株価が1000円を割る位は期待していただけに、肩透かし感が否めない。


「とりあえず空売りを更に10000株積み増ししたけど、正直微妙な動きだな......」


 株価が中途半端な位置で推移しているのを見て頭を抱える。期待した材料としてはほぼ狙い通りだっただけに、ここから撤退するかどうかの判断が悩ましい。そして、その判断を更に難しくしているのが逆日歩である。


 下方修正後、他の投資家による空売りの量が大きく増加していた。その結果、なんと逆日歩が増加し今では平均して1日あたり1円程度かかる。

 1円というと少額のように思えるが、今は2万株を空売りしているため、1日あたり2万円の損が生まれ続けるということである。しかも、空売りを続ける限りその損は膨らみ続ける。仮に20日間この空売りを続けていれば、40万円の損が生まれるということである。そして株価が上がればその分だけ損は加算されるため、株価がポジションの平均単価と同じところまで戻ってきただけで損になってしまう。


 また、株価があまり下がらないのを見て、一時勢いを失っていたあの著名個人投資家も元気になってきたのが苛つく。決算発表後は何も言わなかったくせに、今になって「失速は一時的」だの、「長期投資だから想定したシナリオから外れない限りは持ち続ける」だの言っており、リツイートで目に入るだけでもイライラしてくる。


 「とりあえずこいつでも煽っておくか......」


 目の前の問題から逃避するため、憂さ晴らしでもしようとしていたところに、TDnetに掲載された毛矢ホールディングスのプレスリリースが目に止まる。


 「中国4子会社の代表者の異動?」


 掲載されていた内容は中国子会社の代表者の役職が変わるというものだった。


 「董事長が日本で言うところの会長取締役、総経理が代表取締役社長か。下方修正の責任とって左遷とかかな」


 内容を確認していくと気がついたことが1つ。総経理や董事長をやっていた中国人が、全ての子会社で董事に落とされているのだ。会長取締役や代表取締役社長をやっていた人が、一晩でただの取締役に落とされている。

 確かに中核事業となっていた中国事業の失速は責任を取らないといけないのだろうが、かといってここまでドラスティックな人事は日本企業だと珍しい。ましてや、この会社の中国子会社といえば、粉飾に利用されていると見込んでいるようなところなのだ。


「今まで好調と言い続けていた中国事業の失速。積み上がった売掛金に対してようやく増やし始めた貸倒引当金。そして、今回は中国事業の責任者が降格処分と」


 下方修正から決算発表、人事異動と並んだ材料を眺めていると1つの可能性が浮かび上がる。


「......もしかして中国子会社の粉飾が外部に露呈し始めた?」


 毛矢ホールディングスの成長は中国子会社によるものだった。それが前回の下方修正では貸倒引当金の増額に加えて、それを除いても大きな減益となっている。粉飾も中国子会社を利用して行われている可能性が極めて高いわけだが、その総責任者とも言える役職の人間が左遷とも言えるレベルの降格処分。

 そんな話が通るとすればよほどの理由が必要である。そして、今考えられる理由としては粉飾が露呈すること以外にはない。


「仮に本社が中国子会社の粉飾を知らない、もしくは見て見ない振りをしていたとしたら、今回の人事はその粉飾が露呈したって話? 決算前にそれに気が付き慌てて下方修正して、元の総責任者を外して状況整理を始めた?」


 そう考えると辻褄は一応合う。元々、毛矢ホールディングスは粉飾をしているというのが自分の中でのスタート地点だが、本社の人間がそれを把握していなかったのであれば、今回のような動きもありえなくもない。

 流石にこれだけ影響のある事業をろくに監視していなかったとは考えにくいが、現実としてそのような動きが目の前に存在している。社長がやたらと楽観的だったのは嘘をついているのではなく、単に部下に騙されていたというのも何ともな話だが。


「こうなるともう空売りし続けるしかないな。これだと粉飾がバレて大幅な減益発表するしかないだろ。山のようにある売掛金に見合うだけの貸倒引当金を積んだら、間違いなく債務超過レベルだし」


 株価が下がらないことと逆日歩。2つの問題を抱えいてたが、こうなった以上腹をくくって空売りを続けるしかない。次の決算は2ヶ月と2週間後。それまでの間に何らかの発表があるとすれば、間違いなく減益の発表だろう。そして、その減益は間違いなく会社の屋台骨をへし折るものになる。

 ただ、それがいつ発表されるかが分からない。下手をすれば2ヶ月以上待たされることになるため、その場合逆日歩が累計でいくらになるのか考えたくないレベルだ。1日2万円で60日分の逆日歩を支払うと120万円がかかる。もし逆日歩が増額したら?......考えるだけでも恐ろしい。


 しかし勝ちを確信している以上、後に引くことはできない。勝つためのプランはあるが、徐々に足元が沼に沈み込んでいるような感覚を覚える。当初はもっと簡単で分かりやすい勝負だったはずなのに、今では進退の判断すら困難になってしまっている。


 精神的なプレッシャーからか、水に顔を突っ込んでいるような息苦しさを感じる。これからの2ヶ月と少しの間、ずっと同じ感覚を味わなければいけないことに気が付き、思わず顔をしかめてしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ