第02話 企業分析
俺は仁井田 隆史。5月生まれの24歳。職業は個人投資家。毎日部屋に籠もって一日中株価やチャートを眺め、株や先物を取引して過ごしている。昼食時や取引所が閉まった後は流石に外に出るが、先物などは夜でも取引されているため、外にいてもスマホで何度も確認してしまう。保有資産は6000万あるが専業の個人投資家としては少ない方で、株取引以外に収入も無いため将来が安泰とは言えず、完全な引退生活を送ることも難しい。
「こうして聞くと社会不適合者と紙一重だな」
適当なカフェで一緒にお茶をしている、友人の高垣 司から酷いことを言われる。大学時代からの付き合いだけあって遠慮がない。
「司先生、酷くありませんか? 結構傷つくんですけど」
「でも、今はもうバイトもしてないんでしょ?」
「2年前に大学卒業した後はやってたけど、半年前に辞めたわ......」
「あと一押しでニートじゃん」
「やめろ、それ以上言うと泣くぞ」
自分でも現状を理解しているだけに、大手の優良企業で真っ当に働いている人間から正論をぶつけられるとダメージが大きい。
「でも、司も知ってるでしょ? 俺が就活失敗して、就職浪人になるかフリーターになるかしか選択肢が無かったこと」
「そういえば、そうだったな」
「それに、普通の社会人よりも長時間働いてるよ俺。朝7時から夜中の2時くらいまで、指数の動きやニュースをこまめにチェックしてるし。市場が大きく動いてる時期なんて冗談抜きに寝てないわ」
正直なところ、ただのフリーターになる以外の選択肢をくれ、それなりの資産をもたらしてくれた株には感謝している。大学2年の時にたまたま株と出会い、そこから買ったり負けたりを繰り返してきた。
アベノミクスと日本銀行による金融緩和で下駄を履いていることは事実だが、それでも自分なりに努力を積み上げてきたと思うし、コンビニでバイトしていたら貯められないような資産を築けたことは大きい。
「でも、お前が就活に失敗したのって株のせいじゃ無いの?」
「いやいや、俺は元から優秀じゃ無かったし。卒業もギリギリ」
「講義中とかでもスマホ眺めてずっと株取引してたけど」
「今思い出すと完全にネトゲ廃人みたいだな」
日本株の取引所は朝9時から昼の3時まで開いている。そして大学の講義もその時間帯に集中していることから、スマホで株価の推移を眺めながら講義を受けることは避けられない。
当時はデイトレードと呼ばれるやり方を中心にやっていた。その日中に全ての株を処分する方式のため、取引所が閉まった時点で株を何も保有していない状況がほとんどで、たまに数日だけ株を持ち越していた。そのため、講義中でもスマホの画面を常にチェックする必要があった。
「それで、今も同じように株取引してるの?」
「基本は変わらないけど、最近は企業のファンダメンタルズ分析の勉強してる」
「ファンダメンタルズ?」
「企業の売上とか、資産の保有状況とかのこと。お前の勤務先だって業績公開してるだろ」
「あー、なるほど。俺マーケティング部門だけど、競合の売上の伸びとか見て資料作ってるしそんな感じか」
「頭良いやつは理解が早くて助かるわ。そういうのを調べて、その情報を基にしたり企業の評価をしたりして、株を売買するんだよ」
ファンダメンタルズ分析では、上場企業が公開している財務諸表や説明資料、加えて業界全体の動向や関連産業からの影響などを分析する。つまり、真面目にやろうとすると死ぬ程時間がかかる。その上、そもそも詳細なデータが開示されていない、といった問題にぶつかって詰むことすらあるのが目下に悩みだ。
「きつくない?」
「正直めっちゃきつい」
「だろうな。自分が知識のある業界ならともかく、上場企業なんて山程業界分かれてるし、資料の中身を理解することすら難しいだろ。売上伸びてるね、利益伸びてるね、いい企業だね位しか言えない」
「そうなんだよ。ゲームやネットのサービスならまだ分かるんだけど、半導体とか地獄だぞ。工程とか材料とかの話されても意味分からないし、参考資料が大学の教科書より分厚くて多い」
なので、現在はある程度理解できる業界に絞っているが、それでも調べないといけない資料は山のように積まれている。
「隆史は全部独学でやってるの?」
「基本独学だけど、どうしても分からないことがあったらTwitterの知り合いに質問してる」
「Twitterでそんな専門的な知識持ってる人いるんだ」
「よく話ししてる人はプロの資産運用やってる人達、確か機関投資家って呼ぶんだったかな? にも負けないレベルだよ」
「なんでそんな凄い人がお前の相手してくれるんだ?」
不思議そうに首を傾げながら司が聞いてくる。
「話してみると分かるんだけど、その人は株や企業の話が本当に好きなんだよ。時々会ってお酒飲みながら話すことあるけど、株の話が始まると止まらないし」
「なるほど。でも、そんな人の相手とか大変そうだけど大丈夫?」
「知識と経験の差が大きいから話についていくのはきついけど勉強になるし、それに何よりも話聞いてて面白いから楽しいよ!」
興奮して喉が乾いてきたので、カフェラテを飲んで喉を潤す。
「良い人に会えてよかったな」
「そうなんだよ。ただ......」
「ただ?」
「その人、変な企業をチェックするのが趣味なんだよね」
「変な企業って、チェックしてるのは上場企業だろ? そんなところあるのか?」
「俺も最近まで知らなかったんだけど、それが結構あるんだよ」
取引所に上場している企業は真っ当な事業を営んでいると思われているが、実際のところはそうでもない。理由は様々だが、反社会的な勢力との付き合いが噂される企業や、株式市場から資金を吸い取ることだけを目的としている企業などは多く存在している。
実際、新興企業を対象とした市場が新規に設立された際、その上場第1号企業の社長は右手の指が5本無く、最終的には企業も暴力団のフロント企業であったことが判明したという事件もある。そういった企業のことはボロ株、またはクソ株などと呼ばれている。海外でも似たような企業は存在しており、アメリカではペニーストックといった呼ばれ方をしている。
「聞いてる分には面白いんだけど、そういった企業の話になると勢いが凄くて」
「気合入れて調べてるみたいだけど、そんな企業の株を買うのか?」
「いや、買わないんだよ」
「じゃあなんで調べてるんだ?」
「趣味らしい」
「趣味」
「そう趣味」
司は納得できない模様で難しい顔をしているが、説明している自分も納得できていないので諦めて貰う他無い。利益にもならない、そもそも売買する気もない企業を熱心に調査するなど、側から見れば頭がおかしいと言われも仕方ないだろう。
「その人がお勧めしてくれた本があるんだけど、そういった企業や不正取引やらかしたところの事例集でさ」
「どう見てもお前を引き込もうとしてる」
「来週その人と会う予定なんだよ。だから、それまでに目を通しておこうと思うんだけど、読んでて頭抱えたくなるような内容で」
紹介された本はよくまとめられていて確かに勉強になる。しかし、ポストから資料を盗み出した話や担保の石油タンクの中身が水だった話が、果たしてこの先活かせるかと言われると難しい。
「まあ、元気そうでなにより。いつ連絡しても部屋に引き篭もってるみたいだったから、追い詰められてるのかと思ってた」
「気にしてくれてありがと。一応、今の所は楽しくやってるよ」
「株で食っていけなくなったら連絡しろよ。人欲しがってる企業ならいくつか知ってるし、お前みたいに株とか企業の専門知識ある奴なんてそうそういないから、1社くらいは採用してくれるところがあるだろ」
散々厳しいこと言った後にこの配慮。やはり仕事ができる奴は飴と鞭の使い方が上手い。
「ありがとうございます! その時はよろしくお願いします! 今日は奢らせて頂きます!」
「なんだそのノリ」
「投資だよ投資。お前という企業の将来性とリターンに期待して、今のうちに株を買っておくんだよ」
「分かるような分からんような」
「お前も株始めたら分かるようになるよ」
「そういうものかね」
司と別れて家に帰る道すがら、勉強用の資料のどこから手を付けようか考える。実際の企業や財務諸表を見比べながらやるのが一番効率よく進められるだろうが、有名な大企業は事業形態が複雑なので参考資料には向いていない。
そうなると中小企業が対象となるが、名前も知らない企業の中から都合の良い企業を見つけ出すというのも骨が折れる。
「とりあえず勧められた本を先に読むか。ヒントくらい得られるだろ......」