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68 過去と未来

 ウェーバルの町を出て、ズアルソスの国を出て、ラアクラーを経由してメプサカスに行く。

 帰るんじゃなくてね。

 クーロンスに着いたのは、メリラさんと別れた明くる日の夕方。何年か掛かってるけど、結局、大陸を1周してしまった。

 そして、クーロンスの西門。

「身分証を」

「持ってないんですけど」

「辺境からでも来たのか?」

「はあ、まあ」

「なら、この紙に名前を書いて、その下に右手の手形を押してくれ」

 門番さんに1枚の紙を差し出された。机は無いけど、板に載せてるところは親切だ。

 懐かしい。

 このやり取りには憶えが有る。その時と同じように、あたしは漢字で名前を書いた。

「相変わらず、見慣れない文字だな」

「あ、いけませんでしたか?」

「いや、いい。お帰り」

「ありがとうございます」

 ただいまとは言わない。言えない。


 町に入って最初に、市場で保存食料と石墨と鉛筆を買う。迷宮の90階より下は地図が無い筈だからね。

 それから自宅だった家を訪ねた。きっと荒らされていると思っていても、ここまで来てしまったからにはやっぱり気になる。見ておかずにはいられない。

 ドアノブを引いたら、ドアは簡単に開いた。鍵が掛かっていない。

 ああ、やっぱり。

 荒らされた屋内を覚悟する。自宅だった家が荒らされていたら、やっぱり哀しくなりそうだから。

 だけど、ドアを開けた先は、あたしがこの家を離れた時と変わっていなかった。ガラスのショウケースも在る。何も陳列されていないけど。不思議なことに埃を被っている様子も無い。

 どうして……? ああ、誰かが住んでるのか。

 トントントン。

 階段を誰かが降りてくる足音か聞こえた。その音は階段を降り切った所で止まった。

 ガタン。バシャン。

 何かが落ちて、水が弾ける音。

 そっちを見たら、水桶を床に落として両手で口を押さえる人が居た。その目が大きく見開かれている。

 もしかして、この人が今の住人? 

 あたしは苦く感じる口を歪めながら見詰める。多分、睨んでいると思う。

 すると、その人は何もない所で蹴躓きながら駆け寄って来て、唐突にお辞儀した。

「お帰りなさい。ずっと待っていました。この家もきっとそうです」

「え?」

 その人、受付嬢エクローネの行動にあたしは面食らった。

「ああ、最後に会えて良かった」

 顔を上げた受付嬢は涙ぐんでいる。

「貴女には謝れてないのが心残りだったんです。以前の私は貴女に酷いことをさせようとしていました。本当にごめんなさい」

 そしてまた深くお辞儀した。

「え? あの?」

「これでもう、思い残すことは有りません」

「ええ!?」

 自己完結されても困る!

「思い残すの残さないのって何!?」

「明日、破壊神の討伐隊が出発します。私やギルダース、リドルさんもその一員です。相手が相手ですから、勝てる見込みは有りません。だから最後に貴女のこの家の掃除をしておきたくて来たのです。来て、本当に良かった」

 微笑む受付嬢の顔は酷く透明に見えた。

「さあ、リドルさんの所にも行ってあげてください。リドルさんもずっと貴女を待ってらっしゃいました」


 受付嬢に促されるままに酒場に行く。促されるまでもなく、行くつもりだったけど。

「いらっしゃいませーっ!」

 酒場はいつものように営業していた。おかみさんも討伐隊の一員だって聞いたから意外だ。

「あっ、あっ、あーっ! 代理人さんじゃないのーっ!」

 叫び声と一緒に店員が駆け寄って来て、あたしの手を取って、ぶんぶんと振り回す。

「もう、心配したのよ!」

「ミクーナさん!?」

「そうよ! 代理人さん、会いたかったわ!」

「どうして?」

 彼女達はあたしを怖れているとばかり思っていた。

「内の男共が失礼な態度を取ったんでしょう? こっぴどく叱っておいたからもう大丈夫よ」

「何の騒ぎだい?」

「おかみさん……」

 騒ぎに気付いたらしいおかみさんが奥から出て来た。このちょっと眼光鋭く睨み付ける感じが懐かしい……。

「チカ! チカじゃないか! お帰り、よく帰って来たね!」

「チカだって!?」

 旦那さんも厨房から出て来た。旦那さんも変わりが無いようで安心した。

「おかみさん、旦那さん、ご無沙汰しました」

「ああ、チカだね。前のままのチカなんだね!」

 おかみさんの目から、光るものが零れた。

 だけど酒場は営業中だ。あたしは酒場の隅で閉店を待つことになった。

 酒場に来たお客さんは、あたしが店員をしていた頃と比べても冒険者が多い。ただ、彼らは変に沈んでいたり、陽気だったりしている。最後の晩餐か何かみたいに。もしかしたら彼らも破壊神討伐に参加するのかも知れない。


 閉店後。旦那さん、おかみさん、ミクーナさんと一緒に旦那さんの作った賄いで夕食を摂った。

 その途中で、請われるままに今までのことを話した。話も聞いた。ミクーナさんがこの店で働いている経緯。あたしがこの町を出る切っ掛けになった反乱の話。


 ミクーナさん達は、ルーメンミの一件の後で直ぐに北へと旅立ったらしい。4ヶ月を掛けてクーロンスに着いた。何もなければ4ヶ月も掛からない距離なのだけど、雪で足止めされたのだとか。

 ミクーナさんは「雪はたまに見るだけで十分よね」と言って笑った。

 その彼女は、クーロンスに着いて直ぐこの酒場で働くようになって、冒険者としての活動は仲間達が西の森へと行く場合にだけ、付き添っているらしい。


 反乱騒ぎは、おかみさん達が左大臣の不正の証拠固めをしている途中で、追い詰められた左大臣が暴走した起こしたらしい。

 その左大臣絡みの、あたしの国王からの招聘についても、そもそもが全くの虚偽で、国王は全く関与していなかったと言うことだ。左大臣が隷属の首輪を使ってあたしを手駒にしようとしていたのが真相らしい。

 これは以前にランドルさんから聞いた推測通りだった。

 町の兵士達にはおかみさんから予め、左大臣の指示を無視するように周知をしていたらしい。あたしが門を簡単に通れたのはそのお陰もあった訳だ。

 左大臣が引き上げた後、行方を眩ませたあたしをおかみさんが呼び戻そうとしてくれたらしい。通話石で。だけど、何度呼び出してもずっと応答が無く、一度だけ繋がったかと思ったら声が届かなかったって。何でも、通話石は距離が離れすぎたら、呼び出しができても声が届かなくなるのだとか。

 あの時の無言通話石の理由が判った! おかみさんだったんだ! 通話石を投げ捨てるなんて、勿体なかったよ。

 まあ、判ってしまえば他愛ないけど、あの時のあたしに何か他にやりようが有ったかって言ったら疑問しか無い。

 その前にも呼び出されていたのに気付かなかったのは、走っている時には風魔法の影響で音が聞こえなくなるせいだろうな。背負ったずだ袋からの音も聞こえないなんて、どんだけ遮音性が高いんだ。

 そして、クーロンスから引き上げた左大臣は、そのまま温和しく王都に戻るんじゃなく、反乱を実行に移したと言うことだ。

 だけど、左大臣や第1王子に人望が無さ過ぎて離反者が続出。戦う前から反乱軍は瓦解して、容易に鎮圧されたのだとか。

 確かに左大臣って、そんな推量ができるようには見えなかったよね……。

 結局、左大臣の処刑と第1王子の逃亡で反乱は終結したらしい。

 結果から言えば、あたしはクーロンスから逃げ出す必要が無かったみたい。隷属の首輪程度じゃ、あたしをどうこうできるものじゃないから。あの時点で毒を使われていたらどうなったか判らないけど、目的が目的だけに、死ぬほどの毒を使われなかったんじゃないかな。

 あの時はそこまで考えられなかったけど、それでも安易に逃げ出す決意をしてしまったのは、きっとその前から逃げたかったんだ。配達に依存する商売の在り方も不本意だった。

 それに、あの時にはとっくに、あの家が帰る家ではあっても、この町が帰る町じゃなくなっていたんだと思う。


 おかみさんもミクーナさんも邪神討伐の話をしない。あたしに参加するようになんて言わない。

 敢えて避けているような気がする。

 そう言えば、受付嬢もあたしに参加するようには言わなかった。以前の彼女なら参加させようとした筈なのに。

「今晩は泊まって行きな」

 おかみさんは言った。あたしはそのおかみさんの言葉に甘えた。

 未明。何だか寝苦しくて目が覚めてしまった。

 あ、微かに話し声が聞こえる。どうやらお店の中からみたい。だけどおかみさんも旦那さんも眠ってる筈じゃないのかな?

 もしかして泥棒?

 部屋を出て、階段を降りて、相手に悟られないように覗く。……泥棒じゃなかった。

 有ったのは、嗚咽を漏らすおかみさんの姿と、おかみさんに寄り添って慰める旦那さんの姿。

 あたしは音を立てないように部屋に戻った。

 そして、夜明けまでまんじりともできなかった。


 外が明るくなり始めた頃、あたしは酒場をそっと抜け出して自宅だった家に行く。

 直ぐには見付からないように、おかみさん宛の書き置きをそこに残す。

 そして、迷宮を目指した。


 ――おかみさんへ

   お別れの挨拶をしないまま行くことをお許しください。

   破壊神についてはあたしが終わらせます。

   だから、泣かないでください。

   おかみさんには笑顔が一番似合います。

          チカより――――


 迷宮には殆ど人が居ない。居たとしても、一心に出口に向かう人ばかりだ。

 ところが50階を過ぎた辺りから、じっと佇んでいる人も居る。きっと、討伐隊に加わるつもりなのだろう。

 この迷宮に最後に入ったのは随分前のように思うのに、道は結構憶えていた。地図を見なくても大凡の見当が付く。それで調子に乗って地図の確認を怠ったら、幾つかの階で迷ってしまった。

 頑張れあたし。

 それでも、迷宮に入って3時間くらいで90階に辿り着いた。

 90階には兵士の姿は無い。次の階に進んだみたい。

 91階からは地図も記憶も無いので虱潰しに通路を走る。分岐が有ったら、石墨で右手の壁に分岐に入った方向と進んだ方向を書いて、同じ所をぐるぐる回ったりしないように次の階の入り口を探す。

 そうして90階から最奥に辿り着いたのは、数時間後のことだった。

 案ずるよりも産むが易しだ。ルーメンミで90階から最奥まで4日間掛かったのは何だったんだ。複雑だよ。


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