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66 隙間風

 ルーメンミを発ってから1年半。

「お金を稼がなきゃ」

 あたしは塩の入った麻袋を抱えて、行き当たった町に入る。通行税の1000円を支払ったら残金は15円。塩が売れなけりゃ、獲った魚介類を焼いて食べるくらいしかできなくなる。

 あれから、ずだ袋も手放してしまって、おかしな口癖も付いてしまった。

「はぁ、死にたい」

 まあ、あたしは案外生き汚いみたいで、死ねないんだけど。生きていたいとも思わないけど。

 不意に、何かが背中を駆け上がって、頭の上からあたしの額をペシペシと叩いた。手で捕まえようとしたら、ひらりと逃げる。

 またネズミ。

 毛の色や柄が違ったりするので同じネズミじゃない筈なのに、口癖を言う度にネズミが出て来るんだ。

 叱ってるみたいにして。

「判ったわよ……。もう言わないようにするわよ」

 ネズミに向かって言ったら、ネズミは小さく頷いてから何処かへ行った。


 ルーメンミの迷宮を攻略した後のあたしは、ガベトラーを出て隣国のミオイドマに入った。

 この時点では、またやり直すつもりでいたんだ。

 だけど、いざ実行に移そうとしたら足が竦んだ。動悸が速くなって、息も苦しい。

 だから酒に逃げた。

 酔っていれば辛いことを思い出さずに済むし、これからのことを思い悩むことも無い。だからひたすらに呑んだ。

 だけど、ある時から全く酔えなくなった。アルコールを腸が吸収しないのか、吸収した端から分解してしまうのかは判らないけど、全くアルコールが効かなくなったんだ。

 そんな毎日でも、何日も一箇所に留まっていたら、また変な輩に絡まれそうな気がして不安でしょうがない。だから2、3日もしたらその町を出るようにした。

 ミオイドマの隣国ノアエールへ入る頃には、いい夢が見られると言う薬にも手を出したけど、酒と同じ結果になった。

 その先の国イクリューテスに入る頃には賭け事を始めた。賭けている間だけは賭のことに集中するから、嫌なことも思い出さずに済んだ。だから朝から晩まで賭けた。勝つことも有ったけど、負ける方が多い。迷宮で拾った魔石は、あっと言う間に泡と消えた。

 それでも賭け事は止めなかった。次の国タパランクスに入った頃には賭の資金のために、あるいは借金の形に、ずだ袋の中身を1つ、また1つと手放した。最初は1つくらい大丈夫だと思っただけだったけど、歯止めなんて利かなかった。

 そして最後に残ったずだ袋を手放した時、あたしは酷い喪失感に襲われた。自分が自分で無くなったような気がした。

 だからいっそ死のうと思ったんだ。

 だけど死ねない。首を吊るような行為は拘束魔法に阻まれて無駄だ。無意識に身を守ってしまう。

 フグの肝を食べても2、3日のたうつだけだった。その後は毒耐性が付いたのか、毒が全く利かなくなるおまけ付き。

 きっと老衰か餓死じゃないと死ねないんだと思う。

 クーロンスに行くことも考えた。だけど、おかみさんや旦那さんにどんな顔をして会えばいいって言うんだ。厳しくされれば辛い。だけど優しくされても居たたまれなくなるもの。

 それにもう、クーロンスはあたしの帰る場所じゃ無い。

 老衰には先が長い。だから餓死してしまおうかとも考えたけど、あたしには空腹への耐性が全く無かった。

 お腹が減ったら何かを食べずにいられないけど、魔法を使ったら魚を捕るのは簡単。だから、何にも食べられないなってことも無い。ただ、魚介類の塩焼き以外の選択肢が無くなるだけだ。

 だけどそれだけだったらどうしても飽きる。他のものも食べたい。だから、獲った魚を通行税のいらない村で売って、麻袋を買って、海で塩を作った。それをこのズアルソスと言う国のウェーバルと言う町で売りさばいて、野菜や調味料を買おうとしている。


「ギルド証も検査証も持ってない奴から塩なんて買える訳ないだろ! とっとと帰んな!」

「ごめんなさい」

 これで何軒目だっけ……。塩を持ち込んだ商店や飲食店で、悉く罵倒されてすごすごと引き上げるのは。

 だけどもう、このくらいじゃ何の痛痒も感じない。

 塩を買って貰えない原因は判っている。塩蟲が残した塩だ。毒を含んだあの塩を検査もせずに流通させた悪質業者が居たらしい。早ければ3ヶ月もする間に中毒症状が出て、場合によっては死に至るのだから大混乱になっている。即効性が無いから余計に質が悪い。

 塩蟲が生息していたガベトラーやミオイドマだけならまだ良かった。だけど、そこから遠いタパランクスなどでも塩蟲産の塩が出回ったらしい。それで各国商業ギルドが検査証を発行するようになった訳だ。

 本来なら、商業ギルドに登録して塩の検査もして貰わないといけない。それ以前に商業ギルドに売ってしまえばいいだけだ。だけど、あたしにはギルドに登録するお金なんて持ってない。魚なんて大量に売れるものでもないから、収入は1日に数百円が精々だ。だから闇塩のようなやり方しかできなかったんだ。

 あたしって本当に馬鹿だ……。

 こんな方法では売れる筈がないのは判り切っていたのに。だから次の店で最後にしよう。駄目なら諦める。

 目に入った店は、クーロンスのあたしの店に雰囲気が似てる。だから懐かしくて入ってみたくなったんだ。


「いらっしゃいませ」

「すみません。客ではないのです。店長さんはいらっしゃいますか?」

「店長は私ですけど……」

 何だか聞いたことが有るような声をした女性の店長さんだった。そして彼女は何故かカウンターから出て来た。綺麗なおみ足だ。

「それは失礼しました。実は塩を買っていただけないかと思いまして」

「チカ?」

「いえ、チカではなく、塩をですね……」

「何を言ってるの? あなたチカでしょ? 天ぷら屋のチカ!」

「あ、あの、あたしをご存じなのですか?」

 こんな所に知り合いなんて居ない筈だけど……。

「やっぱりチカなのね? 貴女どうしてこんな所に居るの!?」

「え、あ、あの塩を……」

「もう塩はいいのよ! ちゃんと前を見なさい!」

 言われて気付いた。あたしの視界に入っているの女性の足だけだ。ずっと下ばかりを見ていた。

 重く感じる首を上げる。女性の腹が見えて、大きな胸が見えて、首が見えて、そして……。

「メリ……ラ……さん?」

「そうよ! 私よ!」

 確かにメリラさんの顔、メリラさんの声だ。ずっと聞きたかった声の筈なのに、どうしてあたしは気付かなかったんだ……。

 いや、理由は判っている。今のあたしの姿をメリラさんに見られたくなくて、頭が拒否していたんだ。

「ごめんなさい。お騒がせしました」

 恥ずかしい。こんな姿を見られたくなかった!

 あたし店を出て行こうとした。

「待って! お願いだから、待って!」

 だけどメリラさんの絶叫に、足が動かなくなった。

「そんな(なり)をした貴女を、このまま行かせる訳にはいかないわ!」

 そう言われれば、最近は洗濯をさぼり気味だった。

「だけどメリラさんにご迷惑が……」

「そうよ! このまま出て行かれたら迷惑よ! 貴女のことが心配で夜も眠れなくなるじゃない! だから私のことを少しでも思ってくれるならここに居て! お願いだから居て!」

「判り……ました……」

 少し涙声になっているメリラさんの声に、あたしは頷くしかなかった。


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