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54 優しい嘘

 開店して最初の日曜日は塩作り。次の水曜日に、チーズの買い出しに行った時に売る分だ。1日を掛けて麻袋に2袋分を作った。

 だから氷室は後回しになっているけど、どこに置くかの検討はした。本格的なものを設置してしまえば料理ができなくなるか、身体(からだ)を洗えなくなるかの選択を迫られる。台所か洗い場のどちらかが潰れちゃうんだよね。盥くらいなら大丈夫だから、氷室もどきにして毎朝毎晩水を捨てるようにするのが精々かな?

 水曜日の買い出しの後にでも試してみよう。


  ◆


 週が明けた月曜日。10月に入っているけど、まだまだ暑い。雪が降らない地域だけのことはある。

 売り上げは、考えたくない。


  ◆


 火曜日は生憎の雨模様。これでは開店休業確実だけど、雨のせいだと思えば気分も楽だ。

「こりゃ、もう店仕舞いだな」

 お隣のパン屋さんの独り言が聞こえた。パンが雨に濡れては売り物にならないから、雨の日の営業は難しそう。

 薩摩揚げやチーカマは少しくらい雨に濡れても大丈夫だから、雨の日でも営業できなくはない。

「あんた、今日もまだ店を続けるのかい?」

「え?」

 近くに聞こえる声に驚いて振り向いたら、パン屋さんが仕切りの上からこちらを覗き込んでいた。

「こんな雨じゃ、どうせ客なんて来ないぞ?」

「あ、でも……」

 あたしは目を伏せた。パン屋さんの言うことは尤もだ。しかし、お店を開いていれば売れる可能性だけは残る。閉店してしまったら、その可能性すら無くなってしまう。

「それに、そんなしょぼくれた顔をしていたら、来る客も逃げてくぞ」

「え!? あたしって、そんな風に見えます?」

 びっくりした。自分では全く気付いてなかった。

「ああ。今すぐ消えてしまいたいって顔だ」

「そんなに酷いですか……」

 確かに、暗い顔をした店員の居る店で買い物したいお客さんなんて居ないよね……。

「売れ残りで悪いが、これでも食って元気を出してくれ」

 パン屋さんは柔らかいパンを3つ差し出して来た。

「え? あの……」

「心配しなくても、金なんて取らないよ」

「あ、すみません。頂きます」

 躊躇してしまったら、いらぬ誤解を与えてしまったようだ。

 パンは、皮がふかふかなものも有れば、かちかちなものも有った。

 あたしは直ぐに、薩摩揚げとチーカマを3つずつバナナの葉にくるんでパン屋さんに差し出した。

「お返しと言っては変かも知れませんが、これをどうぞ」

「だけどそれ、売り物だろ?」

「いえ、今日はもう店を閉めますから売れ残りです」

「そうかい? それじゃ、貰うよ」

 パン屋さんは眉尻を下げつつも、薩摩揚げを受け取ってくれた。

 先に朝早くから営業するための対策をしてしまおう。このままじゃ、また夜に哀しくなっちゃうから。

 手早く店仕舞いして帰宅する。


 帰ってから最初にするのは薩摩揚げとチーカマをフリーズドライにすること。日課だし、もう何度やったか判らないくらい繰り返している、大して時間も掛からない。

 こんなのを熟達してどうするんだろうね……。

 それから氷室もどきを置く場所を決めて、寸法を確認してから材料を買って来る。盥、大小二つの木箱、背もたれの無い椅子。今日は雨合羽が大活躍だ。

 大きな木箱に氷を敷いて、小さな木箱を入れて隙間に氷を詰める。小さな木箱を魔法で冷却した後、冷蔵する食品を入れて蓋を閉めて、氷を被せて大きな箱の蓋を閉める。その木箱を盥の中に立てた椅子の上に横倒しで置いたら、氷室もどきの完成。

 箱を横倒しにするのは、氷が溶けた水が蓋の隙間を通って盥に落ちるように。始めから冷蔵庫のように横から開くようにできればいいんだけど、氷を満遍なく詰めようと思ったら、こうするしかなかった。

 今日入れているのは、試験的に野菜だ。


  ◆


 水曜日。朝から魚を仕入れて氷室もどきに入れる。

 昨日のは色々失敗だった。横倒しにした時に食材が散らばったみたいだし、思ったより氷が融けてしまって無くなっていた。

 食材が散らばらないようにもだけど、氷が融けないようにしなくちゃ……。

 拘束魔法なら100キロメートルや200キロメートル離れてたって維持できるけど、普通の魔法は目で見える範囲くらいでしか維持できない。だから氷がこんなに融けるようじゃ、毎日何度も氷を入れ替えなきゃならなくなってしまう。そんなのやってられない。食材を出し入れする時だけで済むようにしたい。

 冷蔵庫が無かった昔はどうしてたんだっけ?

 あ! 藁か。ベッドに使った残りが有るから、あれを巻き付けよう。

 食材が散らばってしまう対策には、食材を入れた籠に、もう一つの籠を被せて、紐で縛って固定した。


 そしてジーメンスラに買い出しだけど、初めて塩を売る今日に限っては、先にラジアンガへ行く。

「塩を売りたいんですが」

「あ、この間の方ですね! 早速、見せていただけますか?」

「はい」

 受付嬢に喜色が浮かんだ。

 あたしは塩の入った麻袋をカウンターに置いた。60キログラムは入っている筈。

「これが全部塩ですか?」

「はい」

「査定いたしますので、少々お待ちください」

「はい」

 待合室でじっと待ってるのも手持ちぶさただし、退屈。紙があれだけ高価なんだから、雑誌なんて当然のように無い。暫くキョロキョロ室内を見ていたけど、飽きてしまったので椅子にもたれて目を瞑る。

 ん? 何だか遠くで誰かが呼んでいるような気がする……。

「……方ー! 塩の査定をお待ちの方ー!」

 はっ!

 呼ばれていた。たった今、目を瞑ったつもりだったのに、結構時間が経っている様子。

 瞬間的に眠っちゃったか……。

「はーい!」

 急いで受付に行く。

「すみません、少し眠ってしまったようです」

「いえ、お待たせして申し訳ありません。それで、査定についてですが、大変申し訳ないことに、1リブに付き200ゴールドです。全部で162リブ有りましたので、総額は3万2400ゴールドとなります」

「え?」

 1キログラムで500円の勘定だから、随分高い? 日本の高価な塩ならもっと高かったかな? だけどあっち小売りだから、少し高めになってる筈……。

「申し訳ありません。王都であればこの倍の値が付くとは思うのですが、この町では海塩は安くなってしまうのです」

「あ、いえ、思ったより高くて驚いたんです」

「苦味も無く、水に溶けないものも含まれていない高品質な塩ですから、本当ならもっと高価なものですよ」

「そうなんですか」

「はい。それで買取の方はどうなさいますか?」

 確かにファラドナで買ったらもっと高かった気がする。だけど、元手なんて掛かってないから、少しくらい安くても問題無い。

「それで、お願いします」

「かしこまりました」

 麻袋1つ分の塩で3万円余りだから、薩摩揚げより収入が多い。薩摩揚げとチーカマは、毎日作っている600個が全部売れても3万円なので、なんか微妙……。


 チーズの買い出しから戻った後は、明日の分の薩摩揚げとチーカマを作る。それぞれ、完全な揚げ色や焼き色が付く寸前までだ。

 氷室もどきの様子を確かめたら、氷が半分以上残っていた! これなら使える!

 その氷室もどきには揚げて粗熱を取った薩摩揚げとチーカマを入れる。これでやっと今日の仕事はお終いだ。


  ◆


 木曜日。朝一番は魚の仕入。

 仕入れから戻ったら、氷室もどきに入れていた薩摩揚げとチーカマを取り出して、仕入れたばかりの魚を入れる。

 薩摩揚げは完全に揚げ色が付くように揚げ直して、チーカマも完全に焼き色が付くように焼き直す。既に火は通っているので、色の問題だけだ。

 火を入れ直した薩摩揚げとチーカマを持って屋台に急ぐ。

 早い時間は、嘘のように人通りが多かった。あたしの屋台の前でも、ひっきりなしに人が通る。近くの屋台からの呼び込みの声も一段と大きい気がする。

 その様子に若干圧倒されたけど、手早く掃除を済ませて開店した。時間は8時半過ぎ。

「いらっしゃいませーっ! 薩摩揚げにチーカマはいかがですかーっ!」

 あたしも開店を知らせる意味もあって、声を張り上げた。

 そうしたら、ちらほらとお客さんが来てくれた。

「珍しい食べ物ね。安いし、試しに買ってみようかしら。1つずつ頂戴な」

「ありがとうございます」

 殆どはこんな感じで1つか2つずつを買っていくお客さんばかりだけど、1時間くらいで合計100個くらいは売れた。

 嬉しい!

 だけど売れたのは、人通りが多かったからだけじゃなかった。途中で気付いたのだけど、お客さんの多くはお隣のパン屋さんのパンを持っていた。気になってパン屋さんの方を見てみたら、こっちを指差してお客さんと何やら話している姿が見えた。そのお客さんがあたしの店に来て1つずつだけど買ってくれるのだ。

 涙が出そうになった。


 10時を過ぎた頃には人通りが無くなった。あたしが一昨日まで店を開いていたのが11時過ぎ。売れなくて当然だったよね……。

「よう、調子はどうだい?」

 声のした方を見たら、パン屋さんが仕切りの上から顔を覗かせていた。

「あ、はい。少しですが売れました!」

「そうかい、それは良かった。朝から店を開けるのは無理なように言っていたのに、問題は解決したのかい?」

「はい。少し手間が掛かりますが、何とかなりそうです」

「だったら大丈夫だな。そうだ、チーカマだったかな? 残っていたら10個ほど売ってくれるかい?」

「はい。少しお待ちください」

 あたしはいそいそとチーカマをくるんでパン屋さんに渡して、代金の500円を受け取った。

「何だか、内のかみさんが気に入ったみたいでな。いつもなら『無駄遣いするんじゃないよ』なんて言う癖に、今回は『何でもっと早く買ってこなかったの』なんて言う始末さ」

「あはは……、仲がいいんですね」

「今の話でそう来るか。まあ、もう20年以上連れ添ってるからな」

「素敵だと思います」

「止してくれ、恥ずかしいじゃないか」

 パン屋さんは若干顔を赤くした。

「あの、ありがとうございました!」

「どうした!? いきなり」

 唐突だったけれど、あたしは深く頭を下げた。

「パン屋さんが、あたしの店をお客さんに紹介してくださっているのが見えました」

「そんなことかい。気にしなくていいよ。こっちにも打算が有るからな」

「打算、ですか?」

「そうさ。あんたみたいな若いコががニコニコして立ってれば客の目も惹き易い。あんたに釣られて客が来れば、こっちもお零れに与れるってもんだ」

「あはは、判りました」

 パン屋さんの言葉は明らかに嘘だ。だけど、とっても優しい嘘だ。

 あたしは頬が緩むのを自分で感じた。

「うん、いい笑顔だ」

 パン屋さんもニカッと笑った。


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