48 新居
新居で整えないといけないものは色々あるけど、いの一番に用意するのはベッドだ。半分は寝るための場所なんだから。
前の時はとんでもなく高い布団を買ってしまったけど、今回は買わない。後から知った話だけど、大抵の人は藁にシーツを掛けてベッドにしているらしい。布団なんて高価なものは、そもそも買わないものだったんだ。
そんな訳で、農家に藁を買いに来た。
温暖な土地柄だからか、2期目の稲穂が青々としている農地が多い。それでも中には丁度脱穀を終えたばかりの藁が畑に幾つも積み上がっている農地も有る。一期作か二毛作なんじゃないかな。
藁そのものは安い。1000円を支払って、人の背丈ほどに積み上げられた藁の山1つ分までなら好きなだけ持って行っていいらしい。随分大雑把だ。1山全部ならば200キログラムくらいになりそうだけど、ベッド1つ分にはこの半分で良さそうな感じ。
一旦ベッドの形に並べて量を確認して、直径10センチほどの束を作って行く。一通り束にし終わったら、長い2本の紐で全ての束を繋ぐ。それをロールケーキのように巻けば、転がして動かすことも可能だ。機械化されていて一度に大きな束を作れるのならこんな手間は要らないのだけど、手作業だとどうしても余分な手間が掛かってしまう。小さい束を作るのに8割方の時間を使ってしまった。
「あんた、それを一度に運ぶつもりなのかい?」
「はい。こう見えて、結構力持ちなんですよ」
呆れたように言う農場主に、あたしは左手を右肩に当てて、右腕で力瘤を作る仕草をした。力瘤なんて全然できないんだけどね。
「いやいや、力が有りそうには見えないから」
「でもほんとは、そんなに力は要らないんですよ。ほら、こんな具合に」
そう言って、あたしは捲いた藁束を転がして見せる。
「やってみますか?」
「勿論だ」
農場主が藁束を転がして、「ほお」と感心したような声を洩らした。
「思ったより、しっかり転がるもんだな」
「時間が掛かってますから」
「確かにな」
朝から来ていたのに、既に午後。荷車を使った方が遙かに早いのだから、こんなことをするのはあたしだけだろうな。
「それでは、これで失礼します」
「おう」
コロコロと藁束を転がして、街道とは反対の森へと向かう。街道には馬糞が落ちていて、その上を転がす気にはなれないんだ。転がす気になれないからって、人目に付く道で抱え上げるのも考えものだしね。だから人目に付かない森を抜ける訳。畦道にも少し馬糞が落ちているけど、街道ほどじゃない。この程度なら道を確かめながら転がして、転がしたくない場所だけこっそり持ち上げるのも許容範囲さ。
農地と森の間の草地に入ったら、藁束を抱え上げてスタコラサッサと走る。森を抜けて下町の西に出た所で一旦藁束を地面に置いて、魔法で熱を加えて殺虫と殺菌をする。それからまた転がして家に帰る。
ベッドは作り付けになっている。きっと作り付けだから残ってただけで、そうじゃなければ誰かが持ち去っていたんじゃないかな。何故かって? 見て回ったどの空き家にも家財道具が全く無かったんだよね。空き家に勝手に住んで良い、と言うだけのことはある。
ただ、勝手にと言っても、1人で何軒も使うのはローカルルールで禁止されているらしい。そりゃそうだ。「倉庫だ」とか言って、独り占めするような人が居たら喧嘩になるもの。
ベッドも昨日の内に丸洗いしたので、直ぐに藁を敷き詰める。藁束の一番外側には転がした時の土埃が付いているので、その部分を水洗いして乾かしてからだけど。
これにシーツを掛ければ完成なのだけど、シーツは今から買ってこなきゃいけないのだった。
城壁内に入るには、市民、冒険者ギルド、商業ギルドのいずれかの登録証が有ったら無料。無ければ通行税として1000円を徴収される。これが地味に痛い。しかし、唯一無料で登録できる冒険者ギルドには登録したくないので、今は我慢だ。
寝具店ではシーツと毛布を買って、冒険者用品店ではフード付きのマントを買って、町外れの木工所ではテーブルと椅子とブナの板を数枚買う。これらは紐で括って、背負って帰る。何気に通り掛かったからジロジロと見られた。
一瞬ヒヤッとしたけど、考えてみたら、大きな荷物を背負っていれば目立つから見るよね。ちょっと重そうだし。だけどこれは大きいだけで、重さそのものは30キロか40キロかってところなので、チートが無くても背負えないほどじゃないんだ。
それでもできればこんな風にだって目立ちたくなかったけど、まあ、今回ばかりは仕方がない。
家に帰ったら、テーブルと椅子を設置して、シーツをベッドに掛ける。
早速ベッドを試してみる。
……ごわごわする。シーツ1枚だけだと結構気になる。
試しに毛布を敷いた上に寝てみる。
これならそんなにごわごわしない。問題なく眠れそう。
だけどまた今度、毛布とシーツを追加で買わないとね……。布団代を節約するつもりだったのに、それなりに高価な毛布をもう1枚買ってしまったんじゃ、大した節約にならないじゃないか。がっかりだ。
それでも安眠は大事だもの。今晩の寝心地を少しでも改善しなくちゃ。
そして、あーでもない、こーでもない、とやっている内に、1日が終わってしまった。
◆
新居生活2日目は西に走る。チーズの調達に行くのだ。
西に行って初めて判ったのが、北西に見えていた森がかなり南の方まで張り出していたこと。街道はその森を南に迂回している。だけどあたしは当然のように森を突っ切る。その方が人目に付かなくていいんだ。
森に入って直ぐの場所には魔物が殆ど居ない。だけど、少し奥に入ったら跋扈している。とは言っても、ヘルツグに程近い山の中の魔獣みたいな凄みは無い。みんな小型だ。
魔物には獣から変わった魔獣と、生粋の魔物が居るらしい。ゴーレムのようなのや、幽霊のようなのは多分生粋の魔物。足の多い蜘蛛のようなのや、巨大なナナフシみたいなのはどっちなんだろうね……。どっちにしても、生理的な嫌悪感だけは凄まじい。
森の縁の近くにはそんな小型の魔物さえ居なかったのだけど、これって人が討伐したからって訳じゃ無さそうだよね。討伐し切れるものじゃないもの。森の中でしか生きられないからって理由の方が、何となくしっくりくる。
少し面白いのは、獣が魔物化するように昆虫が魔物化しても、魔獣とは違って「魔虫」とは呼ばれないらしい。ざっくり言ったら、食用になる獣の見た目をした魔物が魔獣なのだとか。ってことは、虫の見た目で食用になるなら「魔虫」って呼ばれるのかも知れない。
森は鬱蒼としていて、そのままでは蔓や蔦が絡み付いて走り難い。だから前方に風刃魔法を飛ばして切り開きながら進む。勿論、外からは見えない奥に入ってからだけど。
ファラドナから30キロメートルくらい進んだ所で前方に人影が見えた。木陰に隠れて様子を覗う。
人影は向かって左から右に動いている。時折腕を振り回すようにしているのは、何かを剣で切ってるんじゃないかな? 虫や魔物に絡まれているのかも。
だけどそれは、人影の仕草から来る予想じゃないんだ。足を止めたからか、当に今あたしが虫や魔物に思いっきり凄まれている。
気持ち悪い。
中には見るだけで気持ち悪いのも居るんだよね……。払いたいのに払いたくない。矛盾に満ちてるけど、台所のGだってそんな感じでしょ? 排除はしたい。だけどそのためには触らきゃいけない。でも触りたくない。こうなることが判ってたら足を止めたりしなかった。同じ過ちは繰り返すまい。心に誓おう!
人影が見えなくなるのを待って、人影が通った場所に行く。
そこは馬車がぎりぎり通れそうな幅の道だった。
そう言えば、この辺りに迷宮が在るんだった……。
だけど今はそんなことより、あたしに凄んでいる虫や魔物の始末だ。
四方から風を吹かせて吹き飛ばしてみる。だけど吹き飛ばせたのは半分程度。背中は見えないので、吹き飛ばせてるかどうかも判らない。これではいけない。
水を使ったらびしょ濡れになって宜しくない。
雷は使ったことが無いし、ずだ袋に入っている携帯電話にも悪影響しそうだから、何処かで練習してからじゃないと危険だ。この世界で携帯電話が有っても仕方がないのだけど、そこはそれ、やっぱり捨てるには惜しい。
後、燃やすのは論外だから、他に出来ることは一つだけかな?
ずだ袋を降ろす。間違っても失くさないように、ずだ袋には紐を結んで、その紐の端を手に握っている。そして魔法で周囲の温度を上げる。セルフサウナだ。汗が噴き出す。それでも我慢して温度を上げると、ポタポタと張り付いていた魔物が落ち始めた。
もう我慢の限界、と言うところまで粘ってから、魔法を止めてそっと背中に手を回してみる。
背中に何かが張り付いている様子は無い。身体を見回してみても何も張り付いていない。
「ほうぅぅ」
溜め息が漏れた。ほんとに安堵した。
だけど何だか身体がべたべたするぞ?
うっわ、汗で服がびしょびしょ……。
仕方がないので、道を逸れて水で汗を洗い流して、温風乾燥で服を乾かした。
最初から水を被っていた方が、暑い思いをしなくて済んだのかも……。とほほ。




