46 依頼の発注
目標さえ決まったら早いもので、夕方を待たずに住む家の候補が決まった。比較的状態がいいのは勿論、バッテンの反対側も無人の家を選んだ。
候補にした家からは空き家を示す木札を外して、誰も入れないように拘束魔法を掛ける。これで安心だ。
後はバッテンの家の撤去を冒険者ギルドに依頼するんだけど、これはまた宿屋のオヤジさんに相談してみよう。
もう夕食の時間だから、宿屋に戻って、夕食を食べて、それからまた食堂が一段落してオヤジさんの手が空くのを待ってから。
つまりもう夜。待ち時間が長いけど、こればっかりは相手の都合も考えなくちゃ。
頃合いを見計らって、相談したいことが有るからって声を掛けた。
「冒険者ギルドへの依頼の出し方ってご存じですか?」
「依頼? 知ってはいるが、何をしようって言うんだ?」
「バッテンの付いた家を撤去して貰おうかと」
「撤去?」
「その家の横の家に住もうと考えています」
「そう言うことか。それも、有りっちゃ有りだな」
オヤジさんは何やら逡巡した。
「よっしゃ。俺が代理で出してやるよ。勿論、手間賃は取るがな」
「え?」
いきなり話が飛んだ!
「方法を教えて貰えれば、後は自分で……」
厚意に甘えて、やって貰った方が確実だから、尻窄みになってしまった。
「それが、そうもいかない。依頼を出せるのは市民かランク4以上の冒険者に限られててな。平たく言ったら、塀の中に住む権利を持ってる奴だ」
「それだと、ご主人も依頼を出せないのでは?」
下町に住んでいるのだから、市民権が無さそうに思うんだけど……。
「ところが、俺は市民なんだよ」
「ええ!? それじゃ、どうしてここに住んでるんですか!?」
「まあ、壁の中よりもこっちの方が性に合ってるってことだ。生まれ育ったのもここだしな」
「では、ご店主のお父上の代から?」
「いや、爺さんの代からだな。爺さんが住み始めた時は、ここにはポツンとこの宿だけが建っていたそうだ」
「すると、この壁の外の町はこの宿から始まったんですか」
「そうなるな。その後で、何人かの市民がこの横に二階建てを建てて移り住んで、その後に市民じゃない奴らが住み着いたらしい」
「じゃあ、二階建ての建物に住んでいる人は、みんな市民なんですか?」
「いや、壁の中に戻った奴も居るから、半々だな」
さすがに二階建ての建物には誰かが勝手に住み着いた訳じゃなく、以前の住人から買うか貰うかしているらしい。
「なんか、特別感がありますね」
「まあな」
オヤジさんはニヤリと笑った。
話が逸れてしまったので戻すとしよう。
「それで、冒険者の報酬なんですが、10万ゴールドくらいでいいものでしょうか?」
「それだけ出したら、2、3軒壊して貰っても良さそうだな」
「壊すだけじゃなく、廃材を全部町の外に出して貰わないといけませんから」
「それも有ったか。そこまでやるなら10万でも少し割がいい程度の仕事になるか」
「それじゃ、10万でお願いします」
「判った。他に、ギルドの依頼料が報酬の半額の5万掛かるが、それは良いか?」
「はい」
「それと、俺の手間賃は1万だな」
「判りました。依頼の時にご一緒しますので、依頼が終わったらお支払いしますね」
「いいだろう」
早速、明日依頼しに行くことで話を纏めた。
撤去する予定の建物は、家と言っても小さくて、日本風に言うなら六畳の倉庫が二つ繋がった程度の大きさしか無い。だから、報酬も高額にならずに済む。手作業だけだったらどうか判らないけど、この世界には重機が無い代わりに魔法が有るんだから、必要な人手は大差ないだろうしね。
翌日の午前。宿屋のオヤジさんと一緒に冒険者ギルドに行った。
依頼自体は簡単。依頼の種類、見出し、概要、詳細、募集件数、依頼人、報酬、募集期間、執行期間を、見本を真似て書くだけでいい。できれば罫線を印刷した用紙が欲しいところだけど、全くの白紙に全て手書きで書き綴る。
依頼人の欄を書く時に、初めて宿屋のオヤジさんの名前がボリバルグだと知った。
全て書き終わって不備が無いか見直したら、受付に持って行く。料金を支払って割り符を貰ったら依頼は完了。支払うのは15万1000円で、受注者が現れなかった場合には掲示料以外の15万円が払い戻される。1000円は掲示料な訳。
ギルドの依頼料が報酬の5割って言うのは高額に見えるけど、その中の半分は冒険者の代わりに納める税金の源泉徴収分。ギルドの手数料は2割5分になる。その問い合わせが多いようで、尋ねるまでもなく説明してくれた。
冒険者ギルドを出て直ぐに、ボリバルグさんに1万円を支払った。
「お手数をお掛けしました」
「なーに、この程度のことで小遣い稼ぎができるのは有り難いことだ。また頼むよ」
「またって、それじゃ依頼が失敗するみたいじゃないですか」
「お、それもそうだな。わっはっはっは」
今回の依頼だと代理を務めてもリスクが無いためか、ボリバルグさんは上機嫌。
あたしの方は、どちらかと言ったら不安の方が大きい。受注者が居なかったら何も進まないもの。
依頼が張り出されるのは明日からなので、ボリバルグさんとはここでお別れして、市場を回ってみよう。
まずは魚市場。何たって、薩摩揚げとチーカマの材料にする魚だもん。値段を調べておかなくちゃね。
商店と屋台の中間みたいな店が並ぶ中を歩く。
ピークは過ぎた後みたい。混雑はしていても人にぶつかる程じゃないし、行き交う人にもどことなく弛緩した空気が漂っている。それに、店頭の台には空きが目立つ。
仕入れる時はもっと早い時間に来なくちゃいけないね……。
それでも、中には慌ただしく動いている人も居る。ピークを過ぎていても、新しく入荷する魚も有るみたい。多分、ピークに合わせて入荷する魚とは漁獲方法が違うんじゃないかと思う。
だけど、そんな魚を仕入れる場合にはじっと待ち構えるのかな?
まあ、どうでもいいことなんだけど。
鱈は当然のように品物が無い。ボラやシーバス、鯵が安くて、サメが叩き売られているのはヘルツグと同じ。鰯は驚くほど安い。鯛も安く感じるのだけど、あたしが日本人だからだろうな。薩摩揚げの材料にするにはかなり厳しい。
値段的に鰯は魅力だ。魚を食べ慣れている人達なら、少し生臭さが有っても大丈夫じゃないかな? 鰯の薩摩揚げも有りだよね。
そして鰹も安い。鰹と言えば鰹節だけど、作り方を知らない……。
あ! もしかしたら純三さんが知っているかも?
次は青果市場。
魚市場と違って、店頭に空きは見られない。魚ほど鮮度を求められるものでもないものね。のんびりしている感じ。買う方もそれが判っているらしくて、急いだりはしていない。
玉葱や人参は問題なく有った。ジャガイモよりもサツマイモやサトイモが多く売られている。ナスやピーマン、ホウレンソウも安い。唐辛子や生の生姜も有る。初めて見る野菜も色々売られているけど、これらは食べ方が判らない。
天ぷらにしたら何でもありだって気がしないでもないけど。
コリアンダーの葉みたいな香辛野菜は勿論、コリアンダーの種子や胡椒なんかの香辛料も青果市場で売られている。全部原形のままで。胡椒は粒で、ターメリックは生姜のような見た目そのままなのだった。
米も沢山売られている。小麦より多くて、明らかに短粒種のものも有る。今度試してみなければなるまい。
柑橘類やバナナも沢山売られている。見たことの無い果物も一杯だ。
これなら乾燥かき揚げがおやつの日々から脱出できるんじゃないかな? 実は、薩摩揚げを売るようになって以降もかき揚げは揚げていたんだよね。その殆ど全部を乾燥させて、非常食兼おやつにしていたのだ。純三さんに譲ったのもその一部。
その次に精肉市場なのだけど、狭い。驚くほどに狭い。店が、1、2、3、4軒しかない。魚市場や青果市場が20軒以上、軒を連ねていたのとは大違いだ。
売られているのは、豚肉、鶏肉、卵、ハム、ベーコン、ソーセージだけだ。ソーセージは豚の腸で作ったらしきものだけが有る。日本で言うフランクフルト・ソーセージだ。この町の畜産は豚と鶏だけ何じゃないかな。
豚肉の値段は高い。クーロンスよりも明らかに高い。ハムやソーセージは言わずもがなだ。鶏肉の値段はクーロンスと大差なく、卵は安いのが救いだ。
そして、ここにはチーズが無かった。チーズが無ければチーカマが作れない。どうしたものか……。
市場には雑貨店も有る。粉末になった香辛料……、あー、加工しているかしていないかで売ってる店が違うんだ。それはともかく、塩やなんかの調味料の他に、僅かながらチーズも有った。だけどべらぼうに高い。クーロンスの数倍だ。とんだ高級品だったよ!
その代わりでもないけど、油はクーロンスより一桁安い。ものによってはもっと安い。揚げ物が普通に有る筈だよ。
最後に屋台。大きくは食料品とそれ以外に別れている。食料品の方は更に、料理を売るのか、食材を売るのかで別れている。
料理を売る屋台は概ね定食屋みたい。かなりの賑わいだ。どの屋台も客がひっきり無しに出入りしている。
……と思ったら、もうお昼だったよ。
ナンのようなものに素揚げの魚と野菜の餡を包んだ料理を売っている店もある。ホットドッグ屋みたいなものだよね。持ち帰りできそうだけど、大抵の客がその場でかぶりついている。
包み紙が無いせいかな? あのナンみたいなものがあたしが使ってたクレープみたいなものだったら、あれが包み紙だけど……。どう見たって、あれ込みの料理だ。
そんなこんなの屋台を1軒ずつ覗いてみたけど、練り物の類は見当たらなかった。昼食を摂るのに入った食堂のメニューにも。
ヨーロッパでカニかまなんかを「スリミ」って言うように、案外、練り物の文化は育たないものなのかも知れない。
食材を売ってる屋台は、店舗を構えている店に比べたら品数が少ない。その代わりかどうか知らないけど、値段は少し安いみたい。他の町との交易品らしき品物の屋台も多い。
チーズ専門の屋台も有った。店舗で見たよりも品数は多いけど、値段は殆ど一緒だ。
「おねえちゃん、見ない顔だがチーズに興味が有るのかい?」
凝視していたせいか、屋台の店主に見咎められた。
「はい。ですが、少々お値段が……」
もごもごとした言い方になってしまったけど、言い難いから仕方がないのだ。
店主も少々渋い顔になった。
「もっと安くしたいのは山々なんだが、どうしても運搬費が掛かるんでな。これでもギリギリ安くしているんだ」
「やっぱり、そうなんですね」
「ほお、見当は付いていたのか」
「はい。売られている肉が豚と鶏だけだったので、この町ではチーズを作ってないんだろうとは思いました」
「魚がこれだけ豊富で安けりゃ、大抵のやつは魚を食うからな」
「このチーズはどこから運んでいるんですか?」
「これか? 一番近いのはここから西に30イグの所に有る町だな」
約120キロメートル。
「かなり遠いですね」
「だろ? 往復で1週間だからな」
あたしは小玉のリンゴくらいの大きさのチーズを1つ、5000円で買う。チーズの産地についてもうちょっと聞きたいから。
店主は「しょうがないなぁ」と言いたげにしながらだけど、教えてくれた。
一番近い町から更に西や北西に20キロメートルほど離れた町でも酪農が盛んらしい。
これはもう買い出しに行かなきゃだ。人目に付かないようにして。
下町に戻ったら、直ぐに純三さんの家に行く。
『すみません。鰹節の作り方を知りませんか?』
『鰹節なら有るぞ』
『ほんとですか!?』
『ああ、5本を1万ゴールドで譲ろう』
『買います!』
即決した。
純三さんの自作らしい。ありがたやぁ。




