44 味噌と醤油
この宿屋では朝食も魚だった。素揚げの魚にソースを掛けたものと、魚のスープ。
揚げ物が普通に有るよ……。油がどこでも高い訳じゃなかったんだ。もしかしたら薩摩揚げも有る? もしそうだったらこの町では商売ができないんだけど……。家を借りる前に調べなきゃだ。
……最初から気付けよ、あたし。
「何、朝っぱらから黄昏れてるんだ?」
「あ、おはようございます、リアルドさん」
「そんじゃ、さっさと行くぞ」
「はい」
質問には答えなかったけど、リアルドさんも追及する気は無さそうだった。
リアルドさんもどこに行くのか言わなかったけど、行くのは昨日話した醤油を作っている人の所にだ。
連れられて行った道には見覚えがある。多分昨日走り回った時に通ったんだ。
リアルドさんはその中の一軒の前で止まった。
「おっさん、居るかーっ!?」
「『おっさん』は止せといつも言うとるだろうが! 『お兄さん』もしくは『おじさま』と呼べ」
リアルドさんが戸を開けつつ呼び掛けたら、正面の部屋から中年男性が睨んでいた。
「『お兄さん』って年かよ」
「それで、悪ガキが今度はどんな悪戯をしに来た?」
「おっさんこそ、『悪ガキ』をいい加減止めろよ」
「お前なんぞ、俺にとっちゃいつまでだって『悪ガキ』でしかないわ」
あ、宿屋のオヤジさんが醤油を作った人が来たのは随分昔だって言ってたよね。だったらリアルドさんが子供の時からの付き合いなのも当然だ。
「マジかよ……。まあ、耄碌した孤独死間近のおっさんだしな……」
「『孤独』は余計だ、馬鹿もんが!」
え……。引っ掛かるのは「孤独」の部分なの?
……あたしもあんまり他人のことは言えないけど。
「いやいや、一人寂しいのは辛いよなぁ」
リアルドさんは、ニヤニヤ笑って挑発を続ける。中年男性は渋い顔だ。
「それで、そんなことを言いに来たのか?」
話を逸らした! まあ、言い合ってても解決しない問題だもんね。
「おっと、そうだった。このねぇちゃんが醤油を欲しいってんで、連れて来たんだ」
「醤油?」
あたしがリアルドさんに半分隠れるような位置に立っていたせいか、中年男性は覗き込むように身体を傾げる。そしてあたしを見た途端に眼を細めた。
『もしかして、日本人か?』
『はい、そうです。って、ええ!?』
日本語で話し掛けられた!?
『俺も日本人だ。三園純三と言う』
『あ、初めまして。油上千佳です』
反射的に自己紹介を返して、お辞儀した。純三さんも『ご丁寧にどうも』とお辞儀を返してくれる。
何だか和んだ。
『あの、貴方はどうしてこの世界に?』
『多分、お宅と変わらないと思うが、神だと名乗る奴に連れて来られた』
『あの女神は……。あたしだけじゃなかったんだ……』
『女神って?』
『はい。あたしをこの世界に連れて来たのは、女神です』
『待て。俺の時は男神だったぞ?』
『え!?』
二人で顔を見合わせた。
『お宅はこの世界のどこに飛ばされて来た?』
『もっと北のクーロンスと言う町の近くです』
『俺は、ここの少し西に有るルーメンミと言う町の近くだ。もしかして、そのクーロンスって町の近くに迷宮が無かったか?』
『有りました!』
『やっぱりそうか』
『やっぱりとは?』
『他にも地球の出身者に会ったことが有ったんだが、みんな迷宮の有る町で暮らしていたと言っていたんだ』
『他にも居るんですか!?』
『正確には、居た、だな。みんな死んでしまった』
純三さんは少し遠い目をした。
『あの、貴方の会った人達ってどうやってこの世界に来たんでしょう?』
『はっきりとは判らん』
『神様のことを話さなかったんですか?』
『ああ。相手はアメリカ人やらフランス人やらだったんでな。英語やフランス語は判らんし、この世界の人間にはあまり聞かれたくない話なんで、人目を避けて話をしようと思っていたら、その機会が無いままな』
『そうだったんですか……』
『だが、境遇は俺達とそう変わるものじゃないだろう。そう考えれば迷宮と神は関係しているのかもな』
『邪神の復活がどうのってやつですか?』
『邪神?』
『女神に言われたんです。邪神の復活を阻止しろみたいなことを』
『俺は聞いてないな。俺の場合は、間違って死なせたからとか言って、神が土下座して来ただけだ』
『土下座!? あたしは小馬鹿にされただけでしたよ!?』
『何だ? それは』
『よく判りませんけど、あたしは死んでもいませんよ?』
『何だと!?』
純三さんは目を見開いた。
『死人を生き返らせるような力は無いんだとか言われました』
『そうなのか……。変だとは思ったが、俺も死んでないのかも知れんな』
『死因って判りますか?』
『ああ、車に轢かれたんだとか、神が言ってたな』
『あたしは「車に轢かれそうな人と間違えた」と言われましたから、貴方も轢かれそうだっただけなのかも』
『そう言うことか。お宅のお陰で疑問が一つ解決した』
純三さんは右手で自分の膝を叩いてから腕を組んで、大きく頷いた。
『それは、良かったです』
よく判らないけど、役に立ったならいいことだよね。
『そのお礼と言っちゃ何だが、一つ忠告しておこう』
『はい?』
『お宅は見たところ、とんでもない体力と魔力をしているが、人前で使うのは避けた方が良い。そうしなければこの世界に殺される』
『え?』
『俺が会った連中は特殊な力を使って冒険者をやっていた。そうするとどうしても目立って、疎まれもすれば、利用しようとする輩も現れる。その結果は悪意に曝されて暗殺されたり、心労から自ら命を絶ったり、犯罪を犯して討伐されたり。つまり、死だ』
『う……』
少し、ぐさっと来た。
『ん? その様子だと、既に殺され掛けたか?』
『はい。多分、ですが……。それで、逃げて来ました』
『そうか』
純三さんは渋い顔をした。
『あの、力を使ったら殺されるのだとして、その、貴方は力を使わずに暮らしてこられたんですか?』
『いや、魔眼とアイテムボックスだけは人に判らないように使っている』
『なんですか? それ』
『持ってないのか? 色で相手の強さが判ったり、探し物が光って見えたりするのが魔眼だ。アイテムボックスは何でも入れられて、嵩張りもせず、重さも感じない不思議なポケットみたいなものなんだが』
『持ってません。そんな便利なものならあたしも欲しかったです』
『そうなのか? それじゃ、その代わりに体力と魔力が有るのかも知れないな。それと、何か特別な魔法か何かを持ってないか?』
『拘束魔法なら持っています』
『どんな魔法だ?』
『名前の通りに魔物なんかを動けないように拘束できます。服なんかに使えば、頑丈で熱に強くもできます』
『頑丈って、どのくらいに?』
『ハンマーで叩けばハンマーの柄が折れ、ハサミで切ろうとすればハサミが刃こぼれするくらいには……』
『冗談だろ?』
純三さんは眉間に皺を寄せて眉を八の字にし、口をぽかんと開いた。
あたしは当然、首を横に振る。
『体力や魔力に不足を感じたことは?』
『有りません』
『それじゃ、無敵じゃないか』
『そうなんですか?』
『ああ。俺にも人並み以上の体力や魔力が有るが、走り続ければ疲れもするし、魔法を使い続ければ魔力が切れる。それに何より、ナイフで切られたりすれば怪我をする。ランク2冒険者なんかに狙われたらお終いだ。だから、討伐対象になったり、謀殺対象になったりしないようにひっそりと暮らしている』
純三さんは少し考える仕草をした。
『お宅は、神に気に入られているのかも知れないな』
『ええ!?』
あのイラッとくる女神を思い出したら眉間に皺が寄っちゃうんだけど……。
『余程、生き延びて欲しいんだと思うぞ?』
『そうなんでしょうか……』
「おい! いつまで訳の判らん言葉で話し込んでるんだ!」
リアルドさんが叫んだ。
「まだ居たのか?」
「『まだ居たのか?』じゃねぇよ! 俺にも事情を話せよ!」
「久しぶりに同郷の人間に会ったんだ。少しくらい話したって罰は当たらんだろ?」
「同郷? 東の島ってやつか?」
「東の島? あ、そっか、そんな風に言ったんだったな」
「は? 東の島じゃないのかよ?」
「いや、東の島には違いない」
あたしも頷いた。大陸の東岸のここファラドナのもっと東がどこかって話が無いでもないんだけど。
「訳の判らない奴らだ。もう、俺は帰るからな!」
「おう、帰れ帰れ」
「送ってくれて、ありがとう」
「くそーっ!」
リアルドさんは若干涙目で走り去った。
あたしはと言えば、醤油と味噌を譲って貰って、持ち出していた昆布と乾燥天ぷらの一部を譲った。
そして、宿に戻って醤油と味噌の味見をした。
ふふっ。この町に住もうっと。




