39 諸行無常
8月始めの今の時期が一番暑いらしい。それでも、かなり緯度の高いクーロンスでは精々汗ばむ程度だったりする。
ギンゴン、ギンゴン、ギンゴン。
通話石の呼び出し音が鳴った。
「はい、天ぷら屋です」
『ランドルです。第1王子と共に地上に上がりました。もしかすると第1王子がそちらに向かうかも知れません。第1王子が王都へ向けて出立するまで貴女は身を隠した方が安全です』
「あの、どうしてそうなるのでしょう?」
いきなり身を隠せと言われても、事態が飲み込めない。
『第1王子は貴女を配下にすることを諦めていません。強引な手段に出る可能性すら有ります』
「そんな……」
強引って言ったらもう拉致誘拐か暴行傷害かってところだよね。王族だからってそんな犯罪行為が許されるの!?
許されるんだろうな……、きっと。
『ですが、接触さえ避けられれば、時間が限られている第1王子の身ですから、今はやり過ごせる筈です』
ここは言う通りにした方が良さそうな気がする。チート持ちのあたしを拉致できる人が居るとは思えないけど、荒事なんて避けられるものなら避けたい。
「判りました。だけどこんなことを話して、ランドルさんは大丈夫なのですか?」
『はい。この程度なら目を付けられる程度です。それに、私はこの国を離れますから目を付けられても問題有りません』
「え?」
『貴女のようなか弱い女性を利用しようとする、この国の権力者達には愛想が尽きました』
「か弱い!?」
『勿論、腕力的な意味ではありませんよ?』
「ですよねー」
『こんな形でのお別れの挨拶になりますが、お元気でお過ごしください』
「あの……、ランドルさんもお元気で……」
『ありがとうございます。それではこれで失礼します』
通話は切れた。
だけど、余韻に浸ってもいられない。貴重品と、着替えと、幾つかの日用品を纏めて、と。
だけど、どこに行こう?
「チカ! 居るかい!?」
「おかみさん!?」
おかみさんが勢い込んでやって来た。おかみさんと会うのも久しぶりだ。
「ランドルって奴から話は聞いたよ。内に来な」
「え? でも……」
「つべこべ言ってないで。さっさとおし!」
「はひっ!」
いつまで経っても、どうにもおかみさんの迫力には圧倒されてしまう。
久しぶりの酒場は少し懐かしい。いつでも来れるって思ったら、却って足が遠退いたりするものなんだよね。
「やあ、いらっしゃい」
「旦那さん、ご無沙汰しています。あの、これ……」
あたしは旦那さんに包みを差し出した。酒場に来ることになったので、残っていた薩摩揚げとチーカマを全部持って来たのだ。
「これが、君の店の新しい商品かい?」
「はい」
「どれどれ……」
旦那さんは包みを開けて、まずは薩摩揚げを囓る。もぐもぐもぐ。
チーカマも囓る。もぐもぐもぐ。
旦那さんの顔がほころんだ。
「いやはや、これは内の店で出したいくらいだね」
「ありがとうございます」
「噂には聞いていたけど、これなら店も大丈夫だ」
「はい!」
うふふ。旦那さんは気休めの甘言を言わない人だから、お墨付きを貰えるのはとっても嬉しい。
「チカ。あんたは奥で温和しくしてるんだよ」
「はい。お手数をお掛けします」
あたしは旦那さんとおかみさんの厚意に甘えることにした。
「ここに天ぷら屋のチカと言う者が居るであろう? 呼んで参れ」
第1王子の声だ。あたしを捜して酒場まで来てしまった。ランドルさんの杞憂で終わって欲しかったよ。
あたしがここに居るのを特定するのはそんなに難しくは無かったと思う。ここにこそこそ隠れながら来た訳じゃないから、擦れ違った人は居るし、見ていた人も居るんじゃないかな。
だけどさ。出掛けた先まで押し掛けて来るなんて、非常識だよね。犯罪者の潜伏先に押し入る警察じゃないんだから。
「居ないよ」
「嘘を申すな。ここに入ったのを見た者が居るのだ」
「居ないものは、居ないんだよ」
「貴様! 殿下に向かってその無礼な態度は何事か!」
あ、この叫び声には聞き覚えが有る。あたしが居る場所からは店の中が見えないから断定できないけど、いつぞやの側近だ。
「無礼だったらどうだってんだい?」
「その首、打ち落としてくれるわ!」
「ほお? あんたにできるのかい?」
おかみさんの声が据わっている。陰に隠れて聞いていてもちょっと怖い。
「貴様!」
側近はいよいよ激高した。
だけどこうして陰から聞いていたら白々しい感じがする。
「止めよ!」
「しかし、殿下!」
「止めよと言うのが聞こえぬか!」
「ははっ!」
あ、やっぱりあの茶番をやるんだ……。もしかすると、あれで寛大さをアピールしているつもりなのかも?
「どうしても、チカを出さぬと申すのだな?」
「居ないものは出しようがないだろ?」
「嘘ではあるまいな?」
「もし、嘘だったらどうする?」
沈黙だ。何だか神経がピリピリする。多分、錯覚だけど。
「引き上げるぞ」
「殿下、宜しいのでございますか?」
「うむ。何をしたとてこの者を動かすことは叶わぬだろう」
第1王子は店から去って行った。
「チカもとんだ阿呆に見込まれたもんだね」
おかみさんの呟きが妙に耳に木霊した。
翌日、第1王子がクーロンスを出立したのには心底ホッとした。このまま諦めてくれればいいんだけど。
ずっと酒場の奥に籠もっているのも少々辛かった。自分のお店でお客さんを待っている時はじっとしていても平気なのだけど、酒場の奥でじっとしているだけなのは随分と落ち着かないものだったんだ。
おかみさんは第1王子を阿呆と宣ったけど、彼自身が気に入るか気に入らないかで全てを判断するかららしい。このまま王になろうものなら国が傾いてしまいそうだとか。
それでも王太子なのは、余程の不始末を起こさない限りは長子によって継承するものと定められているかららしい。
それにしても、あたしに近付いて来るのは騙そうとしたり、利用しようとしたりする連中ばっかりだよね。それが冒険者ギルド程度なら戦う覚悟で臨めば話を付けることもできるけど、できたけど、第1王子なんかになったらもう国でしょ? 国相手に戦争なんてやってられない。この国に住むためにこの国と戦争するなんて意味無いもの。
だからあたしはいつでもここを出て行けるように荷物を整理をした。貴重品、衣類、最小限の日用品、それと薩摩揚げやチーカマをを作るための道具を直ぐに持ち出せるようにした。
次に何か有ったらもうこの町を、この国を出よう。ここはあたしの心を押し殺してまで住みたい場所じゃ無いんだもの。
……住みたい場所じゃ無くなったんだもの。
◆
9月。秋の匂いが深まり始める季節。この世界に来て一年が経った。
そんな日の配達帰り。
「天ぷら屋のチカとはお前か!?」
店に戻ったら、いきなり怒鳴られた。馬車と兵士を引き連れて、派手な服を着た年寄りが眉尻を吊り上げている。
「はい? そうですけど……」
「どこに行っておったんだ!」
年寄りの高慢な態度に異常に苛つく。だけど、取り敢えず低姿勢が商売の基本だから、ここは愛想笑いで対応する。
「すみません。配達に行っていました」
「配達だと!? そんなものでこの私を待たせたと言うのか!」
いやいやいや、何怒ってるの? この爺。配達で十分やそこら店を空けてたくらいで。
こめかみが引き攣るけど我慢我慢……。
「配達も大事な仕事ですので」
「左大臣たる儂を放っておく程のものではないわ!」
約束もしてないのに「放っておく」も何もないよ!
まったく、いきなり来ておいて言い掛かりも甚だしい。この勘違い大臣、早く帰ってくれないかな。
だけどあれ? 左大臣って、予算を盾にしてこの町の冒険者ギルドを脅迫していた親玉じゃなかったっけ?
そんな碌でもない相手の対応なんて、塩しかないよね。
「それで、何のご用でしょうか?」
「国王からの招聘である。今直ぐその馬車にて王都に向かい、登城したまえ!」
第1王子の次は国王って……。迷惑な!
「お断りします」
嫌だよ。当たり前じゃないか。だいたい、そんな居丈高な招聘があるもんか。それに、呼び出されたからってのこのこと国王に謁見なんてしたら、ちょこっとのことで「無礼者! 打ち首だ!」とか言いながら殺しに掛かって来そうじゃないか。そんなの第1王子の件で学習済みだ。
「何だと!? 国王の招聘に応じないなど、なんたる無礼! 打ち首ものぞ!」
早っ! もう出たよ「無礼」に「打ち首」。この手の人達は二言目には無礼だとしか言えないのかな?
そもそも国王から呼び出される理由って何? 有るとしたら、あたしのチートに関係することだよね……。だけどこんなのに応じようものなら、目の前の左大臣の態度からしても、不愉快なことになるに決まっている。
応じても応じなくても「無礼」からの「打ち首」のコンボが用意されているだけで、ただ殺しに来てるだけじゃないの?
「お断りします」
「ぬぬぬ、左大臣たる儂の言うことを聞かぬとは! えーい! こやつを引っ捕らえろ!」
どうしてもあたしを打ち首にしたいらしい。
兵士達が緩慢な動きであたしを包囲する。そう、なぜか酷く緩慢だ。佩いた剣も抜いていない。
「何をしておる! さっさと捕らえろ!」
左大臣が叫んでも兵士達の動きは変わらない。
どうしよう? きっと今だけならこの左大臣を追い払えるんじゃないかな。あたしのチートならそのくらいできそうだから。
だけど今日は追い返せたとしても、この調子じゃ、また来るよね……。
でもさ。ギルド長に始まって、左大臣とか第1王子とか国王に至るまで、権力者には変な奴しか居ないの?
ほんとに迷惑。折角お店が軌道に乗ってたのに、どうして国から営業妨害されなきゃいけないんだ。うんざりだよ!
「ぐあっ! 痛っ!」
いきなり左大臣が悲鳴を上げた。
足をバタバタやっているので足元を見たら、ネズミがちょろちょろ駆け回っている。
「糞っ! このネズミをどうにかしろ!」
兵士達は機敏にネズミを追い掛ける。「そっちに行ったぞ!」「この! ちょこまかと!」なんて叫びながら。
んんん? おかしい。捕まえられそうなのに捕まえてない。追い掛けてる振りをしているだけ?
「何をもたもたしているぅ!」
左大臣が激高する。だけど、その隙にとばかりに兵士の1人がこっそりあたしに近付いて来て、耳元で囁いた。
「我々が暫く時間を稼ぎます。どうか貴女は身を隠してください」
「え? 貴方はどうして?」
こんなことをしてくれるんだろう?
「我が小隊は迷宮89階で貴女に救われました。ここで貴女に何かを強要するような不義理はできません」
きっとこの兵士達は、あたしが迷宮の89階に配達した時に魔物を蹴り飛ばす現場に居合わせたんだ。
だけど……。
「ごめんなさい、憶えてなくて……」
「いえ、一介の小隊など憶えていらっしゃらなくて当然です。しかし、我々は憶えておりますのでそれで十分です。お急ぎください」
「ありがとう」
身を隠すように言われたけど……、もう限界だ。荷物を纏めてこの町から逃げよう。そう決めてたんだから。
自宅に入る。ここともこれでお別れだと思ったら、住んでいた一年足らずの思い出が頭を過ぎった。いざ逃げようって時に離れ難く感じるなんて……。
そっか。あたしはこの家に愛着が湧いてたんだ……。
できればこの店も持って行きたいけど、幾ら何でも無理があるよね。残念だけど、お別れするしかない。
纏めていた荷物を持つ。着替えや日用品が入ったずだ袋。最小限の鍋や調理道具の入った麻袋。そして外に出る。
兵士達はまだネズミを追い掛けていて、左大臣は怒鳴り散らしていた。
あたしが店から出たのに気付いたさっきの兵士が、あたしにここから離れるように目配せする。
あたしは小さくお辞儀して、彼らの厚意に甘えた。
だけど、あのネズミは何だったんだろう……。




