38 新たな壁
ギンゴン、ギンゴン、ギンゴン。
通話石が鳴った。
「はい、天ぷら屋です」
『迷宮の90階まで配達をお願いします』
ここ暫くは迷宮の深い所からの配達依頼が無かったのに、また来てしまった。
配達を断るかどうかは、20階とか30階とかからの注文との兼ね合いで、決めかねちゃったんだよね。階数で区切るのも、どこでするかが問題だし。それでうっかりそのまんまになってた。
通話石からの声は、聞き憶えのある丁寧な口調だ。
「はい。メニューは薩摩揚げとチーカマで、それぞれ1つ50ゴールドですが、何になさいますか?」
事前の告知もしないままで断るのはどうかと思うので、今回は注文を請ける。
『それでは、薩摩揚げとチーカマを100個ずつお願いします』
「かしこまりました。お会計は配達料2000ゴールドと追加料金の9万ゴールドを足して、締めて10万2000ゴールドとなりますが宜しいでしょうか?」
『はい』
「ご注文承りました」
注文が来ちゃったものはしょうがない。直ぐに出発しよう。
迷宮の中は冬場と比べて冒険者がまばらで、1階から魔物と戦っている冒険者を見掛ける。だからなのか、冬より速く走れる。
だけど、相も変わらず途中で魔物を引っ掛けながらの疾走なんだけどね。冒険者が居なくても避けられない魔物が居て、こればかりはどうにもならない。
90階に降りる直前の広間にちょっと違和感。何だか前に来た時よりも狭いような?
そして、迷宮の入り口から1時間ほどで配達先の90階に着いた。冬より短時間なのは、人が少なくて走りやすかったから。
「お待たせしました、天ぷら屋です」
「お疲れ様です」
「ランドルさん?」
聞いたことが有る声だと思ったら、ランドルさんだった。
「はい。お久しぶりです」
「もう迷宮から出られたとばかり思ってたんですが……」
「そのつもりでしたが、地上に出ても失業者の身だと気付いて残ることにしたのです。ここなら食事と給料が出ますからね」
「ギルドには戻らないんですか?」
「懲罰を受けるくらいですから解雇されています。それに、この町ではもう冒険者として登録することもできませんから、他の町に行く費用も捻出しなければいけません」
「そうなんですか……」
この人と話していたら、この人が何故悪事に手を染めたのか判らなくなる。
「私のことは置いといて、先に品物を受け取りましょう」
「あ、はい、そうでした。お会計は10万2000ゴールドです」
「はい、ではこれを」
「ありがとうございます」
代金と品物の受け渡したところで、さっきの疑問を思い出した。
「すいません。1つ伺いたいのですが、89階の広間って狭くなっていませんか?」
「広間? ああ、それはですね、壁を塞いだためです」
「壁を塞ぐ?」
「はい。魔物が湧き出す壁の前にもう1つ壁を作って罠を仕掛けるのです。すると、湧き出した魔物が勝手に罠に掛かってくれるのです」
「それで倒せるんですか?」
「はい。湧き出す途中と言うのは魔物には実体が無いようで、出終わった時に実体化します。その時に魔力の籠もった障害物が有れば、その障害物に貫かれた状態で実体化してしまいます。それが急所であれば致命傷です」
「なるほど。だとしたら、もっと上の階まで壁を作った方が良さそうに思えますが……」
「そう単純でもないのです。質の良い魔石が必要ですから、設置できる箇所に限りが有ります」
魔石かぁ。魔石を埋め込んだ壁ってことなんだね。確かに魔法で壁を作ったって、壁が魔力を帯びたりしないもの。
「すいません、浅はかなことを言って」
「いえいえ、当然の疑問です。できればもっと浅い階にも設置したいのは皆同じです。そうすれば騎士団の負担も軽くなりますから」
「そう言えば、馬に乗ってないのに何故騎士団なんでしょうか?」
「それは……」
ランドルさんが苦笑した。
「昔は馬に乗っていたらしいのですが、時代の流れで騎乗している優位性が無くなったために馬を使わなくなり、今は名前だけが名残として残っているのです」
ガンガンガンガンガン! ガンガンガンガンガン!
また警報の鐘の音が割り込んで来た。
あたしはランドルさんをジトッと睨む。
「どうしてこうも配達の度に魔物に襲われるのでしょうか?」
「申し訳ありません」
ランドルさんは溜め息を吐きながら肩を落とした。見るからに申し訳なさそうにしている。
「お支払いする金額はけして少なくないものですから、注文しようとすると許可を得なければなりません」
「はあ……」
「そのため、許可を与える側であれば利用しようと思えばできてしまうのです」
「やはり意図的だったんですね……」
「こんな手段を採らないように進言はしていたのですが……、残念ながら」
それでも前司令官は説得に応じてくれたのだとランドルさんは言った。ただ、あたしを利用しない代わりに薩摩揚げの注文も認めなくなったらしい。
注文が何ヶ月も途切れた理由が今になって判明したよ……。
その司令官も任期が終わったことで地上に帰還して、新しく着任した司令官からは認められたので、薩摩揚げを注文したらしい。
だけどその新司令官にはあたしを利用する思惑が有った訳だ。
グアン!
魔物の咆哮だ。
あれこれ話している間に、魔物が近くまで来ていたらしい。仕方がないので蹴り飛ばす。
そして魔物が骸と成り果てたら、辺りからどよめきが湧き起こった。
感心されてるみたいだけど、嬉しくもなんともない。
「そなたが天ぷら屋のチカか?」
「はい?」
これ以上面倒に巻き込まれたくないからさっさと帰ろうとしたら、何だか偉そうに喋る声に呼び掛けられた。振り返ったら、偉そうにしている青年が居る。
「此度の所作、天晴れであった。どうだ? 我の元で働かぬか?」
「はい?」
「そなたを召し抱えようと言うておるのだ」
「意味が判らないんですが」
助けを求めてランドルさんを見たら、ランドルさんは肩を竦めて通訳してくれた。
「こちらのお方は王太子の第1王子殿下であらせられます。殿下はチカさんの武力をお目に留められて、貴女を直属の兵士になさりたいのです」
眉間に皺が寄った。このまま皺が癖になったらどうしてくれる!
「嫌です」
兵士なんて嫌に決まっているじゃないか。
「そなた、何と申した?」
第1王子は顔に「信じられない」と貼り付けた。
「嫌だと言ったのです」
「娘! 先程から殿下に対してその無礼な口利きは何事か!」
偉そうな青年に付き従っている壮年の兵士が叫んだ。
いや、無礼と言われても作法なんて知らないよ? それに、そっちから勝手に話し掛けて来たんじゃないか。そっちの勝手にどうしてあたしが付き合わなけりゃならないんだ。
怒鳴りつけて来た兵士をジトッと睨もうとしたら、どうしてか、目の前にはランドルさんの背中が有った。
「この者は平民故、作法に疎いのでございます。なにとぞご容赦戴けないものでしょうか?」
「平民だからと放っておいては、示しが付かぬわ!」
「そうは仰いますが、この者から声をお掛けしたのではございません。それにも関わらずこの者に罰を与えようとなさるなら、殿下こそ平民を陥れた卑劣漢との誹りを受けることになりましょう」
「貴様! 殿下を愚弄するか!」
兵士は青筋を立て、剣の柄に手を掛けた。
「止めよ!」
「しかし、殿下!」
「止めよと言うのが聞こえぬか!」
「ははっ!」
第1王子が一喝したら、兵士はその場に跪いた。
「この者の申すことも尤もだ。時宜を改めるぞ」
「ははっ!」
何? この茶番。
「チカよ、また改めて問うとしよう」
第1王子はあっさり立ち去った。
「とんだ災難でしたね」
「ランドルさん、ありがとうございました」
「いえ、この程度であればおやすいご用です」
「それにしても、殿下とやらがどうしてここに?」
「迷宮攻略は国家事業ですから、王族が率先して取り組んでいる姿勢を見せているのでしょう」
「傍迷惑ですね」
何となくここに居る冒険者や兵士も迷惑してそうな気がする。89階の時は冒険者と兵士が一緒に作業や休憩をしていた筈だけど、今見えている限りでは冒険者と兵士が完全に別れている。冒険者は隅っこで隠れるような感じだ。こんなんじゃ、できる筈のこともできないんじゃないかな?
「そうですね。ですが、真に迷惑なのは第1王子の横に居た者です」
礼儀がどうのこうのと冒険者に難癖を付けて、蔑ろにもしているらしい。実力主義ではなく礼儀主義みたいな感じかな?
「何者ですか?」
「彼は第1王子の側近です。どうにも頭が固くて困ります」
「石頭なんですか」
「はい、カッチカチです」
「カッチカチなら仕方ないですね」
「はい、仕方ないくらいにカッチカチです」
くすっ。
どちらからともなく笑いが出た。
「ところで、魔物を倒した分の追加料金くらい戴きたいんですけど?」
「……すいません」
ランドルさんは顔を背けた。
「手持ちが無いんです……」
軍の予算からは出ないらしい。酷い話だ。
「それではここに配達するのは今回限りでお願いします」
「ええ?」
「ただ働きは嫌です」
「……承知しました」
ここでの食事は毎日ほぼ同じメニューで飽きてしまうので、たまには違うものも食べたいらしい。あくまでランドルさん個人の意見として。
◆
春も終わって、夏になった。
「よう、この間は助かったぜ」
時折、そんな感じの言葉を掛けられることが有る。だけど、心当たりが無い。
そんなよく判らないことが起きるくらいで、日々は概ね平穏に続いている。
迷宮の中への配達は全面的に止めた。冒険者ギルド前と役所前の掲示板で告知した。
魔の森の中なんかへの配達までは止めていないので、そんな場所の場合には配達途中で魔物相手に事故ったり、人に齧り付こうとしている魔物を敢えて蹴飛ばすこともある。平穏とも言えないのはそれくらいのものだ。
1つ学習したことも有る。
ある時、冒険者に文句を言われたんだよね。それもわざわざ店に来てまで。必死の思いで戦って倒せそうだった魔物を横から来て倒すなだって。初めて迷宮に配達した途中で会った冒険者みたいなものだけど、ある意味ではもっと執念深かった訳さ。
悔しそうに項垂れる冒険者の姿には、何だか悪いことをした気にさせられそうになったけど、とんだお門違いだった。うだうだ言うのを聞いていたら、人に齧り付こうとしている魔物を敢えて蹴飛ばした時の話だった。
彼は命より自尊心が大切らしい。それとも、助かったから自尊心が勝ったのかな?
どっちでもいいや。
きっと迷宮で会った冒険者も同じようなものだったんじゃないかな。
何にしても、彼らが自尊心を大切にしているのは判った。だからあたしは冒険者のことを見て見ぬ振りしようと思う。
そんなこんなは有るものの、商品が完売する日も増えた。店は成功していると言っても良さそうだ。
メリラさんに見せたいところだけど、叶わないのが残念。彼女は嫁ぎ先へ1年掛かりだと言っていたので、未だ旅の空の下の筈だ。




