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36 心の汗も糧ならば

 クーロンスの南東には農場や牧場が在って、そこで働く人達の集落も在る。

 農場の主な作物はとうもろこしとじゃがいも。野菜類も数多く栽培されていて、クーロンスの食卓に上る野菜の殆どはここで栽培されたものらしい。

 牧場で飼われているのは豚、羊、鶏、牛など。厳しい冬の前には多くの家畜が干し肉などに加工されるので、全体の数はそんなに多くない。それでも狩猟の獲物と合わせれば、需要に間に合うだけの家畜が飼育されているらしい。

 酪農も営まれていて、チーズも作られている。主なのはチェダーチーズやカマンベールチーズに相当する品物。

 その集落からも配達の依頼が入るようになった。何人かの冒険者が家族のお土産に薩摩揚げを買って帰ったのが切っ掛けらしい。

 そして今日はその集落に在る家に配達。集落からクーロンスまでは結構な距離が有るので、店に来るより配達料を払っても配達して欲しくなるよね。

「お待たせしました、天ぷら屋です」

「あら、もう来たの?」

「はい。それが売りのようなものですから……」

「2時間は掛かると思ったのだけど、不思議なこと」

 あたしはチートのことを言いふらしたりはしないけど、隠してもいない。今までもチートに頼りっぱなしだったし、きっとこれからもだ。これってどうかなとは思わなくはないけど、もしもチートが無かったら、あたしは今頃生きてないかも知れないもんね。この世界のことを何も知らずに無一文で放り出されたんだから。どうにかなったのはチートを貰っていたからだよね。

 まあ、無ければ無かったで、もしかしたら酒場で半ば住み込みみたいにして働いていたかも知れないけどさ。その場合は酒場で何十年も働くことになったんじゃないかな……。

「こちら、ご注文の薩摩揚げ20個です。配達料と合わせて3000ゴールドになります」

 配達料の方が高いんだけどね……。

「それじゃ、これ」

「毎度ありがとうございます」

 それでも注文が入るから不思議だ。


  ◆


 3月にもなったら、寒さもかなり和らいだ。この世界に来て最初の冬を乗り越えられたってことだ。これから夏にかけて、日に日に温かくなる筈。だけど……。

「今日は貴女に伝えることが有るの」

 いつものように来店したメリラさんが神妙な面持ちで言った。

 何だろ?

 話を聞こうとしたら、自然とあたしの顔も引き締まる。

「私ね、今度結婚するのよ」

「え? それはおめでとうございます!」

 ホッとした。朗報じゃないか。神妙な顔をしているからちょっと焦ってしまったよ……。

「それでもう、この店に来られなくなるの」

「ええ!? どうして!?」

 寝耳に水だよ。

 思わず出た大きな声には、メリラさんから苦笑を返された。

「嫁ぎ先がね、大陸の反対側なのよ。片道で1年掛かりだから、もうこの町に戻ることはできないわね」

「そんな遠くのお相手って、一体……」

「親同士が決めた相手よ。会ったことも無い相手に嫁ぐなんてお笑い種よね」

 メリラさんは自嘲気味に笑った。

 こんな時にはどんな言葉を掛けたらいいの!?

「そうだったんですか……」

 結局相槌を打つしかできなかった。

「私ね、この店みたいな店を開きたかったの」

「はい?」

 初めて聞く話だ。

「これでも料理は得意なのよ? だから、それを活かして自立を目指していたの。必死にお金を貯めながらね。ここを見つけた時は嬉しかったわ。私の目指している店に近いのだもの」

 メリラさんは少し遠い目をした。

 考えてみたら、あたしはメリラさんのことを何一つ知らなかった。彼女のプライベートは勿論、がどんな思いであたしの店に通ってるかも。それなのに、この先もずっと近くに居てくれるものだと思い込んでいた。

「だけど全く流行ってないじゃない? それなのに貴女ったらのほほんとして、少し腹が立ったわね」

「それは、その……」

 何にも手立てが無くて諦め半分なんだけど、耳が痛い。

「でもね、この店の品物と値段を考えれば売れない筈が無かったのよ。意味が判らなかったわ。そして私だと貴女と同じようにできないと判った時には絶望もしたわ。それでもどうにかならないか必死に考えたのだけど、どう計算しても経営が成り立たないのよ。結局、親に決められた期限までに全く形にならなくて、これもまた親に決められた縁談相手のお迎えが来てしまったって訳」

「そう、ですか……」

「私も貴女のように女独りで生きてみたかったわ」

 メリラさんはまた少し遠い目をした。

 そんな……。あたしはチートのお陰で人並みに暮らせていただけなんだよ……。

 でも、もしかしたらあたしがそう思っているだけで、この世界の人達は不自由な生活をしているのかな?

「心残りは貴女が成功するのを見届けられなかったことかしらね」

「すみません」

 チートに頼り切りなところも、お店が流行らないのも、無性に恥ずかしくなった。

「いいのよ。貴女なりに頑張っていたのは知っているから、貴女の成功を祈ってるわ」

 メリラさんは微笑んだ。

「それで、あの、いつ出発されるんですか?」

「明日の昼前よ」

「明日!?」

「ええ。だから今日来たのよ」

 そんな、そんな! えっと、えっと……。

 メリラさんは本当の意味での最初のお客さんだった。最初の常連さんだった。そしてそれが、あたしが一番辛かった時に救いを与えてくれた。

 ここでこのままお別れなのは嫌だよ! せめて何か返したいよ!

「あの! 出発前に一度来て頂けませんか!? いつでも構いませんから!」

「え?」

 勢い込んでお願いしたらメリラさんには少し引かれてたけど、もう機会は無いもの!

「お願いします!」

「判ったわ」

 メリラさんは苦笑して頷いてくれた。


 今日はもう店を閉めて、市場で鶏を1羽と野菜を買って来る。市場の肉を売っている一角にはまだ慣れないけど、今日ばかりはそんなことを言ってられない。そしてヘルツグに走って、海老、鮭、貝類など、今まで使っていなかった食材を買う。

 もうメリラさんにあたしの料理を食べて貰える機会は無いかも知れないんだ。だから、あたしが本当に売りたかったもの、食べて欲しいと思うものを沢山、沢山作るのだ。各種野菜の天ぷら、海老、鱈、鮭の天ぷら、貝柱のかき揚げ、鯵フライ、鯖のから揚げ、鯖の塩焼き、鶏のから揚げ、ササミカツ、焼き鳥などなど。メリラさんが嫌いなイカの天ぷらを除いて。

 今夜は夜を徹して料理する。鶏を捌いて、魚を捌いて、貝を捌いて、野菜を捌いて、油を絞る。そして揚げる。焼く。

 今のあたしにできることはこれだけだから。だから料理する。あたしの精一杯で料理するんだ。

 どんな形であれ、メリラさんの門出には違いない。だから祝おう。あたしの精一杯を送ろう。

「えぐっ、えぐっ、えぐっ、えぐっ」

 だけど口から変な声が漏れる。頬を何かが伝う。

 別れは、残される方が辛いのかも知れない。ぽっかりと心に穴が空いてしまうだけだから。だけど旅立つ方だって不安な筈だ。だから、せめてメリラさんを笑って見送ろう。そう、きっとあたしは笑える筈だ。


「この店は暖かいわ」

 午前9時前訪れたメリラさんは呟いた。

「はい。お客さんが寒くないように暖めていますから」

「ふふ、本当にそうね」

 メリラさんはあたしを見て微笑んだ。

 あたしは料理を盛った大きな皿を手渡した。蓋代わりに紙を貼り合わせて覆ってから麻袋に入れているので、外見は麻袋だ。それともう1つ、乾燥天ぷらを入れた麻袋も手渡す。

「これは?」

「餞別です。こっちの袋のは今日明日くらいで食べてください」

 皿に盛っている方を指しながら言った。

「そう、ありがとう」

「いえ……」

 メリラさんは優しく微笑むと、あたしの頬を撫でた。

「もう、酷い顔ね。涙でくしゃくしゃじゃない」

「え?」

 笑ってる筈だったのに、なんたる失態!

「だけど、ありがとう。私は貴女に会えて幸せだったわ」

「メリラさん……」

「じゃあ、そろそろ行くわね。お別れは言わないわよ。だから見送らないでね」

「はい……」

 そして、メリラさんは旅立って行った。

 見送るなと言われたけれど、見送らずにはいられない。南門を出て、遠ざかっていくメリラさんの乗る馬車をこっそりと見送った。

 見えなくなるまでずっと。

 ずっと。


 メリラさんとの突然の別れは酷く辛い。だけどこの辛さもきっといつかは風化して、思い出に変わる。そして楽しかった彼女との思い出と一緒に磨かれて、心の宝石になると思うから。

 だから今は願う。メリラさんの前途に幸、多からんことを。


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