27 美味しいのは良いことだ
日曜日。今日こそ港町を目指す。
朝早めに家を出て、峠の入り口の村まで真っ直ぐ走る。街道は無視だ。段差も背丈の2倍程度なら殆ど無視できるからね。これもチートのお陰。
峠は街道沿いに駆け抜ける。前回海が見えた場所、つまり折り返した地点を通り過ぎて、峠の向こう側の入り口の村に着く。
村の人に目的の港町の場所を聞いてみたら、もっと北だと言われた。だからまた北上だ。
途中に小さな漁村が在ったので、少し寄ってみる。
久しぶりの海。不思議と懐かしく感じる。時間に余裕は無いんだけど、少し散策したい。
小さいながら砂浜が在ったので降りてみる。至る所に黒いもこもこが転がっていて、気になったんだ。
「ひょおお! 昆布だ!」
紛う事無き昆布が打上げられている。打ち上げられたばかりらしい新鮮なものも多い。
「これ、拾っていいのかな!?」
「あんた、そんなのが欲しいのか?」
え!?
思わず超えに出ちゃっただけだったのに、誰かの声が返って来た。どうやら沿岸で投網漁をしている漁師さんの様子。筋骨隆々で、上腕なんてあたしの太股くらいの太さがあるんじゃなかろうか。
「えーと、持って帰っていいんでしたら、欲しいですけど……」
漁業権みたいなものが有ったら怒られちゃうものね。
「なら、好きなだけ持って行きな」
「いいんですか!?」
「構やしねぇ。好きなだけ持って行きな。俺達は精々燃やした灰を石鹸を作るのに使うくらいのもんだからな」
「ありがとうございます!」
綺麗なのを選んで掻き集めたともさ!
集めた昆布は天日で乾かしたいところだけど、そんな時間は無いから魔法で温風乾燥させる。乾いた昆布は適当な大きさに切って、紐で縛って背負う。
ふふふふふ、これで昆布出汁が取れる。
漁村では捕った魚を干物にしているらしい。その出来立ての干物を、漁師さんが幾つかくれた。どうやら、あたしが物欲しそうに干物を見ていたからっぽい。ちょっと反省。
何だか一仕事終えた気分だけど、目的の港町はもっと北だ。そこには市場も在るらしい。
あたしはまた北に走る。
港町周辺は一面の雪景色だった。ヘルツグと言う名前のこの町の規模はクーロンスより少し小さい。港町と言っても客船の発着は少なようで、殆ど漁港みたいなものらしい。特産品には毛皮もあるのだとか。
とにかく目指すのは市場だ。道行く人に道を尋ねながら、市場を目指す。どんな場所なのかワクワクする。
……休みだった。
そうだよ! 日曜日なんだよ! 市場はクーロンスでも休みだけど、この町でも休みだったんだよ!
がっかりだ。帰ろう。
帰りは山の中を、道無き道を突っ切る予定。それができなかったら、時間的に買い出しが難しいんだもの。突っ切れるかどうか試すだけはしておかないとね。
眼前に横たわる山脈は、南北には非常に長いけど、東西の幅と標高は大したことがない。殆どの山は1000メートル以下だし、谷の部分ならもっと低い。
山の麓の森の浅い所までは道が在ったので道沿いに進んだ。道が途切れた所からは本格的に山駆けになる。
山の中は平野よりも雪が深くて、どっちを向いても真っ白。そのせいで方向を見失いそう。晴れていて見通しが利くからどうにかなっているけど、吹雪いたら大変だ。何か対策しないと危ないっぽい。
走る方は問題無い。以前から速く走る時には地面を拘束魔法で保護しながらにしていたのだけど、同じ要領が雪の上でも通じた。きっと水の上でも大丈夫なんじゃないかな。
山の中には魔獣がうようよ彷徨いている。魔獣って言うのは獣が魔物になった獣のことで、魔物になった時に巨大化するのか知らないけど、体長5メートルくらいの熊とか、1メートルを超える兎とか、どうにも縮尺がおかしい。
何だか自分が小さく縮んだみたい。魔獣が大きいだけなんだけど。
時折、魔獣があたしを攻撃してくる。擦れ違うのが一瞬なので当たらないんだけどね。でももし当たっても、魔獣の方がダメージを負うんじゃないかな?
ともあれ、少しくらい大きくたって、いつかのトカゲに比べると可愛いものだ。
避けているつもりでも、出会い頭の事故と言うものは起きるものらしい。大きな牙の豚らしき魔獣の首を蹴り抜いてしまった。生き別れになる豚の頭と胴体。「生き別れ」の意味は違うけどさ。
やっちゃったよ……。
豚は体長3メートルくらい。
豚かぁ。豚カツ……、生姜焼き……、ずっと食べてないなぁ。この豚でも出来るのかな?
だけどあたしは解体なんてできない。経験は勿論、知識も無いから。
ポン。
手を叩いた。思い付いたよ。旦那さんならできるんじゃない?
そうとなったら豚を担いで帰ろう。
頭も何かに使えるのかもだけど、胴体と一緒に持ち上げるのはちょっと無理なので、牙だけ折り取る。
ヘルツグからクーロンスまでの帰り道は1時間足らずだった。豚にぶつからなかったら、もう少し早かったと思う。買い出しで往復するなら、約2時間ってところ。
買い出しは平日の開店前に行かなくちゃならないから、毎日は無理っぽい。週2回、もしかしたら1回かな? 冷凍することも考えないといけないね。
「あんた、それ……」
門番が呆然と豚を見た。
豚に驚いても豚を担いでいるあたしには驚いてないところを見ると、この豚を担げる人は珍しくないんだろうな。そんな力持ちが多くて驚くような、あたしが目立たなくて安心するような?
少なくとも豚よりは珍しくないんだろう。他の人も豚ばかりをほけーっと見ているもの。
「これですか? これはまあ、出会い頭の事故、みたいな?」
「あ、あ、ああ、そう言うことも、有るのか?」
門番は最後まで首を捻っていた。だけど、自らの業務を怠ることは無かった。プロだ。
「参ったね、これは」
あたしが持ち込んだ豚を前に、おかみさんは苦笑いをした。
「随分遠くまで行って来たんだね」
「判りますか?」
「ああ。魔物化した牙豚なんて、東の山脈くらいでしかお目に掛かかれないからね。と言っても、普通ならお目に掛かるだけでも命懸けなんだけどね」
「あはは……」
若干、冷や汗が出た。
「それで、これはお肉になりますか?」
「これは美味しいよ。その証拠に、ほら」
おかみさんが親指で後ろを指差した。そこに居るのは、満面の笑みを浮かべて大きな包丁を抱えている旦那さんだ。いつもの旦那さんと打って変わった、獲物を前に換気する肉食獣のような笑顔がちょっと怖い。
町中にはこの豚を解体できる場所が無いってことで、豚を担いでまた町の外に行く。いや、無いってことは無いらしいけど、旦那さんが使える場所には無いらしい。
豚の皮を剥ぐのはおかみさん。豚の皮が固くて腕力が必要らしい。
そして旦那さんの無双が始まる。
旦那さんは嬉々として包丁を振るう。血が滴り落ちる。眼の前が赤く染まって行く。酸っぱいものが込み上げて来た。
少しは馴れたつもりだったけど、甘かった。眼を細めてぼんやり見るくらいじゃないと、耐えられそうにない。
そんな最中、おかみさんが旦那さんに呼ばれて、何やら受け取って来た。
「あんた、顔色が悪いよ?」
「ちょっと、解体って馴れなくて……」
「これの解体くらいでそんなに顔色を悪くするんじゃ、あんたは冒険者を辞めて良かったのかも知れないね。ほら、これ」
おかみさんが、旦那さんから受け取って来たこぶし大の魔石をくれた。水魔法で洗ったら、透明感のある鮮やかな赤だった。
「綺麗ですね」
「ああ、これはなかなか良いものだよ」
旦那さんが包丁を振るう間に、移動の途中でおかみさんが声を掛けたんだろう業者も集まって来た。皮、牙、骨、肉など、部位毎に売るのだ。あたしが食べる分の肉と、旦那さんの手間賃代わりの肉を除いた全部をね。
野次馬も大勢集まっていて、物欲しそうにしている人も居るけど、あたしには彼らに何かを与えるつもりなんて無い。
豚の解体は間もなく終わった。
旦那さんは一度深呼吸をして、爽やかな笑顔をする。何かをやり遂げた感の溢れる、とっても良い笑顔だ。
そして集まった業者に売った結果、全部で約300万円になった。魔石、枝肉、その他のそれぞれが大体100万円ずつだった。
魔石? 自分じゃ使わないから売ったよ。
それにしても微妙だ。天ぷら屋を営んでいる意味を見失いそうになる。生計を立てるために始めた筈なのに赤字続き。その一方で、出会い頭の事故みたいなものでの収入が大きいんだ。
早速トンカツを食べたいところだけど、卵とパンの買い置きが無いから、今日はお預け。干物も有るから慌てなくていい。
夜になって、夕食に干物を焼く。香ばしい匂いが立ち籠める。漁師さんの自家用らしき干物は完全には乾いてなくて、身が柔らかい。焼け目が付くにつれて、涎が出て止まらない。
焼き上がるまでが随分長く感じた。
「ひゃーっ!」
美味しい! 1口食べただけで歓声だって出ちゃう。この世界に来て初めての魚だから感動も一入だよ! それが無くてもこの干物は素晴らしい。漁師さんに感謝だ。
大変美味しゅうございました。
翌月曜日。朝食は昆布と干物のアラで潮汁してみた。醤油や味噌が有ったらもっといいんだけど、塩だけだって捨てたものじゃない。出汁の味が身体に染み渡って、心が落ち着く。
我ながら日本人だなぁ。
今日は残念ながらヘルツグには行かない。転ばぬ先の杖として、通話石をもう1つ購入する予定なんだ。
通話石は1つを家に置いて、もう1つを持ち歩くつもり。これなら道に迷っても、自宅を呼び出すことで自宅の方向が判る。そしたらどうにかできると思う。
市場が開くのは朝早いけど、他の店はそうじゃないので、先に市場で仕入れついでに卵とパンも買ってトンカツの仕度をする。後は揚げるだけのところまでね。
ギルダースさんの店が開く時間を見計らって通話石を買いに行く。
買い物から帰ったら、天ぷらとトンカツを揚げる。今日のトンカツはロース肉だ。
ぱくり。
「うおっほっ!」
美味しい! 熱々のトンカツは柔らかく、噛めば肉汁が溢れる。衣はサクサクで中はジューシー。噛む度に頬が緩む。今まで自分で料理した中で一番のトンカツなのは間違いない。
酒場の賄いで食べて以来の肉料理だった。今日はその余韻を感じながらの開店だ。
間もなく、いつものようにメリラさんが来店した。
ふっふっふっふっ、感動を君にも分けてあげよう。
いつものように注文するメリラさんにトンカツを1切れおまけする。
「これはおまけです。食べてみてください」
「そう? じゃあ遠慮無く」
サクッ。もぐもぐもぐ。くわっ!
メリラさんが目を見開いた。あうあうと、喘ぐようにこちらを振り返る。
「あ、あ、貴女ねっ! こ、こんなのを食べさせたって、お、お金なんて払えないわよ!」
「やだなぁ、おまけだって言ったじゃないですか。今日だけ常連のメリラさんにサービスですよ」
「な、なら、いいんだけど……」
えへらと笑うあたしを見て、メリラさんはホッとしたように溜め息を吐いた。
「感想を聞かせて貰って良いでしょうか?」
「それくらいならいいわよ。美味しかったわ。今まで食べた肉料理で一番と言ってもいいくらいにね。今の1切れだけで500ゴールド、いえ、1000ゴールドを請求されても不思議に思わないわ」
そんなにか! おかみさんの言った通りに美味しい肉だったんだぁ。
「そうですかぁ、ありがとうございますぅ」
えへらと顔が緩むのが止められない。
「あ、貴女ね。顔が気持ち悪いことになってるわよ」
メリラさんに少し引かれてしまった。
「貴女はさっきのトンカツを売るつもりは無いのね?」
メリラさんは、トンカツをメニューに加えないと言うあたしに少しご不満の様子。
「はい、市場では売っていない肉なので、食材を安定して手に入れられるとも思えませんし」
「食材が手に入った時にだけ売ればいいのではなくて?」
「それだと、お客さんの方でいつ売っているか判らなくて、売ってても気付かれなかったりするじゃないですか。そうしたら需要の予測も全くできませんし」
「予測?」
「はい。商品が足りなかったらお客さんが不満に思うし、逆に多過ぎたら捨てることになって損失になりますから」
「そんなこと言っても、この店って毎日商品を余らせているじゃない」
「ある程度は仕方ないんですよ。もしもこの見本が見本ではなくて、唯一の商品だったとしたら、メリラさんは買うでしょうか?」
カウンター上の天ぷらの見本を指しながら尋ねてみた。
「……買わないわね」
「そんな訳で、お客さんが買いやすいように、売れ残るのを覚悟して用意してます。予測とは関係無くです」
今は毎朝各種30食を目安に用意している。売れ残ってもフリーズドライ加工してしまえば売り先が有るのでこの数だけど、売り先が無くても10食ずつを用意した筈だ。これより少なかったら買いにくくなりそうだものね。
だって、予測通りなら、1食分ずつ揚げればいいだけになっちゃうんだもん。
「なるほどね」
納得したらしいメリラさんは「勉強になったわ」と言い残して帰って行った。




