24 その行方
昼下がり。珍しく扉が開いた。
……珍しいままだったら困るんだけどね。
「いらっしゃいませ!」
「元気にしてるかい?」
「おかみさん! お久しぶりです!」
おかみさんの初めての来店だ。会うのも1ヶ月以上ぶりになる。
「調子の方は……良くなさそうだね」
おかみさんはショウケースの中を見るなり、眉尻を下げた。
「はい……」
「だけど、思ったより元気そうで良かったよ。様子を見に来たかったんだけど旦那に止められてたもんでね」
「旦那さんにですか?」
「ああ、あんたの世話ばっかり焼いて内の店が疎かになりそうだからってね」
「あたしの世話って、そんな……」
おかみさんは言い難そうに息を吐いた。
「あの日、内の旦那はあんたが蹴躓くと予想してたんだよ」
「はい?」
「それを帰り掛けに聞かされてびっくりしたもんさ」
多分、試食して貰った日の帰り道で、おかみさんが振り返った時のことだ。
「だけど、あんた自身で経験して実感した方が良いから、1ヶ月は我慢して見守っていろってね」
「そう、ですか……」
うん、確かに実感したよ。考えが甘かったし、何よりこの町の人のことを知らなすぎた。
判っていたなら、先に教えて欲しかった!
だけどこれはきっと我が儘なんだろうな。「経験した方がいい」と言われたら、その通りなのだから。
「旦那が言うには、野菜だと客の気が惹けないし、時間が経つと味が落ちる料理のようだし、何より食べて貰おうにも食べさせる方法が無いかららしいよ」
「あはは、はぁ……、その通りのようです」
溜め息になってしまった。
野菜じゃ駄目だとはメリラさんにも言われた。食べさせる方法が無いってのも、その通りだ。買ってくれなさそうな人には食べさせられても、買ってくれそうな人には素通りされたのだと思う。味が落ちるのは言わずもがなだ。
「1ヶ月前に大通りでちょっとした騒動になったのも聞いてるよ。内の店に来た噂好きの奴が天ぷらがどうのと言ってたから、あんたのことだと直ぐに判ったんだ」
「えーと、それは、その……」
「いいさ。どうせ馬鹿な連中が集ったんだろうからね。それであんたももう判っただろうけど、この町の連中に理由はどうであれ只でものを与えると碌なことにはならないんだよ」
「そのようでした」
「尤も、それはこの町に限ったことでもないけどね。と言うか、この町はごろつきが居ない分まだ増しな方さ」
おかみさんは肩を竦めた。
最後のは聞きたくなかったような、聞いて良かったような、微妙な話だ。この町でケチが付いたからって別の町に行っていたら、もっと悪い状況になっていた可能性の方が高いってことだ。
もう少しはこの町で頑張ってみるしかないんだよね……。
「そんなだから、食べて貰うには何か気を惹くものが必要だね。具体的にはやっぱり食材かね」
「やっぱり、そうなりますか」
「ん? 気付いてたのかい?」
「はい、ある人に指摘されまして」
「当ては有るのかい?」
「はい。一応は、ですが」
メリラさんに聞いた港町に行けば魚介類が手に入る。そうしたらもう少しマシになるんじゃないかと思う。
「だったら、大丈夫だね」
おかみさんはニカッと笑った。
「はい。あの、つかぬ事を伺いますが、酒場を開く時はどうやって客を呼んだんですか?」
「それこそ酒だよ。旦那の料理が売れるようになるまでには暫く掛かったものさ。あたしも旦那に言われるまで忘れてたけどね」
「酒場って、かなり長く続けられてるんですよね?」
「そうだね、もう15年くらい経ったかねぇ」
おかみさんは、少し遠い目をした。
そりゃ、15年も前じゃ、当時のことなんて忘れちゃうよね。
「それじゃ、何か買わせて貰うよ。んーと、いつかのナスの代わりにセロリアックとケールとビーツが有るんだね。じゃあ、5種類を旦那とあたしの分で2つずつ貰おうかね」
「はい、ありがとうございます。少々お待ちください」
2枚のクレープそれぞれに5種類の天ぷらを包んだ。
「その生地は?」
「大豆粉ととうもろこし粉で焼いたものです。包み紙の代わりにと思いまして」
「紙の代わりなのかい。なるほどね……。色々考えてるんだね」
「一応、食べても平気です。それでは締めて800ゴールドになります」
「あいよ」
おかみさんは支払いを終えた後、しみじみと天ぷらを見た。
「それにしても、これで1つ80ゴールドかい? これだと赤字にならないかい?」
「300食ほど売れれば大丈夫なんですけど、今はちょっと……」
「300って、あんた。薪の値段とかはちゃんと入れて計算してるのかい?」
おかみさんに疑わしそうな目で睨まれた。ここは、うん、笑って誤魔化そう。
「えっと、そこら辺は大丈夫です」
「だったらいいんだけどね……」
えへらとした笑い顔を作るあたしにおかみさんは眉尻を下げた。一応、誤魔化されてくれるらしい。
ポン。
ふとあることを思い出して、あたしは顎の下で手を合わせた。
「おかみさん、1つ相談したいことが有るんですが?」
「何だい? 言ってみな」
「今、品物を取って来ますので、ちょっと待っていてください」
「あいよ」
いそいそと店の奥に行って、保存している乾燥天ぷらを取って来て、おかみさんに見せる。
「これは売れ残った天ぷらを乾したものなんですが、買い取ってくれる店は無いものでしょうか?」
「へぇ。売れ残りをねぇ。おや? これはケールだね? どうやったらこんな風に乾かせるんだい?」
おかみさんはケールを見て不思議そうに目を瞬かせる。
「乾かし方は企業秘密です」
あたしは立てた人差し指を口に当てつつ答えた。内緒話の時にシーッってする、あれだ。
「秘密ねぇ。それもそうだね」
おかみさんがその仕草を真似して、人差し指を口に当てて小首を傾げる。割とお茶目な人だ。
「それで、これはこのまま食べられるのかい?」
「はい、味見してみてください」
「それじゃ、1つずつ食べさせて貰おうかね」
おかみさんがまず手に取ったのは、ケールだ。
パリパリ。
おかみさんが目を丸くした。
「あら、これ、美味しいじゃないの! この歯触りが癖になりそうだよ」
サクサク。ザリザリ。ガリガリ。
「この人参と玉葱のも美味しいね。セロリアックも悪くない。じゃがいもは、んー、どうだろうね?」
「じゃがいもはスープに浸したりした方がいいかも知れませんね」
「そうかも知れないね」
おかみさんは噛み締めるように何度も頷いた。そして、腕を組んで暫く考え込んだ。
「これは少し嵩張るから冒険者が携帯するのには向かないけど、旅商人相手にだったら売れそうな気がするよ」
「旅商人ですか?」
「ああ。この辺りは町と町が離れてるもんでね、旅商人も野宿することが多いんだ。この時期になったら食べられる草も殆ど枯れてるから、乾燥野菜を持って動くものなのさ。その代わりだね」
「なるほど。そうすると、どこに持ち込めばいいんでしょう?」
「そうだねぇ。ギルダースの店に行ってみるかい? あの店は旅商人もよく立ち寄るからね」
「あのお店って、食べ物も売ってたんですか?」
「売ってるよ。携帯用の保存食料ばかりだけどね」
「あー、そう言うことですか。では、ギルダースさんのお店に持ち込んでみます」
「じゃあ、今から……は、店が有るから駄目だね……」
おかみさんは眉を曇らせたけど、現状なら多少店を空けても大した問題にならないんだよね。
「今からでも大丈夫ですよ。自分で言うのも何ですけど、お客さんは殆ど来ませんから」
「そう……なのかい。あんたがいいのならいいんだけどさ……」
おかみさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
お客さんが来ないのは事実なんだから、気にしないで欲しい。
あたしは奥から乾燥天ぷらを入れた麻袋を5つ持って来る。食材毎に分けて入れているので5つだ。
「結構有るね。それで全部かい?」
「いえ、半分です」
「そうかい……」
おかみさんは酸っぱそうな顔をした。
「それじゃ、あたしが半分持つから全部持って来な」
「あ、はい。すいません」
「いいよ、このくらい」
あたしは持っていた袋をおかみさんに預けて、また5袋を持って来る。麻袋は足りなくなったので買い足したものだ。
「ところで、これは幾らで売れると元が取れるんだい?」
「全部で10万ゴールドほどになれば、袋の中身の原価にはなると思います」
「判った」
そして、おかみさんと一緒にギルダースさんのお店に向かった。おかみさんにぴったりと付いて行けている。ちょっと嬉しい。
交渉は、おかみさんが「手本を見せてやるよ」と言って、引き受けてくれた。こちらの言い値を全部で40万円から始めて徐々に引いて行き、最終的には25万円で纏まった。
普通に天ぷらを売るより高い値段になったので少し微妙な気分だ。
おかみさんはと言うと、交渉を終えたことで一仕事終わったって感じの爽やかな笑顔で帰って行った。
25万円と空の麻袋を抱えておかみさんを見送ったあたしは、旦那さんの懸念が判った気がした。おかみさんは他人にかまけて自分のことが疎かになる嫌いが有るのかも知れない。
だってもう酒場の準備を始めてなきゃいけない時間なんだよ。




