13 騙されていた
あたしは売買契約書を取り出しておかみさんに見せる。
おかみさんはその契約書を読み進める。すると何故か、おかみさんの顔がみるみる怒りに歪んだ。
「何だい、これは! あんた、こんな契約をしたのかい!?」
「ええ!? 変な契約なんですか?」
「は? もしかして読めないのかい?」
「はい……。ちょっと言い回しが難しすぎて……」
「そっか、あんたはここに来てまだ1ヶ月くらいだったね……」
おかみさんの顔が苦悶したように歪んだ。あたしがここで使われている文字を憶え始めてまだ1ヶ月だと思い出したのだろう。
「あんた、このままじゃ、2割の所得税を納めなきゃいけないよ。3000万の2割だから600万だね。年明け直ぐに払うことになるから、もう3ヶ月も無いよ」
「ええ!? どうしてそんなことに!?」
「あんたが売買契約を結んだのは、ギルドじゃなくギルド長個人になってるんだよ」
冒険者ギルドに売ったのなら、ギルドが支払う税金だけど、個人に売ったことになってるから自分で税金を払うことになるらしい。ギルドに売る場合にギルドが払うのは、冒険者一人一人に課税するのが非現実的だから、予め税金分を差し引いた金額で査定や交渉をするからだってことだ。
「税金を払えなかったらどうなるんですか?」
「まあ、この家を差し押さえられるってところかね」
「折角買ったのに! もう300万も残ってないのに、3ヶ月でなんて払いようがありません!」
「ギルド長に支払わせたいところだけど、契約書は正式だからね……。突っぱねられたらお終いだね」
おかみさんは眉尻を下げた。
「ギルド長はあんたから買ったドラゴンをギルドに3億で売って差額を懐に入れたって寸法さ。あんたが倒したドラゴンの大きさなら3億は最低価格みたいなものだから、査定とか無しにギルド長の一存で契約できるからね」
「そこで3億!? でも、なんであたしが3億で売ったことになってるんですか?」
「それがよく判らないんだよ。だけど、あんたは売った先がギルドじゃないのに気付かなかったのかい?」
「はい。手続きはギルド職員の方がやってくれましたし……」
「何だって!?」
おかみさんの顔がまた憤怒の形相に変わった。かなり怖い。
「直ぐに、ギルドに行くよ! 付いて来な!」
「はいっ!」
おかみさんの迫力が凄くて、思わず気を付けの姿勢になってしまった。
おかみさんは走るのが速い。人混みをすいすい擦り抜けて行く。
そうかこれか。これなのか。混雑する店の接客をおかみさん1人で切り盛りできる理由は。1つ謎が解けた。
それはそれとして、人混みでまごついたあたしは置いてきぼりにされてしまった。行き先が判ってるからいいんだけど。
「来たね」
おかみさんは冒険者ギルドの前で待っていてくれた。
腰に手を当ててあたしを見るおかみさんに何かを含む様子は見られない。あたしが遅れるのは織り込み済みだったんだろう。
あたしを手招きして、おかみさんはギルドに入る。
「エクローネ! ギルダース! ちょっと面貸しな!!」
ギルド中がしーんと静まり返った。おかみさんのビリビリとした怒声が木霊した瞬間に、誰も彼もが動きを止めていた。視線だけをおかみさんの方に動かした人が居たのが精々だ。
数秒間はそのままだったような気がする。その静寂を破って、ガタンと椅子を引く音が響く。やけに大きく聞こえた。
そして近付くバタバタとした足音が2つ。勿論、おかみさんに呼ばれた二人のものだ。
「リドルさん、あの、いかがされたのでしょうか?」
受付嬢のエクローネがおずおずと尋ねた。
いきなりおかみさんに怒りをぶつけられてドギマギしている感じだ。この様子じゃ、おかみさんの方が色々と格上なんだろう。
おかみさんはおもむろにあたしの売買契約書を広げて、エクローネに突き付ける。
「あんたら、どうやら職員の教育がなってないようだね。これを見な!」
エクローネは困惑の表情でそれを受け取った。そして2度ばかり契約書とおかみさんを見比べてから、契約書に目を落とす。
「それをよりにもよって職員が手続きしたって言うんだよ?」
エクローネの顔が青褪めた。
微かに手を震わせながら契約書を強面のおっさ……もとい、ギルダースさんに渡すエクローネ。顔を片手で覆いながら歪める。
契約書に目を通したギルダースさんもまた、わなわなと震え出す。
不意におかみさんが手を振った。
ドスッ。
「ひあっ!」
悲鳴。奥の扉から出て行こうとしていたらしい職員のものだった。目の前にナイフが突き刺さったナイフに驚いたらしい。
あのナイフはおかみさんがさっき投げたんだろう。
「誰がここから出ていいって言った?」
おかみさんに睨まれた職員は「ひっ!」と悲鳴を上げて、腰を抜かした。
その間もギルダースさんは契約書を吟味していた様子だ。
「そんな……、書類ではチカ殿がギルドに売っていた筈……」
「あ? どう言うことだい?」
「あまりの高額故、書類を確認したのだ」
「だったら、それを持って来な!」
ギルダースさんはあたしの契約書をおかみさんに手渡してから、慌てたように奥の扉から出て行く。
暫くして書類を手にして戻って来た。
「これだ」
おかみさんがその書類を読む。
「何だい、これは!」
おかみさんが目を剥いて声を上げた。そして、あたしの方を振り返る。
「ちょっとあんた、手続きをしたって職員はどいつだい?」
「あ、それはあの人です」
あたしが指差したのは、さっき目の前にナイフを投げられて腰を抜かした人だ。
「へぇ……」
おかみさんがさっきの職員を見た。般若も斯くやの形相だ。
職員はそれだけで全身を震わせている。
「ゆーっくり、話を聞こうじゃないか」
ギルダースさんが首根っこを掴むようにして、その職員をおかみさんの前に引っ立てて来た。もう片方の手には1枚の書類を持っている。そしてその書類をおかみさんに差し出した。
「どうやら、書類をすり替えようとしたようだ。隠し持っていた」
「ああ、なるほどね」
書類に目を通したおかみさんが合点がいったとばかりに頷いた。
「あの、どう言うことでしょうか?」
あたしはちょっと蚊帳の外になってしまっていて、よく判らなくなっている。
「ああ、まったく度し難い馬鹿共だよ。この二人の目を誤魔化すために偽の書類を用意していたのさ。普段はあんたがドラゴンを3億でギルドに売ったことになってる偽の書類を置いてたんだよ。そうしたらギルドから3億無くなってても不思議に思われないからね。それであんたとの辻褄合わせが必要な時だけ、この本物の書類を使うつもりだったのさ。今もあたしの目を誤魔化そうとして、こいつがこっそりすり替えようとしたんだろうね。隠せる場所なんてこいつの机ぐらいしか無かっただろうし」
おかみさんはさっきの職員の顔を掴んで凄んだ。
掴まれた職員はガタガタ震えている。きっとその場凌ぎで追及から逃れようとしたんだろうな。
「そう言うことだったんですか……」
腹立たしい。腹立たしいけど、それよりもっと哀しい。
おかみさんのような人を除いたら、あたしは鴨にしか思われてなかったのだろう。自分でネギを背負った鴨同然だったと思うもの。
「それじゃ、ギルダースはギルド長の首根っこを捕まえて連れて来な。エクローネは職員全員に招集を掛けな」
「はい!」
ギルダースさんとエクローネは走って行った。




