恐るべしカメラマン
公園にたどり着く。公園の中の欅や銀杏は色づくにはまだ早い。濃い緑の中に黄色や赤に染まる葉は、数枚見られる程度だ。
いつもおばあちゃんが座っていたベンチに視線がいく。そこには若い母親二人が楽し気にお喋りしながら、小さな子供たちを遊ばせていた。
しばらく外から公園の中を伺っていると、
「わぁ!きれい」
女の子の感嘆の声に振り返る。声の主は、まだ小学三、四年生位の女の子だ。スーパーの袋を持ってお母さんと手をつなぎ歩いている。
「ねぇ、お母さんもああゆうかっこうしたら?」
母親を見上げて言う。すると母は
「シッ!黙りなさい!」
ピシャリ。と女の子の言葉を切り捨てた。
一瞬女の子は泣きそうな顔になり、黙る。
目が合う。
もう何も言わなくなった女の子は、何度か振り返り私を見たが、母親に引きずられるように歩くうちに、もうこちらを見る事もなく俯いて歩いて行ってしまった。
着てあげたらいいのに…。そしたらあの子は嬉しいだろうに…。
着物を着るという事が、そんなにも難しくなってしまったのだなぁ。
駅に向かう。ここは都会ではないので駅の近くだからと言って凄く賑わっているという事はないが、それでも駅に近付くと、スーパーや小さな店が道沿いにずっと続く。割と人の行き来はある。
途中にはいくつか信号があり、通り過ぎる車を横目で見ながらゆっくりと歩く。
別に特別な用がある訳ではないので、呑気なお散歩だ。
時々すれ違う人の視線を感じることもあるが、これももう慣れた。ご年配などは、本当に興味があるようで、今時珍しさもあるのか、目を逸らすことなくじぃっと見る。これは少し恥ずかしい。
二つ目の交差点に差し掛かろうとした時、
「すみません!」
後ろから男の声がしたが、聞き覚えのない声だったので私にではないだろうと、気にせず足を止めずにいた。
すると、サッと隣に見知らぬ男が並んだ。
「すみません。少しお時間宜しいでしょうか?」
私の顔を覗き込む様な形で声をかけて来た。
何?その人を見上げる。まだ若い、歳は二十後半が三十前半か、背の高いスレンダーな体に、ジーパン、Tシャツ姿、上に薄いジャケットを羽織っている。第一印象、嫌な感じは受けなかった。
私は足を止めた。
変な勧誘だったら無視して歩き出せばいい。そう心の中に決めて。よく見るとその男の手にはカメラがあった。
?
カメラには興味はないので、どういったカメラなのか私には分からないが、安物のカメラには見えない。
男を不審げに見ていると、
「あの、今度写真の個展を開くことになったんですが……」
と言って名刺を一枚差し出された。
「……………」
無言で受け取り、名刺に目を落とす。そこにはカメラマンと書いてあり、名前と連絡先が記されていた。
名刺から視線を上げずにいると、
「それで―――」
と、一度言葉を切った後、
「一枚、あなたの写真を撮らせてもらっても良いでしょうか?」
っ!?
思わず顔を上げ、初めて正面から目が合った。
「……写真?」
驚きと共に呟く様に聞く。
「はい」
目を逸らすことなく、きっぱりとした声で答える。
私の頭が今の状況を理解するのに数秒かかった。
これは―――――一体………。
返事を返せずにいると、追い打ちをかけるように、
「後ろ姿でいいんです!一枚だけでいいんです!お願いできませんか?」
遊びでない、真剣さに言葉が詰まる。
やっと状況が飲み込めた時には、別の問題が頭を過る。
実は、写真は嫌いで、カメラを向けられるといつも緊張してガチガチになってしまうのだ。
どうしよう―――。どうしよう―――。決めかねる。
しかし、見つめられるその真摯な視線に―――――――――負けた。
「……後ろ姿なら…」
と呟く。
あぁ!私って何て馬鹿!
心の中で自己嫌悪に陥る。
男はパッと笑顔になり、安堵した様な嬉しそうな本当に良い顔をした。
「ありがとうございます!では早速―――」
と言って誘導されたのは、今渡ろうとしていた横断歩道の手前だった。
え?ここ?何でここ?
「あ、そこで後ろを向いて立って下さい」
言うなり、私から数歩下がり、腰を屈めカメラを構えた。
「……………」
問答無用のその様子に、私は諦め、指示された方を向く。
これって何のシチュエーションを撮ろうとしてんの?何の説明もなし?
道行く人はチラッとこちらを見ては横断歩道を渡って行く。
信号が赤から青に変わる。又赤に変わり車が走り出す。そして又信号が変わる―――。
信号は何回も変わる。
なのに!シャッター音は聞こえない。
ちょっと!一体いつまでここに立たせて置く気なのよ!
行き過ぎる人達の視線が痛い。こんな事になるのならOKしなきゃ良かった。心底そう思った。
だんだん、この状況が辛くなる。いたたまれず痺れを切らして振り返り、
「あのぉ―――」
「あ!まだ待って下さい。そのままで!」
その男は始まりと同じ、ずっと中腰のままカメラを構えていた。
私よりずっと辛いであろう体勢のままで。
「………………」
諦めてもう一度向き直す。
ふぅ。早く終わんないかなぁ…
心の中でため息が出た。
カシャ
へ?
確かに今、シャッター音が鳴った。
今なの?今の撮ったの?完全に一瞬無防備だった…
不安げにカメラマンを振り返る。
「ありがとうございました」
と爽やかな笑顔で近付いてくる。
呆然とする私に、小さなメモを取り出し、サラサラと何かを書き私の手に握らせる。
「是非来てください!お待ちしています」
笑顔と共にそれだけ言い残し、あっけなく立ち去って行った。
一人置き去りにされた私の手の中には、個展を開く日時と場所が書かれた小さな紙一枚が残された。
カメラマン…恐るべし。