おばあちゃんの知恵
肩から脇にかけてをまつっていた糸をほどき終え、やっと身頃と袖を取り外す作業に入ろうとしたところで手は止まる。
「なっ!?」
何でここだけミシン縫いなの!?
「……………」
あぁ、ため息が出る。
手縫いと違って、ミシンで縫われているとほどくのが大変なのだ。それも、よく見るとご丁寧に一番目の細かなサイズで縫われている。
布は古い。無理な力を加えれば、破けないとも限らない。
「もう!これってミシンの力、信用してないでしょ!」
と文句を言っても何とかなるものではなく、諦めて一目一目ハサミを入れていく。
時間だけが過ぎていく。
「あ~イライラする!何でミシン縫いなの!!着物縫う時ぐらい手縫いにしてよ!直す人の事も考えて作って!」
もし天国から見ていたら、今だけは許して。
格闘は続く。次第に無心になっていく。
すると、自然と隣の亡くなられたおばあちゃんの事が頭に浮かぶ。
会った事はないけれど、この着物を手にして直していると、とてもセンスの良かった人なのだろうと思える。着物の布地を選ぶのは難しい。なんせ、同じ色同じ柄が上から下まで全身を包むのだ。洋服を選ぶのとは訳が違う。見抜く目がなければ大変な事になる。又、手縫いの所を見ても、一針一針丁寧に縫ってある。
一体誰の為に縫ったのだろう?自分の為だったのだろうか?縫い手の人と生りが見えて来そうで不思議だ。
っ!?
しまった!布に穴開けちゃったかも―――。
手元の布をよく見る。すると、穴は少し離れた所にもあった。直径2ミリ位。
これは――――虫食い?
……やっぱりあったか。
古い布だからあるかもしれないとは薄々思っていたが―――。
さて、どうしよう。
袖幅を大きく出すとこの虫食いの痕が出てしまう。それもよく見ると、2ヶ所ではなく4ヶ所両袖にあった。念のため、もう一度着物全体を確認する。運良くというのか、袖の辺りだけのようだった。
「ふむ」
暫く考え込む。
ふっと、以前公園でよく会ったおばあちゃんとの会話を思い出した。このおばあちゃんは隣の人とは全く関係のない見ず知らずのおばあちゃんだが、犬の散歩で毎朝会ううちに仲良くなった。いつも杖を持ち、決まっていつも同じベンチに座り、同じ時間帯に日向ぼっこをしていて、私に挨拶をしてくれていた。
ある日の会話に、縫い物の話をしたことがあった。
「上手に縫えなくて―――」
と愚痴を零したら、いろいろなアドバイスをくれたのを思い出す。
でも、最近ぱたりと姿を見かけなくなった。何かあったのでは、と少し心配している。
名前も知らないおばあちゃん。少しかすれた声で、ゆっくり話す。
―――古い着物はね、よく虫に食われるの。そんな時は、その着物の裏をめくって、少し縫い込まれている部分をほどき、ちょっと布を取り出して、ハサミで切り取るの。それを穴の裏から当てて縫えば、目立たなくなるわよ。昔は皆、そうやって大事に着ていたんだよ。
私は袖をめくった。袖の下に縫い込まれている布を小さく切り取る。それを裏から当てて縫う。
表に反して確認すると―――本当だ。全く分からない。
公園のおばあちゃん、ありがとう。
この方法で全ての穴をふさぐ。
無事に身頃と袖を取り外し、新たに布を広く出し、袖幅も広く取り、縫い直す。
「……………」
ただの並縫いが曲がる。縫い目の幅も揃わない…。
えぇい!この際少し位縫い目が曲がろうが、目の大きさが変わろうが気にしないぞ!
私にはアイロンという強い味方がいるのだ!
この着物を縫ったおばあちゃんが傍に居たら、きっと笑われるか、呆れられるかのどちらかだっただろう。
居なくて良かった。
やっとの思いで両袖を付け直した時には、一日が終わろうとしていた。
もうすぐ夕食の時間だ。
「あ~肩凝った」
一人呟く。
しかし、このやり遂げた感は心地よい。
羽織ってみると、今度は裄の長さも良い感じだった。
まぁ、欲を言えば、もう1センチ位出しても良かったかなぁ。
急いで一階に降り、洗濯機の中へ投入する。勿論網に入れての洗濯である。
「ちょっと、今から洗濯するの?」
母の呆れ声に、
「ちょっとだけ。ごめん」
と言って使わせてもらう。
夕食後、洗い終わった着物を洗濯機から取り出す。
「………臭い」
何と言うか、古い布に長年染み込んだ埃のような臭いは、そう簡単には落ちてくれなかった。
手強い…。
仕方なく、夜だというのにベランダの外へ出す。
朝までには、この臭い取れてくれるといいなぁ。
願いを込めて夜風にあてる。
秋のひんやりとした空気が心地よい。いつの間にか、空には綺麗な星が瞬いていた。
明日、この着物、着れたらいいなぁ――――。