古い着物
久しぶりに予定の入っていない秋の休日。土曜、日曜とのんびり過ごせる日は、私にとって貴重な連休。
ゆっくりとした朝を過ごす。
大きく開いた窓からは、どこからともなく金木犀の甘い香りが漂ってくる。
暇だなぁ。
窓の外を見ながら珈琲を飲んでいると、押し入れの中に押し込んである風呂敷を思い出した。
手元の珈琲を小さな机の上に置き、物がたくさん入っていて開けにくくなっている押し入れの戸を、力を入れて開ける。隙間なく積まれているプラスチックケースが、壁の様に目の前に現れる。それを無視して、さらに薄暗い押し入れの奥角、申し訳程度の隙間にぎゅうぎゅうに押し込まれた大きな風呂敷を掴む。
この中には古い頂き物の着物が四、五枚入っていた筈。
結構重いな…よいしょっと。
頭や肩を壁にぶつけながら、何とかそれを取り出す。
これは、隣のおばあちゃんが亡くなられた後、誰も着ないから捨てる、と言っていたのを、私の母が貰っておいたものだ。
風呂敷の結びをほどくと、ぱらり、と四角がほどけ、中の着物が現われる。古布のにおいがする。きちんと畳まれた着物を一枚ずつ、畳の上に広げていく。
てっきりご年配好みの渋めの物ばかりかと思っていたが、その思いはすぐに裏切られた。
斬新な色柄。渋い竹色にオレンジの格子柄や、芥子色の地に小さなオレンジ色の花と黒の唐草が下から上へと全体的に絡みつく柄など、ウールや化繊地の小紋や紬風なものばかりなのだが、目を奪われる。
これ、本当におばあちゃんが着ていたの?
亡くなられたおばあちゃんとは、お会いした事はないけど、この着物達を見るに、派手好きな人だったのかしら?自分で和裁をしていたとも聞いている。
広げられた色とりどりの着物達を見ていると、派手さの中に、何処か不思議な魅力と言うか、心惹かれるものがある。
何だろう?
未だその不思議の元は分からぬまま、心の中で呟く。
よくこんなの来てたなぁ。もしかして、娘とか、お孫さんの為に縫っておいた物なのかな?でも、今の若い人はきっと着ないよね。隣のおばあさんも、娘も着ないって言ってたし…
…着てもらえるか分からない着物を縫ってたのかな?
ふっと赤色の着物に目が留まる。赤と言っても、こっくりとした赤に紫がかった色だ。細かい白の亀甲模様と、黒の一見もんぺなどによく使われている柄を、小さく歯切れの様に四角く切って縦に繋げたような小紋柄。
これもまた変わっている…。
手に取り、何気なく肩にかける。布はウールの様で、普段着使いの着物だ。
姿鏡の前に立つ。
っ!?
――――変じゃない!と言うか…似合ってるかも。
見ただけでは絶対に自分では選ばないだろう。なのに、羽織ってみると実際の体型より、よりほっそりと、女らしく、どこかほっとする懐かしさと、色気をかもし出しているような―――。
自分ではないみたいだ。もう一人の自分がそこにいる。
白い割烹着、似合いそう。
おかってに立っていたら絵になりそうな、買い物籠を片手に懐かしい商店街に立っていそうな、そんな風景が頭の中に浮かぶ。
鏡の中の私は―――――古臭くない。ちゃんと今の私だ。
これ、着られる!
「……凄い」
呟くような心の声が、思わず口からホロリと零れていた。
しかし、身幅と着丈は何とかこのままでもいけるけど、裄がつんつるてん。手のくるぶしが大きくはっきり見えてしまっている。流石に、これはまずい。
ふつふつと込み上げる想いに、逆らうつもりはなかった。
よし!直そう!そして絶対着る!
裁縫セットを探し当て、部屋の真ん中にドンと置く。これでも私は少々和裁をかじっている。大したものは出来ないが、浴衣までなら何とか縫える。とは言っても、もう何年も前の事で、今覚えているかと聞かれてもかなり不安だが…。でも、これはどうしても自分で直してみたかった。自分でやってこそ、意味がある気がした。そんな気が不思議としたのだ。
「あ、あれ?アイロンどこだっけ?」
バタバタッ
一階へ駆け下り、母にアイロンを出してもらう。突然の私の行動に、訝しげにしながらもアイロンを渡してくれる。
「気をつけんのよ」
母の一言を聞いて、また二階へと駆け上がる。
さて、始めますか。
身頃と袖を外さなければならない。糸切りバサミを取り出し、慎重に糸に刃先を入れる。
パチン。パチン。
布まで切らぬよう、細心の注意を注ぐ。
プツッ。
糸が切れた!
切ってないのに……。
ハサミを置いて、手で布を軽く引っ張ってみる。
プチッ。プチプチプチッ。
!!?何なの!?
糸が簡単に切れていく。相当糸が傷んでいる。ここまで傷んでいるという事は、どれくらい前に作られたのだろう?
脆すぎる…。
かなり古い。もしかしてこれは、おばあちゃんがまだ若い頃の着物なのかも。
………。
もう後戻りは出来ない。
気持ちを改める。
パチン。パチン。
静かな部屋にハサミの音だけが響く。