ショウタとの朝のドタバタ
二章
1
「翔太、起きなさい!」
「あと――五分だけ……」
私の日々の始まりは、朝が苦手な翔太を起こすことである。
「さぁ、ご飯食べる時間なくなるよ」
「うーん……おね……がい」
起床を拒み、私に背中を向けて寝返る。体勢を変えた時、ふわっと太陽の香りがする。
「本当に五分だけだよ」
「……うー……ん」
何気ない日常の一コマだ。翔太のこれぐらいの強情には目を瞑っている。そして五分後、
「はい、五分経ったよ。今度こそ起きなさい」
「……むーん、もうあと……五分だけ……」
「これで最後だからね――いい?」
「うっ……く」
もはや何を言っているのか分からない。さらに五分後、
「はい最後のお願い聞いたから、もう起きなさい」
この通り、五分おきに六回ほど朝のルーティンを繰り返す。今日は一限目に講義があるので、翔太に掛っている布団を払いのける。
「おい! もう少しって言っているだろ? バカなの?」
何度もやさしく起こしてもらっている割には強気な態度で最終的には逆ギレだ。取り上げた布団の端を握り、再び自分の上に羽織って転がり翔太巻の完成だ。
「あーー、もう今日は私忙しいの! 起きなさい!」
「……」
今朝から激しく雨が降っていて、少しご機嫌斜めな気持ちだったため、悪戯してやろうと薄い掛け布団の上から思いっきり脇腹をくすぐる――翔太の急所である。
「ギャーーーーーー、ハハハーーーーーーアッーーーーーーー」
お笑い芸人並の大げさなリアクションだ。朝から大きな奇声を発する翔太はどこか楽しそうである。
こんな調子が毎日続くので、七時に起こしても登校ギリギリになってしまう。その結果、担任の先生から電話が家にあって、私が怒られるという悲劇が起こる。それを避けるため、私が六時に起床して、翔太の着替えを用意して、六時半から遅い時は七時までこのくだらない戯れが習慣になっている。
「もっと、早く自分で起きられるのに……小姑かおまえは……」
どうやら遊んでやっているという自覚があるらしい。このような口答えは心底腹が立つ。
しかし、この自力で起きられる発言は実は本気でそう思っているのだと感じることがある。
例えば、一年生の子どもが宿題をやっていないのに、やったと無意識で思い込んでしまっている感覚と近いような気もする。
私はこれまで女として生きてきたので、女の視点や思考を翔太にも当てはめてきた。それでも相容れない部分がありすぎて、衝突がよく起こった。そして悟るのだ。男の子の生態は女の子のものとはずいぶん違うのだ、ということを……。
(ここで突っ込んだら、またふざけた笑いで貴重な朝の時間を費やしてしまう)
「今日は、早く起きられたね。エライね!」
「本気を出せばな……こんなもんよ」
寝ぐせだらけの間抜け面で、背伸びをしているドヤ顔がうっとうしいと同時に、愛しく感じる。
「じゃ、着替えさせて!」
「五年生になって何言ってんのよ。駄目に決まっているでしょ」
「お願い。ネーネ!」
(いきなりネーネでの呼びかけお願いが来たか。くぅう……手伝ってあげたいが)
「駄目。あんまり調子に乗るとお父さんに言うよ」
「ネーネ……一生のお願い!」
寝ぼけ眼で滑舌の悪い、どもるような甘えた声ですがってくる。
「……わかったわ。じゃ、立って」
「はーい」
翔太は上のパジャマから脱がせ、とバンザイをして催促をする。私はさきほどの悪戯心が微かに残っていたので、上のパジャマからでなく、パンツと一緒に下のものを思いっきり下ろしてあげた。
「ぎゃーーーーーーー、何すんだよ! この変態が!」
「ごめーん。パンツも一緒に落ちちゃった。テヘペロ……」
真っ赤な顔をして毛も生えていないスモール・エレファントを必死で隠す。
(よし! まだ大人になってない……よかった!)
「もういいよ! 自分でやるから、この痴女野郎ーー!」
「では、早く降りてきなさいね」
雨の日にわざわざ早朝から始まる退屈な講義を受けなければいけないもやもやした気持ちはどこかに消えてしまった。
「何かあったの? 大きな声で騒いでいたけど……」
朝は母が一番忙しい時間だ。スクランブルエッグを焼きつつ、洗いものをしながら聞いてくる。
「別に……いつもの起きたくない、バブーって感じだから」
「あの子……あなたにべったりね。母さんちょっと心配だわ……」
(いや、絶対にこの人はしていない……ただ女性の取りあえず何か言いたいだけの上っ面のことばだ)
「父さんも母さんも私みたいに厳しく躾をすればいいじゃん……」
「なんかね――母さん怒れないのよー。テヘペロ……」
訝しげな顔で母を見つめる。
「やっちゃん、お願いね……」
(くうー、この缶コーヒーみたいに甘ったるい駄目母めーー)
「父さんも何とか言ってよ!」
「ガキの頃の男はああいうもんだ。頼んだぞ……」
私が翔太ぐらいの頃の父は厳しかったが、今はすっかり丸くなってしまっている。四十を過ぎて生れた子なので、孫のように責任なんて一切とらないかわいがりっぷりだ。後に生れるだけでこんなにも待遇が違うものかと思うと悲しくなってくる。
「おはようございます」
「「おはよう」」
翔太は父と母の前では普通の小学五年生を演じている。
「今日、すごい雨だから、早めに家に出るのよ」
「はーい」
「新しいクラスはどうだ? もう慣れたか?」
父は翔太の学校生活について毎朝何かしら尋ねている。父は毎晩帰りが遅く、朝しか家族が揃わないことなんてことも多い。この僅かな時間に、些細なことでも良いのでコミュニケーションしておきたいのだろう。なので、朝食は必ず四人で食べるようにしている。
「うん……まぁ、それなりにうまくやってるよ」
「友達と大切にしなさい。あと、人様の迷惑を掛けることだけはするな」
「はーい、わかってるよ」
「翔太は大丈夫ですよ。それに新しいクラスにはサッカー部の子もたくさんいますし」
「そうそう。俺は人気者だからね」
牛乳をゴクゴク一気に飲み干す。
(自分で言うか普通……)
「ショウちゃん、オレンジジュースもどう?」
「うん、飲むー」
「はい、お母さんのソーセージあげる」
フォークに突き刺し、翔太の口にゆっくり運んであげる。
「おいしい?」
「うん!」
母は私以上に翔太にべったりだということに気付いていない。
「ちょっと……母さんやりすぎだよ」
「あら、泰代もして欲しいのね――あーん」
「――いや、いいです」
(親バカ過ぎるよ……お母さん)
ふと、自分の皿に目をやると、カリカリベーコンがなくなっている。翔太の復習だ。
「私のベーコン盗らないで! 返して!」
翔太の皿に盛られたベーコンを突き刺そうとするが、タイミングが遅かった。うまくかわされてしまう。さらに悪いことに、フォーク先端が食卓に突き刺さって傷つけてしまった。
「何してんねん! アホか!」
父は関西出身ということもあり、怒るとよく関西弁が出てくる。耳慣れない標準語とはイントネーションが違う訛は、私をよく震え上がらせたものだ。
「ごめんなさい」
結局、いつも私が謝り役になってしまう。なぜか翔太は絶対に謝らない。さらに、なぜか父はそれに対して怒りもしない。
(今も十分に人様に迷惑を掛けているのだが……お父さんも何考えているのかわかんないや)
「欲しいなら、お母さんのあげる」
(さすが母親だ。ナイスフォローよ)
「はい……ショウちゃん」
(えっーーーー。そっちかい)
「ヒロちゃん、ありがとう」
すかさず私の方を見て、始まってもいなかったバトルに勝利し、敗者を見下すような目でこちらを凝視している。
「さっきの罰が当たったんだよ、ざまぁ」
「あんたねー……明日からもう起こしてやらないから……」




