本当に男って生き物は……。
5
悶々としたまま、いつも見慣れた緑色の電車に乗り込む。翔太は圭祐と仲良くサッカーの話題を話しているようだ。
私の機嫌が悪い時は、翔太は話しかけてこない。そういう点で、翔太はすごく繊細で敏感だと言える。つまり、私がどこまで寛容で、どれくらい自分を甘やかさせてくれるのかという範囲をきっちり把握している。
私は典型的な女子の性格とはかなりかけ離れた性格をしていると自分でさえ思っている。嫌な事があっても、長時間引きずらず、男のように切り替えが早いほうだ。ものごとを合理的かつ理性的に考える性質で、感情的になることは嫌いだ。
翔太は私があと一時間くらいで機嫌が収まることを知っている。おそらくサッカーショップに着くころには、再びいつもの暴君となることが容易に想像できる。
「着いたな」
不機嫌そうにスマートフォンをいじっている私に聞こえるようにさらっと告知をする。
「あっそ……何口から降りればいいの……」
「西口だよ。俺がガイドするよ。あと食べたいスィーツがあったら、調べてやるから言えよ」
圭祐は昔、翔太のようにふざけて私を怒らせていたので、こういう私を扱うことに慣れている。
横浜駅の西口改札を出ると、物産展が催されており、賑わっていた。
「翔太、はぐれないように手をつないでもいいぞ」
「……」
下を向き恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに圭祐の右手を握る。
「おまえも繋ぐか?」
「うん――ありえないわ」
「そうだな……」
二人の素っ気ないやり取りを訝しそうに翔太は眺めている。
「帰り物産展寄っていく?」
「そうね、北海道の土産なんて珍しいから家族に買っていくね」
「決まり。荷物になるから帰り際にな」
「「うん」」
突然の翔太との同調性に互いに目配せをして、吹き出す。思ったより早く仲直りできたようだ。
「プッ……じゃ、行こうか?」
「なによ?」
「いや、なんでもいいじゃん」
圭祐はいつもの茶番だと目を細めているのがわかった。ちょっと照れくさい。
西口から数分歩いて、橋に渡っている途中、翔太が突然大きな声を出した。
「ねー、鯉がいるよー。すごい!……ちょっと見ていい?」
橋の下に流れる川には多くの鯉が泳いでいた。都会の排水で汚れた水の中でも彼らはたくましく生きている。
翔太は鯉が好きである。滋賀県に住んでいる祖母の家に小さな池があり、そこには沢山の錦鯉が飼われている。お盆と正月に父と一緒に帰省すると必ず、翔太はむこうのスーパーで二袋の食パンを購入し、鯉がハバッ、ハバッと食べる姿を眺めている。日照りの暑い中や氷点下近い寒空の下、一時間以上飽きもせず熱心に見ていたのを思い出した。
「帰りでいいでしょ?」
「今見たい! いいでしょ?」
「こんなところで嫌だよ」
人通りの多い橋の真ん中で、どす黒い鯉の鑑賞をするなんて恥ずかしいにもほどがある。
「あっ! 黄色い錦鯉もいるよ。汚い水だからやっぱり黒ずんでいる」
「……翔太!」
無邪気にはしゃいでいる翔太はもう止められない。
「ねぇ、さっきの落としたマシュマロ食べるかな?」
「駄目! 早く行くよ!」
「……ちょっとだけ」
圭祐の手を離し、今度は私の手首を掴み引き戻す。
「翔太、スポーツショップがある建物の前の方がよく見えるかもしれないから、そこで見よう。マシュマロも誰も見ていなかったらあげてみよう」
「本当に?」
目を輝かせて、圭祐と私の顔を交互に見てくる。
「ちょっと、勝手なこと言わないでよ」
「いいだろう――それぐらいさぁ? ほら、あそこのおっさんパンあげているし……」
(もう、これだから男という生き物は……自由で実に勝手なものだ)
「姉ちゃん、早く行こうよ。黄色い鯉どっかに行っちゃうよ」
「わかった、わかったから、そんなに強く引っ張らないで」
私はいつでも翔太の奔放さに根負けしてしまう。
橋を渡り切り、左に曲がり川沿いに足を進めると、さきほどより多くの鯉が泳いでいる。
「うわー、すごい。ねぇ、圭兄見てる?」
「よく見たら赤いのもいるな」
「おばあちゃん家はもっと綺麗なのがいるよ。今度見においでよ」
「……機会があればな……ゴホン」
「ほら、マシュマロ食べているよ」
いつの間にバックの中から袋を取り出して、一つずつ川に投げ込んでいる。
「こら、こら……そんなことしちゃダメだって!」
「あと少しだって」
これでは駄目だと取り上げた。
「あっ! 何か袋に虫がついているよ。」
「きゃっ……ど、どこ?」
「ちょっと貸してよ――取ってあげるから」
そういって袋を奪い返し、今度は残ったマシュマロを全部まき散らす。
「バァーカ」
(しまった……謀られた)
「おぉー、すげー」
たくさんのマシュマロが撒かれたため、鯉たちはバシャバシャと音を立てて必死に与えられた白いごちそうを吸い込む。自制が利かないことを叱ろうとしたが、私から見えない圭祐の隣に瞬時に移動しており、一緒に観賞をしている始末だ。
(家に帰ったら、お説教だ……)
男共は何が面白いのか一時間ほど鯉を眺めている。それを見ている私がいる。実にシュールな光景だ。
「ねぇ、三時半もう回っているよ。早く行こうよ」
これ以上、待てないと買い物を促す。
「圭兄行こう!」
「そうだな」
(私のことは無視……かい)
「あぁ……待たせたな。ごめんな」
圭祐は、退屈そうな顔をしている私を見てマズいと感じて、適当な言葉探しに慌てている。
「じゃ、スイーツ食べ放題のおごりで!」
「わっ……かったよ……」
「圭兄も甘いなー。そんなんじゃ尻にひかれちゃうよ」
(確かに……私は関係ないけどね)
「もともとはお前が原因だろ」
調子に乗る翔太に対して、帽子を眼前に押しこむ。
「ちょっ――やめろよ」
(バカップルだな、完全に……もう付き合っちゃえよ……いや……翔太は……)
ほんの一瞬、小姑のようなことを考えてしまった自分が気持ち悪い。
目的地のスポーツショップに着いたのは四時前になってしまった。六階にある店は、内装もスポーツ選手の写真や試合映像を流しているモニターなど凝ったものになっており、私を驚かせた。加えて、広い店内には品ぞろえ豊かなグッツが所狭しと陳列されている。
翔太は店につくなり、幼稚園児のようにはしゃぎ一人でお祭り騒ぎである。いや厳密に言えばもう一人いる――圭祐だ。
「おい! 翔太、大変だ。来月この店に佐藤選手が来るぞ!」
「本当に? すごい! 俺、佐藤選手すごく好きだし」
「サイン会するって書いてあるぞ」
「マジで? ねぇ、連れてってよ」
「悪い、この日は大事な試験があって行けねぇわ……」
「そんなー」
「ごめんな……そうだ、泰代、お前連れて行ってやれよ」
「いや、無理だから。そもそも私サッカーに興味ないし……友達と行けば?」
「……」
「何? 怖いとか思っていたりする?」
「――フン、わかったよ……皆樹と行くし……あいつは佐藤選手のファンじゃないけどね……」
肩を落としている翔太をみて、なんとかしてあげたい気持ちが沸々と湧きあがってくるが、ここは依存体質を少しでも直していかない責任が私にはあると感じ気持ちを抑えた。
「俺……スパイクみてくるから……」
(おい、ちょっと、かわいそうじゃないのか? 子ども達だけで心配だろ?)
(何言ってんのよ! あの子、見た目は低学年だけど、もう五年生だよ)
(あれだけ声を掛けられるんだ、どっか連れ去られてしまうぞ)
(親バカみたいなこと言わないでよ! 友達が一緒ならいいじゃん)
(ブラコンのお前が行かないなんて、どうしたんだよ?)
(ブラコンって言わないでよ。あんただって私以上に甘いところあるじゃない)
(そうは言っても……もうちょっと言い方ってもんがあるだろう?)
(あんた馬鹿なの? 将来、親バカコースまっしぐらだわ)
(駄目だ! お前も付き添いで行け! わかったな)
(試験一つぐらい落としてもいいじゃない)
(おまえ何も知らないだろ。医学部は一科目でも落とすと留年が確定なんだよ! お気楽文系私立大学とは違うから!)
(お気楽って何よ? 何よ! 圭祐の癖に偉そうで腹立つわ)
(そう感情的になるなよ! そんな意味で言ったんじゃない)
(……)
(まったく……翔太と同じように拗ねて……大人気ないぞ)
(……)
「ごめん……ちょっと言い過ぎた」
「……一人にして。翔太のところに行けば」
「……わかった」
小学生以来、圭祐とは久しく口喧嘩をしていなかった。そのためか胸の中では激しく狼狽をしている私がいる。この後、圭祐といるのが気まずくなるだろうと確信ながら……。
暫くして、翔太は佐藤選手モデルのスパイクを買った。定価およそ二万円なり。私には気が引ける値段だ。普段、十二分に甘やかされているせいもあって、遠慮というものを知らない。
「すまん……待たせたな。終わったよ」
「そう」
先ほどの口喧嘩が尾を引いている。
「次、どこに行く? おまえの行きたかった食べ放題に行く?」
「今度でいいわよ……」
お互いというより、三者間において微妙な雰囲気が流れる。
「じゃ、物産展見に行こうぜ」
圭祐は女性と付き合ったことがないのだろう。機嫌が悪い女の扱いには素人だ。
「そうだね――じゃ、行きましょ……」
目も合わせることなく、店内を出ようとする。
店から西口までの距離は、来る時とは違ってとても長く感じられた。三人とも気まずさを抱えながら、無言で物産展の所までようやくたどり着く。
「じゃ、私、暫く見ているから、あんた達、お茶でもしてくれば? こういう買い物に興味ないでしょ?」
「翔太……マクドールでも行くか?」
「……」
ただ首を左右に振るだけだった。
「じゃ……俺もお袋用に適当に見たいから……早く終わったら、あそこで待っている」
「……あっそう」
我ながら子どもみたいな拗ねように、虚しさと嫌悪感の両方が湧いてくる。
小さな区画中での物産展だったが、普段目にすることのない限定ご当地キャラグッツや見慣れない食品を眺めていることが楽しく、買い物は小一時間を有した。いや、気持ちを落ち着かせるため、敢えてそうしたのかもしれない。
圭祐達は数十分で見飽きたらしい、指定した待ち合わせ場所で、翔太と何も話さずに佇んでいる。先ほどの楽しげな雰囲気は遠目からでも微塵ないことに気付く。
(私も大人気なかったかな……でも、どうやって取り繕うか迷うな……)
会計の場所からゆっくりと二人のもとへ近づいていく。
「姉ちゃん……」
意外なことに翔太が先に口を開く。
「あのさ……俺友達と行くから……付き添いはいらないよ。俺のことで圭兄と揉めてたんでしょ? さっき少しだけ聞こえていたから……俺のことで喧嘩するの止めてよ……そのさ……ご、ごめ……んなさい」
衝撃的な発言にドキリとする。こうやって私に謝っている翔太を目の当たりにしている状況がどうしても信じられずにいる。
「お前が気にするな。もともと校外に子どもだけで行ってはいけない。姉ちゃんは年が離れているせいで、そんなこと忘れちゃっているんだよ」
「……わかったわ。行ってあげるから――その代わり、いい子にするのよ」
「……」
黙ったまま、ゆっくり頷き、私と圭祐の手を握る。
「……食べ放題……」
そう言うと、可愛い上目遣いの顔でいつもとは違う言葉の無いおねだりが始まる。
「はい、はい」
「……泰代、俺も悪かった……」
「はい、はい――あんたは女の子と付き合って、不機嫌な女子を扱う術を学んだ方がいいわ! これからあんたの診察を受ける女性の患者さん達のためにもね」
「そっ……そうだな」
私は早足で食べ放題のお店に向う、ほんの少し二人とは距離を置いて。
「圭兄、がんばれ! あいつ鈍感だから……俺も応援するしさ」
「おっ……おう。がんばるよ」
このように、私は翔太に対して母性、時に父性を交互に表情や感情や姿勢などの言動を通して一人前の大人にしていきたいと思っている。
しかし、翔太に中途半端にしか厳しくできない自分を責めるつもりは毛頭ない。いつかは私の下から離れている子だ、愛おしい時期は、甘やかせてなんぼであると密かに思う。
私は熱狂的なブラコン――ショタフリ――でファンキーな母性本能野郎なのだから……。




