あざとく生きるもの
三章
1
今日は日曜日だ。私は大学四年生で、卒業に必要な単位は残りわずかなため、平日はバイトに明け暮れている分、週末はゆっくり過ごす時間がある。そんな訳で起床時間は九時を過ぎてしまっている。
階段から降りて、リビングに入ると、圭祐がソファーに座っている。どうやら翔太と一緒に前に購入したゲームを一緒にしている。
「おはよう! 遅かったな」
圭祐は自分が家族の一員であるかのような気易い挨拶を投げる。
「――おはよう」
「遅いぞ!」
翔太は兄的存在な圭祐がいるためかいつも以上に上から目線での物言いだ。
「おはようございます」
と、母に挨拶をする。いつもは遅い起床だと、ありがたい小言を頂けるのだが、今日は圭祐がいる手前だ。笑顔で挨拶を交わす。
「朝食できているから食べなさい、先に顔洗って着替えてからね」
「はーい」
気だるそうに洗面所に向かい、顔と洗い、歯を磨く。昨日は丸一日シフトが入っていたので、まだ少し疲れが抜けていないようだ。
(今日は家でゆっくりしよう……)
そう思いつつ、買い物もいくかもしれないと身支度をし、リビングに戻る。
「圭兄が来ているんだから、化粧ぐらいしろよ」
「面倒なの――別にいいじゃない」
「そんなんだから色気がないんだよ」
悪気は一切ない素振りは末っ子の特権だ。
「あんたねー……ゲームばっかりしてないで――ってどこに座っているのよ!」
「見ればわかるでしょ」
翔太は圭祐の膝の上からソファーに座るかのように行儀悪く身を委ねている。
「こういう年頃だから、いいって」
圭祐は困った顔を一切せず、なぜか嬉しそうだ。
「母さん、注意してよ。あんなの駄目! 私の時はもっと厳しかったじゃない!」
「まぁ、一応言ったんだけど……圭祐君はうちの家族みたいなものだから、本当のお兄さんってことで大丈夫よ」
母は屈託のない笑顔をして信じられない発言をしている。
(このふわっとした解答は何よ? 私の時こんなことしたら手が飛んできたじゃない)
母親の心理とは実に興味深いものである。子どもは平等と言いつつ、同性と異性の子どもに対する扱いは時に軋轢を生み出すほどである。年が一回り近く離れているためか、はたまた、三十路過ぎて生んだ末っ子であるためか弟の溺愛ぶりが目に余る。
この現象を解明するならば、生物学の観点から「本能から生れるもの」かもしれない。母親にとって第一子の後に第二子どもが授かると、弟や妹に愛情を傾けなければいけないため、兄や姉がないがしろにされる。このような表現は語弊だが、本来は自立を促す本能的行動であり、それが厳しい躾や教育となって表れているのだと、勝手に解釈している。
女通しでお互い分かっていることだが、異性は動物的本能で無意識にかわいいという気持ちを抱かせる――幼い男の子はなおさらかわいいと。うちの翔太は自慢じゃないが、そこらの子よりも何十倍もイケショタなのだから、心中は察するところもある。
こんな感じで勝手にあれこれ考えて、自分で結論を出し、最後に我慢するのが第一子の定めであるという見解に落ち着き、見事な自己完結を図る。
「気にすんなって。全然重くないし」
おもむろに翔太の頭を撫でる。
「えへへ」
やわらかい満足げな顔を圭祐に見せ、父性をくすぐっている。
(あざとい……愛でる喜びを与える仕草が絶妙だ)
「ちゃんとソファー座りなさい」
「嫌だ」
「駄目!」
「圭兄がいいって言ってんじゃん」
「樹里ちゃん見たら、どう思うんだか……」
鈴木樹里ちゃんは翔太のクラスメイトで、女子の噂では翔太が好きらしい。
「なんで樹里ちゃんがそこで出て来るの?」
突然、穏やかな表情から鬼の形相に変貌する。変なスイッチが入ってしまったみたいだ。翔太は時に、よくわからない所で癇癪を立てる。
「さぁ、ご飯たーべよ」
「ちょっと、話……聞いてるの、姉ちゃん?」
「……」
「俺はあいつのことなんか好きじゃない! みんな勝手に言っているだけだから!」
「あっそ」
「何その返事? 意味わかんないだけど……俺は好きじゃないから、そもそも恋愛に興味ないから」
顎を突き出して、鼻息を何度か荒くする。
必死になって誤解を解こうとしている姿が少し可愛いと思ってしまったのか、ちょっと構ってやりたくなった。
「少し――ジョーク――言ってみただけ」
鈴木樹里ちゃんの姓名の最初の子音を少し強調し、からかってみせる。
「はぁ? 何それ? おちょくってるのバレバレだし」
「些細な……冗談だよ!」
私も大人気ない。おもしろがって止めない。
「もう怒った! 姉ちゃんの秘密を同じ大学の人に暴露するから」
優位に立ちたいためか、空威張りが始まる。
「どうぞー」
「はぁー」
翔太は大げさにため息をつく。
「ちょっと、待てよ! ほんとに違うから。腹立つし」
「ムキになるってことは――そうなんだよね? 両思いじゃん――今日は赤飯ね」
こんなやり取りが半時間ほど続いた。母は日常茶飯事だと聞き流し、圭祐は気まずそうに、あえてゲームに夢中になっている振りをしている。
頭に血が上ったのか、翔太は私の服の袖を掴んで地団太を踏む。そろそろ飽きてきたので、こういう場合は、私が折れてやるのだ。
「わかった、わかった。違うのね」
「だからそう言ってんじゃん」
「一端、落ち着きなさい――ショウ――ちゃん」
「うわーーーーん」
翔太の号泣が始まった。私は勝ったのだ。正直弟のガチの泣き顔は滅多に見られないかなりレアな表情だ。私の甘美に酔いしれるほどの戦利品を手に入れたと言える。
「俺っを―――ぐっ―――バカにするな」
「ごめんなさい……」
「もっと謝って」
「……ごめんなさい」
「足りない!」
「はい、ごめんなさい」
「『はい』は余計!」
「ごめんね」
「うっ――ヒロちゃん!」
翔太は母親に庇護を求め、泣きながら私に罰を与えんと訴える。
「まぁ、よしよし。違うもんね。お母さんはわかっているから」
「お母さん、そんな甘やかせたら、将来、絶対翔太が苦労するから」
「こら――もう止めなさい」
母は首を静かに横に振り、これ以上は駄目だと、合図を送る。
動物を慰めるように、頭を撫で、背中をさする。
(この親バカめー。完全に私が悪者じゃん)




