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ショタフリ  作者: ひろきょ
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私のちっぽけで大したことのない哲学


天才と言われる者達はと努力型と生来型のどちらかである。前者は日々、自己研鑽し努力を怠らない。一方、後者は超人的な記憶力と思考能力を持ち合わせているため、短期間でいくつもの分野を極めてしまう。

この世に生を受ける者は誰でも、何でも己が描いた夢の道筋を理想的に歩めるように生来の天才であることを時に望むことがある。しかしながら、この世を司る神は無情にも極めて少数の人間のみに「秀才」という能力を与えてしまう。故に、ほとんど全ての人間は努力をして自分の生を全うする義務を課されるのだ。

人間を含めた多くの生き物は非常に怠惰で利己的な存在である。怠惰であるが故に、自己実現を遠ざけたり、利己的であるために人生で重要な局面での選択を誤ってしまったりする。そんな多くの凡人は心の中に不良性を抱えてしまいがちである。

そんな不良性が、多かれ少なかれ、不行状や不行跡を生み出していく誘い水となる。その母集団の中で努力型の人間は、自身が怠惰であることを戒め、利己的な部分に理性という蓋をし、懸命に生き抜くものは、そうでない者より多く、程度の差こそあれど、豊かな人生を享受できる可能性があるとされている、生来型は言わずもがなだが……。

かのような真理は定かではない。この世の中の森羅万象に、哲学的、科学的、医学的、他の様々な範疇化された概念を用い、解明に試みようとも徒労に帰すのみ……。

なぜなら個々により感受性や心理状態は異なり、凡人であれ秀才であれ、豊かな人生を送っていると、決めるのは自身であるのだから。

 それでもなお、いかなる類の人間であれども、なぜか人生における豊かさや幸福度に「自己決定というものさし」を用いない。周りに見えない呪縛が漂うが如く、妙な体裁意識や同調性がそれを拒むのだ。

 では、生きる上で、仕事や愛する者に対して豊かさや幸福を求めるも良いが、お金や利害関係を常に考慮しまう場合、いつまで経っても、それらを掴めない憧れの空想物と化す。

さらに悪いことに、物理的且つ精神的に損得勘定を常とする者は、飽くことを知らぬ餓鬼のように、この世を彷徨い、苦しみながら生を送っていく運命を背負うことになる。


 ――我々は自分が幸せであるために、人生を達観する必要が大いにあるのだ。



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