~あたしはブラコンのロール・モデル~
弟よ
私を困らせないでほしい、その身勝手さで
無意識にそして懸命に愛想を振りまき、すべてを要求せし者
あなたの無邪気で稚拙な奔放が私の胸を締めつける
母性という感情が私を寛容にしてしまうから
弟よ
私を惑わさないでほしい、そのきまぐれさで
クロネコのように時に寄り添い、離れてしまう者
あなたの本能的に赴く動物的行動が私の頭の思考を停止させる
母性という愛情が私を慈悲深くさせてしまうから
あぁ、愚弟よ
私を困らせないでほしい、そのあざとさで
激動の人生という荒波をものともしないずる賢く生きる者
あなたの天真爛漫で楽観主義な部分が私を悩ませる
母性という温情が私を愚姉にしてしまうから
母性とは真にいかなるものだろうか
音や匂いや味はあるのか、形があれば感触はどんなものだろう
捨て猫の救いを求める甲高い声だろうか
思春期の代謝のいい男の子の匂いがするものだろうか
それとも初恋のような甘酸っぱい味覚なのかしら……
ふわふわの手触りの良い球体のようなものかもしれない
胸の中や頭の中を探しても見つからない
穏やかな春の日差しや心地よい風の中にも見つからない
穏やかな気持ちになり、瞑想しても言葉として表わせない
何年も何年も時間をかけて答えを探している
私の芽生えた母性は何だろうか
誰か私に教えて
誰かどうか教えて……愚かな私に
一章
1
姉という運命に生れた者にはわかるだろうが「弟」という存在は特別なのである。世間の弟達は生意気で可愛くない、鬱陶しい等、邪険に扱われているが、なんだかんだ言っても女性という「性」の下に生れた者にとって年下の男の子はかわいいものなのだ。少なくとも一回り近い年の離れた私にとっては十二分に……。
私は弟がずっと欲しかった。なぜなら周りにいる人達のすべての弟が無性にかわいかったから……。弟がいる友達がひどく妬ましい時さえあった。それは私にとって手が届かない憧れの存在だったから……。妹ではなく弟を望んでいた。それは私の母性というものがとても強かったから……。
人というものは欲深い生き物で、入手が困難であればあるほど、余計に欲しくなるものだ。あきらめ切れない思いは「ジレンマ」という虚しさとして現れ、多かれ少なかれ長い時を掛けて合理化なり昇華していかなければならないのだ。
私は祈った。虚構が現実になるように。祈り続けていた、それも無意識にかもしれない。ところが、ある年、突然、私の願いは叶うことになる。神様はいるのかわからないけど、まるで私の祈りを汲み取って下さったかのようだった。
ある日、私に弟ができた。
本当にとてもかわいい男の子だった。
彼が生まれた日をゆめゆめ忘れることはできない。
「あなたの弟よ。仲良くね」
病院のベッドに横たわっている母の横には生れたての弟がいる。
「うん、大事にするね」
新米の姉になる泰代は満面の笑みで返答をする。
「お姉さんになるんだから、よく面倒みなさい」
いつも険しい顔つきの父も今日は顔がゆるんでいる。
「名前は何?」
「――ショウタだ。母さんと二人で決めたんだ」
「わぁ、ショウタ君か……いい名前だね。私ショウちゃんって呼ぶね」
泰代はやおら母に抱かれている待ちわびていた弟に近寄る。
「こんにちは、ショウちゃん。お姉ちゃんだよ。これから仲良くしようね」
目の前の翔太はただ目を閉じて寝ている。
「あなた、抱いてみる?」
「俺は、いいよ……。まだ首も座ってないんだし」
まるで初めての子どもであるかのような物言いだ。
「まぁ、待望の男の子だからって――やさしく抱いてあげれば大丈夫ですよ。さぁ、泰代も――」
父と互いに抱き合った弟は、やさしいミルクの臭いがした。
翔太が生まれてから私の生活は激動の年月を迎えることになる。どんなに望んでも手に入らないと思っていた弟――。私は翔太をとても可愛がった。この辺りの姉弟の誰よりも私は弟を大事にしてきたと自慢できるほどに。
翔太が弟になるまで、私は本当にたいしたことのない人生を送っていたと思う。例えるなら躍動すべきはずの子ども時代を感情がなく無機質な存在として生きていたと言っていいかもしれない。だが、彼は淡い色とりどりの生命的要素を吹き込むかのように、私の多感な時期を快く満たしていく、そんな存在になってくれた。
翔太はどんな時でも「ネーネ!」と言って頼ってくれた。初めてのそろばんや英会話やスイミングなどの習い事は私が母親のように送り迎えをし、時に付き添いを進んで願い出た。
――わたしは彼に恋をしている……のかもしれない……。
いや恋愛感情という「恋心」ではなく純粋な姉弟愛である。
「正太郎コンプレックス」に陥ってしまった……のだろうか……。
いや、私の場合は「翔太コンプレックス」だ。どちらも略せば「ショタコン」になるが。
ショタコンだなんて母性のスペックが高い女性なら誰でもそうなるのだから、そんな自分を特に気にはしていなかった。それぐらい恋愛までとは言わないが、盲目になるほど彼が大好きだったから。
翔太は私が言うのもなんだが――美少年である。色素が少し足りていないせいか、色白で髪も他の子に比べると亜麻色というか染めたような茶色をしている。髪は整髪料も付けていないのに、ウェーブが少しかかったゆるふわスタイルーーすでに髪型もイケメンだ。おまけに女子みたいに目がパッチリで、片目は黒色でもう片方はアンバー(薄いこげ茶色)と変わった見た目をしているが、それが絶妙に母性をそそる姿なのだ。
大学の講義で、「ベイビッシュネス」という医学的観点から物語を読む講義があった。子どもというものは母親の母性を引き出し世話えをさせるため、人間でも動物でも幼い頃は、顔に丸みがかかり、顔のパーツの配分も愛らしさが抜群で、大人のものとはずいぶんと違うようになっているらしい。
また、小説や物語文で子どもが主人公に多いのは、ベイビッシュネスという「子どもっぽさ」に感情を重ね易く、追憶体験させるために有効だという文学の講義を受けて、それに関するレポートを書いたこともある。
つまり、うちの弟のベイビッシュネスは世の女性を虜にするほど完璧だ(少なくとも私はそう確信している)。
翔太はこの界隈でも評判の美少年だ。歩くと近所の奥様方が寄ってきて抱き合い合戦が始めるし、歩けばどよめきが起き、お菓子を毎日たくさんもらってくる始末だ。
さらに、女どころか男どもにも受けが良い。小さい頃から物おじしない性格のため、どんな人にでも眩しい笑顔を振り撒き、はっと息を飲ませる。たとえ髭面のおじさんに抱きつかれたとしてもだ……。
小さい頃の翔太は刷り込された雛みたいに、どこまでも私を追いかけてきた。そして、私がすること全部真似をしようとした。それが真剣で純粋な眼差しで取り組むものだから、それを見ているだけで喜びを感じていられた。保育年の送り迎えの時も離れると大声で泣き出し、私を困らせたことも毎日のようにあったりしたけど、それが異常に狂気じみたほども嬉しかったりした。
私には物欲がない珍しい女子中高生活を送ってきためか、お小遣いがどんどん溜まっていった。勉強や部下にひどく忙しい日々を送っていたせいでもある。だから、歌舞伎町のホストに貢ぐように私は翔太の好きなゲームやお菓子を欲しがるままに買い与えた。感謝の言葉を述べる翔太にこの上ない満足感と彼のきらきらした「翔太スマイル」は私の胸に甘い充足感で満たしてくれた。
私は数年前まで、彼のためなら死ねるとさえ思っていた。さすがに二二歳の大学生が今こんな風に思うことはおかしなことだが、それぐらい愛らしい子だったと思う……。
翔太を何でも好きなようにさせたり、欲しいものは極力なんでも買い与えたりしてあげた。
そう私は駄目な姉だった――。
誰に何と言われてもいい。弟ごときに自己犠牲を過度に払う姉を笑いたい者は笑うがいい。それぐらい当時の私はぶっ飛んだ性格をしていた。もともと、両親の厳格な教育の下で育ったものだから、日々勉強やスポーツ等の習い事に八方塞だった。そういう理由で何かしらのストレスのはけ口が必要だったのかもしれない。それが弟の溺愛という形で現れ、見事にはまってしまった愚かな姉だと自身でも笑ってしまうぐらい振り返りバカな奴だ(と……批判は……したいけど……そうでもないかな……なんて思ったり、思わなかったり面倒臭い女である)。
一方、父や母はもちろん私にしてきた教育を彼に施していくものだと思っていた。これから翔太には習い事のフルコースと厳しい躾が待っている。それ故、私だけでも甘やかせてあげたいと母性が激しく疼いたのだから……。しかしながら、両親は翔太を私と同じようにただ溺愛するのであった。