海軍兵学校卒業
海軍兵学校卒業
昭和15年(1940年)8月7日海兵68期の我々288名は戦争が近づいてきたので予定を半年繰上げで3年間半の教程を無事終了して卒業しました。
入学時は生徒数が300名のクラスでしたが訓練中の事故や病気のために12名が欠けた卒業式になりました。
卒業式では卒業証書とは別に成績優秀者だけに「恩賜の軍刀」という刀が授与されます。
これは明治11年に陸軍士官学校の優秀な者に明治天皇が自ら軍刀を授けたことが起源で、この軍刀をもらった人は「恩賜組」といって将来の出世を約束されたのも同然でしたので他の級友からは羨望のまなざしで見られたものです。
その後校長先生から日米開戦が切迫していることと、もし開戦したら我々は早速指揮官として現場に行き、責任を持って部下を統率して任務を果たすように訓示がありました。
卒業式の後、外に出ると校庭に後輩や先生たちが2列で人垣を作って待っていてくれてその間を行進して海にあった「表桟橋」に向かいます。
このときに今までさんざん殴った後輩から
「先輩今までありがとうございました」
「御武運を祈ります」
「また海の上で会いましょう」
と涙ながらに肩をたたいて別れを惜しんだものです。
行進が「表桟橋」に着くと全員が海軍少尉候補生として練習艦香取という艦に乗り組みます。この艦は同じ年にできたばかりの新造艦でわれわれのような少尉候補生が遠洋航海で航海術や砲撃、魚雷攻撃などの実習するのが目的の艦でした。
遠洋航海は毎年太平洋を横断してサンフランシスコまで行って戻る行程だったのですがアメリカとの戦争が現実味を帯びてきたこの時期は目的地が上海に変更されました。
しかし目的地はかわっても艦内でやることは同じで、毎日のように甲板掃除に始まり砲身磨き、敵を探る訓練、攻撃訓練が課せられてわずかな期間でしたが学生気分が一度に吹っ飛びました。