女を得た俺と、俺に全てを奪われた君
半鳥族は馬が走るより早く空を飛ぶ。まあ、遅く飛ぶと落ちるという理由もあるのだが、とにかく彼らからの接近の情報は早い。
具体的に言うと、エリックってのが逃げ出して、馬に乗って逃げ出して、それを見つけてから魔王様に報告して、俺を探しに来て、更に俺が歩いてそいつの来そうなところを探して……。
それで、先回りができるという早さだ。有線通信が発明されるまで、彼らは重宝され続けるだろう。
「で、ここか。マリー、君はここにいなくていいんだぞ?」
「いいえ、せめて説得を……彼がここに来たのは『私』を求めての事でしょうから」
確かにそうなのだろう。バイル王国の第一王女、マリーを求めての事なのだろう。
それを彼女が喜んでいないことは明白だ。なんというか、顔が沈んでいる。
「ご安心ください、タロス王。この度は既にユミ族やツキ族も隠れ潜んでおります。奥様に被害が及ばぬように、我らも身を盾にする所存です」
そのマリーの、身を守る盾だった貴族のお姫様方を蹴散らしたのは俺だったわけだが……。どうなのだろうか、その辺りは。
幸い、エリック君は追手を撒いてから来てくれたらしく、単騎でこちらに向かっていた。
晴天の下、遠くから土煙が見える。先日の戦争の爪跡が残るこのミッド平原に。
おそらく冷静な思考などできていないであろう彼は、盗んだ馬に馬具も付けず、手で鬣を引っ張って操って……そのままこの、彼にとって全てを失った地に向かっていた。
何考えてるんだろうか、もう哀れになってきた。
どう考えたって、巨人の王に掻っ攫われたら、そりゃあ生きてなどいないだろう。
生きていたとして、奪い返したとして、それで何になるのか。
お前はもう、信頼など失っているのに。
「……マリー!」
大きな声が聞こえてきた。
まだ俺の目には影ぐらいしか見えないが、馬上の男からは彼女が見えているらしい。
魔王様が準備した白いドレスを着ている、俺の妻マリー。
果たして、奴には見えているのだろうか。
「エリックです」
それは、正直に言って俺から見れば羨ましい相手だった。
金色の髪が輝く、颯爽とした騎士、だった男だった。
見えてきた彼は、なんというか、決死の形相だった。
金色の髪には多くのゴミが絡まり、着込んでいる服は盗んだであろう兵士の服。顔はやせ細り、眼はぎょろりとしていた。
「良く見分けられたな」
「婚約者ですから」
悲しそうに、俺の傍らに立つマリーはそう言っていた。
彼女も、一時は彼との未来を描いていたのだろう。
少なくとも、俺と過ごすよりは明るくてなだらかな未来を。
「……マリー、迎えに来たんだ!」
そう言って、俺達から少し離れたところで馬を止めて、手を伸ばしていた。
背に括り付けている魔剣だけが、鈍く光っている。
ある意味、魔剣の使い手としては正しい姿なのかもしれない。
しかし、勇壮ではなく、悲壮と言うか、落ち武者だった。
「エリック……」
「さあ、その男から離れるんだ!」
いや、何言ってるんだ、コイツ。
どう考えても、そんな空気じゃないだろうに。
この平原に点在する林や岩には、既に半狼族や半馬族の精鋭が控えているというのに。
それに気づかないとしても、森魔族が控えているのに。
仮に逃げようとしたら、それはあっさり捕まる流れだと思うのだが。
「エリック……貴方はなぜここにいるのですか?」
「君を助けるためだ!」
「では、なぜ貴方一人なのですか?」
「諸国の王は、君を見捨てた! 君の祖国さえ、君の事を見放した!」
なんというか、文章を聞くとものすごく可哀想だな、マリーもエリックも。
完全に王道RPGの主人公である。
「だから、俺が一人で助けに来たんだ!」
「では、その後はどうするのですか?」
「それは……君を助けてから考えるさ!」
……俺も似たような考えだから、何も言えない。
目について、綺麗だからさらったってだけで。
「……馬鹿な人です。貴方にはもう、どこにも行く場所などありません」
「何を言うんだ! 俺にはこの魔剣がある!」
「貴方は、その魔剣にふさわしくない……知っているはずです、その魔剣がどうして我が王家に伝えられたのかを」
「バイル王家の、婿の証だろう?!」
「それは、第一王女を守る騎士に与えるために有ったのです。にもかかわらず、なぜ貴方は私を戦場へ押し出したのですか?」
それを聞かれて、押し黙るどころか怒り始めていた。
俺をにらんでいる。自分の栄光を阻んだ俺と言う男を。
「怒っているのかい?! 言っただろう、諸国に繁栄をもたらすため、バイル王国を豊かにするために! 君と言う旗印がいなければならなかった!」
「言ったはずです、私という最古の国の姫を護衛するにあたっては、過去の逸話に乗っ取って、子を産んでいない高貴な血筋の乙女だけで構成された軍隊だけにしなければならないと」
「何を言っているんだ?! 悪いのはソイツだろう!」
確かに軍を編成したのはこいつでも、俺が包囲網を突破しなければ万事うまくいっただろう。
そう、殺したのは俺なのだ。マリーを守る軍隊を殺して、それが原因で追い込まれたのだとすれば……。
全部、俺が悪いのだろう。コイツがこうも落ちぶれ果てたのは。
「では貴方は、なぜそもそも諸国をまとめて魔王の領地を侵そうとしたのですか?」
「だから言っているだろう? これはバイル王国を富ませるためで、成功すれば偉業として称えられると! 亜人達に脅かされている人々を救うには、これしかないのだと!」
う~~ん、返す言葉もない。
実際、剛人族は今頃人間の国を襲撃しているだろうしな。
「我がバイル王国は、魔王領と国境を接していません。なぜバイル王国の王となる貴方が、バイル王国ではない国の為に戦うことを良しとしたのですか」
「だから……」
「なぜ戦争以外の方法で、我が国を富ませようとしてくれなかったのですか。私も父も……貴方に止まるように何度も願いました」
「……」
「亜人から諸国を守りたいなら、バイル王国になど関わらず、貴方の武勇で他の
国で名を上げるべきだったのではないですか?」
「---!」
歯を食いしばっている。
何故わかってくれないのか、といら立っている。
エリックは、マリーの抗議にいら立っている。
「なんでわかってくれないんだ! こうするのが一番いいんだよ!」
「それは誰にとってですか!」
「人間の為だよ、人類の為だよ!」
「……なぜ貴方は……私や私の国の事を第一に考えてくれなかったのですか」
その言葉を聞いて、俺は彼女が俺を受け入れてくれた理由を察していた。
この男が、余りにもひどすぎるのだ。
「君は、最古の国であり最も権威ある国の姫でありながら……そんな私欲で俺を裏切るのか!」
「私欲で動いているのは貴方です! エリック、貴方が欲しかったものは、私という女でもバイルという国でもない。その権威です! 貴方は私の事も国の事もないがしろにして、自分の事しか考えていない!」
なるほど、それは怒るに足るな。
マリーが夢見ていたのは、小さい国でも夫と共に慎ましく支えていく未来だ。
だが、コイツにとっては野心の第一歩でしかなかったと。
「なぜ分かってくれなかったのですか!」
「~~~」
いら立っている。
このバカは、どうして自分を理解しないのか、と怒っている。
どうして自分の思うがままに世界が回らないのか、といら立っている。
「君は、操られているようだ」
なんか、とんでもないことを言い出したぞ、コイツ。
「その男に、或いは魔王に、何を吹き込まれた?」
「いや、お前こそ何言ってるんだ? 戦争を始める前から、ずっと彼女はお前に戦争を止めるように言ってたんだろうが。お前の記憶まで操れるわけないだろう」
「黙れ!」
魔剣を構えて、俺に向ける。
伝説の魔剣、決して朽ちない剣を俺に向ける。
「全部お前が悪いんだ!」
「そうだな、全部俺が悪い。勝ってればお前は英雄だったかもな」
「ああ、そうだ! お前がマリーのいる陣地に突っ込むなんて馬鹿な真似をしなければ!」
「じゃあ他の所に攻め込めばよかったのか?」
「そうだ! そうすれば、お前達亜人は罠にはまっていた! 全員殺す算段は立っていたんだ!」
どうやら、俺の予感は間違っていなかったらしい。
「お前は大したもんだ、半鳥族の眼も森魔族の耳も、お前は見事に欺いた。その上で、俺達亜人の……九氏族の軍隊を壊滅に追い込もうとした」
「ああ、そうだ! 俺は凄いんだよ!」
「だが、負けた。生憎だったな、俺達はお前の用意した罠に一々ひっかかってやるほど律儀じゃないんだ」
「黙れ!」
「それしか言えないのか?」
呆れてしまう。
もうこの男は、どうしようもなくなっていた。
知性も理性も品性も、全て失われていた。
「お前達は、俺の仕掛けた罠に引っかかってればいいんだよ!」
確かにな、そうしていれば彼のサクセスストーリーも、いよいよ順調だっただろう。
魔王領も大部分を食い荒らし、そのまま人間が真に支配する世界が訪れていたかもしれない。
それはそれで、人間にとっては理想の世界なのだろう。
「……呆れた理屈だな、罠に獲物がかからなかったら、それは獲物が悪いんじゃなくてしかけた奴の腕が悪いんだろう?」
「うるさい! この亜人が、野蛮人が、人間と同じ言葉を吐くな!」
俺と似たようなことを、彼は言う。
なんというか、共感できることばかりだ。
確かにこんな筋骨隆々でデカい、靴も履いてない原始人に婚約者を取られたり、渾身の罠を抜けられたらそりゃあ腹が立つだろう。
気持ちはわかる。だが、もう駄目だ。
「……そうだな、お前の言う通りだ。それじゃあ奪い返してみろ」
アンドラとその部下であるミミ族に合図をして、俺はマリーを下がらせる。
マリーは惜しんではいたが、それでもミミ族に従って、彼女は下がっていった。
「まて、彼女をどこへ連れて行く気だ!」
「決まってるだろう、安全な所だ」
「安全? お前達がさらったんだろうが!」
「ああ、そうだ。お前が連れてきたこの戦場でな」
奇しくも、状況は一致した。
マリーが望んだとはいえ、俺は彼女をエリックの前に連れてきた。
そして、今はエリックが俺から彼女を奪い取る番だ。
「野蛮に行くとしよう。俺からお前が奪い返せるなら、それはそれで受け入れるさ」
「……いいだろう、だがな巨人!」
魔剣が晴天の元輝いた。
それは奴に残った最後の希望そのものだ。
武勇と、魔剣。
その二つだけが、残された財産だ。
「俺は最強の人間だ! この魔剣を得るために、おれは弛まぬ努力をしてきた。そして、バイル王国の姫と結婚する権利を得た! 巨人だからと言って勝てると思うなよ?」
馬上から俺を見上げるエリック。
その姿には、勝利への確信があった。
「巨人など、お前の同胞など、この魔剣で幾度となく斬り殺してきた!」
なるほど、それは事実だろう。
巨人と言えども、不死身ではない。
少し大きくて、力があるだけの事だ。
少なくとも、殺し合いで勝てない、と言うことはないだろう。
「俺は人類最強の男だ!」
「そうか、では同じ言葉で返そうか」
俺も背中に担いでいた斧を見せる。
それは巨人族の王が魔王から与えられる武器だった。
「知ってるかどうか知らんが、この斧もお前の魔剣と同じ伝説の武器だそうだ」
「!」
「つまり、その魔剣と互角」
どうやら、伝説の武器が元々十あったことに関しては、知っていたらしい。
エリックは目をむいて驚いていた。
「加えて、俺は巨人の……ダイ族の王だ。ダイ族の王は、お前と同じように氏族の中で最強の者が選ばれる」
「一緒にするな!」
「一緒だ、俺も伝説の武器を持つ、最強の男だ」
斧を持っているだけの、毛皮を着ているだけの原始人。
それを相手に、同じ扱いされれば腹も立つ。
だが、同じだ。同じなのだ。
俺とこいつは、そう変わる者じゃない。
「人間など、お前の同胞など、何人も殺したぞ。この斧で脳天をカチ割ってな」
コンディションの差は明らかだ。
少なくとも俺は朝もきちんと食事をとったし、栄養状態は非常にいい。
見れば、奴は両手の爪がはがされている。見るからに、長期間満足な食事をしていないのだろう。
よくもここまで逃げてきたものだ、と感心する。
「つまり、お前に簡単に殺されるほど俺は弱くないんだ」
「……はは」
論理的に説明したつもりだが、どうやら届かなかったらしい。
いやまあ、自分でもなんでこんな説得しているのかわからなかったけども。
なんというか、人生で初めてシンパシーを感じたからかもしれない。
「ははは!」
それを聞いて、コイツは何とも楽しそうに笑っていた。
人生の光を見つけたように、豪快に笑っている。
「そうか、斧か! そうだそうだ! 人間の手から失われた、八の武器! それを全て集めれば、俺はまた返り咲ける!」
俺に向けていた剣を、エリックは天に掲げていた。
その顔には、明らかな陶酔が見て取れた。
いいや、まるで悪夢から覚めたような、そんな晴れやかな笑顔があった。
「俺は、まだやり直せるんだ……!」
手にした斧を、俺は強く握った。
果たして、この斧にこいつが期待しているほどの価値があるのだろうか?
確かに、この斧は頑丈だ。これがあれば狩りも戦争も楽にできる。
だが、それだけだ。それだけあっても、意味なんてない。
それは、エリック自身が一番わかっているだろうに。
「……知っているか、亜人! この魔剣は、最初に作られた伝説の武器だ! この剣を操っていたシルファーは十人の王のリーダーであり、他の武器を支配する力をこの剣に備えさせたという!」
支配。何とも文化的で文明的な言葉だ。
こいつはきっと、その言葉が大好きに違いない。
「互角だと?! 対等だと?! 俺とお前は対等じゃない! 人間と巨人は対等じゃない! 俺の剣とお前の斧は対等じゃない! 俺は、特別なんだ!」
俺は、特別なんだ、か。なるほど、そうなんだろう。
少なくとも、凡人ではその剣を握ることはできなかったのだろう。
「俺の、邪魔を、するんじゃ、ねえよ!」
もしかして、コイツも、俺と同じで前世があるのかもしれない。
なんとなく、そう思った。そして、確かめる時間は無い。
「うおおおおおおおおお!」
鞭もないのに、手綱もないのに、エリックは馬を走らせた。
俺と奴の距離は十メートルほどだったが、それが瞬く間に埋まっていく。
「だりゃあああああああ!」
後二メートル、というところでエリックは大きく馬を跳躍させた。
そのまま、真正面から俺を切り伏せようとしたのである。
よし、と思った俺はそのまま……。
大きく下がった。
「あああああああ~~~~~~~??????」
俺やマリーが立っていたところ、その前に掘っておいた落とし穴に、エリックと馬は落ちていく。
薄い木の板の上に雑草などを乗せてカモフラージュした、単純な落とし穴。それをあっさり踏み抜いた馬とエリックは、そのまま落とし穴の底に落ちていく。
「……やっぱり、落とし穴とか罠とか便利だよなぁ……」
呟きながら、俺は穴の中を覗き込んだ。
三メートル半ある俺でも、手を伸ばして穴の縁に手が届くほどには深く、馬が落ちても埋まらない程度には大きい穴だった。
そして、その中で哀れにも馬は悲鳴を上げており……エリックもうめいていた。
晴天の下、穴の底にも日が差し込んでいる。
なんというか、天気というものは人間の心境に合わせて晴れたり曇ったりするわけではないと、改めて理解できる。
「おおい、生きてるか?」
「……くそ、ふざけるな」
うめいているエリックは、しかし生きていた。
よかった、できれば生かして捕えろと言われていたんだ。
「落とし穴だと、蛮族め……こんな程度の低い罠を仕掛けて……」
すまないが、巨人族は落とし穴なんぞ掘らない。
少なくとも、今の巨人で落とし穴と言う知的な行為を行ったのは、俺が初めてだろう。
つまり、君が思っているよりも巨人族は程度が低いのだ。
「足はいい感じに折れてるな、手も折れてるといいんだが」
「ふざけるな、降りてこい! 俺はまだ戦えるぞ! 足が何だ! このぐらい、なんてことない!」
スゴイな……馬と壁につぶされて、足がえらいことになっているのに、未だに戦意がおとろえてないぞ。
なんというか、無駄に諦めが悪いな……。
「そうか、まだ元気があるのか……」
落とし穴を隠していたフタや、その上の土砂がかぶさりさらに見る影もなくなっている色男。
それが手にしている魔剣を未だに振るっている。
魔剣は朽ちないけど、お前は朽ちるもんねぇ……。
「そうか、とはいえ俺もそれなりに知的に立ち回りたい心境でな」
そう言って、俺は少し穴から離れて、そこいらに落ちていた手ごろな石を持ってくる。
そして、立ち上がったまま穴の上から石を手放した。
普段やっている狩に比べて何とも合理的である。
「おい、止めろ……!」
「いやあ、文明的だな。楽でいい」
「ぎゃあああ!」
巨人の俺が手に持っている、手ごろな石である。
であれば、それは人間にとっては結構な大きさだ。
それを結構な高さから落とせば、結果は当然である。
手に持っていた者が伝説の剣ではなく、普通の盾だったらまだマシだったのだろうが……。
両手で頭を守ったエリックは、哀れにも両手を単純骨折していた。
なにせ、剣で防ぐにしても物が落石なので、剣ごと押しつぶされるのが関の山だった。
「くそ……くそ! くそ!」
「この単純な罠にも、お前は気づかなかったな」
「俺は、俺は英雄だ! こんな穴に落されて、潰されるなんて冗談じゃない!」
もう完全に戦闘不能だ。
両手が折られては、最初の魔剣も意味を持たない。
俺は一旦穴の中に降りた。もう完全に無力化は済んでいる。
「安心しろ、俺が此処にいるのは魔王の意思で、魔王はお前を殺すつもりはない」
「……なんだと」
「お前を人間に引き渡すように、俺は命じられている。この剣を奪ったうえでな」
「ーーーえ?」
俺に穴の底で俺に抱えられた、小さな人間。
エリックはそんなわけがないと、信じられないような眼で俺の言葉を拒んでいた。
「ウソだろう?」
「お前の罠は、戦術は凄かったよ、こんな獣にも通じるか怪しい素人の工作とはえらい違いだ」
「質問に答えろ……俺は……どうなるんだ?」
「だが、お前はこんな獣向けの罠さえ見破れなかったな。そして、分かっただろう。お前に次なんてない、あるのは終わりだけだ」
エリックは蒼白だった。
唯一動かせる片方の足を動かして暴れようとする。
だが、哀しいかな、最強の人間と言っても折れた足が治るわけではない。
既に、剣を握っていた腕は力なくぶらりとしている。
「『お前達は、俺の仕掛けた罠に引っかかってればいいんだよ』だったか? 引っかかってくれてありがとう」
「ま、待て! 魔王と、魔王様と話をさせてくれ!」
穴の上に、アンドラ達がやってきた。エリックを吊り上げる用のロープも垂らしてくれている。
俺は太い指で何とかそれをエリックの脇を通して、体を固定させていた。
「俺が有能なのは分かっただろう? もっといろいろアイディアもあるんだ! 俺には知識があって……なあ、聞いているのか? 俺は俺を捨てた人間に復讐するから、雇うように言ってくれ!」
「俺は一々確かめてないが……魔王はお前に大層お怒りだ」
どうしてこう、コイツは虫のいいことばかりを考えているのだろう。
味方に大いに損害を与えた敵の司令官、それも異民族にそこまで優しいわけがないだろうに。
「人間の軍を率いたお前が人間の中で責任を取らされたように、九氏族の中でも魔王の軍を率いた魔王の息子は責任を取らされて、鬼人族に引き渡された。お前と同じような末路をたどっただろうよ」
「おい、待てよ!」
ずるずると引き上げられていく。それを見届けると、俺も穴から這い出た。
上背があるので、手を伸ばせば出られるのである。
「待て、待て! 俺は……俺は頑張ったんだぞ?!」
地上に出た俺を、半馬族、半狼族、森魔族、そしてマリーが迎えてくれた。
さて、そもそもこいつは分かっているのだろうか、この状況が決して楽なものではないと。
「なあ、俺は凄いんだ! なんでも知っているんだ! この亜人の文明を引き上げることができる……強い武器を手に入れて、お前達は復讐することができるんだぞ?! 俺を人間の所に返したら、そのチャンスがなくなるんだ!」
何を棚に上げているのか、コイツは。
確かにこいつは人間に見捨てられた、責任を押し付けられた。
だが、コイツはさっきまで散々、亜人は黙って死ねと言っていたのだが。
「だから、助けてくれ! 人間が憎いのは俺も同じだ!」
「なぁなぁ、タロス王よぉおおおおお!」
と、スイッチの入った半狼族がキレだした。さっきまで引っ張っていたロープはとっくに手放している。
こいつら、普段は温厚なのに怒り出すと手が付けられないのである。
手にした剣、何の変哲もない、製造レベルの低い剣を見せて、数人で大地に転がされた勇者様を囲んでいた。
「もうコイツここでぶっ殺しちまおうぜ! なあ!」
「ああ、そうだ! 俺の兄貴もこいつの作戦で殺されたんだ!」
「俺の親父もだ! タロス王がいなくちゃ、俺も死んでたぜ!」
なんとも、正当な怒りを狼男たちは燃やしていた。
そりゃあ怒るだろう。だって、コイツのせいで多くの仲間が死んだのだから。
生憎だがこの世界では戦争をした相手、自分達の仲間を殺した相手に、忠義を尽くすとか快く許すとか敬意を払うとか、そういうことは起きない。
仲間を、家族を、一族を殺された恨みは消えないのだ。
「然りです、痛ましいが……我らの怒りを与えたい」
「我が氏族の恨み、ここで晴らさずして何時晴らすというのか」
「このような臆病者に、我が家族が殺されたことを思うとやり切れませぬ」
と、半狼族の周りに控えていた半馬族も手に弓矢を構えつつ、そんなことを言っていた。
さて、俺はさほど恨んではいない。だが、彼らが恨むのもよくわかる。
「ふむ……参ったな」
「なあ、なあ! 助けてくれ! 俺は沢山努力したんだ! 修行だってした! 危ない橋だって渡ったんだ! なのに、まだ全然取り返せていない! あんなに努力したのに、まだ全然褒めてもらってないんだ!」
「魔王からは、そいつを人間に引き渡すように言われている。そうじゃないと、バイル王国に被害が及ぶかもしれないからな」
全ての責任は、首謀者であるエリック君に取ってもらわないといけない。
だから、生かして帰さねばならないのだ。
「とはいえ、君達に声をかけて控えてもらったのは俺の都合だ。君達がいたから、安心してマリーを俺の脇に置けたんだし」
「ならよう!」
「では、よろしいので?」
「ソイツは生かして帰さないといけないし、顔もわかるように判別できないといけない。だから……」
妥協案である。
俺は穴の底から回収した人類最強の証たる魔剣を片手に、少々申し訳ない気分になりつつも、宣告し許可した。
「顔と腹だけはやめてやれ。手足はこう、好きにしていいぞ。殺さなければな」
「おい、冗談だろ、止めて……」
「俺達は野蛮だから、基本私刑なんだ、すまん」
彼はもしかしたら、日本人だったのかもしれない。
ならば知っていただろうに。
魔王にさらわれたお姫様を取り返すには、命の残機が一つじゃ足りないと。
「残念だな、お前の冒険はここまでだ」
なぁに、トラックにでもひかれてここに来たんだろう?
気にするなよ、ここまで酷い目にあったんだから、きっと神様が同情して新しい世界にでも転生させてくれるさ。




