暖かい話と、ついでに冷たい話
「逃げたぞ、追え!」
「探し出せ、奴は重罪人だ!」
「手足がちぎれても構わん!」
「最初から腱を切っておけばよかったんだ!」
「ええい、逃がせばただではすまんぞ!」
何もかもが上手く行っていた。
何もかもが自分の思うがままだった。
何もかもが自分の予定した通りにしか動かなかった。
だというのに、最後の最後、あと少しというところで何もかもが破たんしていた。
「逃げる? 俺が? 馬鹿な!」
エリック。
そんな簡単な名前で呼ばれる金髪の男はすっかりやつれていた。
囚人としての拘束服をちぎって動きやすくしただけの、そんな粗末なぼろが自分の服だった。
体には敵から受けた負傷ではない、味方から与えられた罰による傷が無数にあった。
「俺は英雄だ、英雄になるはずだったんだ!」
男にしては長い、肩までの金髪ももはやボロボロである。
はっきり言えば……今の彼は死を待つ身だった。
既に拷問、或いは暴力も受けている。
ついこの間まで自分を讃えていた口が、自分へ暴言を吐いていた。
だが、それには慣れている。
「くそ、くそ、今に見ていろ!」
俺は歴史に名を残す英雄になる。
昔からずっとそう言っていた。
来る日も来る日も修行に励み、有り余る才能を鍛錬し続けていた。
結果、平民の出でありながら、魔剣の所持者として認められていた。
そう、魔剣だった。
押し込められた牢獄からなんとか逃げ出した彼は、もちろん自分が何処にいるのかなど把握などしてない。
あろうことか連合軍は軍議を開くことさえなく、立役者であるエリックに全ての責任を押し付けていた。
自分を疎んじていた者も、自分を讃えていた者も、自分を信じていた者も、誰も自分をかばわなかった。
自分は帯剣の許されない軍議に呼び出され、そのまま拘束されていた。
そして、監獄としての機能を持つ鋼鉄の馬車に押し込められ、外を見ることもできずに建物へ運ばれていた。
だからこそ、どこにあるのかもわからない魔剣を求めていた。
「魔剣だ、魔剣さえあれば!」
石造りの、堅牢なる城。ここが何処かなど分からない。しかし、脱出など彼は考えていない。
仮にここを逃げ出すとしても、魔剣を見つけてからだ。
「最古の国で武を認められた男だ、油断するな!」
「常に三人で動け! 見つけ次第援軍を呼べ!」
「もう何十人も殺されている! 囚人と言ってもなめてかかるな!」
「相手は一人だ、捉えられんわけがない!」
彼は魔剣を求めていた。自分を追う兵士たちを時折回避し、時折殴り殺し、時折武器を奪うために戦い……。
十分な食事など与えられていない、飢えた体は神経を鋭敏にさせて、直感と本能のままに最善の行動をとっていた。
そうして、彼は多くの兵士たちを殺していった。
だが、既に限界が近い。何度か剣で斬られ、槍で突かれ、矢を受けた。
鎧も着ていない、それどころか寒さも防げない囚人服では、彼の体を守ることはできなかった。
息が荒い。
体が重い。
胃が軽い。
それでも、彼は……。
「……あった」
幸運と言うしかない。
彼の持つ魔剣が彼とは別の馬車でここへ運ばれ、宝物庫で保管されていたこと。
城主が念のためにと言って、護衛と共にその剣を宝物庫へ取りに来ていたこと。
「エリック……貴様!」
「それは、俺の魔剣だ!」
十数人の護衛に守られている城主が大声で叫んでいた。
憎悪の目で、エリックをにらんでいる。
その手の中には、変わり果てたエリックと違い、未だに丁重な扱いを受ける剣があった。
彼の夢、彼の理想、彼の立身出世。
その保証を、城主は抱えていた。
「貴様のせいで……貴様のせいで……ワシの娘は! 姪は!」
「俺は悪くない! なんでお前達は簡単に諦めた!」
エリックは叫んでいた。
軍議で呼び出された時、当然の叱責が待っていると思っていた。
だが、挽回の機会が与えられると思っていた。
諸国列強から集めた連合軍は、あっさりと諦めていた。
まだ戦えるだけの戦力があるのに、味方の損害以上に敵は数を減らしていたのに。
それでも、連合軍はバラバラになった。
「マリーはさらわれたんだろう?! なんで見捨てた!」
「撤退は連合軍の総意だ、馬鹿め! マリー様には申し訳ないが、マリー様の護衛を務めるにあたって、どれだけの乙女が、姫が犠牲になったと思っている!」
「まだ戦えた! 仇をとればいい!」
「仇を討ってどうする! それで蘇るのか! ワシの可愛い娘は、姪は!」
「だからなんだ! 逃げ出したから、失ったばかりになったんだろう! 俺は悪くない! 連合軍がまた一つになって戦っていれば、マリーは救えた! マリーをさらった奴も、俺がこの手で殺してやった!」
どちらに利がある話なのか、それは分からない。
だが、連合軍は城主を支持していた。
それは服装からも明らかだ。
囚人服を着たエリックに対して、貴族としての礼服を来た城主は余りにも差があった。
「~~! マリー様を失った連合軍が、まとまって戦えるとでも思ったか! 戯け者が!」
「もういい! 魔剣を返せ、それさえあれば、俺は一人でもマリーを取り返す!」
「これはもはや、貴様の剣ではない!」
この世界には、二振りの特別な剣がある。
一つは常にその大陸で最強の覇権国家の王が所持する、その時代の王である証たる聖剣。
もう一つは最古の国家にして宗教の聖地。ただ一つの都市で成立する、バイル王国の神殿に奉られている魔剣である。
あくまでも儀礼でしかないが、その魔剣の所有者は覇権国家の王にも等しい権威が与えられる。
刀身は当然の事、柄さえも金属でできた、人ならざる者が作り上げた不朽の剣。
素晴らしい切れ味と、刃こぼれさえしない強度を持つ剣だった。
「その男を、殺せ! 責任はワシがとる!」
「その剣を返せ! その剣さえあれば、俺は!」
※
「人間にはある伝説があります」
俺のもつ斧を、たき火の揺らめく炎の明かりの中で、マリーは撫でていた。
その銀色の斧に、何かの思い入れでもあるのだろうか。
「かつて、この地に十人の王が一族を率いてこの大陸を開拓するべく、遠い地より船でたどり着いたと」
「へえ、そんな伝説が」
「巨人族には、ダイ族にはそのような逸話は無いのですか?」
「ない」
長老たちなら何か知っているかもしれないが、それでも俺は知らない。
なにせ、巨人族と来たらメシ食ってる時に話すのはケンカか狩りの成果の話ぐらいだからだ。
後はアルコール度数がある程度あるというだけの酒で酔っぱらっているのだ。それで幸せと言うのが、巨人族のお安いところである。
「少なくとも俺は知らないな」
「そうですか」
「その話と巨人族の斧に何の関係が?」
「この大陸最古の都市国家、私の故郷のバイル王国の最古の物語です。それにはこう語られています。一人の王が、自分の物も含めて十人の王に特別な武器を作ったと。決して朽ちず、刃こぼれさえしない武器を」
それを聞いて、俺は自分の斧を見た。鈍く輝く、金属製の斧を。
魔王から与えられた、巨人族の王の証だ。
「それが、その内の一つだと?」
「ええ、十ある武器のうち、人間が持っている物は最初に作られた魔剣と、最後に作られた聖剣の二つだけ。他は全て、亜人が所持しているとされています」
なるほど、道理で頑丈だと思ったぜ。
なんというか……そんな伝説の武器だとは思わなかった。
そうか、意外とファンタジーな斧だったのか。
となると、この斧はもとを正せば人間の物ってことか。
一体いつ頃奪ってきたものなのだろうか。
「聖剣は人間の王の証とされており、その時代の覇権国家の王が持っています」
「なるほど、攻め滅ぼしてはぎ取ると」
「はい、それが作法のようになっていますね。もう一つの武器、魔剣は我がバイル王国の神殿に普段は安置されていますが……百年に一度、担い手を決める武術の大会があります」
なんか、そういう風に表現するとカッコいいな……。
でも、巨人族だってケンカが強い奴が王だからな……。
なんか誰がやるかで大分違うんだな……。
「その大会で優勝したモノには魔剣が与えられ、バイル王国の第一王女の夫になる権利が与えられます」
「なるほど、人生の大逆転のチャンスだな」
「ええ、バイル王国は決して裕福ではありませんが、一国の王になれるということは魅力的ですからね」
つまり、婚約者とはそういう事か。
そのエリックってやつは……一国の王にすら満足できなかったと。
別に、亜人と言っても真面目に人類滅ぼそうとしているわけじゃないしな。
「顔も良く、品があり、実力もありました。正直、私は彼と結婚することにそれなりには前向きだったのですが……」
「確かにな、なんていうか……踏み台扱いだな」
バイル王国と言っても、別に魔王の領地に近いわけじゃない。
少なくともそんな名前の国は聞いたことがない。
つまり、純粋な功名心で彼女に近づいたと。
「正直、色々と複雑でして……彼は私を担ぎ上げて連合軍を構築し、魔王の領地に攻め込むと言い出したのです。私はもちろん、バイル王国の国王も反対していたのですが、周囲からの圧力に耐えきれず……」
「滅茶苦茶な話だな……あげく俺にさらわれたと」
話に矛盾はない。
彼女は単純に、婚約者に失望していたのだ。
最古の王国と言うのだから、基本安泰なのであろうし……。
彼女としては、一つの国を良く治める夫であってほしかったのだろう。
「ですから、私は貴方を恨んでいません。それに、我が王家の姫が、魔剣を持つ者と結婚をするというのは……その……伝説の武器の所持者になれるほどの強者に、愛される女であれという始祖様からの習わしでして……」
……つまり、伝説の武器の所持者である俺も、婚姻の資格があると?
そういう問題なの? 結局強い男が好みなの?
いや、でもまあ……前向きに考えてくれるならいいか。
「つまりあれだ……そんな功名心の塊と結婚するよりは、俺の方がいいと?」
「ええ、貴方は口でこそ自分の民を嫌っていますが、王としての責務を果たしています。そうした殿方は、とても好ましく思うのです」
相対的にマシ、と言うわけか。
となると、より一層仕事に励まねばならないか……。
これが治水工事とかならまだやる気出るんだけどなぁ……。
「それは嬉しいな、と思うことにしておく」
「……あと、お優しいところも好きですよ?」
「優しいか?」
優しい男は、それこそよその国の姫をさらってモノにしないと思うんだが。
「魔王様から聞いた通りの方でした、巨人族の中ではとても変わり者でも、とても真摯な方だと」
「……まあ、変わり者なのはわかっているが……っていうか他の連中とは一緒にされたくないが……いいや、よそう。いい加減卑屈だ」
とりあえず、少しでも彼女の事を知りたい。
多少順番はアレだが、俺は彼女と少しでも分かりあおうとすることにした。
気を利かせて、エルフたちも下がってる。
政略結婚以下の略奪愛だが、それでも今はこれに浸りたい。
「君の事をもっと聞かせてくれ、趣味とか得意な事とかを」
「はい、喜んで」