程度の知れた底と、ついでに正しい現状
ジャックは今日も野営をして眠っていた。
交代で火の番をさせており、野生動物を散らさせている。
もちろん、自分はしっかり眠っているが、それでも限度と言うものはある。
よほど慣れているならともかく、木の根などで凹凸のある場所で眠って安眠できるわけがない。
それに、思った通りに行っていないことが彼に精神的な負担となっていた。
非常に今更ながら、自分が見下していた未開の地の危険性に勘づきつつあった。
そもそも、自分は帰れるのか?
食料はまだまだ余裕があるが、しかしこのまま何の成果も無かったら?
自分は帰り路がわかっているのか?
つまりは、諦めて帰るという格好悪い決断さえできない状態なのではないか?
だが、それをジャックは認めることができなかった。
何故なら此処で引き返すことや、或いは引き返すための手段を探すことも、彼にとっては失敗だったからだ。
彼自身の無能からくる失敗だからだ。
この杖を手に入れる前の彼は、何か問題が起きればそれは誰かが悪いのだと心の中で思っていた。
自分が指示をしたのだから、その通りに動けない下の人間が悪いのだと思っていた。
自分の指示が無茶だったとか、或いは自分に人望が無く従いたくないと思われていたとは考えないようにしていた。
だが、全ての人間を言いなりにできるこの道具。
糸の杖で傀儡になった人間たちを従えている今は違う。
彼の計画通りに皆が動いている。誰もが彼の指示に頷いている。
その状況で、そもそも山に入ったこと自体が無茶だったと認めれば、それは自分の無能を認めることになるからだ。
全ての成功は自分の功績であり、全ての失敗は誰かの無能のせいなのだ。
そうでなければならないのだが、この状況を誰かのせいにすることはできない。
まさか、自由意思を奪った相手に向かって『どうして俺を止めなかった』などと言えば、その先には何の回答もないだろう。
自分の思うがままにしか動かない相手。それが如何に無価値なのかを、彼は理解し始めていた。
そして、その理解を拒絶しようとしていた。
彼は少なからず、冷静さと状況認識を始めていた。
幸い、東へ東へ歩いていた関係上、西へ歩き続ければその内人間の領域に戻れる。
もちろん、そこからまた人間の住む街や村を探さねばならない。
そういう意味でも、早くその決断を下すべきだった。
彼は欲深いが、それなりに計算高い。
試みたが、失敗に終わった。次はもっとうまくやろう。
そうした自己弁護が済めば、彼は引くことができただろう。
もっとも賢明な選択だった。
少なくとも、このままでは自分の体力が削られすぎるし、彼の傀儡も同様だった。
これは、あらゆることに言えることである。
引くと決めたなら、それは進むとき以上に大急ぎで引かねばならない。
進む以上に、戻る時はリスクを伴うのだから。
「ジャック様、起きてください」
慰めに連れてきた女が、自分を優しく揺らしていた。
うとうとと眠り始めていた彼は、その揺さぶりに腹を立てていた。
「なんだ! ようやく寝れそうだった時に!」
彼は八つ当たり気味に叫んでいた。
精神的にも肉体的にも疲労がたまっていたこともあって、八つ当たりのできるこの状況で噴き出していたのかもしれない。
自分は明日の為に眠っている。にもかかわらず起こすとはこの女が悪い。
だから、自分はこの女に怒っていいと思っていた。
「申し訳ありません」
「で、なんだ!」
「野生の獣が群がっています」
「そんなもん、お前らでおっぱらえ! 何のために連れてきたと思ってるんだ!」
「分かりました」
淡白に彼女は応じていた。
無理もない、彼に命令された以上それに従うことが彼女の行動基準である。
命令には従う、実行する。それが成功するかどうかは、また別の話なのだが。
「まったく……」
これだから傀儡は。
そう言いそうになる口を、彼はつぐんでいた。
彼女達にそう指示をしたのは自分であり、そうなると知って彼は彼女達に糸の杖を使用したのだから。
ここでそんなことを言えば、それは自分の失敗である。
彼はいら立ちながらも寝ようとした。眠ることなどできなかったが。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
威嚇の目的か、咆哮する獣の声を聴いて彼は飛び起きていた。
そして、『野生動物』を見た。
キツネや野犬というレベルではない、強大な獣がそこにいた。
どこかの山のヌシか、という大猪が鼻息も荒くこちらをにらんでいた。
「ひいいいい!」
明らかに、巨大だった。頭の高さこそそれほどでもないが、その盛り上がった背は明らかに二メートルを超えていた。その体重は、もしかしたら半トンに届いているのかもしれない。
武装した男たちが剣を構えているが、しかし、何をどう考えても絶対に勝てないと彼は分かっていた。
男たちがそれなりに暴力慣れしていること、杖の効果が万全であること、剣も実際に敵を切ることができる武器。
それらは本物だ。彼が持っている力は、全て本物だ。
だが、そんなことはなんの関係もない。目の前にいる野生動物は単純に数値が違う。
「う、うわああああ!」
手にした杖を猪に向ける。
その上で、杖が起動自体しないことを驚いていた。
いいや、途中で思い出す。
例えば馬を操ろうとしても、全く機能しなかったことを。
この杖は、二つのツタがねじれて絡み合っているようなデザインをしているのだが、上の部分に輪となっている部分がある。
そこから相手を覗き込むことで起動するのだが、知恵のない相手には全く意味がないのだと理解していた。
そして、使っているうちになんとなく理解できた。この杖は人間や亜人には通じても他の動物には効果がないと。
それはカミの技で作られた武器が、自らの機能を使用者に教えていただけで、別に彼が選ばれし者だというわけでもない。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「ひぃいいいい!」
彼は逃げ出していた。正しい判断だった。
背後で凄まじい音が聞こえるが、それでも彼は何とか逃げ出していた。
男も女も、彼の指示に従って『なんとかしよう』としている。
だが、無為に終わるだろう。頑張ったところでどうにかできる問題ではないのだ。
例えダイ族から見れば手ごろな獲物だったとしても。
彼はわき目も降らずに走っていた。
雑食性の猪が自分の連れてきた男や女を貪っている間に、絶叫しながら逃げていた。
彼は正しい判断をしていた。
非捕食者は、捕食者から逃げることこそ最善の策。
生態系のピラミッドから見れば底辺に近い人間は、自分の幸運を祈りながら逃げるしかないのだ。
もちろん、逃げるという判断が正しくとも、それがとっくに手遅れで機を逸していたことは事実だった。
ジャックにとっては誰かのせいにしなければならない、この最悪の失敗、命の危機。
仮にこじつけで責任転嫁ができたとしても、今まで同様に何の解決にもならなかった。
この孤独な状況で、彼は自分一人の世界で生きて行かねばならなかった。




