糸の杖と、暗い欲望
「糸の杖、カミ族の作った道具だな」
タロスもマリーも、その目を見開いて戦慄していた。
禁断の魔法、その効果を自分の眼で見た二人は驚愕を隠せない。
生命の在り方さえ容易く操作できる、禁断の魔法。その存在を知る者は、単なるまやかしだとは考えない。
「はい、カミ族が生み出し、遺失した道具のうち一つです」
自らも禁断の魔法の管理を任されているアンドラは、厳粛に応じていた。
カミ族の叡智が生み出す、数多の道具の数々は、便利や不思議と言う言葉に収まるものではない。
人間を含めたあらゆる種族の中でも、最も抜きんでた存在だ。生物という枠に収まるかも怪しい。
「魔剣に関しては、語るまでもありません。アレもまた長らく魔王領から離れていた遺失物でした。とはいえ、その所在は常に知られていましたし、保管も万全。奇しくも魔王様の手に戻りましたが、そもそもアレはカミ族にしか使えないようにされています。また、仮に使用できるカミ族がいたとしても、単独では意味を持ちません」
始まりの魔剣アイン。
魔王自らが友に送るために、詩作として作った剣。
伝説の武器を支配する力を持ち、起こし、眠らせる力を持っている。
しかし、カミ族にしか使えぬ武器であり、仮に使用できたとしても単独では意味を持たないものだった。
魔王シルファーの血を継ぐバイル王国が、多くの伝承を残しながら、多くの国に畏敬を持たれつつそれを保管していた。
その保管が乱されたことによって、数奇な運命と共に本来の主の元に戻ったことは皮肉である。
「ですが、他にも遺失した魔法は存在します。糸の杖もまたその一つ」
悪魔族、人間がそう呼ぶ彼らの中でも、実際にそうとしか思えない者もいる。
稀にではあるが、悪意の道具を産み出し、流出させる者もいる。
いずれ自滅する、愚かな悪魔。
「糸の杖は、知恵ある者を支配する力を持った杖。その杖を持つ者は、光の糸玉を対象に当てることで、その心を支配します」
「なんで、そんなもの放置した?」
「そうです、余りにも危険では……」
「カミ族の、その……在り方でしょう」
長命種である魔人、ミミ族にもヨル族にもなんとなくわかる理屈。
そして、短命の者には理解できない理屈だった。
「放置しても、問題ないだろうと」
※
「ここが、魔王の領地か」
十人ほどの男女を連れた男が、一メートルほどの長さのある杖を手に、朝焼けの空の下で森を前にしていた。
彼の名はジャック。茶色の髪をした、ある意味一般的な人間である。
それなりに資産のある、成功している商家に生まれた彼は、ある日倉庫に眠っていた道具を手にする。
その正式名称は『糸の杖』だったのだが、しかし彼はその杖を『支配の王笏』と呼んでいた。
どこかの誰かが死んだ後、その杖がその家にしまい込まれ、更にその家が没落した折に売りに出され、流れ流れて彼の手元にはその杖が収まっていた。
「ここには、夢魔族、森魔族、悪魔族……永遠の命を持った魔人がいる……!」
その杖の効果を知ったものは、悪意のままに使用するか、あるいは破壊を試みる。そして、カミ族の作り上げた物はどんなに脆弱に見えても、尋常の方法では破壊できない。
正しい使い方がわからないなら、放置されるだけ。だからこそ、この杖は彼の手に収まった。
「半鳥族もいいな……ああ、此処にはまだ知らない女がいる」
彼はたまたま偶然、その杖を使うことができた。
そして、実家の金を持てるだけ奪って逃げた。
その杖は彼の望むままに力と色を手にしていった。
それが正しいのか、間違っているのか。そんなことは些細である。
彼は自分の手にした力を、好きなように扱っていった。
「男なら、巨人族も鬼人族も剛人族もいい……もう誰も俺に逆らえない」
しかし、途中で彼は飽きてしまった。
無理もない話である、彼はそれなりに利口だったし、それなりに分をわきまえていた。
糸の杖は、単純にゆったりとした速度で移動する、光る糸玉を相手にぶつけることで支配する。
当たりさえすれば男だろうと女だろうと、完全に支配することができた。
だが、問題はそこである。糸の杖は人間が使うにはやや小さい代物だが、それでも凶器として使うには十分な大きさがある。
まして、その光の玉は使用者にだけ見えるような、そんな都合のいい代物ではない。加えて、同時に数名を操ることができるというわけでもない。
仮に衆人環視の下で使用し、貴人を支配下に置こうものならば、それはジャックの自滅を意味していた。
であれば、彼が操ることができる状況に追い込める相手には、当然上限があった。
金が尽きたなら奪わせればいいが、それはそれで足がつく可能性もあった。
人間、楽を憶えればより一層の楽を求めるものである。素晴らしいものをあっさり手に入れると、どんどん欲しいものの水準が上がっていく。
「悪魔族は不思議な道具を作れるっていうし、もしかしたらこの杖もそのうちの一つかもな」
彼は確信していた。
人の心を操る力こそ最強だと。
人を意のままに操ることができるなら、それは不可能なことがないのと同じである。
だが、もっと欲しい。
もっともっと、色々なものが欲しい。
「食料も、武器も、その他の野営用の装備も整っている」
彼は護衛用の男と、自分用の女を連れて、森の中に入っていく。
この魔王の支配する土地の、全ての知恵ある者を支配するために。




