驚いた衆長
ミミ族の一人、アンドラは衆長である。
衆長と言うのは、イメージとしては村長のようなものだ。
特定の家というものを持たずに、常に集団で移動するミミ族は、必然的に荷物というものを極力持ち歩かない生活をしている。
非常に集団行動に長けており、公も私もなく働き続けている。
そういう生き方をしていると、大陸全体では良く知られているし、ミミ族自身も自覚している。
ただ、禁欲的だと言われると、反論するかどうかはともかくとして、大抵の者が違うと思うだろう。
ミミ族は禁欲的なのではない。単に退屈が嫌いなだけだ。要するに無欲なのである。
ミミ族は他の生物から見れば、ありえないほど食事の量が少ない。
水と少々の木の実があれば、森の中で溶け込んでそのまま一年を過ごすこともある。
もちろん動けばそれなりに食事を必要とするが、それでもやはり量は少ない。
もっと言えば、そもそも食欲や美味しいものを食べたいという欲求が少ない。
人間の中には、ミミ族こそ真の長命種と言う輩も多い。その気持ちもわかる。
カミ族も実際付き合ってみればただの創作者で、暇さえあればなんの役に立つのかもわからないものを大量に生産している。
ヨル族も世間一般の認識と変わることなく、好色で年中盛っているのだ。
どちらも俗物であり、余り好ましくは思われていない。
ただ、一つ言えることもある。
自分たちははっきり言って、長寿をもてあましているのだと。
カミ族にしてみれば、作りたいものがあるのだから寿命などいくらあっても足りないし、ヨル族にしてみても好きなことを数世紀の間やり続けても飽きないだろう。
だが、ミミ族だけは魔人と呼ばれる氏族の中で、その長い時間を持て余していた。
楽しいことが何一つないにもかかわらず、長い時間木の実を食って水を啜って、それで悠久の時を生きて何が楽しいのか。
仮に、人間に同じことをさせれば、三日で飽きるだろう。
自分達は、やる前からうんざりしている。
なまじ寿命というものがないからこそ、これを永遠に繰り返せるからこそ、やり始めることもなくうんざりしている。
「はっはっは! 実は私ももうお役御免でして!」
「今日からよろしくお願いします、私本日より役割を引き継ぎますので!」
だからではないが、仕事上色々と関わり合うハネ族のことがうらやましく思う。空を飛べることもそうだが、彼らは短い人生をとても充実して過ごしているからだ。
やりたいことがないからこそ、こうして仕事に没頭している。
斥候と言う仕事は、貧弱なミミ族には死と隣り合わせの仕事だ。
永遠に近い寿命を持っているとはいえ、首を刎ねられればあっさりと死ぬ。
それは、ミミ族としても余り好ましいことではない。
よって、頑張ろうという気分になれる。
真面目に仕事をしようと思える心が、ミミ族には欠けているので、常に求めているのだろう。
要するに、暇になるとこれが永遠に続くように錯覚するので、とにかく何かをしていたいのだ。
「言うまでも無いが、我らの失態で多くの犠牲者が出た。今後我らへの風当たりが強くなる」
自分の父であり、一族をまとめ上げるラッパ王は、そんなことを口にしている。
とはいっても、ミミ族にしか聞こえない音程で、星の光も隠れる森の中で、そんなことをぼそりと言っただけだ。
その重みは、言葉の短さほど軽くはない。
なにせ、ミミ族には基本仕事しかない。
仕事が失敗したということは、長い人生のすべてが無意味だった、と決定つけられるに等しい。
アンドラは父であり王であるラッパからの言葉を、部下たちと共に受け止めていた。
「魔王シルファーより連絡を受けた。ダイ族のタロス王と、その妻となるリストの子孫マリーの、その護衛をせよとのことだ」
それが自分達への指令であると、速やかに全員が理解する。
比較的背の低い森の中で、王は無機質にそう言い切っていた。
あの戦いで、多くの命が果てた。
それはとても悲しいことだし申し訳ないが、これから先に起きることは、つまりは人間同士の殺し合いである。
ダイ族の王の奮戦によって、敵の結束はガタガタになった。
敵陣をまっしぐらに突き崩していく進撃をみて、どの氏族も彼に続けとなったのだ。
例えるなら、酒の入った樽の底に穴をあければ、全ての酒が我先にと抜けるようなものだ。
その彼の働きぶりを、全ての氏族が認めている。カタ族は素直ではないが、それでも嫉妬しているということは認めているということだ。
そんな彼が、戦場でさらったシルファーの子孫を妻にするという。
なんというか、とんでもなく無謀な話に聞こえた。
良く人間は、腐った肉を食っても腹を壊さない、と野人に分類している輩を指してそう言う。
実際そうである。腐った肉を好んで食べるわけではないが、食うに困れば割と平気で食べている。
色々な意味で彼らは屈強で、自分達とは逆の意味で食事にこだわりがない。
そこへ行くと、人間と言う生き物は、食べるということに対してこだわりが強い。それこそ、ヨル族と同等だろう。
仮にダイ族のところで人間が生活すれば、すぐに死ぬだろう。肉を食べようにも噛み切れず、眠ろうにも不衛生に耐えられず、水を飲めば下痢になる。
はっきり言って、生活環境が違いすぎるのだ。
これはもう、完全に生物としての性質なので、善し悪しの問題ではない。
「既に住居の手配は済んである。身の回りの世話は、ヨル族と合同で行え」
当然だ、とアンドラは思った。
その手の事をさせるなら、ヨル族が最優先であろう。
食、性、育。そうしたことは、彼女たちの得意分野である。
特に、夜の営みに関して言えば、彼女たちの右に出る氏族はいないだろう。
彼女たちは情熱的に、それを日夜研鑽しているのだ。
そして、彼女たちがいなければ、ダイ族の男と人間の娘が結ばれるのは、物理的に難しい。
「最悪の場合に対する備えはあるが……アレは色々と不味いからな」
アレ……。
その言葉には、ラッパ王らしからぬ不快感と嫌悪感がにじみ出ていた。
噂に名高き、例のアレだろう。正しく言えば、カミ族の中でも夜の営みに関する道具ばかり作っている好事家集団の作品だろう。
アレの存在は、魔人に分類される種族ぐらいしか覚えていないが、本当に色々と問題が多いのだ。
少なくともアンドラは、こんなものを趣味で作り出せるカミ族は、いっそ滅ぶべきではないだろうかと真剣に悩んだほどである。
「アンドラ、お前にはいくつかそれを渡す」
「……心得ました」
だが、嫌悪感で問題解決の糸口を自ら閉ざすほど、ミミ族の王は愚かではない。
彼は既にその道具を魔王シルファーから託されていたようだ。
あるいは、押し付けられたのかもしれない。
「それから、言うまでも無いが……」
「ヨル族には渡しません」
「よし」
色々と、倫理的に問題がある。
そうした品を、彼女は父親から渡された。
そして、それを丁寧にしまう。
「タロス王は、ダイ族の中では変わり者だ。並みのダイ族と思わずに、丁寧に対応しろ」
「承知いたしました」
※
「湯と石鹸、あるか?」
その一言に驚いたのは自分だけではあるまい。
おおよそ全員が、ヨル族もミミ族も、分け隔てなく驚いていた。
というよりも、まず第一に石鹸の存在を知っているとは思わなかった。
むしろ、湯の存在を知っていたことにも驚いただろう。
「いや、臭いと思ってさ! 屋敷の中が臭くなるのも、姫様を臭くするのも嫌でさ……入る前に綺麗にしときたかったんだ」
「気が回らず、申し訳ありません……奥方様の為に石鹸を用意してありますので……それでよろしければ、どうかお使いください。湯も布も持ってきますので」
十人の王と違いこの大陸で生まれた身ではあるが、それでも長い時間を生きていた。
その中で固定観念が存在したことは認めよう。だが、それでも非常に驚いていた。
おそらく、ミミ族を驚かせたダイ族は彼が初めてではないだろうか。
というよりも、本気でおかしいと思っていた。
陶器はおろか土器さえも作れず、奪うのみの氏族が、水を煮立たせているところさえ見たことがない。
特に、何かの間違いで土器などの酒の瓶を焚火にかける、という発想があったとしても、石鹸の存在を知っていることは明らかにおかしかった。
これは、彼の耳には入るはずのない単語である。
いったい彼は何者なのだろうか。
その考えを、我らは挟むことを許されない。
湯あみを庭でしたいというのであれば、それを行うのが我らの仕事である。
「聞いたな? ユリの者と手分けをして準備をせよ。それから、ハネ族への注文品に追加だ」
我が配下にも連絡をする。
配下の誰もが驚いていたが、それでも行動は速やかだった。
要するに湯を沸かせばいいだけの事であるし、大量の石鹸を持ってくればいいだけの事。
既に存在している物を、持ってくるだけですべての問題は解決するのだ。
「準備が整いました、庭先で失礼ですが……」
「ああ、頼む」
「では、私めは姫様にお待ちいただくようにお話をしてまいりますので……」
一応、香炉や香水で体臭をごまかす算段は立てていたのだが、それも完全に不要となった。
その辺りを色々と打ち合わせをする必要がある。
私は速やかに裏手から奥方となるマリー様の所へ向かった。
「失礼します、奥様」
「……もういらしたのではないのですか?」
「それが……」
ミミ族にあるまじきことに、私は困惑を隠せなかった。
二階建ての一室で、枕を抱えて不安そうな、人間の姫。
彼女に対して、私はなんと説明をしていいのかわからなかった。
誓ってもいいが、石鹸の存在云々ではなく、女性と夜を過ごすにあたって身ぎれいにする、という考えがあるダイ族など彼ぐらいであろう。
間違いなく、この大陸開拓以来の珍事だ。
「お召し物やお体を、整えております」
「……え?」
「信じられないでしょうが、本当でございます」
一応、一切の偏見なく、ダイ族の習性というか生活習慣に関しては伝えてある。そして、人間の常識と反するものではないと、私は知っている。
だが、その常識は覆された。彼はどうやら……身ぎれいにする、という行為に屈辱を感じない、稀有なる精神性と博学さを持つ希少なダイ族らしい。
仮に、一般のダイ族にそんなことを頼もうものならば、自分が臭くて汚いというのか、と怒り出すところである。
なお、人間的に言って臭いし汚い。浮浪者を通り越して獣臭がするほどである。
「まあ……」
なんというか、嬉しそうなマリーである。
確かに人間の基準から言っても、精神衛生上も肉体衛生上も、清潔は最低水準のようなものである。
特に深窓の令嬢にとっては、中々希望しても叶えられないことだった。
アンドラが生まれる前にこの世を去っている、マリーの先祖リストは豪傑を好む女性だったと聞いたが、流石に人間が代を重ねればその限りではないようだ。
「そうですか……湯あみを?」
「さようです」
嬉しそうなマリーは自分への気遣いに、早くも顔を赤らめていた。
おそらく、相当の何かを、彼女は覚悟していたに違いない。
少なくとも、それは賢明な精神防御であるが、ハードルを大幅に下げていたともいえる。
彼はその上を越えていったのだ。
それは良い事であろう。何一つ、そう、何一つとして悪いことは起きていないのだ。
「まあ……」
マリーは嬉しそうであるが、アンドラとしては正直驚愕を隠せなかった。
戦場に出る年齢になっても子をなさないことからタマナシと呼ばれ、成人の証である髭を生やさないところからヒゲナシと、同族から蔑まれていたところから、てっきりそうした性癖の持ち主なのかと思っていた。
だが、どうやら違ったようである。彼はあり得ないほどに綺麗好きのようだ。
それでは、石鹸と言う人間ぐらいしか使わないものを知っている理由がわからない。なにせ、ダイ族が人間と関わるのは戦争ぐらいで、戦場に石鹸を持ってくるほどボケた者は流石に知らない。
ありえるとすればマリーぐらいだが、そんな余裕があの戦場に有ったとは思えないし、見つけたとしても用途は知れないはずである。
これは、気を引き締めなければならない。
仕事に忠実な、一般的ミミ族、衆長アンドラ。
彼女は極めて冷静に状況を受け止めていた。




