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奪われた花嫁

 バイル王国。

 それはただ一つの宗教都市と周辺の農地のみを領土とする、世界最古の人類の国。

 かつてこの大陸を切り開いた十人の王、その頂点であるシルファーの子孫が治める国。

 覇権国家の国主のみが持つことを許される最後の聖剣と対を成す、最初の魔剣を保管する国。


 そこには、建国のため旅立つ国母にちなんだ風習が一つある。

 百年に一度、その時代の第一王女は、広く門を開いた武芸の大会で優勝したものを婿とする。そして、その婿には魔剣が与えられるのだ。


 必然、その時代に生まれたマリーは、幼少のころからそういいきかされていた。

 時が来れば大会を開き、その優勝者を婿にするのだと。

 とても強い、魔剣の主。それが自分の夫になる。

 かっこいいヒトだろうか。優しいヒトだろうか。

 彼女は胸をときめかせながら、その時を待っていた。


 世界中から最古の国の王になりたいと、荒くれ者たちが集ってくる。

 はっきり言って、自分よりもずっと年上の男ばかりだった。

 深窓の令嬢として育てられた彼女には、とても恐ろしい男ばかりだった。


 しかし優勝したのは、自分よりも少し年上の男だった。

 金色の髪をなびかせる、天才剣士だった。

 彼が父から魔剣を授かり、未だ幼い自分の婚約者になったこと。

 それが、彼女にはとても嬉しかった。


「亜人共を滅ぼしましょう」


 よりにもよって、彼はそんなことを言い出していた。

 他のどこの国でもなく、バイル王国でそんなことを言い出した。

 父である現役の王も、他の誰も、国の高官の誰もがそれを否定しました。


「貴方はこの国の王になる方だ。そのようなことをするべきではない」


 この国は、宗教と観光、そして少々の農作物で成り立っている小さな国だ。

 もちろん、誰もがそんなことは理解している。

 貴族の子女が、各国の交流や行儀見習いの為に、留学してくることもある。

 だが、それだけなのだ。

 魔剣は確かに伝説の武器であり、聖剣同様に刃こぼれしない不朽の武器。

 しかし、だからと言って、『他の九の武器』と違って、森を絞めることも命を呑み込むことも、山を割ることもできない。

 軍隊にしても一種の警察程度であり、他国へ攻め込むことなどできるわけもない。

 伝統と格式の国。それだけがある国。それだけをわきまえていれば、態々他国から攻め込まれることもない国。

 十人の王の直系、永遠の国。二千年間存続する、人類の象徴だった。


「大丈夫だ! なにもかも上手く行く。貴方達は何も心配しなくていい!」


 いっそ、エリックが口だけの男ならばよかった。

 いっそ、エリックが強いだけの男ならばよかった。

 いっそ、エリックが好色なだけの男ならよかった。

 いっそ、エリックが国王になりたいだけの男ならよかった。


 彼は列強と魔王領に隣接する国々をまとめて、連合軍を作ってしまった。

 如何に最古の国の魔剣の持ち主とはいえ、それが成功するとはバイル王国の誰もが思っていなかった。

 あるいは、それだけ亜人と呼ぶ者たちと、人間の間に亀裂が生じていたのかもしれない。

 魔王の領地から遠く離れたバイル王国の者は、或いは身の程をわきまえて生きてきたバイル王国の者は、亜人と人間の争いの深刻さや自分たちの持っている権威の大きさを侮っていたのかもしれない。


「我らが先祖に、刃向かえと言うのか」


 多くの国々や文献では、二千年の間に故意に捻じ曲げられた逸話を信じている。

 十人の王が全員人間だという伝説を、頭から信じている。

 しかし、この国の高官は皆知っている。十人の王で人間は、聖剣を与えられたウーサーただ一人だと。

 亜人と蔑み、八の武器を奪っているとされる氏族こそ、正しく十人の王の子孫たちなのだと。


 一つ確かなこととして、エリックが如何に傑物だとしても、多くの人々が亜人を憎み、亜人に奪われているからこそこの戦争は成立した。

 エリックは確かに笛を吹いた。しかし踊った諸国も、決して精神を操られたわけでもないし、事実を捻じ曲げられたわけでもない。

 亜人と呼ばれる者たちは、実際に自分たちの都合で近隣の国から食料を脅かしていたし、その対策などで人命や予算は大きく削られていた。

 だからこそ、エリックの呼び声に賛同していったのだ。


「見てください、王よ! これだけの国々が僕に賛同しています!」


 結果的に正しいのはエリックだった。

 人間の誰もが、亜人を屈服させたいと思っていたのだ。

 ただ、誰が諸国をまとめるのか、と言うだけの話だったのだ。

 もしかしたら、エリック以外の誰かが、同じことをしていたのかもしれない。


「エリック……思い直してください」

「これだけの人が期待している……僕を求めているんだよ……!」


 この時、彼女は理解した。

 彼が欲しいのは、この国の婿となる魔剣の主ではない。

 人類の覇者を意味する、聖剣なのだと。


「この国もより一層の尊敬を集める……君だって、歴史に名を残すことになるんだ! 僕の妻として!」


 バイル王国の誰もが、今更彼に真実を言う気にはならなかった。

 言っても意味がないと理解したからだ。

 魔剣の本来の主であり製作者。真価を発揮できる悪魔族、カミ族に挑む、その愚かさを。


「先に言っておく。私は反対だ。今からでも、亜人へ攻め込むことは思いとどまるべきだ」


 マリーの父は、全ての国に向けて、公文書に表明した。

 今のエリックは王ではなく、姫の婚約者。権威はあっても権力は無いと言い切った。

 真実を隠しながらも、それでも彼は最後まで戦争を止めようとしていた。

 だが、それでも戦争は止まらなかった。


「……これが、報いなのでしょう」


 もちろん、誰が悪いと言えばどちらも悪い。

 亜人が人間を襲うこともよくあったが、人間がやられっぱなしだったわけでもない。

 単に亜人も人間も関係なく、互いに奪い合い殺し合っただけの事なのだろう。

 強いて言えば、全く無縁だったバイル王国にとっては、甚だ迷惑な話だったというだけのこと。

 もちろん、単に地理的に無縁でいられた彼らは、亜人と人間の争いを他人事のように感じていただけなのだろう。


「……マリー様、ここは引くべきです!」

「では貴方が逃げなさい。私は婚約者の責任をとって、ここで討たれましょう」


 策は何もかも上手く行った。

 エリックは諸国をまとめ上げたし、諸国は連携していたし、亜人の情報網を欺くことができたし、亜人たちはあっさりと包囲されていた。

 だが、神輿の上に乗せられていた彼女は、戦場の彼方から向かってくるその存在を見て、全てを諦めていた。

 銀色の斧を持つ、巨人の王。

 自分が魔王シルファーの血を継ぐように、彼には初代ダイ族の王アトラスの斧がある。

 おそらく、彼を単騎で止めることができるものなど、自分の夫ぐらい。

 そして、彼は指揮のためにここから離れていた。自分を守る役割を放棄していた。


「ですが、貴女が死ねばこの軍は……」

「違います。私の護衛を務めるこの軍そのものが、最大の弱点なのです」


 以前、魔剣の主となったバイル王国の王は、自分の娘を旗印に、自国へ留学していた諸国の子女を護衛として軍を派遣した。

 諸国の貴族を敵に回したく無くば、争いをやめよ。

 そうした、人間の盾が戦争を止めた。

 美談でもあるし、無謀な行いでもあった。

 その当時は成功したが、しかしつまりは、悪い意味での前例ができてしまった。

 成功体験の復讐。

 人間の国から見れば恐ろしいほど有効な権威は、亜人から見れば餌箱でしかない。


「皆、逃げなさい。一人でも多く逃げなさい。あの重装歩兵を抜けてしまえば、貴方達を守るものは何一つとしてない」


 彼女に指揮権は無い。

 あったとしても、その知識も知恵もない。

 知識と知恵があっても、諦めていただろう。

 三メートルを超える巨人が、伝説の武器を振り回して結露を切り開き、鬼気迫る表情でこちらへ向かっていたのだから。

 武器を放り捨てて、逃げ出す女子たちもいた。

 彼女たちは、賢明であろう。運が良ければ助かるに違いない。

 硬直して動けない、震えるだけの女子たちが居た。

 彼女たちは、普通である。ただ立っているだけでよかったのに、目の前には巨人の王が軍と共に迫っている。

 剣を構えて、抗戦の構えを取った女子たちがいた。

 彼女たちは、忠実であるが愚かだった。全体に乱れがある軍隊など、決死の覚悟で向かってくる相手にはなんの意味もない。


「皆、逃げなさい……私は責任を取るべきです」


 怖いが、仕方あるまい。

 少なくとも自分はエリックに権威を与えた姫である。

 ここから先、誰が何人死んでも、それが発端となってどれほどの流血が人間同士で起きたとしても。

 その責任の一端は、自分とバイル王国にあるのだから。


「大斧ズィーベン。最も武勇に秀でた十人の王、アトラスの為に作られた武器。魔剣アインによって起動させれば、山をも断つと言われた銀の斧」


 それを持つ者が、自分に迫る。いっそ、報いなのだろう。

 まとまりなどない軍隊の中で、マリーはそれを受け入れていた。

 自分は所詮、権威だけの女。この戦場では、何もできない無力な女。


「魔王シルファー……どうか至らぬ子孫をお許しください……」


 目が合った。

 そこにいる巨人は、他の巨人よりも大きかった。

 そして、その顔に髭がなく、口元もはっきりと見えていた。


 だからこそ、その表情も見えていた。


 いっそ間抜けなほど、彼は自分に見惚れていた。


「おおおおお!」


 裂帛の気合と共に、彼は自分へ手を伸ばしていた。

 銀色の斧ではなく、屈強な手を……自分へ、必死で伸ばしていた。



 『彼』がどれほど気を使ったとしても、ダイ族の男に掴まれて戦場を走れば、それは当然気絶をする。

 余りにも目まぐるしい変化に彼女は気を失い、結果目が覚めた時には、魔王の城の中だった。

 そこは、敵国の総本部。助けが来ることはあり得ない。

 石造りの城の中で、彼女は自分の運命を悲観していた。


「あらあら、リストの子孫? 二千年も経っているのに、よく似ているわね」

「なれなれしいぞ、バラ。貴様は少し下がっていろ」


 そこには、伝説に名高い二人の王が居た。

 王家に伝わる肖像画に描かれたその人が、一切色あせることなくそこにいた。


「ヨル族の女王、バラ様……ミミ族の王、ラッパ様……」 


 ベッドで起きた彼女は、そう言っていた。

 伝説は本当だったのだと、彼女は理解していた。


「あら、私って人間扱いだったのじゃないかしら?」

「リストが興した国では、まだ正確に伝承されているのだろう。彼女は姫でもあるのだ、不思議ではない」


 人間から見れば、永遠に近い時間を生きる魔人の王。

 自分の先祖同様に悠久の時を生きるこの二人の王は、最古の国の建国の母さえも知人の娘扱いだった。


「申し訳ありません……魔王の血を継ぐものでありながら、このような真似を……」

「あら、そっちも伝承されているの? 律儀ねえ……私なんて前の大陸の事なんてほとんど忘れてるのに……」

「……気に病むことはない。世の流れ、いくさの流れとは、そういうものだ」


 二人の王は、全く気に病んでいなかった。

 それはそれでどうかと思うが、全く罪悪感がぬぐえない。

 いっそ、憎しみの目でも向けて欲しかった。


「案ずるな、この城の中ならば、リストの子孫に危害を加える者はいない」

「そうそう、シルファーが貴女に会いたがっているわよ」


 二人の王は、自分を慰めつつ、国母たるリストが着ていたという服を自分に着せていた。

 それは二千年の月日を経て朽ちぬ、カミ族の御業の代物だと、彼女は理解していた。

 そして、自分の生まれた国によく似た建造物の中を歩いて……玉座に至った。

 そこにも、やはり王がいた。

 黒い髪をした、少年の姿の王。

 尖った尾を持つ、亜人の頂点にして十人の王の頂点。

 伝説の武器を自ら作り出した、エリックとは違う真の魔剣の主。


「待っていたぞ! 我が末よ!」

「魔王、シルファー……さま」

「おお、不安そうな顔をして! ラッパ、お前要らぬことを言って、リストの子孫に不安をさせたのか?」

「ラッパは不愛想だからね」

「言っていろ」


 豪華な椅子から大仰に立ち上がり、そのままマリーの所へ歩み寄る。

 尾を除けば人間の少年だが、その顔は孫との再会を喜ぶ祖父の様だった。


「うむ、恐ろしかっただろう……だが心配することはないぞ! これよりはここがお前の国だ!」


 自分と変わらぬ短い手で、彼は自分を抱きしめていた。

 その事実だけで、マリーは大粒の涙を流す。


「これと言うのも、何、お前が悪いわけではない。よくあることだ、気にするな」

「ダイ族やカタ族、ツノ族が悪いのよね……昔っからそうだもの」

「ツキ族もユミ族も、無縁ではない……人間同士で争いが起きたことと何も変わらない」


 三人の偉大な王たちは、彼女を暖かく許していた。

 バイル王国になんの非もないと、彼らは許していた。


「それにしても、増えたわねぇ、人間」

「然りだな、流石と言ったところだ」


 あるいは、長すぎる時間を生きた彼らにとっては、昔からよくあることなのかもしれない。

 なにせ、バイル王国にさえ残っていない、この大陸を開拓する以前の記録も、彼らにとっては記憶なのだ。


「なぜ、バイル王国に非がないと?」

「伝承も何も関係ない。地政学的に見て、態々我らを攻め滅ぼすほど、バイル王国は困窮していないはずだ。魔剣をえた者が無茶なことを言い出したのだろう」

「それを調べるのが貴方の仕事じゃなかったかしら?」

「その通りだ……面目ない」


 どうやら、自分はこのまま受け入れてもらえるようだ。

 それはいいことである。

 だが、これからどうなるのだろうか。

 流石に敵国であるはずの魔王領から、一国の姫が無傷で帰還すればただ事ではすむまい。

 下手をすれば、バイル王国は人類の裏切り者である。


「私は、これからどうなるのでしょうか……」

「なに、心配するな! まだ純潔は許していないのだろう? 一人良い男がいる……心底お前にほれ込んだ、アトラスの末裔だ」


 それが誰なのか、彼女は既に知っていた。


「アレはダイ族の中では変わり者だが……武勇もあるし奥手で他の女に興味を持たない。それに……王としても、アトラス以上に氏族のことを想っている」


 良き王であり、良き夫。その妻になること。

 それが、自分の先祖が自分に与えた、新しい立場だった。


「まずは会ってみるがいい、恐ろしければ、逃げ出せ。必ず守ってやる」

「わかりました、お会いします」


 彼女の物語は、ここから始まろうとしていた。

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